外伝 魔女シェラの生い立ち
――人は、手に負えないほどの美しさと強さを、往々にして「災い」と呼ぶ。
「魔女シェラ」が誕生した夜、その小さな村は、青い炎によって跡形もなく焼け落ちていた。
シェラが生まれたのは、王国の最北端に位置する、険しい山々に囲まれた名もなき貧しい村だった。
当時の彼女には、別の名があった。だが、その名を覚えている者はもう誰もいない。生まれた時から、彼女の瞳は夜空の最奥のような深い紫色に輝き、銀糸のような髪は月光を受けて怪しく揺らめいていた。
「悪魔の連れ子だ」
「あの娘が生まれてから、村の畑が枯れ始めた」
村人たちは、日照りも、病も、家畜の死も、すべてを幼い彼女のせいにした。実の父母すらも彼女を恐れた。日中は薄暗い小屋の奥に押し込められ、食事は腐りかけたパンの耳だけ。
言葉を交わす相手もおらず、少女の幼少期は、暗闇の冷たさを数えるだけの時間だった。だが、彼女には「特別な力」があった。
声を出さずに祈るだけで、枯れた花が黒い蕾を咲かせ、夜空の星々が彼女の頭上に静かな光を降らせる。
彼女は、生まれながらにして古代の魔導を体現する『黒き精霊の愛し子』――後に世界から恐怖される「魔女」の素質を完璧に備えていたのだった。
十歳になったある夜。村を襲った酷い飢餓に耐えかねた村人たちは、松明を手に少女の小屋を取り囲んだ。
「あの悪魔の娘を神への生贄に捧げれば、恵みの雨が降るはずだ!」
実の父親が、震える手で刃物を握り締め、小屋の扉を叩き破る。実の母親が、泣き叫びながら彼女の小さな腕を掴み、村の広場へと引きずり出した。
「お父さん……お母さん……私、なにもしてないよ……?」
涙を流す少女の問いかけに、返ってきたのは罵倒と、容赦なく振り下ろされた松明の炎だった。
『熱い』
燃え移る炎が、彼女の可憐な皮膚を焼く。
痛みに叫び、助けを求めて両手を伸ばした。しかし、そこにいた全員が――昨日まで笑い合っていた村人たちが、憎悪と狂気に満ちた目で少女が焼けるのを楽しそうに見つめていた。
その瞬間、少女の中で「何か」が音を立てて弾け飛んだのだ。
(ああ……そうか。この人たちにとって、私は『人間』じゃなかったんだ)
絶望と、胸を刺すような強い孤独。
涙が乾ききった時、彼女の紫の瞳から溢れ出たのは、この世のあらゆる光を呑み込む『絶対の闇』だった。
『―――滅びを、歌いなさい』
少女が口開いた瞬間、彼女の身体から漆黒の炎が爆発的に噴き出した。松明の火など比較にならない、万物を灰すら残さず解体する「黒蝕の魔術」
そして叫び声は一瞬で消えた。
村を包んでいた憎悪も、暴力も、狂気も、親の顔も――たった数秒の間に、黒い炎の波に呑み込まれ、完璧な「無」へと還ったのだ。
焼け野原となった黒い土の上に、たった一人、銀髪を夜風になびかせて佇む少女。誰の温もりも知らず、ただ世界から拒絶されたことで、少女は「魔女シェラ」として覚醒したのだった。
◇◆◇
それからの数百年、シェラは漂流者のように世界を彷徨った。
彼女を「悪魔」と呼んで討伐しようとする聖騎士団を返り討ちにし、「災厄」として恐れる国家をいくつも崩壊させた。
だが、どれほど強大な力を手にいれても、彼女の胸に空いた「強烈な孤独」が埋まることはなかった。
誰も自分を「人間」として見てくれない。
寄ってくる者は、力を恐れて平伏する者か、その力を利用しようと企む野心家だけ。
「くだらない……人間なんて、みんな同じ」
世界に深く絶望したシェラは、自らその強大すぎる力を封印する決意をした。己の精神と肉体の大部分を『黒蝕の書』と呼ばれる古代の魔導書へと閉じ込め、本体である身体を深い眠りにつかせたのだ。
