第4話 迷宮の暗雲と、怪物の影
あのパーティーでの大失敗から数日。
王都の街角では、どこに行ってもシディスの失態が噂の種になっていた。
『最年少Sランクの偽り』『技の暴走で会場破壊』『元師匠の功績を盗んだ噂は本当か』――かつて彼を称賛していた大衆は、掌を返したようにシディスとエリスを嘲笑していた。
「くそっ……くそくそくそぉぉぉっ!!」
王都の一角にある高級ホテル。
ワイングラスが壁に叩きつけられ、赤く濡れた破片が床に散らばった。
顔を真っ赤にして叫んでいるのはシディスだ。右腕には痛々しく帯が巻かれており、その顔にはかつての爽やかさなど欠片もなかった。
「なんでだ……!なんで僕の『閃光剣』が暴走したんだ!?エリス! お前、あの時本当にまともな治癒魔法をかけたんだろうな!?」
「な、なに言ってるのよシディス! 私はいつも通りやったわよ!」
部屋の隅で縮こまっていたエリスが、怯えたように声を荒らげる。
「貴方の腕が変だったのよ!私を責めないでよ! それに……ギルドからの評価も下がりっぱなしじゃない! このままだと、私たちの結婚式に誰も来てくれなくなるわ!」
「うるさい!!」
シディスはエリスの肩を強く押し飛ばした。エリスが短い悲鳴を上げて床に倒れ込む。
「名誉ならすぐ取り戻してやるさ……! ギルドの連中も、貴族どもも、僕の実力を疑っていやがる。なら……見せてやればいいんだろう!?」
シディスは血走った目で机の上の羊皮紙を叩いた。それは冒険者ギルドが提示した最難易度依頼――未攻略ダンジョン『黒竜の巣穴』の討伐指名書だった。
「僕がソロで『黒竜』を討伐して帰ってくれば、文句を言う奴は誰もいなくなる! 僕が最高で、最強のSランクだってことを証明してやるんだ!!」
「そ、そんなの危険すぎるわ! ソロだなんて――」
「黙って僕に従っていればいいんだよ、女の癖に口を挟むな!!」
狂気じみた叫び声を上げるシディス。
エリスは涙を浮かべながら、恐怖で言葉を失っていた。かつて優しく、力強く自分を抱いてくれた理想の男。
だが今のシディスは、プライドを傷つけられ、荒れ狂うだけの醜い暴君でしかなかった。
(どうして……どうしてこうなっちゃったの……? レオンといた頃の方が、ずっと平和で……)
一瞬、頭をよぎった元恋人の顔。
だがエリスはすぐに首を振った。
(ううん、違うわ! レオンはもう終わったゴミ屑! 私を選んだシディスが一番じゃなきゃ困るのよ……!)
二人の亀裂は、すでに修復不可能なほど深まっていた。
────────────────────
時を同じくして――。
王都の地下深くに位置する『隠れ家』の暗闇の中。レオンは黒い魔導書『黒蝕の書』を前に、腕の魔力回路を自ら再構築する訓練を行っていた。
ジジジ……
漆黒の魔力がレオンの腕を巡り、皮膚の表面に古代のルーン文字のような斑紋が浮かび上がる。かつて仲間を庇ってズタズタになった回路は、今や「呪いと破壊」の力を増幅させる異形の器へと変貌していた。
「ふう……」
息を吐き、魔力を収束させる。
汗ばんだ肉体。鋭く引き締まった顎のラインと、闇を宿した冷徹な黒眼。以前の「優しいだけのいい人」だったレオンの面影は消え、そこには人を惹きつける危険な色気を纏った『復讐者』の姿があった。
「――相変わらず、見惚れるような集中力ね」
ふっと影から姿を現したのは、銀髪の少女シェラだった。彼女はいつも通り浮遊しながらレオンの周りを旋回していたが、その紫の瞳はどこか熱を帯びてレオンの顔を見つめていた。
「どうした、シェラ? またシディスたちの動きに変化があったか?」
「ええ。あの愚か者、名誉挽回のために『黒竜の巣穴』にソロで潜る気よ。今朝、ギルドに受理させたわ」
「そうか……」
レオンの唇が、冷酷な笑みの形に歪む。
「『黒竜の巣穴』か。あそこは狭窄した空間で魔術と剣技の正確性が問われる場所だ。右腕の回路が狂っている今のシディスが行けば……どうなるか、目に見えているな」
「ええ、完璧な罠の舞台ね」
シェラはクスクスと笑いながら、スーッとレオンの顔のすぐ近くまで寄ってきた。
少女の小さな手がかざされ、レオンの頬にそっと触れる。
「……?シェラ?」
「ううん。ただね……君、どんどん良い表情になっていくわ」
シェラは紫の瞳を細め、嬉しそうに呟いた。
(最初はただの『傷ついた哀れな男』だったのに。絶望を飲み込んで、復讐の炎を燃やす瞬間の君は……本当に美しい)
「私の退屈な永い生の中で、これほど魅惑的な男は初めてよ」
「……急におかしな奴だな。俺はもう、ただの怨念の塊だぞ」
「俺を魅惑的だなんて、どうかしてる」
「それが、いいのよ」
シェラは頬を赤らめ、レオンの首元に手を回した。背丈の違いから、彼女は浮遊してレオンの視線と同じ高さに合わせている。
(こいつはずっと一人だったから、寂しかったのだろうか?俺を好きになったのだろうか?)
