久しぶりの出勤
「おはようございます!」
一週間ぶりの職場はどこか面映ゆくて敷居が高く感じられた。髪を切って周囲の反応が気になったのもある。とにかく、今日の出勤は久しぶりに緊張感満載だった。
「音羽ちゃん、元気になったみたいやな」
いつも通り梅沢さん家に車を停めて玄関に向かうと、右手の駐車場で荷物を積んでいる匠海さんが声をかけてきた。何だか照れ臭い気がするのは髪を切ったせいだ。
「あれ? 髪、切った?」
近付くと目を丸くしてこちらを見返していた。そんなに変わったかな? いや、私的にも凄く気持ちが軽くなった気がしているけれど。
「切りました。どうですか?」
「凄く似合ってるざ。前の長いのも可愛かったけど」
可愛いと言われて心臓が跳ねた。社交辞令だとわかってはいてもカラッとした笑顔で言われると破壊力が半端ない。この人、無自覚な人たらしだよねぇ。この笑顔で勘違いしそうになる。今までトラブルとかなかったのかと心配になるレベルだ。
「よかったです。こんなに短くしたの初めてで、ちょっと心配だったから」
「いやいや、色もいいしいい感じやざ」
半分はお世辞でもそう言われると悪い気はしない。あ、それよりも……
「雑炊、ありがとうございました。凄く美味しかったです」
一番に言いたかったのは髪じゃなくて雑炊のお礼だった。仕事の合間に作ってくれたんだと聞いて嬉しくも申し訳なかった。
「ああ、食べれた?」
「はい。美味しい上に食べやすかったです。自分で作る気力なかったから、凄く助かりました」
あれは新しい世界だった。熱で苦く感じる口の中であの酸味は凄く美味しく感じられた。今度自分でも作ってみよう。二日酔いにも効きそうだし。
「ほならよかった」
「特にあの味ぽん入れて食べるの、初めてだったからびっくりしました」
「ああ、あれか。家族にも好評なんや。材料なければ卵と味ぽんでもいけるざ」
卵だけでもいいんだ。だったら今度やってみよう。寒くなったら朝ご飯でもいいかも。
「元気になってよかったわ。一人暮らしやで倒れてないかと皆心配してたんやざ」
「そうだったんですか。でも大丈夫です。昔からそうだったから、これ以上はまずいってラインはわかっているので」
まぁ、本当にまずいって思うほど辛くなったことはなかったけど。
「昔から?」
怪訝な表情をされてしまったけど……
「あ、母子家庭だったんで、母が仕事の時は一人で寝ていましたから」
「え? 子どもん時からってこと?」
「はい。そうですね、小学、三年生くらいからは一人でしたね」
あれ、眉間の皺がますます深くなったような……お粥や薬、飲み物は準備されていたし、どうしても辛くなったら電話するように言われていたと説明したけれど、今度は痛ましいものを見るような目を向けられてしまった。えっと……?
「音羽ちゃん、苦労したんやな」
「そう、ですかねぇ。それが普通だと思っていました」
細かい他人の家庭の事情なんか話すことなかったから、どこの家もそうだと思っていた。そうじゃないと知ったのは大学に入って熱を出した時だったっけ。友達には滅多なことがなくてよかったねぇとしみじみ言われて、少なくとも小学生の間は親が付き添っているものだと言われて驚いたんだよね。
「そっか。もし辛かったら言ってな」
「はい、ありがとうございます」
そうは言ったものの、あんまり頼り過ぎて迷惑はかけたくないんだよね。匠海さんや涼音さんも忙しいし、あんまり距離が近いとまた変な噂が広がるかもしれない。ただでさえ農家の跡取りの匠海さんは相手を探すのが大変そうだから、つまらない噂でせっかくのご縁を潰したくないし。
「音羽ちゃん、おはよう。身体大丈夫か?」
涼音さんが物置から出てきた。後ろにはパートさんも一緒だ。皆オレンジ色のカゴを手にしていた。今日使う用かな。
「はい、もうすっかり元気です」
「ならよかったわ。あらぁ、髪切ったん?」
「あらまぁ、そうしていると陽子ちゃんそっくりや」
「ほやな。こんな髪型してた時もあったわ」
涼音さんだけでなくパートさんたちまで集まって来て声をかけてくれた。それだけで心の中が温かくなる。嬉しいなぁ……前職は労わるよりも早く仕事の遅れを取り戻すようにと、そっちばかり気にして、誰も体調を心配してくれなかったっけ。そういうところは全然違う。
「寒くなってきたし、あんまり無理せんといてや」
「はい、ちゃんと着込んできたから大丈夫です」
涼音さんに天気がいい日は放射冷却で冷え込むから羽織るもの持ってきてと言われたので準備はばっちりだ。来週には冬用の仕事着も買いに行った方がいいかな。ジャンバーとか、農作業で着られるものがないし。
