嫌がらせの結末
梅沢家に戻ったけれど誰もいなかったので作業場に向かった。今週はパートさんたちがお休みなのもあって涼音さんも忙しそうにしている。幸いにも作業場には涼音さんとお祖母さんがいたので、保育園で会ったことや言われたこと、そして証拠のジャガイモと預かっていたものを渡した。
「これって……」
「3日前に収めたジャガイモだそうです」
「ほうか、3日前になぁ」
涼音さんがまた怖い笑顔になった。怒っているよねぇ、こんな稚拙な嫌がらせで梅沢農園の名に泥を塗ろうとしたんだから。匠海さんと結婚したいなんて言っているけれど、未来の婚家の名を貶めようとするなんて、正直大丈夫なのかと思ってしまう。よっぽど世間知らずか、相当甘やかされて育ったんだろうなぁ。
「ごめんな、音羽ちゃん。嫌な役目させてもて」
「いえいえ、これくらいのこと、大したことないですから」
あの香害男と華恋のセットに比べたら、一人だしあの場だけのことだと思えば些細なことだ。それに、給食のおばちゃんたちも困っているようだったし。
「ありがとな。明日にでもお義父さんとお父さんが話に行くで」
「そうですか。お願いします」
この先は経営者同士の話になるんだろうな。だったらお任せ一択だ。給食のおばちゃんたちは優しくていい人ばかりだから、あの人さえ出てこなくなればそれでいいかな。
「ふふふ、音羽ちゃんに怪我させた分はきっちり落とし前付けてもらわんと」
「ほやな。匠海も証拠集めしてたで。お陰で値上げ交渉出来そうやわ」
「どうなるやろな、楽しみやわ」
涼音さんもお祖母さんも、どこの姐さんですかと言いたくなった。逞しいなぁ、そしてパワフルだ。とても敵いそうになかった。
「音羽ちゃん、片付けてくるわ」
翌日、そう言って匠海さんはお父さんと共に保育園の理事長との話し合いに向かった。証拠もしっかりあるから問題ないと思うけど気になる……
「大丈夫やざ。ああ見えてお父さん、若い頃は車屋の営業やってたんや」
「お父さんが?」
「そう見えんやろ? でも、余計なこと言わんから逆に信用出来るって、ああ見えて成績よかったんやざ」
知らなかったし意外だけど、前職でもそのタイプの営業がいたからわからなくもない。軽薄そうな人を警戒する顧客は一定数いたし。
二人が戻ってきたのは30分ほど後だった。早くない? そう思ったのだけど……
「どうやった?」
時間じゃないけれど、お祖母さんも涼音さんも結果が気になったのか、パートさんがいないせいか、二人を迎えるとそのまま休憩になった。梅沢家のいつもの和室でお菓子とお茶を前に座卓を囲む。
「ああ、しっかり証拠も出したで、ぐうの音も出んかったわ」
そう言った匠海さんはいい笑顔だった。私への嫌がらせが発覚した後、匠海さんはボイスレコーダーを私に持たせ、一方で車にドライブレコーダーを取り付けていた。それであの人の言動をしっかり記録して準備をしていたのだけど、止めを刺したのが返品されたジャガイモだった。このジャガイモ、うちが納めたものじゃなかったんだよね。
「いやぁ、最後まで嘘なんかついていないって叫んでたけど、納めたジャガイモ、うちが納めたのじゃないって言ったら絶句してたわ」
そう、彼女が私に投げつけてきたのは我が家では作っていない品種のジャガイモだった。それを指摘するとさすがに何も言えず、理事長に問い詰められた彼女は家にあったジャガイモを持ってきたのだと白状した。彼女の非常識な振る舞いは映像でも音声でも残っていたので言い逃れは出来ず、また勤務態度も悪いという以前にろくに仕事をしていなかったことも明らかになり、理事長はその場でクビと園への出入り禁止を言い渡したのだとか。その上で謝罪し、以前から我が家が交渉していた値上げにも応じてくれたという。
「音羽ちゃんには嫌な思いさせて申し訳なかったけど、お陰でやっと値上げ出来たわ」
「もう10年も据え置かれてたでな。応じんかったら次の契約更新はせんつもりやったけど」
10年も据え置きって……さすがに酷くない? そう思うとお役に立ててよかった。それにもう会わなくて済むのもありがたい。
「さすがにあの子も、これで諦めたやろ」
気になっていたことを涼音さんが代わりに聞いてくれた。
「ああ、はっきり言ってきた。大事な従業員に怪我させるような乱暴な人を家族として迎えることは絶対にありえんて」
「匠海にしてはよう言うたな」
涼音さんがそう言うと「俺にしてはってなんや」と抗議の声を上げていたけれど、大事なって……そう思ってくれたことに心が温かくなった。それにしても、そう言われた時、あの人はどんな顔したんだろう。何となく想像はつくけど、その場面見たかったかも。
面倒事が一つ片付いて、気分的に凄く楽になった。気にしているつもりはなかったんだけど、知らない間に消耗していたらしい。帰ったらゆっくりお風呂に入ろう。BBQは……さすがに寒くなってきたんだよねぇ。さすがに寒さに震えながらやる気になれない。それに日が沈むのが早くなったし、山の上だと木々のせいで暗くなるのも早いんだよね。紅葉は綺麗だけど。
「あ、音羽ちゃん、これ持って帰って」
お昼ご飯を終えて帰ろうとしたら匠海さんに声を掛けられた。渡されたのは2つのタッパーだけど、これって……
「ハタハタの唐揚げと煮つけ。前に言ってたやろ」
この前3人でBBQした時のこと? 覚えていてくれたんだ。そして作ってくれたの?