「優しくて、他人のために自分を犠牲にする君も……きっと素敵だったんでしょうね。でも私に見せてくれるのは、この冷酷で、残酷で、私だけと復讐を共有するレオン……」
「私を置いていかないでね? 君の復讐が完成するまで……ううん、完成したあとも、私は君の『特別』でいたいの」
はじめは「復讐劇の観客」としてレオンに接触したシェラだった。しかし、短い期間でどん底から這い上がり、冷徹に敵を追い詰めるレオンの強い意志と、時折見せるかつての男らしさのギャップに、彼女の心は囚われつつあった。
レオンは少し驚いたようにシェラを見つめたが、その頭にそっと手を乗せ、乱暴になでた。
「──お前を置いていくわけがないだろう。俺の今の命は、お前と一緒に掴み取ったものだからな」
「……ん」
シェラは気持ちよさそうに目を閉じ、レオンの胸に顔をうずめた。二人の間に流れるのは、甘くもどこか歪んだ、暗黒の信頼関係だった。
だが、そんな穏やかな(?)時間を切り裂くように、部屋の影から一羽の「黒い使い魔のコウモリ」が飛び込んできた。
「……ん? 何かしら」
シェラが不機嫌そうに手をかざすと、コウモリは黒い煙となって弾け、一通の赤い蝋で封印された手紙に変わった。
手紙を開いたシェラの表情が、一瞬で不快そうに曇る。
「……。忌々しい『ハエ』が寄ってきたわね」
「どうした、シェラ?」
「王立暗黒騎士団……その特務部隊長である男からの通達よ」
シェラは手紙をレオンに見せた。そこに書かれていたのは、血のような赤い文字。
『古の魔女シェラ、そして新たな「黒蝕」の適合者へ。貴様らの王都での戯れ、楽しく拝見している。近々、挨拶に伺おう』
レオンは眉をひそめた。
「暗黒騎士団……? シディスやギルドとは別の勢力か?」
「ええ。表のギルドが『光』なら、裏で王国の汚い仕事を処理する『影の執刀医』たちよ。その中でも最悪なのが、この手紙の主……虐殺のヴァルフレイド」
シェラは嫌悪感を露わにして吐き捨てた。
「ヴァルフレイド・フォン・グラント。Sランクを凌駕する戦闘力を持ちながら、他人を痛めつけ、絶望させることだけに快感を覚える本物の狂人よ。かつて私も奴とやり合ったことがあるけれど……話が通じる相手じゃないわ」
「ヴァルフレイド……」
「どうやら、パーティーでのシディスの自滅と、そこに介在した『黒術』の気配に気づいたみたいね。奴は強い奴、あるいは面白い『狂気』を持っている人間を狩るのが大好物なの。間違いなく、君を自分の『獲物』として狙ってくるわ」
レオンは手紙を握りつぶし、黒い炎で燃やし尽くした。
新たな敵の存在。
シディスとエリスへの復讐の最中に乱入してくる、王国の裏に潜む最強の刺客。
だが、レオンの目に恐怖の色はなかった。あるのは、さらに激しく燃え上がる漆黒の闘志だけだった。
「面白い……」
レオンは冷たく笑った。
「シディスを地獄に叩き落とすついでだ。俺の復讐の邪魔をするなら、その『ヴァルフレイド』とやらもまとめて『黒蝕』の餌食にしてやるまで」
「ふふっ……そう言ってくれると思ったわ、レオン!」
シェラは歓喜に瞳を輝かせ、レオンの頬にチュッと小さなキスを贈った。
「いいわ! 君が望むなら、世界中を敵に回したって私は君の味方よ! さあ……まずは『黒竜の巣穴』へ向かいましょう。シディスに、本当の絶望を教えてあげるために!」
「ああ。地獄へと赴こうか」
暗闇の中で、レオンとシェラは不敵に微笑み合った。




