その条件は魅力的
「そやけど、家かてずっと手が足りてえんやろが」
「それはそうやけど……」
引かないお祖母さんに涼音さんが頬に手を当てて困ったように首を傾げた。人手不足なのは本当らしい。そういえば農家が人手不足だって話、ニュースで見たっけ。
「若いんやさかい、慣れれば出来るって」
「いやいや、体力仕事やからきついし、軽く誘える仕事じゃないですよ」
「そうやざ、婆ちゃん。せっかく来てくれたのにそれで帰られたら淳一郎さんに申し訳ないやろ。大した給料も出せんし」
匠海さんも反対らしい。そんなに大変なのか。いや、ニュースで見たことあるけど確かに大変そうだった。事務仕事しかしたことないから自信はないなぁ。
「そりゃあ、給金はぎょうさんは出せんけど、かわりにうちで作ったもん持って帰ってもらえばええやろ。今日び野菜も買えば高こうつくんやで」
「野菜を?」
その言葉に思わず反応してしまった。野菜を貰える? 時給安くても野菜貰ったらトントンかむしろお得なのでは?
「え? 音羽ちゃん、そこで反応する?」
「かなり大変やざ。野菜くらいいくらでもあげるし、無理せんでも……」
「いえ、さすがに貰うばかりも気が引けますから。それに、家に籠ってばっかりで運動不足だから、身体を動かす仕事も悪くないかなぁと」
東京にいた時は通勤で毎日それなりに歩いたけど、こっちは車社会だからちょっとそこまで行くにも車なんだよね。まぁ、家の場合、長い坂道があるから歩く気になれないのもあるけど。先週なんてスマホの歩数計見たら日に500歩も歩いていなかった。いや、常時スマホを持ち歩いているわけじゃないからそうなるんだろうけど。体重も増えているし、ここでダイエットを兼ねて肉体労働もありかもしれない。元より事務職は期待していなかったし。
「まぁ、野菜くらい好きに持ってってくれてもええけど。朝早いざ?」
反対に回っているらしい涼音さんだったけれど、人手が足りていないのは本当らしく、態度が軟化してきた。
「早いって、何時くらいですか?」
「今の時期やと5時やな」
「5時……」
「その代わり、お昼には終わるざ。今日はもうお終いや」
早いけどお昼には終わるなら悪くない、かも。どうせ一人暮らしだから時間なんかどうにでもなるし。その上で野菜を貰い放題なら食費が浮く……いいかも? でも……
「その仕事、私にも出来るものですか?」
「え? 音羽ちゃん、やる気なん?」
匠海さんが意外そうな目を向けてきた。
「ちょっと気になるというか……食費が浮くし、野菜は自分でも育ててみたいと思っていたから、勉強になるかなぁと」
「じゃ、一日だけ試しに来てみる? やってみて無理やったら他所探せばいいし」
「ええ、母さん?」
匠海さんが信じられない物を見るような目を涼音さんに向けた。意外だ、一番若い匠海さんが最後まで反対するなんて。
「だって、せっかくその気になっているんやし、やってみたら意外に楽しいと思うかもしれんやろ? 私もそうやったし」
涼音さんのその一言で、明日からのお試し勤務が決まった。
「ほな、朝5時に家の前まで来て。あ、作業着ある?」
「……いえ、ない、です」
「そやったら、これあげるわ」
そう言って涼音さんが奥から新しい作業着を出してきた。いいの? 新品だけど。
「まだ袖通してないやつやからこれ着て来て。ああ、日焼け止めはしっかりしてきねや。日焼けグッズもあるなら使って」
結局、あれよあれよと明日から農作業の手伝いに行くことになった。時給は最低賃金に毛が生えた程度しか出せないけど野菜の現物支給付き、休みは土日祝と雨の日、朝5時から12時までで9時から30分の休憩付き、仕事の後は家でご飯を食べて行ってもいいという。
なにそれ、野菜だけでなく一食分が浮くのって大きくない? しかも暇な時は野菜の育て方を教えてくれるというし、何なら休んでもいいらしい。自由度が高すぎて面食らうけど、なんか、ちょっと面白そう。未知の世界と収入を得る手段が手に入りそうな予感に、久しぶりに高揚感を感じた。
翌日はカラッと朝から晴れていた。目覚ましは4時にかけたけれど、その10分前に目が覚めてしまった。何だか遠足前の気分だ。匠海さん家までは5分も掛からないけれど、10分前には家を出る予定だ。
真新しい作業着はちょっと大きかった。これ、涼音さんのかなぁ。背が高いからそんな感じがする。袖と裾を折れば問題なさそうだ。長くて邪魔なら裾上げするなりしないとだけど。
