気遣いに慣れない…
その日は薬の効果も虚しく夜に向けて熱が上がっていって、せっかくの雑炊も食べる気になれなかった。熱の上昇と共に寒さも増していったから、先に毛布を出しておいてよかった。きなこを抱きしめて眠ると温かいけれど、ずっとだときなこも疲れちゃうだろう。熱で頭もぼ~っとして夢なのか現なのかもはっきりしなかった。それでも……
『大丈夫?』
聞き慣れた通知音と共にスマホが震えた。ロック画面に表示されたのは雑炊を作ってくれた人だった。普段に比べると素っ気なく感じる短い言葉だけど、心にじんわりと温かさが広がる。
『大丈夫です』
『雑炊食べれた?』
なんて返そうかと考えたけれど、結局ありきたりな言葉しか浮かんでこなかった。送るとすぐに返信があった。気にしてくれたことが嬉しい。熱が出た時、こんな風に声をかけてもらったのは学生時代ぶりかも。
『はい。美味しかったです』
『食べられたのならよかった』
優しい味を思い出して目の奥が熱くなる。母が作ってくれたお粥は塩だけのシンプルなものだったから、こんな時に雑炊を食べる発想はなかった……メッセージだと方言の強い普段の口調と違って普通なのが変な感じだ。
『ありがとうございました』
『熱は下がった?』
返信するとすぐに返事が来る。この画面の向こうで誰かと繋がっている……そう思ったら不安が消えた。ここにいないのに、画面の向こうなのに。不思議……
『38度4です』
『え? そんなに高いの?』
『大丈夫か?』
『医者いく?』
正直に書いたら立て続けに返信が飛んできた。心配かけてしまったかな、控え目に書くべきだったかも。でも、熱はあるけど、頭痛いし辛いけど、寝てれば治るレベルだ。ずっとそうしていたから、大丈夫なラインはわかっているつもり。
『これくらいなら』
『寝ていれば大丈夫です』
『無理しないで』
その一言がなんだか泣きたくなるほど嬉しかった。きっと熱が出ているせいだ。こんな時、気遣う言葉を貰ったことがなかったから。
『ありがとうございます』
『気にしないで』
『明日も母さんが様子見に行く』
『雑炊作るから食べて』
今日貰ったのも食べきれていないんだけど……でも、断るのも悪いし、作ってくれるのなら食べたい……冷蔵庫に入れておけば2、3日は大丈夫かな。
『鍋も洗わなくていいから』
『ちゃんと休んでて』
目の奥がツンとして画面が滲んだ。文字だけでよかった……
『ありがとうございます』
『熱上がって来たみたいなので寝ます』
これ以上続けると甘えすぎてしまいそうな気がしたから、熱を理由に終わりを告げた。
『夜中でも辛くなったら連絡して』
やだなぁ、涼音さんといい匠海さんといい、どうしてほしかった言葉をくれるんだろう。母はそう言いながら一度も来てくれなかったっけ。でも、匠海さんや涼音さんは絶対に来てくれるだろう。今だって、来てと言えば直ぐに来てくれる気がする。そこまで甘えるのはさすがに気が引けるから言わないけど。
『ありがとうございます』
『おやすみなさい』
『おやすみ』
最後のメッセージを見てスマホを裏返しにした。その途端、急に物足りなさが襲ってきた。
「きなこ~~」
唯一気軽に呼べる相方を呼んだ。
「なんじゃ」
素っ気ない相方は、ぶっきらぼうに返しながらも直ぐに来てくれた。それだけで嬉しい……
「寒い。抱っこ」
そう強請ると直ぐにベッドに上がって布団にもぐりこんできた。温かい。そういえば……
「ね、大きくなれないの? この前みたいに」
「出来るが?」
「じゃ、大きくなって。ぎゅって出来るくらい」
「なんじゃ、その指定は……」
そう言いながらもきなこは少し離れると身を震わせ、あっという間にライオンくらいの大きくなった。ふわふわの尻尾が増えてもふもふ感が増す。
「温かい……」
「また熱が上がったか」
「そうかも……」
寒いけどきなこが温かいから寒くない。大きなもふもふの塊に抱き付いて顔を埋めた。うわぁ、柔らかい……ふふ、きなこがいてくれれば十分かも。
「今日は気弱じゃな」
「熱のせいだよ」
それだけじゃないけど、そういうことにしておいてほしい。
「そうか」
「……あのね、飼えないのに、野良犬に餌あげるのダメな理由、わかった気がする……」
そんな経験はないけど、きっと期待させちゃうからダメなんだよね。それでやっぱり飼えないって突き放されたら……かなりキツイ、と思う。
「ダメだとは言い切れんじゃろ」
