病は気から?
その後、あっという間に涼音さんの車に乗せられてしまった。
「熱があるのに無理したらあかんやろ」
「ごめんなさい。朝起きたら下がっていたから……」
「朝は体温が一番下がる時間帯やからな。でも、昨日熱出ていたなら休まんと。無理は禁物やざ」
全く仰る通りで返す言葉もない。そっか、朝は熱が下がるのか。知らなかった……
「家に直ぐ食べる物、あるんか?」
「冷凍庫に、焼きおにぎりとかが……」
昨日は面倒で米を炊く気力もなかったからすぐに食べられるものはそれくらいしかなかった。うう、ろくに料理していないことがバレて恥ずかしいやら心苦しいやら……熱が上がりそうだ……
「そっか、じゃ、なんか作って後で持ってくるわ」
「いえ、そこまでしていただかなくても……」
「これから熱が上がるのに、ご飯作れるの?」
うう、そう聞かれたら作れる自信がない。焼きおにぎりだけじゃ……ダメかな? ダメ、なんだよね。
「……いえ」
「素直でよろしい」
そう言って破顔した。有無を言わせない言い方だけど、その奥に優しさがみえて何だか泣きたくなる。きっと気が弱っているせいだ……
「薬はある?」
「あるはずなんですが、何処に仕舞ったかが思い出せなくて……」
「そっか、引っ越しした後やもんなぁ。じゃ、薬も一緒に持ってくるわ」
そこまでしていただくのは心苦しいのだけど、断っても持ってくるのは明らかだった。逆らえる気がしない……仕事で借りは返しつつあると思っていたけど、また振出しに戻ったかもしれない。それでも、その気遣いが嬉しかった。
「環境変わった後やし、季節の変わり目やから。こんな時は無理したらあかんざ」
「はい」
「それにしても、ごめんな。変な噂立って」
それって……私が若い男性を誑かしているという、あの噂かな。
「あの人のことやから何か言うだろうとは思ってたんやけど……まさかあんな悪意のある作り話をしているとは思わんくて」
申し訳なさそうな姿にこっちが申し訳なくなる。まったく、無責任なあの人に怒りが湧く。里桜ちゃんも随分苦労しているみたいだし、本当に何考えているんだろう。そんなことしたって自分の肩身が狭くなるだけだろうに。
「謝らないでください。涼音さんのせいじゃないですから」
「ほやけど、うちで働かんかったらそこまで言われんかったやろ? 申し訳ない」
「いえいえ、本当に謝ることなんか一つもないですから。ああいう人はどこで働いても同じこと言ったと思います。それに、働かせてもらって助かっているのは私の方ですから」
里桜ちゃんも本人に文句言ってくれたし、お友達も噂を否定してくれるって言ってくれたから大丈夫だと思う。むしろこれから困るのは向こうのはずだ。そう願いたい。
「そやけど、小川の悠ちゃんにも絡まれたんやろ? あの子、ちょっと性質が悪いから気ぃ付けてや」
「そういう人なんですか?」
そう尋ねると涼音さんは困ったようにため息をついた。
「人様ん家のこと、悪く言いたくはないんやけど。あの子、40過ぎたのに未だに結婚もせんと親の脛齧っているんや。親御さんも一人息子やで甘やかし過ぎなんやけど……」
聞けば皿一枚洗わず、家にお金も入れていないという。いわゆる子供部屋おじさんってやつだった。なんか、頭痛くなっていた……嫌だなぁ、そんなおっさんに目をつけられたなんて。二度と関わりたくないんだけど。
「匠海も釘は刺したようやし、お義母さんも誘った責任感じて、あっちのお母さんに一言言っておくとは言っていたから。多分大丈夫やとは思うけど、念のため気をつけてな」
「いえ……こちらこそ、ありがとうございます」
うう、重ね重ね申し訳ない。それにしても、そんなに気を付けた方がいい人なのか。でも、なんかしつこそうな感じはしたっけ。勘違いされるのも嫌だから社交辞令も避けた方がよさそう。
「さ、着いたで。家入ったら直ぐに着替えて寝るんや。後でご飯作って持ってくるで」
「ありがとうございます」
結局、涼音さんが玄関まで付き添ってくれた。梅沢さん家の皆さんは優しい。お祖父さんとお父さんはあんまり喋らないけれど、重いものを運んでいると手伝ってくれたりお菓子をくれたりするし。あの中にいると家族の概念も色々なんだと思わされる。
