第3話 栄光の宴と、潜む毒針
王都で最も絢爛豪華と謳われるグラン・ベルビュー・ホテルの大ホール。
今夜、そこは眩いばかりの光と、着飾った貴族や有力冒険者たちの喧騒で満ち溢れていた。
『最年少Sランク冒険者昇格 兼 シディス・ヴァルハイト&エリス・クレイン婚約決定パーティー』
会場の中央、一段高いステージの上には、光沢のある白い正装に身を包んだシディスと、純白のエレガントなドレスを纏ったエリスが並んで立っていた。
「シディス様! 最年少でのSランク昇格、誠におめでとうございます!」
「エリス殿も、これからはSランク冒険者の専属ヒーラーとして大活躍ですね! お似合いのカップルだ!」
群がる参加者たちからの惜しみない称賛と喝采。エリスはシディスの腕にぴったりと寄り添い、うっとりとした表情でシャンパングラスを傾けていた。
「ねえ、シディス。夢みたいだわ……私、ずっとこんな世界に来たかったの。あんなジメジメした借家で、レオンの惨めな小言を聞かされる日々とは大違いだわ」
エリスが耳元で囁くと、シディスは満足げに鼻を鳴らした。
「ふっ、当たり前だよエリス。あの男は生まれながらの負け犬だ。僕のような選ばれた天才とは天と地ほどの差がある。あんなゴミ屑のことなんて忘れて、僕の輝かしい未来だけを見ていればいいんだよ」
「ええ、本当にそうね! あんな盗作野郎のことなんて、思い出す価値もないわ」
二人は顔を見合わせ、声を合わせて嘲笑った。彼らの頭の中には、雨の中で這いずり回り、泥を舐めていたレオンの惨めな姿しかなかった。
まさかその「ゴミ屑」が、自分たちの足元まで迫っているとは思いもしない。
――会場の隅、壁の影に佇む一人の男がいた。黒いフード付きのローブを深く被り、気配を完全に消している。
男の手元には、小さな漆黒の鏡のような魔道具が握られていた。
「……相変わらず、気分の悪くなる面下げをしてるな、あの二人は」
ローブの隙間から覗く鋭い眼光。レオンだった。
シェラの「隠蔽魔導」によって気配を完全に遮断されたレオンは、誰にも気づかれることなく会場に侵入していた。横には、小さな影となって浮遊するシェラの姿がある。
「くすくす、最高の顔をしているじゃない。自分たちが世界の中心だと信じ切っている、愚かな子羊さんたちね」
シェラは愉悦に満ちた声で囁いた。
「さて、レオン。準備は整ったわ。君の『黒蝕』の魔力で作った微細な魔導粒子……もう会場中に散布し終わったわよ」
「ああ……感謝する、シェラ」
レオンはフードの奥で、冷たく歪んだ笑みを浮かべた。シディスは「自分の天才的な才能」でSランクに上り詰めたと豪語していた。
だが、元・師匠であるレオンは知っている。シディスの剣技――彼が開発したとされる神速の連撃(閃光剣による)には、重大な構造的欠陥が存在することを。
シディスは素早さと威力を追求するあまり、技を繰り出す際に「右肩の特定の魔力回路」に過剰な負荷をかける癖があった。レオンが師匠だった頃は、その負荷を殺すための補助魔導具やフォームの矯正を指導していたのだ。
しかし、慢心したシディスは「レオンの指導など古い」と切り捨て、その矯正を無視して力任せに技を振り回していた。
今、彼が使っているのは――使い続ければ確実に右腕の魔力回路が破滅する、欠陥だらけの無茶な技術だった。
「シディス……お前は『自分の才能』を信じ切っている。だからこそ、その才能の土台がどれほど脆いか、思い知らせてやる」
レオンは掌をかざし、静かに『黒蝕』の魔力を発動させた。会場の空気中に漂う、目に見えない黒い魔導粒子。
それが、ステージ上で歓談するシディスの身体――特に、右肩の過負荷がかかっている魔力回路へと吸い込まれていく。
『黒蝕』の真価は、ただ物体を破壊することではない。
相手の体内にある「潜在的な歪みや欠陥」を見つけ出し、それを何倍にも増幅させて内側から腐敗・崩壊させることにある。
(まずは第一段階だ……。今夜のパーティーでお前の技を完璧に崩壊させ、大勢の前で『メッキ』を剥がしてやる)
その時、ステージ上で進行役のギルド幹部が大声を張り上げた。
「皆様!本日のハイライトです! Sランク昇格を記念し、シディス様が自慢の奥義『閃光剣』による魔導試しの儀をご披露くださいます!」
会場から盛大な拍手が沸き起こる。
ステージの中央に、強固な防御結界が施された巨大な試練用の『剛鉄の魔導石』が運び込まれた。並のAランク冒険者の攻撃では傷一つつかない代物だ。
シディスは得意げに細身の愛剣を抜いた。
「フッ……こんな石コロ、僕の『閃光剣』にかかれば一瞬で粉々ですよ。皆さん、瞬きしないで見ていてくださいね」
シディスが剣を構える。
全身から眩いばかりの金色の魔力が溢れ出した。エリスが「うっとり」とした目で見つめ、参加者たちが息をのむ。
(来い、シディス。振り抜いてみろ)
レオンは影の中から、冷ややかにその光景を見つめていた。
シディスが地を蹴った。
「――『閃光九連撃』ッ!!」
金色の光の帯が九筋、同時に奔ったように見えた。鋭い一閃が剛鉄の魔導石を切り裂く――はずだった。
――ガッ
異変は、五撃目で起きた。
シディスの右肩に、これまで溜め込まれていた魔力負荷と、レオンが送り込んだ『黒蝕の毒』が同時に炸裂したのだ。
「ぐあっ……!?!?」
激痛。
右腕の魔力回路が瞬時に逆流し、体内でミチミチと不吉な音を立てて断裂する。
剣の軌道が大きくブレた。
ギィィィンッ!!!!
