広がる人間関係
向かった先は十分ほど走った先にある小さな蕎麦屋だった。意外だ、見た目からしてがっつり肉系だろうと思っていた。店はぱっと見民家にしか見えない造りで、駐車場の入口にある小さな看板で蕎麦屋だとわかるレベルだった。大通りから奥に入った目立たない場所だけど駐車場はいっぱいだった。
「お、開いてる」
匠海さんの弾んだ声からして、空いているのが珍しいらしい。だったらかなりの人気店?
「ここは県外からも来る人多いんや。美味いざ」
そんなに有名なんだ。そう言えば北陸って蕎麦処だったっけ。母も蕎麦が好きだった。結構味にこだわりがあってうるさかった。店に入ると程なくして席に案内された。
「俺はこの時期はいつもおろし蕎麦大盛りで。鬼おろしね」
おろし蕎麦って、母が好きだったやつだ。
「じゃ、私も同じものを、普通盛りで」
「え? ここの鬼おろし、かなり辛いけど大丈夫?」
「だ、大丈夫です」
多分……でも、大根おろしだからそこまで辛くはないはず。そう思っていたのだけど……
「か、辛い……」
「ほやろ? ここのは特に辛いんや。まぁ、慣れたらこれでないと物足りんけど」
田舎恐るべし、いや、この場合この鬼おろしか? だけど本当に辛かった。口の中がピリピリ来る痛いくらいの辛さで蕎麦の味がわからない……これが美味しいと? いや、十倍カレーとかと同じ意味で好まれているのかもしれないけど。
「無理なら大根おろしもらおうか? なければ少しはマシやと思うけど」
「いえ、大丈夫です」
いくら何でも知り合って日が浅い人相手に押し付けるなんて出来ない。それに、大根おろしは辛いけどダシはコクがあるのにさっぱりしていて美味しい。蕎麦もコシがあってこれまで食べた蕎麦とは全然違う……
「そう言えば淳一郎さんも蕎麦好きで、昔から自分で打ってたんや」
「祖父が?」
「知らんかった?」
「ええ、会ったことなくて。母の葬儀の時も香典が送られてきただけだったので……」
祖父が生きていると知ったのも母が死ぬ直前だった。母からはどちらの祖父母も亡くなっていると言われていたからびっくりしたっけ。おばちゃんが連絡してくれたけれど、葬式にその姿はなかった。
「そっか。あの頃、淳一郎さん入院してたから」
「入院、していたんですか?」
そうだったの? 娘の葬式に来ないなんて薄情な人だと思っていたわ。
「陽子さん亡くなる少し前や。台風来た後で屋根が大丈夫か見に上がったんやけど、落ちて肩の骨折れたんや。暫く入院してた」
屋根から落ちた? 随分アクティブな人だったのね。
「あの人、器用で何でも自分でもしてたから。まぁ、あの後は周りに散々言われてさすがに止めたけど。でも、陽子姉さん亡くなった後は暫く塞ぎ込んでた」
そうだったんだ。どんな理由で疎遠になっていたのかわからないけれど、塞ぎ込むくらいの情はあったんだ。それに母の蕎麦好きも祖父の影響だったのかもしれない。母は地元の蕎麦が一番だと言っていたから。
「よお、匠海やないか」
「大将、お久しぶりです」
声をかけてきたのは母と同じ年代の人の好さそうな男性だった。男性としては小柄な方だけど、穏やかで優しそう。大将ということはここの店主?
「何やお前、やぁっと彼女出来たんか? そうかそうか、ようやくか」
「いやいや、そんなんじゃないですって」
「ははっ、照れるな照れるな。お前、ちっとも女っ気ないからみんな心配していたんやから」
「だから、違うんですって。この人、淳一郎さんのお孫さんやって」
気安い会話に二人の関係が察せられたけれど……そこで何故か祖父の名前が出た。
「なんやと、淳一郎さんの孫?」
「そうやって」
「なんや、それならそうと早言えま!」
ポンポン交わされる会話は移動式スーパーで出会ったお婆ちゃんたちと遜色なかったけど、祖父の知り合いだった?
「そっかぁ、あんたが淳一郎さんの……ああ、初めまして。俺はこの店の店主の山岡や」
「佐野です。祖父が生前はお世話になりました」
「いやいや、世話んなったのは俺の方や。この店出せたのも淳一郎さんが背を押してくれたお陰やから」
会釈したらそれ以上に頭を下げられてしまった。周りのお客さんの目がこちらに向かってくる。ちょっと面映ゆい。
「この子、淳一郎さんの家に住むんや」
「あの一軒家にか?」
「そう、あの家」
「そうかぁ。そやったら淳一郎さんも喜ぶやろな」
しみじみと言われてしまった。祖父がこの店を開くきっかけになっていたなんて。母とは絶縁状態だったし葬式にも来なかったから、頑固で話が通じない人だと思っていたけれど、そうじゃなかったのかもしれない……
「ああ、大将は淳一郎さんと同じ職場やったんや」
奥から誰かに呼ばれて大将が戻っていくと、匠海さんが祖父と大将のことを教えてくれた。
「大将とは蕎麦屋巡りの仲間やったらしい。仕事に限界感じてた時に淳一郎さんに相談したら蕎麦屋開けばって言ったんやと」
ええ、その一言で店開いちゃったの?