「ありがとうございます」
うわぁ、嬉しい。よし、今夜はこれを肴に日本酒かな。涼しいから熱燗もいいかも。
「色々とごめんな。怪我までさせて」
「匠海さんのせいじゃないから気にしないでください。それに、仇は取ってくれたんでしょ」
「もちろんや。二度と会うことはないやろ」
だったらそれでいい。取引は前よりいい条件になったし、給食のおばちゃんたちや園児に罪はないから。
「そうそう、タイヤ交換した?」
「へ?」
いきなり話が飛んで何のことがわからなかった。タイヤ交換って……車の?
「いえ、まだ……」
「そろそろしといた方がいいざ。11月入ったらいつ降ってもおかしくないで」
「降ってもって……」
「雪や。音羽ちゃん家、坂道上がっていかなあかんやろ。部分的に凍ったり積もったりしたら危ないざ」
そうだったんだ。東京じゃ滅多に降らないから気にもしていなかった。
「そ、そうなんですね」
「もしかして、考えてなかった?」
「はい」
まったく頭にありませんでした。そうだ、ここは雪降るんだった。
「タイヤはあるんやろ?」
「どう、でしょう。帰ったら物置見てみます」
なんか、あったような気がする。確認しないとだけど。
「多分あると思うけど。淳一郎さん、自分でやってたし」
「やってたって?」
「タイヤ交換」
「自分で?」
自分でやるものなの? どうやってやるの? 自動車学校で説明は聞いた気はするけど、実際やったことないからさっぱりわからない……
「大抵は自分でするけど……さすがに女の子は難しいやろ。手伝うか?」
「いいんですか?」
「構わんよ。そろそろ家の車もやらなあかんと思ってたし」
「じゃ、お願いします」
絶対に自分で出来ない自信があるからここは好意に甘えさせてもらうことにした。
「じゃ、タイヤ見に行くわ。溝なくなってたら買い直さなあかんで」
そんなことまでしてもらっていいのかな。忙しそうなのに。でも、自分で見ても判断付かないから有り難い。
「いつがいい?」
「何時でもいいですよ。仕事終わった後は特に予定ないので」
「ほやったら、今からでもいい? 週末気温下がりそうやで降るかもしれんし。うちのも昼からやろうと思ってたで」
週末って、もう降るんだ。まだまだ先かと思っていた。けど、降ったら車乗れないんだよね。さすがに徒歩で仕事行きたくない。自分で出来る自信がないからお言葉に甘えさせてもらおう。うう、申し訳ない。
「じゃ、道具積んだらすぐ行くで、先帰っといて」
「はい。じゃお先に」
「気をつけて帰ってや」
手を振る匠海さんに手を振り返して梅沢家を離れた。帰ったら物置見て置かないと。買い替えるならまたお金かかるよね。幾らくらいするんだろう、見当つかないんだけど……それも匠海さんに相談してみようかな。うう、頼ってばかりだ。
「え?」
家に向かう道まで来たところで、そっちに曲がる車があった。誰? 郵便局とか宅配の車じゃなさそうだけど……先日のタイヤ痕が頭に甦って一気に心臓が鼓動を速め、ざわりとした嫌な感覚が全身を包んだ。その先には我が家しかないのに、あの車は何をしにここを曲がったの? まさか……最近ニュースで流れる犯罪を思い出して一気に恐怖が高まった。ど、どうしよう……家にはきなこがいるのに……
恐怖よりもきなこへの心配が勝って、アクセルを踏む力が増した。きなこ、どうか無事でいて!!