涼音さんの忠告に従って日焼け止めを重ね塗りしてからファンデを塗った。祖父の麦わら帽子、タオルを数枚と冷たい麦茶を詰めた水筒、予備500mlのペットボトルのお茶も鞄に詰め込む。水分はこれで足りるはず。虫は結界を張ってあるから問題ないだろう。
「じゃ、きなこ、お留守番お願いね」
「何を言うておる。わしも行くぞ」
「ええっ? でも……」
「わしのことは気にせんでいい。その辺で適当にやっておるからの」
しっかり行く気満々だ。こうなっては止めてもついてくるだろうなぁ。猫又らしいきなこに行動を制限しても意味はないから。仕方がない、邪魔をすることはないからいいっか。
「いいけど、猫らしくね」
「わかっておる」
胸を張られたけれど、大丈夫かなぁ……まぁ、きなこに抜かりはないけど。助手席にきなこを乗せて出発した。まだ朝早いせいか空気がひんやりしている。あくまでも日中よりは、だけど。今日も最高気温は30度を軽く超えていた。あまり上がらないことを祈りたい。初日に「やっぱり無理です」はさすがに恥ずかしいから。
「音羽ちゃん、おはよー!」
匠海さんの家の前まで来ると、既に匠海さんと涼音さん、そして匠海さんのお父さんが家の前に出ていた。車を停めてきなこと共に向かう。
「今日はよろしくお願いします」
「いやいや、お願いしたいのはこっちやから。でも無理せんといてな」
涼音さんが申し訳なさそうにそう言ってくれた。お祖母さんの押しに負けたと思われているっぽい。
「あれえ、きなこちゃん来たんや?」
匠海さんが足元のきなこに目を向けた。ちょっと嬉しそう? 本当に猫好きなんだ。
「ええ、勝手に車に乗ってきちゃって」
「あらまぁ、迷子にならんといいけど」
「そやなぁ、山で迷子になったら帰って来れんかもしれんざ」
やっぱり心配されてしまった。普通の猫ならそうだよね。どうしようかと思っていたら、きなこが匠海さんの足元にすり寄った。
「うわぁ、可愛いなぁ。きなこちゃん、おはよ~」
きなこ、あざと過ぎる……そうは思ったけれど、それで匠海さんはすっかり篭絡されてしまった。きなこを抱き上げて頬を摺り寄せている。この人、大丈夫かな? 別の意味で心配になってきた。まぁ、気持ちはわかるけど。きなこの毛並みって柔らかいんだよね。
「匠海は動物好きやなぁ」
涼音さんが少し呆れたようにその様子を眺めていた。どうやらこれが平常運転らしい。
「いくぞ」
お父さんがそう言いながら車に乗り込んだ。あんまり喋らない人だなぁ。お祖父さんもだったけど。匠海さんとはあんまり似ていない? 顔立ちは完全に涼音さん似だけど。
「じゃ、行こうか。音羽ちゃんは匠海と来てね。匠海、きなこちゃんが可愛いのはわかったけど、事故らないようにね」
「わかった」
ご機嫌な匠海さんと一緒に比較的新しい軽トラに乗り込んだ。きなこは私の膝の上だ。さすがに運転中は触らせられないから。
「今日の畑は山の向こうなんや。ほな、行くざ」
「お願いします」
山の向こうって、どれくらい先なんだろう。まだ全体を見て回ったことはないけれど、私が継いだ山もそれなりに広かった。倉庫は我が家とは反対側、山の端向こうにあって、ぐるっと回って行かないとたどり着けない場所だからまだ行けていない。いずれは見にくらいは行かなきゃと思ってはいるけれど。
「今日は何するんですか?」
一旦大通りに出てから少し行った先で曲がり、坂道を登って行く。
「ピーマンの収穫や。うちのは味がしっかりあって美味いざ。音羽ちゃんはピーマン嫌いか?」
「結構好きですよ。炭火で炙っただけでビールに合いますし」
あの苦みがいいんだよねぇ。子どもの頃は大嫌いだったけど。
「なんや、嫌いやなかったんかぁ」
「そっち期待していました?」
「……少し」
「あ、匠海さん、実は嫌いだとか?」
「……皆には言わんといてや」
小声でそう頼まれてしまった。意外だ、うちで採れたのは美味しいっていうからてっきり好きなのかと思ったから。だけど、何でも好きそうな匠海さんにも嫌いなものがあったなんて意外だ。何というか、可愛らしい人だよねぇ、年上っぽいけど。じめっとしたところがなくて今まで接したことのない人種だ。
「今日も暑くなるで、ちゃっちゃと済ませような」
軽トラが坂道をどんどん登っていく。うちの軽ワゴンよりパワーがあるし運転が上手いから安心して乗っていられる。前方には青々とした木々と青い空が見える。今夜は新鮮なピーマンの炭火焼きが出来るかもしれないとの予感に、まだ見ぬ畑に期待が膨らんでいった。