「ここだけの話やけど、実は冗談やったって、淳一郎さん後で言ってたわ」
急に声を潜めて悪戯っぽく笑った匠海さんだったけれど、それがこんな立派な店になったなんて祖父も驚いたでしょうね。大将の行動力、凄いわ。
「またいつでも来てや。淳一郎さんの孫なら大歓迎や」
会計時、大将は「今日はお近づきの印や」と言って奢ってくれた。これ、匠海さんへのお礼のつもりだったのに……そうは思うけれど大将の気持ちを無下に出来る筈もない。匠海さんにはまた別の機会を考えよう。
食事を終えると、食材もあるからと真っ直ぐに家に向かった。
「本当に、今日はありがとうございました」
「いやいや、気にせんで」
「でも、何から何までやってもらって……申し訳ないです」
さすがに無償でやってもらうのは気が引ける。いっそ料金を請求してくれた方が気楽なレベルなのだけど。
「気にせんでいいよ」
「でも……」
どうしてここまでしてくれるのか。ありがたいのだけど何かあるのかと警戒してしまう。祖父の為人も知らないし、都会にはない距離感のせいか感覚がバグってしまうけど、さすがに一線を越えている気がする。
「まぁ、音羽ちゃんには関係ないけど、ちょっと罪滅ぼしも入ってるから」
「罪滅ぼし?」
どういうことかと思ったら、匠海さんが話してくれた。三年前に私と同じように移住してきた人がいたのだけど、ここでの暮らしに馴染めず、最終的にはトラブルになって二年も経たずに引っ越していたっという。
「そんなの、匠海さんのせいでは……」
「そう思うんやけど、放っておいてほしいと言う言葉を鵜呑みにしたのも悪かったんやと思う。実際、買い出し一つも苦労していたみたいやし。もっと寄り添っていたらあんな後味の悪いことにはならんかった」
移住後のトラブルの話はいくつも見てきた。田舎特有の変なルールが受け入れられない気持ちも、距離感の違いに戸惑う気持ちも、うん、まぁわかる。
「音羽ちゃんはどうやろ? やっぱり田舎は変やと思うか?」
直球で聞かれてしまったけれど、真剣な表情は誤魔化せる空気じゃなかった。
「そう、ですね。やっぱり都会とは違うと思います。距離感とか全然違いますし」
「やっぱ、そうなんや……」
匠海さんもそこは理解しているのね。だけどここで生まれ育ったから肌で感じるのは難しいように思う。こういうのって、言葉で説明出来ることじゃないから。
「例えば、どんなことで戸惑ったりした?」
うわ、それを聞きますか。う~ん、正直に言うと傷つけちゃうかな? でも、それ以上に知りたいみたいだよね。だったら……
「先ずは距離感ですね。都会だと馴れ馴れしくて何この人、と思われるかと」
「そ、うか……」
ここは正直に言うことにした。それを望まれていると感じたから。
「親切にして貰ってとてもありがいんですけど、ちょっと圧が強いなぁ、と」
「そうか……」
とうとう匠海さんががっくりとハンドルに突っ伏した。信号赤だからいいけど。
「いや、ごめん。前の人のことがあったから、今度は失敗せんようにと思って……やり過ぎてた」
自覚あったんだ。というか、前のことがあってのこれまでだったのなら仕方がなかったのかもしれない。匠海さんなりに気を遣ってくれていたわけだし。
「あの、凄く有難かったし、嫌じゃなかったですよ。ただ、人によって距離感は違うので、嫌だと感じる人もいるかもしれません。そこは相手に合わせて見極めが大切かと」
「そう、だな。うん、ありがとう、正直に言ってくれて」
気を悪くした風もなかったし、お礼を言われたのなら問題ないかな? う~ん、難しいよね。私はこんなもんかと思って受け入れちゃったけど。
「これからも気になったら言ってくれる? 俺、昔から馴れ馴れしいって言われること多くて」
「はい。でも、それで助かったのも本当ですから、あまり気に病まなくてもいいかと思いますよ」
本当にいい人だよね。それで救われる人もいるし、実際私も現在進行形で救われているからそこまで気にしなくてもいいと思う。そして家に着いたらベッドも二階に運んでもらった。重かったからありがたい。本格的にお礼を考えないと……何がいいんだろう? 借りが溜まっていく一方だから早めに解消しておきたいよね。