一撃目から四撃目までは石の表面を浅く削っただけで、五撃目以降は明後日の方向――なんと会場の天井や壁の結界に向かって暴走した。
凄まじい衝撃音が響き渡り、会場のシャンデリアが派手に崩落。豪華な料理が並ぶテーブルが吹き飛び、悲鳴と怒号が渦巻いた。
「きゃあぁぁぁぁっ!?」
「な、なんだ!? 技が暴走したぞ!?」
「危ない! 天井が落ちてくる!」
パニックに陥る参加者たち。
そして、ステージの中央では――
「が……あ、あぐ……っ!?」
シディスが右腕を押さえ、惨めに床に転がっていた。彼の右腕は紫色に腫れ上がり、指先がピクピクと痙攣している。魔力の循環が完全に途絶え、剣を握ることすらできていない。
剛鉄の魔導石は、表面に少し傷がついただけで、ピンピンしてそこに鎮座していた。
静まり返る会場。
先ほどまでの称賛の空気は一変し、困惑と疑念の視線がシディスに集中した。
「おい……今の見たか?」
「Sランクの『閃光剣』って、あんなに威力が低かったか?」
「それより、自分の技の制御に失敗して会場を破壊するなんて……本当にSランクなのか?」
「ひょっとして……噂は本当なんじゃないか?」
ザワザワと広がる不穏な囁き声。
「一部で囁かれてた『盗作』の噂だよ。実はあいつ、追放した元師匠のレオンって男の功績を奪ってSランクになったって……本当は自分の力じゃなかったんじゃないか?」
「盗作すら擦り付けるとんでもない屑って聞いたけど」
「なっ……!?」
床で痛みに喘ぐシディスは、その囁き声を聞いて顔を真っ青にした。
「ち、違う! 今のは……今のはただの不調だ! 手が滑っただけだ!!」
シディスはなりふり構わず叫んだ。
「エリス!早く!治癒魔法をかけろ! 僕の腕を治せ!!」
「えっ……あ、ええ! 今いくわシディス!」
慌てて駆け寄るエリス。彼女は両手をかざし、得意の高級治癒魔法『ハイ・ヒール』を唱えた。
温かい聖なる光がシディスの右腕を包み込む。通常なら、どんな打撲や捻挫も一瞬で治るはずだった。
だが――
聖なる光が触れた瞬間、シディスの右腕から黒い煙が立ち上り、ジュッと肉が焦げるような嫌な音がした。
「がぁぁぁぁぁぁっ!?!? 痛い!痛い痛い痛い!!何をするんだエリスっ!!」
「キャッ!?な、なんで!? 私、いつも通りの治癒魔法を……!」
エリスは恐怖で手を引っ込めた。
そう――レオンの『黒蝕』の魔力は、正統な治癒魔法を受けたとしても拒否し、逆に体内の毒を活性化させる効果を持っていたのだ。
エリスが魔法を使えば使うほど、シディスの右腕は激痛に苛まれ、回路の破壊が進む。
「ひっ……!腕が……僕の腕が焦げてる!? エリス、お前ヘボ治癒士か!?僕に何をかけたんだ!!」
「そんな……!私、高級ヒーラーよ!? 貴方が変な病気にでもかかってるんじゃないの!?」
ステージの上で、醜く罵り合いを始めるシディスとエリス。
先ほどまでの「理想のカップル」「最年少Sランクの英雄」の面影はどこにもなかった。今映るのは見苦しく責任を擦り付け合い、取り乱す惨めな男女の姿だけだった。
招待客たちの視線は、もはや敬意ではなく、あからさまな軽蔑と冷笑へと変わっていた。
「……酷いものね」
ギルドの重鎮である老冒険者が、吐き捨てるように言った。
「技の制御もできず、パートナーの治癒も受け入れられず、人前で醜態を晒す。これが今のSランクか。……レオン・ヴァルハイトがいた頃のほうが、よほどギルドの質は高かったな」
「そうだ。レオンには申し訳なく感じるよ」
その言葉は、シディスの尊厳を完璧に打ち砕いた。
「くそっ……くそぉぉぉっ!!」
シディスは激痛に耐えながら、血走った目で会場を見回した。だが、彼を助けようとする者は誰もいない。
――会場の暗がりで、レオンはそっとフードを直した。
「……まずはこんなところか」
「ふふ、見事な演出だったわレオン」
シェラが満足そうに影の中で笑う。
「あの男の『完全無欠の才能』というメッキに、見事なヒビが入ったわね。王都中の貴族や冒険者の前で、あんな醜態を晒したんだもの。明日の朝にはどんな噂が広まるかしら?」
「ああ。だが、これはまだ始まりに過ぎない」
レオンは冷たい瞳で、ステージ上で悶絶するシディスと、顔を蒼白にして震えるエリスを見つめた。
(……お前たちが誇る『名声』と『地位』。それを内側から少しずつ腐らせ、最後は跡形もなく崩壊させてやる)
身体の奥で、黒い魔力が心地よく脈打っていた。かつて仲間を護るために使っていた正義の力よりも、いま手にしている不吉な暗黒の力のほうが、ずっと自分にしっくりと馴染んでいるのをレオンは感じていた。
「行こう、シェラ。次の仕込みだ」
「ええ、喜んで」
闇に紛れ、レオンは会場をあとにした。
背後からは、なおも続くシディスの苦悶の叫び声と、客たちの冷ややかな嘲笑が響き渡っていた。




