過去の因縁
その日は珍しく晴れ間も見える穏やかな日だった。
高階課長が我が家に来たのは約束していた時間ぴったりだった。さすがというべきかなんというか……出来る営業は時間も正確だった。いや、私だってそうだけど。
「すまないね、押しかけてしまって」
苦笑しながらそう言われたけれど、なんて言い返そうと思って何も言えなかった。「そうですね」と言うのは大人の対応じゃないし、かといって「お気になさらず」とは言えない。独身女性の家に乗り込んで来ようなんて紳士としてあるまじきことだろう。仕方なく「雪大丈夫でしたか?」と返した。
リビングに通し、コタツを勧める。ソファにはきなことあんこがスタンバイしている。あんこは詳しい事情を知らないから、危険だと、悪意を持っていると判断したらきなこに倣って追い出すようにとお願いした。部屋に入った課長を見てもあんこの尻尾は緩く揺れているから今のところは問題ないらしい。因みにきなこは警戒モードだ。
「犬も、増えたの?」
まさかそこを突っ込まれるとは思わなかった。今のあんこは奴がいうミニピン形態で、大きさはきなこと大して変わらない。
「ええ、まぁ。懐かれたので」
そういうことにしておこう。詳しく話すと長くなるし、面倒なことにしかならないから。動物好きらしいけど、ここでは敵認定に等しいから、構いたいとの野望は捨ててさっさと帰ってほしい。
「それで、ご用件は?」
お茶を出しながら尋ねた。出すかどうか迷ったけれど、さすがに遠路はるばるここまで来た人にお茶を出さないわけにもいかない。一応私の名誉を回復してくれて、あの香害男や華恋に相応の処分をしてくれた人でもある。きなこは気にしなくていいとは言ったけど、義理は果たしたい。自分のために。
「ああ、まずはパワハラの件、謝罪させてほしい。あれからも調査を続けて、山田さんたちのパワハラがはっきりした。君が退職前に有給を取りたいと言ったのも却下したそうだね」
「あ~そうでしたね」
すっかり忘れてたけど、そうだった。
「本当にすまなかった。上に言って二度とこんなことが起きないよう、対策を上げたよ」
「過ぎたことだから、謝罪はいいですよ。今さらどうにもなりませんし」
そう言うと罰が悪そうな表情をした。いや、この人が悪いわけじゃないんだからそこまで気にしなくていいんだけど。
「あと、マニュアルの件もお礼を言いたい。あれから後任の子に見せたらとても喜ばれたよ。細かいところまでよく説明されていると」
「そうでしたか。それならよかったです」
自分の仕事が認められるのは嬉しい。有休を犠牲にして頑張って作った甲斐があったというものだ。
「あれから課内も業務内容を見直したんだ。君がマニュアルに残してくれた改善案、あれがかなり役に立った」
「ああ、あれですか」
改善案というほどのものでもない。ただ、こうした方が楽だとか早いとか、そういうことを備考欄に書いておいた。山田課長じゃなくなったら、この人だったら考えてくれるんじゃないかと思ったから。
「本当に、君が辞めてしまって残念に思ったよ。その、やっぱり、戻る気はない?」
「ないですね。ここの生活が気に入っていますから」
惜しいと思われるのは社畜冥利に尽きるけれど、今更戻る気はない。そりゃあ、給料も悪くなかったし、やり甲斐もあったけれど、今の生活を捨ててまでほしいとは思わない、
「そう、か」
酷く残念そうに見えたけれど、こっちは未練がないから放っておいてほしい。
「お話はそれだけですか?」
だったら帰ってほしい。この後里桜ちゃんと匠海さんが来るんだから。時計を見たらまだ10分も経っていないけど。
「いや、本題はここから何だ」
「なんでしょう?」
他に話すことなんてあったっけ?
「聞きたいことがあるんだ。その……」
何か言い難そうに言い淀む姿が意外に見えた。言いたいことははっきり言うタイプだと思っていたから。
「君は……君には、前世の記憶が、あるんだろう?」
思いがけない、だけど何処かでその可能性を感じていた言葉に、息が止まった。やっぱり、この人も記憶があったんだ……その視線の先にいるのは……
「あなた様は、ブランシュ様、ですよね?」
その言葉に喉の奥から自分のものと思えない音が出た。きなこが毛を逆立てて臨戦態勢に入る中、あんこはのんびりと小指ほどの尾を揺らしていた。
「……何が、目的ですか?」
低い声が出た。この男は、敵だ。家の中に入れるべきではなかった。迂闊だった自分に怒りを感じる。どうしたらいい?