涼音さんを見送って、言われたように化粧を落としてパジャマに着替えた。先日買った冬用にと買った厚手のものにした。布団だけじゃ寒いかな? 毛布も足しておく? 涼音さんの話じゃこれからもっと熱が上がるかもしれないと言っていたから、今のうちに準備を終えてしまいたい。
毛布を出し、ペットボトルのお茶と薬をベッドボードに置く。布団にもぐりこんでから体温を測ると38.1度を示していた。涼音さんが予想していた通り、しっかり上がっていた。
「やはり熱が上がったか?」
軽々とベッドに飛び乗ってきたきなこがするりと布団にもぐりこんできた。温かい……
「うん、そうみたい」
「大人しく寝ているのじゃな」
「うん。後で涼音さんがご飯と薬を盛って来てくれるって。来たら起こしてくれる?」
「わかった」
きなこに任せておけば大丈夫だろう。以前から来客があったら知らせてくれたし。職場に行くだけでも疲れたらしく、横になったらあっという間に意識がなくなっていた。
「……とは、音羽や」
誰かが呼ぶ声と何かが頬を軽くひっかく感覚に意識が浮上した。いつの間にか眠っていたらしい。うう、寒い……
「きなこ?」
「起きろ。誰かが訪ねて来ているぞ」
「涼音さんかな?」
そう思ったらスマホが鳴った。ロック画面に表示されているのは涼音さんの名だった。出ると玄関にいるというのですぐに向かった。
「雑炊作ってきたで。温めてから食べてや」
「あ、ありがとうございます」
差し出されたのはホーローの両手鍋だった。硝子の蓋の下には湯気を上げる美味しそうな雑炊が見えた。本当に作って来てくれたんだ。受け取るとその重さに泣きそうになった。
「あ、これ薬ね。他になんかある?」
他にって……十分過ぎるくらいなんだけど……
「あ、そういえば……」
忘れていた。今日って……
「なんかあった?」
「今日、美容院に行く予定だったんです。あの通り沿いの……」
「ああ、小畑さんとこか。じゃ、帰りしなに私から言っておくわ」
「すみません」
「気にせんでいいよ。弱ってる時はお互い様や」
そのお互い様がちっともお互い様じゃないんだけど……でも、他に頼れる人がいないからありがたい。
「そんなら、ちゃんと寝ててや。しばらく休めばいいで」
「でも……」
「あかんて。風邪は万病の元やから。今週は休んでいいから」
今週って……さすがにそこまでは……
「構わんよ。今週は雨みたいやし、仕事にならんから」
そう言って涼音さんは笑った。そう、なのかな? 確かに今週は雨の予報が続いていたけど。
「あ、その雑炊、匠海が作ったんや。味は保証するざ」
そう言うと涼音さんは「また様子見に来るで」と言って帰って行ったけど……これを、匠海さんが? 料理上手なのは知っているけど……何だか鍋の重さが増した気がした。
「……美味しい……」
せっかくなので温かいうちにといただいたけれど、とても美味しかった。野菜と肉は細かく刻まれて食べやすいし、出汁も利いていて優しい味だしお米の硬さも絶妙だ。こんな美味しい雑炊、初めて食べたかも……食べるのがもったいない程だった。
そういえば、熱が出て学校を休んでもいつも一人だったっけ。保育園の頃は一緒にいてくれたけれど、小学校に入ってからはよほど熱が高くない限り一人で留守番だった。お米だけのお粥と薬はあったし、時々電話で様子を聞いてくれたけれども。
社会人になってお金を稼ぐ大変さを知るまでは、母は私のことなんてどうでもいいんだろうと思っていた。母なりに頑張っていたと今ならわかるけど。それでも、一人で熱や痛みに耐える時間は長く辛く、寂しかったのは否めなかった。
「まずいなぁ……」
どうして梅沢さん家の皆さんはこうも親切なんだろう。その優しさに慣れるのが怖い。パートの一従業員なんだから程々でいいのに。いや、あの噂のせいで気を遣ってくれているんだろうけど。
お腹が満たされて薬を飲んだら少し楽になった。夕方から夜にかけて熱が上りやすいと言われたから、今日は大人しく寝ていた方がいいかもしれない。軽く茶碗を洗ってベッドに向かった。
窓の外は相変わらず重い雲が垂れこめていた。
「晴れたら、少しは気も紛れるのに……」
気が弱くなっているのはきっと暗い空のせいだ。ベットに転がって目を瞑る。お日様のような笑顔が瞼に浮かんだ。




