ヘルエスタ王国物語(104)
信じる?
信じない?
そんな疑問を抱くことなく、クレアは手紙に書かれた待ち合わせ場所に向かって、全速力で走っていた。完全に信じきったわけじゃない。ライラ・アルストロエメリアは死んでいる。全身に花を咲かせて、死んでしまった。
だが、クレアに届いた手紙は筆跡から言葉の使い方まで、王城で共に過ごしたライラのものとそっくりだった。
泣いている子供を優しく慰めるかのような、ライラだけの文字。
他人が真似しようと思っても、そう簡単には真似出来ないだろう。何かが変わるような気がした。
クレアが肩で息をしながら向かった先は、南の貴族街と呼ばれる場所だった。
ヘルエスタ王国で唯一名前の付いている街。
いくつもの豪華な家が立ち並び、他の地域とは比べ物にならないほどの完成度を誇っている。シェリンやライラの家もこの辺りにあったはずだ。
「……ハァ、ハァ」
クレアはようやく待ち合わせ場所に辿り着き、膝に手を置く。
そして声を掛けられ、すぐに顔を上げた。
「おはようございます。いい朝ですね。クレアさん、で合っていますか?」
踊り子風の衣裳を着た、ライラ・アルストロエメリアが立っていた。
偽物なのか、本物なのかも、クレアには見分けがつかない。
クレアは「はい」と短く答えて、
「ライラさん。本当に……ライラさんなんですか?」
「もちろんです。でも、今の私とクレアさんは初対面なんですけどね」
「それは───」
クレアが言葉を続けるよりも先に、ライラは答えを言った。
「私は未来のヘルエスタ王国からこの場所に来ました」
「どういう意味ですか……」
ライラはにっこり笑う。
「クレアさんはタイムトラベルという言葉をご存知ですか? 過去や未来を、自由に行き来できる能力なのですが……」
昨日、クレアは似たような話をアルバーンから聞かされていた。
「少しだけ知っています。……過去や未来を、変えられるんですよね?」
困ったような表情を浮かべるライラ。
その表情はクレアの知っているライラよりも、少し幼く見えた。
「クレアさん、私の名前を教えていただけませんか? できればフルネームで」
「……ライラ・アルストロエメリアさんです」
自分の名前を聞いたライラは首を横に振った。
「私の名前は、ライラ・アストロノート。クレアさんが存在しない未来では、私の名前はそうなっているんです。そしてこれからの私は『ライラ・アルストロエメリア』になるために過去へ向かいます」
「……───」
次から次へと手渡される情報に、クレアは置いてけぼりにされる。
分かっている所でいえば、目の前にいるライラが、クレアと一緒に過ごしたライラとは違うということだ。
「本当ならこの場所で私たちは出会わなかったんです」
ライラはそう前置きをした。
「でもクレアさんは、私からの手紙を受け取っていますよね?」
「はい。わたしの部屋に置かれていました」
「その手紙は私が書いたもので間違いありません。正確には『書かされた手紙』なんですけど……」
そこまで言うと、ライラは周囲を見渡した。
昨日の闇ノシュウと同じで、何かを警戒しているようだった。
安全を確認したライラはクレアに近づき、服の袖をまくって、自身の手首にある腕輪をクレアに見せた。
中央には緑色の小さな宝石が飾り付けられている。
「この腕輪をつけている男に気をつけてください」
「これは?」
「私がタイムトラベルをするために使っている遺物です。私は未来で、この腕輪をつけた男にクレアさん宛ての手紙を書けと命令されました」
「えっ!?」
思わず声が出て、困惑するクレア。
ライラはクレアから少し離れて、手首にある腕輪を起動した。
「もう行かないと」
「ちょ、ちょっと待ってください! まだ聞きたい事が───」
「ごめんなさい」
子供っぽく笑ったライラは最後に、
「もしも未来で私に会ってもライラ・アルストロエメリアと間違えないでくださいね。クレアさんが未来で出会う私は、ライラ・アストロノートなんですから」
「……───」
ライラはそう言い残し、音もなく消えた。
そしてそのタイミングを見計らって、四つの影が一斉に動き出す。
まず最初に、二つの大きな影がクレアを守るように囲んだ。
見知らぬ男たちに包囲されたクレアは恐怖でしかない。