「ああ、警戒しないでほしい。なにも危害を加えようというわけじゃないんだ。ただ……」
「ただ、なんです?」
何をしようというの? 今更何を言われても許すことはないけれど。
「確かめたかったんだ」
「はぁあ?」
思わず素っ頓狂な声が出た。確かめる? 今更? そんなことをしたところで何も変わらないのに? その思いを込めて、真意を探ろうと真っ直ぐに見た。急速に前世の記憶が頭の中を流れていく。それと同時にあの時の感情も蘇った。
「……確かめたところで、何も変わりませんが」
思った以上に低い声が出た。噂を真に受けて私を罪に問い、破滅させた一人。婚約者だったのに、私の言葉よりも周りの言葉を信じた人。今目の前にいるこの人とは別人だとわかっていても、怒りを感じずにはいられない。
「君の、言う通りだ。だが、どうしても聞きたかったんだ。どうして……国を裏切ったんだ?」
「裏切ってなどおりません!」
思わず立ち上がっていた。何度も言われたその言葉を、もう一度聞くことになるなんて。
「神に誓って、我が名に懸けて、国を裏切ってなどおりません」
それだけは絶対に譲れなかった。何度も何度も繰り返しそう言ったわ。だけど、誰もその言葉を信じてはくれなかった。この人も……
「私が国を裏切っていたのなら、ブランシュは私に神罰を下したはずです。違いますか?」
何かを言いかけて、口を噤んだ。わかっているのね、この人も。だって……
「ブランシュは国の守護獣、しかも神獣に次ぐ聖獣です。そのブランシュが、古の盟約を守り続けたブランシュが裏切るなど、口にすることすら烏滸がましいことです!」
神の使いだった聖なる存在のブランシュ。そんなあの子を疑うなど神を疑うも同義語で、国王ですら許されない暴挙だ。だってあの国は、あの子に力で守られていたのだから。
「エリシアの言う通りじゃ。エリシアが国を裏切っていたなら、わしが許さなかった」
「ブランシュ様……」
久しぶりに前世の名で呼ばれた。再会した時に、互いの存在を確かめ合った時以来、呼ばれることはなかった名前。
「それで、誰がそんなデマを広げていたのですか?」
きなこのお陰で少しだけ頭が冷えた。改めてコタツに座り直した。
「……王太子殿下と、君の、家族だ」
「ブランシュの守護者の地位、ですか」
「ああ」
予想していた通りね。私よりも妹を溺愛していた両親は、その地位を譲れとしつこく言ってきていた。だけど選ぶのはブランシュで、私にどうこう出来ることじゃなかった。それを説明しても家族は理解出来なかった。そして、王太子殿下も。
「妹を、王太子妃にするため、ですか?」
「知っていたんだね」
「あれだけあからさまであれば、誰だって気付きますよ。気付かなかった人もいましたけれど」
それはあなただとの意を込めてそう告げると、傷ついたような顔になった。それでも決定的な証拠がなかったから断定は出来なかったのだけど。
「殿下が用意周到に、陛下や神殿にも根回しして仕組んだ。あなたは、気付かなかった」
「その通りだ。返す言葉もない」
王太子の側近だったあなたが、その言葉を疑うことは難しかったでしょうね。それはわかる。わかるけれど、婚約者だった私の言葉を聞かないという選択をしたのもあなただ。ブランシュが私を罰しない、その点だけでも疑う余地はあったのに。
「それで、殿下は何をしていたんですか? ブランシュを敵だと、裏切り者だと貴族も民衆も叫んでいたのはなぜ?」
そもそも聖獣だったブランシュを敵視する行動自体が異常だった。
「……殿下は、魔獣に、魅入られていたんだ」
「魔、獣?」
「ああ。君の妹が、神獣を得たと言っていただろう?」
「……ええ」
そんな話もあったわね。あの子の力ではそんなことなど不可能だったから、適当な獣を神獣だと偽っているのだと思っていた。
「あれが魔獣だったんだ。魅了の力を持った」
「魅了……」
ああ、そういうことだったのね。それなら納得だ。魅了の力があれば、人心を惑わして扇動することも可能だった。王族が神獣だと触れを出せば、その言葉を疑うことなど不可能だったでしょうね。
「では、あの後、国は……」
「大いに、乱れたよ。ブランシュ様がいなくなった我が国など、砂糖菓子のように崩れるのは容易かった。あの後、王家は滅んだよ」
「そう、でしたか」
そうなるでしょうね。国を守っていたブランシュがいなくなったところに魅了を使う魔獣などが現れたらひとたまりもなかったでしょうね。
「それで、私が、ブランシュが無実だったと」
「ああ、情けないことに」
そう答える表情には深い後悔と諦観が見えた。だからといって私にしたことがチャラになんかならないけれど。
「謝ったところで私の気が済むだけで、君が楽になるわけではないことも、私にそんな資格がないことも承知している。だから、謝ったりしないし、許してほしいとも思わない」
「だったら、何をしに来たのですか?」
意味が分からないんだけど。嫌な過去を蒸し返されただけでも私にはダメージなんですけど。
「警告を」
「警告?」
何を言っているの? 警告って……まさか……
「君が今思った通りだ。生まれ変わっているのが、私たちだけとは限らない。それを伝えたかったんだ」
その言葉からくる衝撃は、これまでに聞いたどの言葉よりも重く強く胸を抉った。




