切実な問題
それからも穏やかな日が過ぎて、気が付けばここに越してから十日が経っていた。時間が経つのは早い。そう思ったのだけれど、それを実感させる事態が起きていた。
「ごみ、増えたなぁ……」
そう、ここで生活を始めて十日余り、生きていれば飲み食いするからどうしてもゴミが出る。家が広いからあまり気にはならなかったけれど……さすがに空き缶やペットボトルが圧を放ってきた。生ごみもそれなりに出ているし……
「町内会に入らなきゃいけないんだろうなぁ……」
強制じゃないはずの町内会だけど、何だかんだ言って必須なんだよね。特に田舎では。さすがに個人でごみの収集をお願いするほどではないし。積極的に入りたくないけど、入らないと色々言われそうだし不便だ。まぁ、暇になったからちょっとくらいなら参加出来そうし、多少は顔を繋いでおかないと何かあった時に困るよねぇ……
「しょうがない。匠海さんに相談するか」
町内会に入るにしても、誰に言えばいいのかわからない。先日連絡先は交換したからちょっと聞いてみよう。先日のお礼と町内会に入りたい旨を送った。どうか面倒な町内会じゃありませんように!
返信があったのはそれから三十分ほど後だった。仕事で畑に出ていたらしい。しかも……今の町内会長は匠海さんのお父さんだという。だったら話が早い。後で来てくれるといってくれたけど、あっちは仕事もあるしわざわざ来てもらうのも申し訳ない。車の運転の練習も兼ねて行くと伝えたら、移動式スーパーが来る駐車場に来てほしいと言われた。
「きなこ、行くよ」
「うむ。もう心配は要らぬじゃろう」
そう言いながらもきなこの毛が少し逆立っている気がする。まだ安心して乗れるレベルじゃないらしい。それでも初めての時よりはずっとスムーズに山を下りた。これも日々の鍛錬の賜物といえよう。
「音羽ちゃん、こっちや」
駐車場には既に匠海さんが来ていた。早っ!
「すみません、お待たせして」
「いやいや、全然。そこに野菜を納めて来たところやから」
指さしたのは学校の横にある小さな店だった。夜のお店っぽい。
「それで、町内会に入りたいって……」
「はい。ごみ出ししたいので」
「あ~そうなるわなぁ」
そのまま歩いて匠海さんの家に向かった。海から少し奥には行ったところにある立派な日本風の一軒家だった。大きな門もあるし、敷地内には蔵みたいなのもある。もしかして、古くから続く地主とか? 玄関広っ!
「まぁ、入って」
「お、お邪魔します」
案内されたのは広々とした和室だった。立派な装飾がされた大きな座卓が部屋の真ん中に鎮座していた。ふすまや欄間とかの調度も立派で居心地が悪い。町内会の入会案内とかいうチラシを渡されて説明してくれた。
「これが申込用紙」
用紙とボールペンを渡された。書けということだろう。だけど……住所、なんだっけ? そう言えばまだ覚えていなかった……
「ああ、名前と連絡先の番号だけでいいよ。住所はこっちでわかるから」
「そ、そう?」
だったらいいのかな? そういえば祖父も入っていたんだから名簿残っているのかも。亡くなってから二か月経っていないし。
「回覧板、紙がいい?」
「紙以外になんかあるの?」
「今年からアプリ使い始めたんや」
アプリ? こんな田舎で?
「昼間仕事でいない人も増えて、回すのに時間かかる様になって。それでアプリ使うことにしたんや」
なるほど、だったらアプリでいいかな? QRコード出されて読み込んだらすぐに登録されてしまった。ええ? 凄くない?
「登録されたからもう町内会の一員や。あ、これ、会員規約ね」
紙の束を渡された。そこには家の名前が入った簡単な地図や、町内会の規約、ごみ出しなどのルールが載っていた。香典の金額まで決まっているんだ。安いからありがたい?