さらにその頭上を、えるが飛び越える。彼女は一瞬だけクレアに視線を送り、クレアに近づいてくる、もうひとつの影に向かって剣を振った。
えるの剣を軽やかな身のこなしでかわした相手は、二度三度と家の壁を蹴り、屋根の上から全員を見下ろす。
「……伊波さん?」
クレアの呟きは、この場にいる全員を代表してのものだった。
顔を見られた伊波は何を言うでもなく、無言でその場を立ち去った。
「あらあら、逃げられちゃいましたね」
いつもの調子でえるが言う。そのとき、クレアの周囲を固めていた男たちが二人の間に割って入った。
えるは臆することなく、クレアの前に立ち塞がる男たちに尋ねる。
「お二人は、カネシロファミリーの……アイク・イーヴランドとミスタ・リアスでよろしかったでしょうか」
値踏みするような視線を受けて、リアスが言った。
「王城のエリート様に名前を覚えられているとは光栄だね。それもとびっきりの美人ときた。アイク、お前はどう思う?」
「リアス、もしかしてキミの時代に彼女はいなかったのかい? 僕からすればかなり馴染み深いエルフなんだけど……とりあえず、逃げることはオススメしない。情報交換が妥協案だろうね」
「ハハッ! 冗談はやめてくれ。俺もお前も、最初から逃げるつもりなんてないだろ?」
一連の出来事が終わったあとの会話を、クレアは黙って聞いていた。
クレアは昨日に引き続き、受け止めきれない情報の荒しに襲われている。
しかし今は、混乱の方がやや勝っている。自分が何を目的にしていたのか分からなくなるくらい、現実を生きているような気がしない。
「クレアさん」
えるに名前を呼ばれ、クレアは顔を上げる。
「貴方はカネシロファミリーの仲間、という認識でよろしいんでしょうか?」
質問の意図は分からない。だが、えるから向けられた視線には、昨日の朝に受けた話し合いと同じものを感じた。沈黙を貫くしかない。そもそもクレアは、言い訳できるほどこの事件に関わっていない。
自分の知らないところで、勝手に話が進んでいる。
その感覚は今も変わらない。
クレアはずっと独りぼっちで、置いてけぼりのままだった。
「違いますよ」リアスが言った。「クレアさんは何も知らないし、分からない。そういう人です。そうですよね?」
「え? あ、はい」
「ほらね? だから彼女のことは見逃してくださいよ。彼女はきっと、貴方の役に立ちますから」
えるは、ある程度の距離まで近づくと、そこで足を止めた。
おそらく間合いに入ったのだろう。それを察してか、クレアの前にいる二人の顔にも緊張の色が浮かぶ。
「えるさん、僕たちに敵意はありません」
「それは貴方の決めることではありません。えるが、決めることですよ」
アイクの言葉にそう返して、えるは愛らしく微笑みかける。
「ではまず、情報交換といきましょうか。といっても、えるが持っている情報はお伝えする事は出来ません。その点は理解していますね?」
「ええ、もちろん」
アイクは頷き、一歩前に出る。
「確認をしておきたいのですが、えるさんが求めている情報は『伊波ライ』のもので間違いありませんか?」
「はい。彼が何故、生きているのか。知っていますね?」
「最初に訂正させていただきますが、彼はまだ死んでいません。伊波ライはちゃんとこの現代で生きています」
「では、彼の死体がこのヘルエスタ王国で見つかった理由は? どう説明するんです」
「それはまだ分かっていません。……僕たちも調査中ですので」
ふふ、とえるが嘲るように笑う。
「まさかとは思いますが、お二人に次があるとでも?」
「無いでしょうね。……それに、僕たちの行き止まりはここですから」
「どういう意味です?」
「そのまんまの意味ですよ。僕とリアスは最初から、貴方の相手をするようにルカに頼まれています」
その発言を受けて、えるの顔から笑みが消える。
「えると戦うつもりならやめておいた方がいいですよ。ただでさえ、無駄でどうしようもない命なんです。もっと有意義に使ってみたらどうでしょう?」
「残念ながら、えるさん。僕は今、想像力の中にいるんです。なんなら、貴方に殺されてもいいと思えるくらい、気持ちのいい場所にいる。そんな僕が、わざわざ時間を割いて貴方と話をしている。その理由が何なのか、分かりませんか?」
「その傲慢な態度……つくづく人間らしいですね」
