ヘルエスタ王国物語(100)
真昼なのに、人気のない路地には真夜中のような冷たさがあった。
「そう緊張しなくてもいいでしょ。ただ話をするだけですよ」
えるは貼り付けたような笑みを浮かべて言った。
しかし、クレアが今一番に警戒しなければならないのは、間違いなく彼女だった。旧ヘルエスタ王国は元々エルフの国だ。万が一を考えれば、この国から派遣された調査隊を全滅させたのは彼女の可能性だって十分にありえる。
確証もないまま疑うのは気が引けるが、それでも警戒を解くわけにはいかない。
「えるさんは……どうしてこの国に……」
「観光ですよ」
まるで安心しろ、と言わんばかりに平坦な笑顔を作っている彼女からは感情の底が見えない。対面していて、生きた心地がしなかった。
クレアは胸に手を当て、どうにか自分を落ち着かせる。
そうやって無理矢理、彼女への恐怖心を抑え込んだ。
「クレアさんは、この国をどう思いますか?」
「どうって……いい国だと思いますよ……」
きっと、えるが求めている答えとは違うだろう。しかしクレアは、それを分かっていてあえて口にした。下手に会話をかみ合わせてしまうと、そのまま飲み込まれてしまうような気がしたからだ。
えるは、くすっ、と笑った。
「ああ、違います。そういう意味で質問したのではなくてですね。……えるが聞きたいのはこの国の名前をどう思っているのか聞きたかったんです。ヘルエスタ王国っていう……あまりにも舐め腐っているこの国の名前を───」
不敬極まりない。
えるは遠回しにそう言いたいのだろう。
「ヘルエスタ王国という名前は、本来えるたちエルフが持つべき国名です。ですが、この街に住んでいる種族はエルフじゃありません。獣人もいれば、クソ人間共もいる。それなのに肝心のエルフはどこにもいない。本当にどうしてこんな場所がヘルエスタ王国を名乗っているのか理解できませんよ」
「不満が……あるんですね」
「もちろんです」
言いたい事を言い終えたえるは、怯えるクレアをさらに威圧する。
理解を示さなければ勢いで殺されてしまうかもしれない。そんな恐怖がクレアから言葉を奪っていった。
もしかすると彼女はレイナ・ヘルエスタの事を知らないのかもしれない。
そう思ったのは、えるとしばらく言葉を交わした後だった。
有り得ない話じゃない。
もしも彼女が旧ヘルエスタ王国にひとりで住んでいたと仮定すれば、彼女はクレアと同じく、ここ七百年の間にナニが起こっていたのか知らないのだろう。そういう視点で彼女を見れば、クレアにも小さな親近感が湧いてきた。
「えるさんに……聞きたい事があります」
「なんでしょう?」
えるは首を傾げ、目を細めて笑う。
それだけの動作で女のクレアから見ても、その隅々に、生物、男女関係なく虜にしてしまうような華の美しさがあった。甘い蜜のように優しく耳を撫でる彼女の声音は、聞くだけで全身に力が入らなくなる。
気持ちよくて、気持ち良すぎて───。
クレアは胸の内に湧いた感情が、果たして恐怖なのか、それとも恋なのか、えるを見ているだけで、もう訳が分からなかった。
浅い呼吸を繰り返し、ドキドキを落ち着かせて、クレアは言う。
「シェリンさん……ライラさんを襲いましたか?」
えるは少し考えて、
「クレアさんが誰のことを言っているのか分かりませんが……黒服のクソ人間と赤い服を着たクソ人間のことでしたら、そうですね」
絶句するクレアを置き去りにして、えるは先を続ける。
「ついでに言えば、魔法を使うクソ人間を殺したのも、えるですよ」
「どうして……」
「どうして? 理由なんか決まっているじゃないですか。えるたちの国にクソ人間共がやってきた。えるは、クソ人間共からヘルエスタ王国を守った。それだけの話です」
その答えを受けて、クレアはエルフの国がどうなったのかを思い出した。
レオス・ヴィンセントの手で滅ぼされたヘルエスタ王国。
彼女の時間はそこで止まっている。
「えるさん、エルフの国はもう───ッ!?」
クレアが先を続けようとした瞬間、えるの手がクレアの首を絞めあげる。
「あっ、が……ぁ……」
「その口を閉じなさい、クソ人間」
嗚咽に喘ぐクレアに向かって、えるは言った。
「顔見知りだから殺されないと高をくくっていましたか? 甘いですね。本当に甘い。お前たちのような……欲深く、生きているだけで何の価値も生まないゴミクズ共はさっさと絶滅すればいいんですよ」
クレアは、えるの手からなんとか逃れようと必死に抵抗した。しかし、クレアの抵抗はむしろ、自分の寿命を縮めているだけだった。
身をよじるたびに、意識が朦朧とする。
