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限界OL、山を継ぐ~前世の従魔とスローライフ  作者: 灰銀猫


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水族館にて

 それから1週間ほど後、私は匠海さんとジンベイちゃんがいる水族館へと向かっていた。仕事が少ない日に休みを貰い、いつもの出勤時間に梅沢家に向かって出発した。気にしないとはいっても噂されたら面倒だから苦肉の策だ。ジンベイちゃんは大阪と鹿児島、沖縄の水族館にしかいないと思っていたから、こんな近くで会えるとは思わなかった。それでも車で3時間ちょっとかかるらしいけれど、ドライブになるから移動の時間も楽しみだ。


 匠海さんの車は背の高い彼らしいシルバーのSUVだった。車高が高く広く、見晴らしも乗り心地も私の軽ワンボックスとは雲泥の差だ。普段はガードレールしか見えないけれど、この車からは景色がよく見える。もっとも、外は鉛色の雲が重くのしかかって今にも降り出しそうだけど。


 ちらと運転する匠海さんを見た。黒のハイネックセーターは細身のシルエットだけど、濃緑のパンツはワイルド感のあるカーゴ風、足元もパンツに合わせてかごつい感じのブーツだけど、背が高い匠海さんによく似合っていた。現れた時どこのモデルさんかと思った。眼福が過ぎる……イケメン好きの里桜ちゃんが興味を持たないのが謎だ。


 ふと、先日の停電の時の姿が甦った。あの時は黒を基調としたウインドブレーカー姿だったけれど、それはそれで凄く似合っていた。どこのスポーツ選手ですかと言いたくなるくらいに。くそう、何着ても似合うなんて羨ましすぎる……


 一方の私はパジャマ姿で、しかもすっぴんだった。あれは不覚だった。いや、夏は汗で化粧もすっかり流れ落ちていたから今更なんだけど、さすがにパジャマはダメだろう。しかもテーブルの上には食べかけの焼き鳥器と日本酒、オジサンみたいだと思われたかもしれない。あれも痛かった……匠海さんが何も言わなかったのは、多分気を遣ってくれたからだろう。そう思うと余計居たたまれない……


「着いたざ。お、駐車場空いてる。やっぱ平日に来て正解やった」


 嬉しそうに車を止める匠海さんはいつも通りでご機嫌だった。空はどんよりしているけれど匠海さんがいると空気が明るくなるなぁ。久しぶりの水族館、しかもジンベイちゃんがいる、そして匠海さんと一緒となればテンションが上がらないわけがない。





「うわぁ……」


 入口の先はジンベイちゃんがいる大水槽だった。深い青で統一された空間がとても神秘的で現実じゃないみたいだ。青い水槽の中を魚たちがゆったりと泳いでいる。


「あ! ジンベイちゃん発見!」

「うわ、デカいなぁ……」


 向こうからゆっくりと泳いでくるジンベイちゃんに匠海さんも感嘆の声を上げた。二人して暫くその場でその姿に見入っていた。大きくて綺麗で、ずっと見ていられそう……


「凄いな……」

「これだけで、ここに来た甲斐がありました」

「うん」


 それからもゆっくりと下りながら水槽を眺めた。円錐形っぽい水槽を囲うようにスロープがある。上からも下からも見えて面白い。ところどころに椅子があったので、その一つに並んで座った。座って見られるなんて思いもしなかった。


「ここ、いいですね。ゆっくり見られて」

「ほやな」


 いい日に来られたなぁ。駐車場の広さからして休日はかなり混みそうだけど。貸し切りみたいで得した気分だ。


「ここ、何度か来たことあるんやけど、こんな風にゆっくり見るの、初めてや」

「そうなんですか。でも、私もこんなにゆっくり見るの、初めてです」


 次々に人が来るから流れ作業的に見るだけだった。


「俺はゆっくり見たい方やし、なんなら一日でもいられるんやけど、連れと来るとばーっと回ってあっという間に終わりやったから」

「ああ、友達と行くとそうなりますね。だからいつも一人で行っていました」


 それでも人が多くて、見たいだけ見るなんて難しかった。


「音羽ちゃんが水族館好きでよかった」

「そうですか? 皆、結構好きだと思うけど」

「いやいや、里桜は「魚なんか海に行けばいるやろ」って言ってたざ」

「あ~言いそうですね。ふふっ、里桜ちゃんらしい」


 思わず吹き出してしまった。釣りガールの彼女ならそう言いそう。水族館にいない魚も釣っていそうだし。ジンベイちゃんが目の前をゆっくり通り過ぎていく。さすがにこれは釣れないだろうなぁ。


「里桜ちゃんと仲いいんですね」

「腐れ縁や。あいつ、全然人の話聞かんで一緒にいて疲れんか?」

「ああ、思い立ったら吉日みたいなとこ、ありますよね。バイタリティあって羨ましいです」


 真っ直ぐで行動力のあるところ、ちょっと羨ましく思う時もある。


「あいつをそんな風に言える音羽ちゃん、心広いわ」


 そうかなぁ、でも、そんなところが里桜ちゃんらしくていいと思うんだけど。仲良さそうに見えたけど、意外にそうでもないのかな。


「よかったら、また来ない?」

「ぜひ!」

「だったら今度は違う水族館行こうか」

「違う水族館?」


 そんなにあちこちにあるの?


