ヘルエスタ王国物語(103)
クレアは落ち着くために、自分の置かれている状況を確認しようとした。
カチカチ、と時計が鳴っている。
座らされたソファはとても柔らかくて、クレアにさらなる不安を感じさせた。天井からぶら下がっているひとつだけの明かりは、この息苦しく、寒いだけの空間を部屋として完成させている。
あとは、目の前に座っているアルバーン・ノックスという美少年。
そしてその後ろには、二人の女の子が待機している状況だ。
「えーっと……」
クレアが言葉を探していると、アルバーンは安心させるように、丸眼鏡の向こうにある目を笑わせる。
「アルでいいですよ。後ろの二人は、左の帽子を被っている子がバン・ハダ。右の眼帯をしている子がマリア・マリオネットです」
バン・ハダと紹介された女の子が「こんれるです」とクレアに手を振る。
一方で、マリア・マリオネットは、ハダに手を振り返すクレアを、目を細めて怪しんでいた。
「あのぉ……わたしを連れて来た二人はどちらに……」
クレアが緊張した面持ちで尋ねると、アルバーンは「ああ」とさほど重要なことでもないように呟き、それからにっこり微笑んだ。
「シュウとヴォックスでしたら、ここにはいません。クレアさんを誘拐してきた罰として外の見張りをさせています」
「そ、そうでしたか……あはは」
自分でもびっくりするほどの愛想笑いに、クレアは動揺を隠しきれなかった。
しかし、そんな事など意に介さず、アルバーンは先を続ける。
「クレアさんは僕たちについて、ルカから何も聞かされていない。そうですよね?」
クレアは頷いた。
「はい。ルカさんのファミリーって事くらいしか知りません」
「そうですか……」
アルバーンは一度言葉を切り、顔を上げた。
「では、今回の事件に関してクレアさんがどこまでご存じなのか……出来れば知っている範囲の内容を教えていただけませんか?」
「……───」
最初クレアは、アルバーンが質問してきた『事件』というのが、どちらの事を指しているのか分からなかった。
伊波の事なのか。
それとも西の街で流行っている薬物の事なのか。
しばらく考えて、
「薬物については何も知りません。今は伊波さんを殺した犯人を探しています」
「収穫はありましたか?」
クレアは首を横に振り、自虐的な笑みを浮かべる。
「いいえ、何も……まだ調べ始めて間もないですから」
と、言いつつもクレア自身、自分だけの力で伊波を殺した犯人を見つけられるとは思っていない。
例え犯人を見つけたとしても、逃げられてしまうのが落ちだろう。だからせめて、ルカが犯人ではないという証拠を見つけたい。
「最後に、クレアさんは今朝、孤児院に行きましたか?」
「……いいえ、行ってません」
クレアの答えを聞いたアルバーンは「なるほど」と納得した様子で沈黙した。
そのあとすぐに、後ろで控えていたバン・ハダが言う。
「クレアさんってなんだか、リアスみたいな事してるんだね。全然そんなイメージなかったのに」
「リアスさんっていうのは……」
「あたしたちのファミリーにいる元探偵だよ。えーっと、王城で働いてたシェリンさんは知ってるでしょ? その人とライバル関係だったの。今は探偵をやめて、ルカのファミリーに入った変わり者だけどね」
話を聞いて、クレアはぽかんと口を開けた。
「知りませんでした……シェリンさんに友達がいたんですね」
「アハッ!」
クレアの何気ない発言を聞いて、ハダは堪えきれなくなった笑い吹き出す。
「ちょ、ちょっと……ふふっ。く、クレアさん言い過ぎだよ。シェリンさんも一応人間なんだから。友達くらいいるでしょ」
あはは、と両手で顔を隠しながら笑うハダ。
息をするのも難しいくらい大爆笑しているハダの横を通って、ずっとクレアを睨んでいたマリア・マリオネットが、クレアの目と鼻の先まで近づいて来た。座るクレアの身体を舐めとるように観察する。