瞬きの間にある真っ暗な時間はどんどん長くなっていく。
えるの手首を握っていたクレアの指は徐々に剥がれていき、
「助け……てぇ……」
クレアの絞り出した声に、えるは心の底から笑みを浮かべる。
ここが始まりだと、そう言わんばかりに───。
「殺してやる。殺してやる。殺してやる。殺してやるッ!」
えるの宝石のような瞳が、絶望を知って、さらにその炎を燃え上がらせる。
クレアがどんな言葉を投げ掛けても、えるを説得することは出来ない。彼女は最初からクレアを殺すつもりだった。穏やかに会話をしていたのは、出来るだけこの国の情報を引き出そうとしていたからだ。
用済みになれば、役に立たなければ、あとは殺すだけ。
「……───」
口の端からよだれを垂らし、クレアの腕が落ちる。
「本当に……どこまでも醜いゴミクズですね。お漏らしまでして、キモチワルイ」
「……───」
えるの声は、どこまでも遠い耳鳴りのようだった。
音が消えていく。───イヤだ。
何も見えなくなっていく。───もう死にたくない。
意識が沈んでいく。───死にたく、な……い。
「貴方……誰ですか……」
突然、解放され、クレアは喉の痛みに耐えながら空気を吸った。
死にかけていたはずの意識が、現実に戻ってくる。しかし、涙のせいで、えるが誰を見て驚いているのか分からなかった。
「ごめんね、クレア。助けに来るのが遅れちゃって」
「……レイナ、さん?」
ハッキリとは聞こえない声に反応して、クレアは顔を上げる。
「聖樹の処理にちょっと手間取っちゃって……でも、もう大丈夫」
「……───」
クレアはどうにか返事をしようとしたが、先ほどまで追い詰められていた体では思うように声が出せなかった。
クレアの意識が落ちる。
「さて、と」
レイナは地面に倒れたクレアの身体に触れ、モアの王冠を使って王城の医務室のベッドに転移させる。
そしてえるを睨んだ。
「貴方は……エルさん、でいいのかな?」
「……お前は。お前は誰だ!? それにその顔……」
「そっか、一方的に知ってるんじゃダメよね。うん、じゃあまずは自己紹介から」
こほん、とレイナは咳払いをして、
「私はレイナ・モア・ヘルエスタ。名前の通り、この国の王様ですよ」
───息をする。
クレアは王城の自室で目を覚ました。
見慣れた天井に安心する。クレアは顔を横に向けて、もう一度、ここが自分の部屋なのか確認した。起き上がり、まばらだった意識を覚醒させていく。首にはまだ絞められた時の感覚が残っていた。
「おや、目が覚めたんですね。おはようございます」
ノックもなく開いたドアの向こうから、何食わぬ顔でえるが入ってきた。
クレアはベッドの端に逃げて、えるから距離を取る。怯えるクレアに対して、えるは笑って近づいてきた。
ベッドに座ったえるから、いくつかの質問をされた。しかし、クレアは聞かれたことに自分がどう答えたのか全く覚えていない。
クレアは自分の身を守るのに必死だった。
「これから同僚になるんです。そんなに忌避されると、える泣いてしまいますよ?」
「……同僚?」
ええ、とえるは頷く。
「今日からえるもレイナ様にお仕えすることになりました。これからよろしくお願いしますね、クレアさん」
えるが王城で働くようになって、しばらくが経った。
彼女の最初の仕事はレイナと殺し合いをした、東の街の修復作業だった。それが終わると本格的に王城の仕事に関わり始め、その手際の良さは、十二分にシェリンとライラのいなくなった穴を埋めていた。
そんなえるの仕事ぶりに感心する一方で、クレアはどうしても心の奥にある疑念を捨てきれなかった。
えるは本当に上手くやっている。
王城のメンバーとは持ち前の話術を使ってすぐに仲良くなった。
一緒に街に買い物に行ったときには、えるはたくさんの人たちから話しかけられ、その度に美しい笑顔で答えていた。
「やっぱり……西の問題が解決しませんね」
「睨まないでくれよ。オレたちも必死に探してんだから」
えるに怯まずそう答えたのは、黒い髪に黄色のメッシュの混ざった警備隊長───伊波ライだった。
「いつもよく分からない機械をいじってばかりで、本当に仕事をしているのか疑わしいものですけどね」
「最近は忙しくてあんまり触れてないけどな」
「いっそのこと、その仕事をえるに任せてみるのはどうでしょう?」
「給料だけオレに入るなら、全然譲りますよ」
えるは作り笑いかも分からない笑みを返して、伊波と笑い合う。
直近の話題は、西の街で行われている違法取引。