その日は山の向こうの畑でサツマイモの収穫だった。うわ、懐かしい……保育園の時に収穫体験で行ったっけ。畑に着くと電気柵で囲まれたその辺り一帯がサツマイモだった。
「音羽ちゃん、サツマイモは?」
「保育園以来です」
「東京でもやるんや」
物凄く意外な顔をされてしまった。まぁ、そう言いたくなる気持ちもわからなくもない。畑なんてどこに? って思うのも。
「やりました。遠足で郊外の畑に行って、サツマイモ掘りした後に大きな公園に行くまでがセットでした」
「あ~なるほど」
まぁ、東京も23区内でも畑があるところもあるんだけど。地方の人は田畑がないと思っている人もいると聞いたけど、ここにもいた。
「やり方は……」
「全然覚えてないです。というか、事前にある程度掘り起こされていたので」
「そ、そうなんだ」
あれ? こっちではそういうことはしないのかな? この辺は海の側だけど、それでも家で畑している人は少なくない。だったらそういう体験はしないのかも。
その後、匠海さんにサツマイモの収穫の手順を教えてもらった。まず機械で蔓を切って、それからマルチと呼ぶ黒いビニールを外す。それが終わったらまた機械で掘って、そこからは手作業で芋をコンテナに詰めていくんだとか。
「昔は全部手作業やったんや。でもさすがにきついで、最近は機械借りてるんや」
機械は知り合いからの借り物だった。これから買うことも検討しているけれど、それに見合うだけの売り上げがないから踏み切れないのだとも。
「作る種類絞って大きくやった方が効率上がるんやけど……それすると忙しい時期と暇な時の差が大きくなるし、山ん中やから畑平じゃないで難しいんや」
そう言って力のない笑みを浮かべた。そうなんだ……でも、山の中だと機械を入れるのも簡単じゃないよね。かといって山削るわけにもいかないし。
「そうなんですか。これだけやっていても難しいんですね」
「うちまだ広い方やし、辞めた人の畑も借りてやってるからなんとか採算取れてるけど、いつまでやっていけるかわからんで。何もかも値上がりしてて痛いし」
そっか。でも、人件費高騰で倒産したとか、従業員が集まらないから廃業したって話、最近よく聞くよね。梅沢さん家も畑はあちこちにあって凄いと思っていたけれど、それでもやっていくのは簡単じゃないんだ。勿体ないなぁ、野菜作るのだって色んなやり方とかノウハウがあって、一から始めようとすると簡単じゃないのに。
「まぁ、何とか続けられるように考えてはいるから。朝から湿っぽい話してごめんな」
「いえ、私こそ何の力にもなれなくて……」
「そんなことないざ。音羽ちゃんはよくやってくれてるざ」
そう言って目尻に皺を刻んで笑った。明るくて前向きだし、勢いで乗り切りそうにも見えたけれど、色々考えているんだ。大変なんだよね、いつも忙しそうだし。
「さ、始めようか。今日は無理せんといてな」
「はい」
休んだ分、しっかり取り戻さないと。それにサツマイモ掘りなんて保育園以来だから、前から楽しみにしていたんだよね。
実際、サツマイモ掘りは私が想像していたものとは違っていた。機械でやるから早い。パワフルだし、掘り起こすのは思ったよりも大変だったけれど、それは比較対象が保育園の芋ほりだったからだと思う。それなりに力は必要だったし、明日は筋肉痛確定だけど、
「うわぁ、凄い! こんな大きくなるんだ!」
「あ、それ当たりやな!」
機械で掘り起こされたサツマイモの蔓を切ってカゴに詰めていく作業はしゃがんで座るのがきつかったけれど、それ以上に収穫の喜びがあった。大きく育ったサツマイモに感動する。時々ミミズが出て来て息を呑む瞬間もあったけれど、それでも、凄く楽しい……
「欲しかったら好きなだけ持って行けばいいざ」
「いいんですか?」
サツマイモは好きだ。輪切りを軽くレンチンして炭火で焼くとめちゃ美味しいんだよね。
「食べるなら一週間ほど寝かしてからの方がいいざ。甘くなるで」
「そうなんですか?」
すぐに食べられるわけじゃないんだ。保育園ではその場で食べたけど……余り甘くはなかった、ような? もう覚えていないけれど。
「十日ほどしたら祖母ちゃんが焼き芋にしてくれるざ。祖母ちゃんの焼き芋は絶品なんや」
「楽しみです」
うわぁ、お祖母さんのご飯は何食べても美味しいんだよね。作り方、今度教えてもらおう。そうしたら家で作って里桜ちゃんと一緒に食べるんだ。やっぱり梅沢さん家はいいなぁ。新しい楽しみが次々と出てくるから。土いじりは心身にいいって何かで読んだけど、先週の鬱々とした気分が嘘みたいに晴れやかだった。