時の流れは残酷で、やがて『黒蝕の書』は歴史の闇に埋もれ、様々な人間の手を転々とした。
やがてその本はレオンの手に渡り、王都の路地裏にある「誰も使わなくなった埃まみれの古倉庫」の最奥、ガラクタの箱の底へと投げ入れられた。
湿った空気、蜘蛛の巣、崩れかけた木箱。
かつて世界を震撼させた魔女は、誰に知られることもなく、冷たい倉庫の暗闇の中で永遠とも思える眠りにつき続けていた。
(このまま……二度と目覚めなくてもいいわ。私を必要とする人なんて、この世界のどこにもいないのだから……)
暗闇の中で、シェラはただ膝を抱え、閉じられた時間の中で微睡んでいた。
――再びあの男が、血を流しながら倉庫の扉を叩き割る、その日まで。
◇◆◇
ガタンッ……
静寂に包まれていた倉庫に、泥と血の匂いが流れ込んできた。裏切られ、全身の魔力回路を破壊され、雨の降る王都の路地裏を這いずってきた男――レオンだった。
「ハッ……ハッ……クソが……ッ!」
絶望と激痛で意識が飛びかけながらも、レオンの瞳には決して消えない「漆黒の復讐心」が燃え上がっていた。
倒れ込んだレオンの血が、床の亀裂を伝い、ガラクタの箱の底に眠っていた『黒蝕の書』へと触れた。
『……?』
数百年の眠りから、シェラの意識がゆっくりと覚醒する。
(なに……? この不快で……それでいて愛おしいほどにどろどろとした魔力は……)
魔導書を通じて、レオンの記憶と感情がシェラの精神へと流れ込んできた。仲間だと信じていた者からの裏切り。奪われた名誉。踏みにじられた尊厳。
そして――どれほど傷ついても折れない、狂気的なまでの「生きることへの執着」。
シェラは息を呑んだ。
(私と同じ……。この男も、世界から捨てられたんだ……)
だが、レオンはシェラと違っていた。
世界に絶望して塞ぎ込むのではなく、泥を舐めてでも這い上がり、自分を陥れた奴らすべてを地獄へ引きずり落とそうとしている。
「……誰だ」
血の混じった声で、レオンが暗闇の奥を睨みつけた。光を失った瞳。だがその奥には、シェラが何百年も探し続けていた「偽りのない、魂の輝き」があった。
『黒蝕の書』から溢れ出た黒い煙が、少女の輪郭を形作っていく。銀髪を揺らし、紫の瞳を怪しく光らせて、シェラは暗闇の中からレオンの前へと舞い降りた。
「ふふ……酷い顔ね、人間」
シェラは小さくクスリと笑った。
かつて自分を恐れて悲鳴を上げた人間たちとは違い、レオンは目の前に現れた「魔女」を見ても、一切怯まなかった。ただ、力を求める渇いた目で彼女を見つめていた。
「お前は……誰だ……」
「私はシェラ。絶望の底に落ちた哀れな男に、力を貸してあげる『魔女』よ」
シェラはレオンの前にひざまずき、血で汚れた彼の頬に小さな手を優しく添えた。
「ねえ、人間……私と契約しなさい。君の命も、魂も、復讐の歓びも……すべて私に頂戴。その代わり……君が世界を焼き尽くすための『毒』を、私がいくらでもあげるわ」
「……いいだろう」
レオンは迷わず、シェラの小さな手の手の甲に誓いの口づけをした。
「俺のすべてをやる。……奴らに地獄を見せられるなら、悪魔にでも魂を売る」
その言葉を聞いた瞬間、シェラの胸の奥で、数百年間ずっと凍りついていた何かが、パリンと音を立てて砕け散った。
(ああ……見つけたわ)
利用するためでもなく、恐れるためでもなく。自分の「毒」を、「悪」を、そのまま丸ごと求めてくれた男。
「契約成立ね、レオン」
シェラは嬉しそうに、可憐で、けれどどこか狂気的な笑みを浮かべてレオンの首に抱きついた。
捨てられた冷たい倉庫。
そこから、世界から拒絶された二人の怪物が巡り合い、世界を震撼させる「復讐の旅」が始まったのだ。