何でも、ヘルエスタ王国の警備隊が回収したモノの中には、魔法薬物だけでなく、古代の遺物と思われるものが混ざっていたらしい。
「それで伊波さんからの報告を信じるなら……一番怪しいのはカネシロファミリーという事になりますが……」
えるは言って、伊波の返事を待った。
「別にルカが怪しいってわけじゃなくて、ルカの周りにいる奴らが怪しいんだ。ルカ本人はいつも通り、孤児院で慈善活動してるよ」
「カモフラージュかもしれません。毒の花も、花畑にあればただの花、ともいいますし」
「木を隠すなら森の中的な?」
「そうとも言えますね。……何はともあれ、カネシロファミリーが関わっていることに変わりはありません。薬物被害も西だけにとどまらず、北と南にも中毒者が出ているようですから、すぐにでも対処しなければ手遅れになりますよ?」
「え? もしかしてオレ、脅されてる?」
「伊波さんの仕事をして下さい、と懇切丁寧に申し上げただけです」
手元の資料を確認しながら、クレアは二人の会話を聞き続ける。
相変わらず問題は起こるが、えるが新しく王城のメンバーに加わったことで、問題への対応も格段に速くなっていた。そうやって確実に結果を出していく彼女は、ヘルエスタ王国にとって何の不都合にもならない。クレアを除いて、彼女を怪しんでいる者は、もうほとんど残っていないだろう。
「……───」
複雑な気持ちになりながら、話し合いは終わった。
この件に関しては、次からえるも動く方向で決着し、伊波はしぶしぶそれを了承。王の間にはクレアひとりだけが残された。
誰もいない玉座に視線を向ける。
クレアがこのヘルエスタ王国に来てから一度も、あの玉座にレイナが座ったところを見た覚えがない。
きっと、椅子に座る時間もないくらい忙しいのだろう。
クレアは玉座に近づき、少しだけ積もっていたほこりを手で払った。
王の間を出たクレアは、何気なく、カネシロファミリーが支援している西の孤児院にまで足を運んだ。
ちょうど昼時だったらしく、庭の隅にある長テーブルには、大勢の子供たちが集まっている。
そんな子供たちの向こうに、クレアはフリルの付いたピンク色のエプロンを着ている金髪の男を見つけた。
「……ルカさん」
ルカは子供たちにパンをひとつ渡して、空っぽの皿にスープをよそっている。
「あ、クレアさん」
クレアに気づいたルカは手を振って、
「ちょうど良かった。コイツらに飯やるの手伝ってください!」
「え?」
クレアは言われた通りに、テーブルにスープの入った皿を並べていった。
子供たちの食事が終わると、
「おい、ルカ。テメェ、この野郎、オレと遊びやがれ」
やんちゃな男の子が言って、
「ずるい! ルカはわたしと遊ぶ約束してたのに!」
ぬいぐるみを持った女の子が続く。
「うるせェ、ガキ共。順番に遊んでやるから、しばらく向こうで待ってなさい!」
ルカは荒っぽい口調で返す。
そんなルカの真似して子供たちの口調も荒くなった。ある意味、彼らにとってルカは親同然の存在なのかもしれない。
「クレアさん、俺に話があって来たんでしょ?」
ルカは笑って、クレアに尋ねた。
王城のメンバーがカネシロファミリーを怪しんでいるのは、おそらく彼の耳にも入っている。彼はその事をクレアに追求されると思っているのだろう。
クレアとしても、もちろん聞きたいことはあった。
しかし、それは仕事上の話であって、今は仕事でここに来たわけではない。
「いえ、孤児院にはただ寄ってみただけです」
クレアの発言に、ルカはぽかんと目を丸くした。
「ホントに? 茂みを叩きに来たとかじゃなくて?」
「茂みを叩く?」
きょろきょろとクレアは周囲を見渡したが、隠れられそうな茂みはなかった。先ほどの子供たちが楽しそうに目の前を通り過ぎていった。
「どうして茂みを叩くんです?」
「やっぱり、クレアさんだけは信頼できるかもな……ってだけ」
ルカはそこで言葉を切った。
立ち上って、背伸びをする。
「クレアさん。……明日もさ、また孤児院に来れます?」
「明日ですか? はい。大丈夫ですけど」
「なら、その時に話そうかな」
「それは───」
クレアが質問しようとすると、いい加減痺れを切らした子供たちが、ルカの腕を引っ張っておもちゃのある場所に彼を連れていった。
椅子に座っていたクレアのところにも、絵本を持った子供が近づいてきて、読んでほしいとねだられる。渡された絵本を読み聞かせている内に、クレアの周りには自然と子供たちが集まっていた。
ルカも子供たちに混ざって一緒に物語を聞いている。
そして翌日の朝。
ルカ・カネシロは行方知れずになり、伊波ライが死体で発見された。