「日帰りなら名古屋とか大阪も行けるざ。地元にもあるけど、あそこ近いから知り合いに会う確率高いでなぁ」


 名古屋と大阪ってあの有名なとこかな。近場は……知り合いに会うのはちょっと遠慮したいかも。今日だって仕事に行く振りして出て来たし。それからも他愛のない話をしながら水槽を泳ぐ魚たちを眺めていた。


 ジンベイちゃんのいる水槽を後にした後、どこに行くのかと思ったら匠海さんは隣の建物へ向かった。こっちが本館なんだ。


「ええっ?」


 入ってすぐに思わず声が出てしまった。だって……床や天井に水槽、それに、これは鏡? カラフルな映像がその空間を鮮やかに彩っていた。色の洪水だ……さっきの静かな青一色のジンベイちゃんの水槽とは別世界だった。


「綺麗やろ、プロジェクションマッピングしてるんや」

「こんな形だとは、思いませんでした」


 これって建物を外から映すだけじゃなかったんだ。こんなやり方は想像していなかった。通路に沿って映像が流れ、小さな女の子がそれを追いかけて行く。なにこれ、ずっと見ていられそう……


「あ、ジンベイ来たざ」

「え? ほんとだ!」


 ジンベイちゃんの映像が流れてきた。凄い……なにここ、滅茶苦茶満足度高いんですけど。


 それからもゆっくりと館内を見て回った。12月なのもあってか館内はすっかりクリスマス仕様だった。そして平日なのに思った以上にカップルが多い。しかも……


「……ね、あの人……」

「ちょ……素敵……」

「……背が……モデルじゃ……」


 あちこちから時々聞こえるのは、女性たちの匠海さんに向けた囁き声だった。車から降りた後はグレーのロングコートを羽織っているのだけど、それが余計にイケメン度を上げている。予想はしていたけれど、人が少ないのもあってか目立っていた。


「音羽ちゃん、今度はペンギン見に行こう。そろそろ散歩の時間やって」

「あ、はい」


 匠海さんは周りを気にせず通常モードだった。笑顔が眩しい、そして視線が痛い……


「音羽ちゃん」

「はい?」

「そろそろ、敬語はやめん?」


 一瞬、言われた意味が分からなかったけど……敬語?


「えっと……」

「今日は仕事やないんやで、敬語禁止な」

「ええっ?」


 敬語は使ってないけど……一応雇用主側の人だから仕事モードの話し方だったけど。


「遊びに来たんやで、もっと楽に話して」


 そう言われるとぐうの音も出なかった。確かにそうかもしれない。職場だとどうしても仕事モードになっちゃうから、それが抜けないんだよね。でも、里桜ちゃん曰く、上下3歳はタメ口だったっけ。


「わ、わかった」


 うう、そんな風に言われると余計に意識しちゃうんだけど。でも、遊びに来て仕事口調だと匠海さんも楽しめないよね。頑張ってタメ口で話さないと。


「うわぁ、可愛いなぁ。よちよち歩いて」


 そんな風に言うあなたが可愛いですよ! と喉元まで出かけた。20代後半のイケメンがペンギン相手にはしゃいでいるって世間ではどう思われるのかと気になって周囲を見渡したけど……好評だった、特に女性陣に。人たらしは町内外でも有効らしい……


 ペンギンの散歩の後はイルカショーに向かった。通った道には屋根がなくて細かい雨の洗礼にあった。


「寒くない?」

「これくらいなら平気で、だよ」


 言い直すと笑顔を向けられたけど……危ない危ない、気を抜くと仕事モードに戻ってしまう。染み付いた社畜根性は簡単には消えないんだよね。でも、イケメンに労わられるなんて貴重な経験だ。うう、マズいなぁ……そういう感情、疲れるし重いから今は遠慮したいのに。ずっとこのままでいたいと思ってしまう。その重さが何なのか、今は知りたくないし考えたくない。


 結局、閉館間際までいてしまった。周囲は天気が悪いのもあって、とっくに暗くなっていた。


「ごめんな、遅くなってもて」

「いえいえ、こんなに満喫出来たの初めだから、大満足です」


 いつもは夕方に行って閉館時間までいたけど、今日はお昼前からずっとだった。人は少なく、疲れたらジンベイちゃんのところに戻ってベンチに腰かけて休んでいた。


「けど、本当によかったんか。これ貰っちゃって」

「ぜんぜん、むしろ嬉しいです。欲しかったので」


 お互いの手にあるのは1mくらいのサイズのジンベイちゃんのぬいぐるみだった。せっかくだから来た記念に何か買おう、という話になって、私が一目惚れしたのがこれだった。そうしたら匠海さんも気に入っちゃって、だったらお互いにプレゼントし合おうとなって今に至る。いい大人が二人してでっかいぬいぐるみを手にあるく姿はシュールかもしれない。でも……


「今日は凄く楽しかったです!」

「楽しんでくれたならよかったわ」


 これからまた3時間かけて帰らなきゃいけない。ちょっと寂しいけれど、まだ3時間あると思ったら心が弾んだ。

そのはずだったのだけど……


(スマホ? 誰が……)


 ふいになった通知音の主に目を向けて、息を呑んだ。表示されたのはメール受信の知らせで、今そのアドレスに連絡してくるのは、たった一人だけだった。




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