「え? でも……」
「当たり前じゃ」と言われると思っていたけど、そんな風に言うとは意外だった。無責任なことは相手のためにならないくらいは言われると思っていたんだけど……
「一宿一飯に救われるものもおる」
「そう、かな……」
「狛犬がそうじゃろ」
「……あれが?」
あれは生物じゃないから、当てはまらないと思うんだけど……
「恩を受けたことで前を向けることもある。少なくとも何も得られなかったよりはマシじゃろう?」
「それは、そうかもしれないけど……」
そうなの、かな? そりゃあ、見捨てられるよりはマシだろうけど……
「期待するのも悪いことではない。なにかを欲する気持ちは生きる糧になる。お主もそうじゃろ」
「私が?」
「BBQもソロキャンプも、お主がやりたいと望み、実際にやって楽しかったじゃろ? それはお主の生きる活力になっておろうが」
……なるほど。確かにそうかもしれない。ソロキャンプはまだ出来ていないけれど、中長期的な私の野望は健在だ。
「そう、だね」
「何事も両価的じゃ。どちらか片方に固執する必要はないし、時にはほしいものに手を伸ばす思い切りも大事じゃ。仮にそれが得られなくとも、何もせずに後で後悔するよりはマシであろう」
「そっか」
そんな風に考えてもいいのか……そういえば、なんでこんな話になったんだっけ? 熱のせいか頭が回らない……
「眠い……」
「うむ」
温かくて優しい肌触りが急速に思考を奪っていった。暗くなってきてまた熱が上がっているせいもあるんだろうけど……東京は気楽だった、誰も踏み込んでこないから。こっちの人は……知らない間に境界線を軽々と超えてくるから困る。何が困るって、それが心地よく感じられることなんだよね。これ以上ここにいたら、後戻り出来なくなってしまいそう……
翌日も涼音さんが様子を見に来てくれた。手には匠海さんの雑炊もある。今日は卵とじかな? 昨日の鍋は朝一で中身を別の皿に移して洗った。何かするなら平熱の朝に限る。
「お鍋、洗わんでよかったのに」
匠海さんと同じことを言われてしまった。こういうところ、よく似ていて親子だなぁと感じる。
「朝は楽だったんです。平熱で」
「そうか。今は?」
「7度6分くらいです」
「あ~じゃ、今日も上がりそうやね」
身体冷やしたらあかんからと、涼音さんは鍋を回収すると「また明日ね」と言って帰ってしまった。一人になると寂しく感じたのは熱が上がってきたせいだよね。ううん、いつの間にか皆でおやつやご飯を食べるのが普通になって、一人での食事が侘しく感じるようになったせいかもしれない。
「早く、仕事に戻りたいなぁ……」
なんとはなしに、そんな言葉が口から出ていた。梅沢家での仕事は暑いし重いし汚れるしでなかなかにキツイけど、黙々とやる作業は嫌いじゃないし、新しい作業もどうしてそうするのか、その辺もちゃんと教えてくれるから面白くてやり甲斐もある。働き始めてから一月半ほどが経ったけれど、やめたいと思ったことは一度もない。おやつもご飯も美味しいし、パートさんたちとも少しずつ打ち解けて来て、以前のような気まずさは感じなくなっている。
今日の雑炊は細かく刻んだ野菜と豆腐、揚げが一緒に煮込まれていて、最後に卵でとじたものだった。食べる時に味ぽんで味付けすると美味しいと涼音さんが言っていたけれど……
「うそ、なにこれ……美味しすぎる」
味ぽんの酸味が鈍くなった舌にもちゃんと伝わってきて、嫌味なく口の中に広がっていった。塩味のお粥しか食べたことなかったから驚きしかなかった。これなら食欲なくても食べてしまえそう。凄い……
この感動と感謝を伝えたくてスマホを手にしたけれど……
「……仕事中だから、迷惑だよねぇ……」
アプリのトーク画面を開くと昨日の会話が目に入った。昨夜も体調を窺うメッセージを貰っていた。多分今日の作業の段取りのためだと思うけど、前職では誰もこんな風に声をかけてくれる人はいなかったから嬉しいかったけど……スマホをロックしてテーブルに置いた。私のせいで仕事量が増えているだろうからさすがに気が引ける。
雑炊を再び口に運んだ。酸味が爽やかにすら感じて食が進む。まずいなぁ、すっかり梅沢家に胃袋掴まれている……この前の涼音さんの天ぷらもお父さんの昆布巻もお祖母さんの里芋の煮つけもお祖父さんのイカ飯も、どれも美味しかった。梅沢家のご飯の沼にずっぽりはまってしまって、抜け出せる気がしなかった。