「ねえ、貴方……もしかしてワタシと同じ、人形だったりする?」
「え?」
予想外の質問に、クレアの意識は硬直する。
確かにこの体はリヴァネルの手で作られた人形だ。しかし今は、以前まであった人形関節はなくなり、見た目は普通の人間とほぼ変わらない。
そしてクレアが今日までヘルエスタ王国で生活してきて、ただの一度たりとも、人形の身体だと見抜かれた事はなかった。
「どうして分かったんですか?」
「やっぱり!!!」
先ほどまで眉間にしわを寄せていた雰囲気とは打って変わって、マリアは晴れやかな表情で続ける。
「ひと目見たときから感じてたんだよね。なんかワタシと似てるなぁ、って! ワタシもクレアと同じ人形なんだよ!」
ほら! と腕を見せてくるマリア。
その腕は人間の少女のように、瑞々しく輝いている。
「わたしには分かりません。ごめんなさい」
「そっかぁ、残念。じゃあさ、クレアはいつ自分の身体が創られたのか覚えてる?」
「この身体が作られた日、ですか?」
クレアの意識がこの身体に入ったのは、もう数ヶ月も前の話だ。
しかし実際には、この身体はクレアが意識を取り戻すよりも前に作られている。
それがいつ頃だったのか、クレアは知らない。
「すみません、それも分からないんです」
答えを聞くと、マリアの顔に悲しそうな表情が浮かぶ。それは人間と変わらない、彼女の感情のように思えた。
「マリアさんは、覚えているんですか?」
「もちろん!」マリアは笑顔で言った。「ワタシが創られたのは千八百年以上前だよ。魔法使いの人に『試作品』として作られたの」
「千八百年以上前……それはなんていうか、スゴイですね」
「意識して体を動かせるようになったのは、ルカに助けてもらった後だけどね。でも、動けなくても魔法使いさんとの生活は楽しかったんだぁ。ほこりが被らないよう、いつも気にかけてくれてね。新しい魔法の実験が失敗して、工房が吹き飛んだ日には、楽しそうに笑ってたよ!」
そうやって、マリアは心底楽しそうに思い出を話した。
話を聞いていたクレアは頭の中でリヴァネルの顔が思い浮かべた。
それはなんとなく───マリアの話に登場した魔法使いが、リヴァネルに似ているような気がしたからだろう。
クレアもマリアの話を聞いて、くすり、と笑う。
マリアが話を続けようとしたところで、アルバーンがそれを遮った。
「なんだよ、アル。せっかくワタシが、クレアと楽しく話してたのに……」
「まあまあ。これも仕事だよ、マリア」
不貞腐れるマリアを、ハダが宥める。
長い沈黙を経て、ようやく自身の考えをまとめたアルバーンは、まだ緊張の解けていないクレアと顔を合わせた。
「ルカのやりたい事を、ボクたちは聞かされています。その中で一番重要なのは、クレアさんを守る、という事です」
「わたしを守る?」
これまでの闇ノシュウの発言に納得しつつ、クレアは質問する。
「どうしてわたしを守るんですか?」
「理由は分かりません。……ルカの話だと、クレアさんは過去と未来に存在していないんだそうです。だからこそ、ボクたちの生きるこの現在でクレアさんを守る必要がある。ルカはそう言ってました」
「……よく、分かりません」
「分からなくて当然だと思います。これはボクたちにしか分からない話なので」
理解の追いつかないクレアに、アルバーンは優しく微笑みかける。
恐怖すら感じさせない、完璧な作り笑いだった。
「クレアさんは過去や未来に行けたら、何を変えたいと思いますか?」
「おとぎ話みたいなことでしょうか」
「例え話ですよ」
クレアは腕を組んで考える。
そして、
「もしも過去を変えられるなら、もっと強くなりたいと思いますね」
「……それは暴力的な話ですか?」