「それは物語を綴る僕にとっては、最高の誉め言葉にしかなりませんよ」
「……話が進みませんね」
アイクとの会話で、えるは溜め息を漏らした。
どんどん不機嫌になっていく彼女を見兼ねて、リアスが言う。
「アイク、お前の説明いつも分かりにくいよ」
「キミなら上手く説明できるのか?」
「まあ、テンションぶち上がってる今のお前よりはマシだろ」
「……分かった」
リアスは、えるに向き直って、
「要は、視点を変えましょうって話です。お互いの視点でモノを見れば、見えないモノも見えてくるってね」
その申し出を受けたえるは、一度視線を外し、それから言った。
「では、聞かせていただきましょう。名探偵ミスタ・リアスの推理とやらを」
リアスは、にやり、と口元を歪める。
「えるさんはタイムトラベルがどういうモノか、知っていますか?」
「知っていますよ。過去と未来を行き来できる能力。貴方たちのリーダー、ルカ・カネシロがそれに該当しますね」
「……流石、よく調べてある」
「たいした事じゃありませんよ」
リアスは愛想笑いで返して、
「それじゃあまず、俺たちのリーダー、ルカの視点から話しましょうか。
ルカは最初、このヘルエスタ王国で違法薬物が出回った原因を突き止めようとした。
だけど、いくら探しても現代でそれらしい人物は見つからない。
そしてルカは最後の手段として、未来にタイムトラベルをする事にした。未来で犯人の正体を知れば現代でも捕まえられる、そう考えて───」
でも、と。
「ルカが未来に行った先で見たのは、伊波ライが『ライラ・アルストロエメリアの遺品』を回収している所だった」
「時系列がめちゃくちゃですね」
えるに詰められたリアスは、軽く手を振って受け流す。
「そう結論を急いじゃダメですよ。何せこの話は、貴方がヘルエスタ王国に来る前の話なんですから」
「……───」
「先ほどクレアさんと話していたライラの事を覚えていますか?」
「ええ」
「彼女を見て、貴方はどう思いました? 本物だと、思いましたか?」
えるは沈黙する。
そして、
「彼女は間違いなく、本物のライラ・アルストロエメリアです。でも、少し……」
「幼く見えた」
リアスは続ける。
「それもそのはず、何故なら彼女は三百年後の未来からこの時代にやってきた『ライラ・アストロノート』だったんですから。そして現状、タイムトラベルを可能にしている遺物は彼女の持っている腕輪だけです」
なるほど、とえるが頷く。
「えるがこの国に来る前の話であれば、確かに……辻褄は合っていますね」
「これで無駄に宝物庫を漁っていた日常ともおさらば、というわけです。どうです? 嬉しいでしょ」
「……貴方、どこまで知ってるんです?」
「知っている事だけですよ。知らない事は何も知らない。それに今の話は、持っている情報を整理して、貴方の行動を予測したにすぎません。まあその表情を見るに、どうやら当たりだったみたいですね」
「えるの行動を予測した……まさか」
「あれ? 気づいちゃいました?」
「ライラ・アルストロエメリアの遺品がある、という事はその時代にえるもヘルエスタ王国にいるということ。……つまり、未来でえるがいる場所を前もって知っておけば予測は立てやすい、そういう訳ですね」
「ルカが見つからなかった理由、納得していただけましたか?」
「理屈は分かりました。そして伊波ライが生きている理由も。……ですが、肝心の問題がまだ解決していないようですよ?」
「もちろん、解決していません。させる気もない。アイクが言った通り、俺たちの物語はここで行き止まりなんですから」
「覚悟は決まっている、と」
「その方がえるさんにとって、都合がいいんじゃありませんか?」
不敵に笑うリアスの後ろで、クレアもまた疑問に思うところがあった。
クレアの疑問は、この会話が始まって一番最初に話題の上がった、西の街で薬物を流した相手を見つける、という部分。
しかし、リアスの話を聞いた限りでは、薬物を流しているであろう人物は浮かび上がってきていない。
今、クレアが分かっているのは───伊波ライが、ライラの遺品を回収した。
それだけだ。
他の事はなにも分からない。
リアスが振り返る。
「さあ、ここからが本番ですよ」
クレアはいきなり彼と目が合ったせいで……少し身構えた。