「ごみ袋はある?」
「あ、はい。家に祖父が遺したのが」
「そっか。移動式スーパーでも売ってるで、なくなったらそこで買って。違う袋で出すと煩いから」
なるほど、そういう話は聞いたことがあるけど、本当にいるんだ。だったら気を付けないと。もらった書類に目を通していたら玄関で物音がした。誰かが帰ってきたらしい。誰だろう、緊張する……
「ああ、母ちゃん、おかえり」
「ただいま。匠海早かったんやなぁ」
現れたのは親世代の女性だった。いかにも農家のおばちゃんといった格好だけど……背が高くて美人だ。日焼けした健康美人って感じ。
「ああ、音羽ちゃんが町内会入るっていうから」
「音羽ちゃんって……淳一郎さんとこの?」
「そう」
そこで初めてお母さんと目が合った。うわぁ、本当に美人だ。凄い、農作業用の服が違うものに見えた。お母さんは涼音さんといってとても気さくな人だった。匠海さんは見た目だけでなくそんなところも母親似のようだ。「ちょっと待ってて」といって姿を消したと思ったら、すぐに大きなレジ袋を二つ持って現れた。
「これ、持ってって。さっき畑で採ってきたやつやで」
中にはミニトマトやオクラ、トウモロコシやナスなどが入っていた。石橋さんからいただいたものを食べ終えたところだからありがたいけれど、ちょっと多すぎて食べきれる自信がないのですが……
「ああ、余ったら切って冷凍しとくといいざ」
なるほど、それなら何とかなりそう。野菜を冷凍しておく発想はなかった。ありがたい。だけど借りがまた増えていく。う~ん、返す見通しが立たない……
お礼を言って家を辞した後、匠海さんがゴミステーションの場所を教えてくれた。頑丈な檻みたいなやつで、扉も二つある。こんなの初めて見た。
「朝七時半までに出して。遅くなると煩い人がいるんや」
「わかりました」
う~ん、ゴミ出しを見張っている人がいるって話は東京でもあった。気を付けないと。東京とは微妙にルールが違うから帰ったらごみの分別のし直ししなきゃ。
翌朝、いつもよりも早く起きて、きなこと共にごみ出しに向かった。今日は燃えるごみの日だから行かない理由はない。昨日は帰ってからごみの仕分けをやり直した。こういうのは最初が肝心で、最初で躓くとずっと要注意人物と見なされる可能性もある。田舎という狭いコミュニティでは致命的な気がする。多分だけど。
ゴミステーションに行くと誰もいなかった。そのことにホッとしながらごみを出す。扉を閉めると、キィと金属が擦れる音がした。無事任務を達成出来たことに安堵する。家に戻ろうと車に乗ろうとしたその時だった。
「ちょっと! あんた! 勝手に捨てんなま!」
険をたっぷり含んだ声に心臓が弾けそうになった。ええ? 振り返ると高齢の女性がこちらを睨みつけていた。えっと……
「会に入ってえんもんが勝手に捨てんなま。ほら、持って帰り」
早口な上方言も加わって何を言っているのかよくわからないけど、とにかく私に怒っているのはわかった。わかったけど……
「あの、私、最近越してきた者です」
「そやったって会入ってえんもんは捨てたらあかんのや」
う~ん、町内会のことを言っている?
「会って町内会ですか?」
「そうや」
「それなら入りました」
「そんなん聞いてえんざ」
う~ん、昨日の今日だから周知はされていないから仕方ないかもしれないけど……困ったなぁと思っている間にお婆ちゃんは私のごみを檻から出してきてこっちに投げつけてきた。えええ? そこまでする?
「ほら、はよもっていけま」
どうやら話を聞く気はないらしい。う~ん、何言っているのかわからないし、これからのことを考えると揉めるのも嫌だし、今日は持って帰るしかないかなぁ。時間が経って周知されるまでの辛抱か。そう思った時だった。
「あらぁ、音羽ちゃん、おはよぉ」
場にそぐわないにこやかな声は……匠海さんのお母さん―涼音さんだった。今日はTシャツにスキニーパンツで昨日とは印象が違う。めっちゃスタイルいいし、やっぱり美人だ。
「おはようございます」
思わぬ援軍に肩の力が抜けた。
「なんやあんた、知り合いか?」
「淳一郎さんのお孫さんやって」
「はぁ、淳ちゃんの?」
どうやら祖父と知り合いだったらしい。ちゃん付けなら仲がよかった?
「ほやって。ああ、ちゃんと町内会も入ったんやざ。若いのにえらい子やわぁ」
にこにこしているお母さんにお婆さんが苦々しい表情を浮かべた。多分誤解は解けたんだろうけど、納得している風じゃない、よねぇ。お婆さんはその後もぶつぶつ言いながら帰って行った。はぁ、よかった。けど、本当にいたんだ、面倒臭い人。人の話聞かなそうだし、方言が強いし喋るのも早過ぎて会話が成立する自信がない。気が重いなぁ……今度からは時間をずらした方がいいかもしれない。
「ごめんなぁ、満子さん、悪い人ってわけやないんやけど……」
どうやら訳ありの人らしい。うん、そんな感じはする。ごみ出しの時間も早くしよう。遅くしたら今度は遅いと文句を言われそうだし。涼音さんに聞いたのだけど、あのお婆さんは吉川さん家の満子さんといって、移動式スーパーの初日にお婆ちゃんたちから名が出ていた「みっちゃん」だった。情報通というか噂好きで、色んな意味で有名な人らしい。まぁ、強烈な人なのは間違いない。触らぬ神に祟りなしともいうし、ああいう人には下手に関わらないのが一番だ。