「考え方によってはそうなると思います」
クレアはまた考えて、
「わたしは誰かに頼ってもらえる事が嬉しいんです。……だから、そういう存在になれるくらい、筋肉をムキムキにつけたりしたいですね」
「き、筋肉ですか……それは、その……」
アルバーンは視線を彷徨わせる。
初めて見せる彼の素の表情に、クレアは首を傾げた。
アルバーンの後ろでハダが声を殺して笑っている。
「変でしたか?」
「まあ、良いことではありますよね。筋肉は大事だと思います。クレアさんがムキムキになるのは、あんまりオススメしませんけど……」
かつてないほど顔を逸らされ、クレアの視界はぐらり、と歪む。
アルバーンは壁の時計を見て、
「今日はもういい時間ですね」
「……───」
その言葉に釣られたのか、逆らえない眠気がクレアを襲った。
思えば今日一日、慣れない作業の連続でずっと気を張っていた。そのせいかクレアの体は正直に、自身の限界を伝えてくる。
クレアは疲れている。
どうしようもなく疲れていた。
そしてソファに倒れ込むように、クレアの意識はゆっくりと闇に沈んでいった。
微睡の中、クレアは目を覚ました。
瞼の裏に残っている眠気が、朝の青さに焼かれていく。
そしてクレアは頭を抱えながら身を起こして、自分のいる場所を呆然と眺めた。
昨日は疲れていたとはいえ、別に記憶を失うほど疲れていた訳じゃない。誰かに話そうと思えばちゃんと話せる。だが、自分がどうやって広場のベンチに移動したのかまでは思い出せなかった。
最後の記憶にあるのは───寝ぼけていたのかもしれいけど───ハダとマリアに背中を押されて、カネシロファミリーのアジトに用意されていたベッドで眠った。
……大丈夫、ちゃんと覚えている。
でも、目が覚めたら人気のない広場のベンチで横になっていた。
昨日会ったカネシロファミリーのメンバーも見当たらない。
まるで昨日あったことが全部嘘だったみたいに、ヘルエスタ王国の朝はクレアひとりだけだった。
あらためて見上げた空には、まだ日が昇り切っていない。
太陽もクレアと同じで夜のしんみりとした空気を楽しんでいるのだろう。
重い腰を上げて、ベンチから立ち上がる。
冷たい空気がクレアの足首を触った。
この時間のヘルエスタ王国を散歩するのはクレアにとっては初めての事だった。
誰もいない空間にわくわくして、不思議と遠回りをしたくなる。
しかし、昨日は王城に帰らなかった。その事を考えれば、遠回りをして王城の皆に心配をかける訳にはいかない。だから、クレアは少しだけ歩幅を小さくして、真っ直ぐ王城への道を歩きはじめた。
「……───」
夜を照らしていた街灯は、霧に隠れてぼんやりとしている。
吸い込む空気の冷たさにクレアは身を震わせた。
鼻の奥がツンと痛む。
でも、イヤな感じはしない。むしろ、肺に空気を入れる度に頭がすっきりしていくような気持ち良さがあった。
クレアが王城の入り口では門番の人から「おかえりなさい」と声を掛けてもらえた。軽くお辞儀をしてクレアは中に入る。誰もいなかった道とは違って、王城ではたくさんの人たちが忙しなく動き回っていた。
そんな彼らの邪魔をしたくなくて、クレアは階段を上がる。
部屋に向かう途中、クレアはえると鉢合わせしないかドキドキしたが、えると出会うことなくクレアは自分の部屋に帰ってきた。
「……あれ?」
クレアは、ふと、机の上に見慣れない手紙がある事に気づいた。
封が空いている。
閉めていた部屋の窓も何故か開いていた。
窓から入ってくる風が、手招くようにカーテンを揺らし、クレアは誘われるまま机に置かれていた手紙を拾う。
そして手紙の裏面に書かれた送り主の名前を見て、クレアは絶句した。
ライラ・アルストロエメリア。
本来、届くはずのない───死んだ人間からの手紙だった。




