第28話〈リューム〉
リュームさんが出て行った部屋には、私とトーキだけが残された。
トーキは急に出会った魔王や、魔族たちに驚いているのか、座ったまま動かない。
「トーキ、身体の調子はどう? どんな病気も完全に治るっていうことだったけど」
「ん、ああ。もうすっかり大丈夫だよ。むしろ自分の体調が悪かったのが信じられないくらい」
「そう、良かった」
「ねえリテ。彼、リュームさんは自分が魔族とエルフのハーフだって言ってたけど、それって珍しいことなの?」
「ものすごく珍しいよ。実際にそんな人がいるなんて、私は初めて聞いたもの。異種族同士で結婚することも珍しいし、子供ができるのはさらに稀なことだから。種族が違うと子供ができづらいって聞いたことがあるし」
「ああ、そうなんだ」
「うん。だから、リュームさんの気持ちも少しわかるの。村の中でも、自分と同じような人がいないって気持ち。自分は他の人とは違う、異質な存在なんだって思わずにはいられないの。彼も、魔王の孫だし、みんなから優しくされて育ったんだろうけど、だからこそ自分はみんなと違うって思うのよ」
私は、リュームさんの顔を思い出して、ついそこに過去の自分を重ねる。
自分が何者で、自分の居場所がどこなのか、わからない顔。
決して生きられないわけじゃない。だけど、今の自分に自信を持つことができない。
そして、この先どこを目指していけばいいのかもわからない。
そんな顔。
「リュームさんのためにしてあげられることってないのかな?」
「え? どうだろう。彼は魔王にはならないって決めてるし、宿屋でもちゃんと働いているわけだから、まあ、困っているわけではないし」
「そうだけど! 今が幸せって感じでもなかったでしょう」
「うーん。でもハーフに生まれてしまったことはどうしようもないし。別に生活できないわけでもないんだったら、まあいいんじゃない」
トーキの言うことはもっともだ。だけど、私の気持ちには全然寄り添ってはこない。
私は少しモヤモヤしたものを心の中に感じたが、トーキになんて伝えたらいいかわからなかった。この、自分が他の誰とも違う存在として生まれてきてしまった気持ちは、そうなってみないと理解できないんじゃないかと思ってしまう。
トーキはどうだろうか。そういえば、トーキがどんな両親に生まれて、どんな家庭で育ったのか聞いたことはない。トーキもこの気持ちを分かってくれるのだろうか。
私はそんなことを考えたが、今改まってトーキに聞くこともできずに立ち上がった。
「トーキの具合が良くなったんだったら、宿に戻ろう。トーキは朝ご飯も食べてないでしょう」
「ああ、そうだね。そう言われればお腹が空いたよ」
私たちが部屋を出ると、廊下にはトーキを背負ってくれていた魔族が待機していた。
「お客様方、お帰りですか?」
「ええ。宿に戻ろうかと思って」
「では、お気をつけて。何かあればいつでもこちらにいらしてください」
大きな体に似合わず優しい口調のその魔族は言って、私たちはこの建物を出た。
明るい陽射しに目がくらむ。
太陽はてっぺんまでもきていない。いろいろなことがあったのでずいぶん時間が経ったように感じたが、まだお昼前だ。
「俺は朝ご飯を食べてないから、食堂で何か食べるよ。リテはどうする?」
「私はまだお腹は空いてないから。旅に必要な物を買いにいってくる」
「了解。それじゃあ、また後で」
「うん」
宿に戻った私は、トーキと別れて再び街へ歩み出る。
相変わらず人通りは少ないが、商店はいくつか開いているみたいだ。
私は広い通りを見渡してゆっくり歩を進め、お店の中を覗き込む。
……………………
広い間口のその店は、いろいろな種類の燻製肉、瓶詰や調味料がぎっしりと並んでいた。
旅に持っていくには良さそうな物ばかりだし、私の見たことのない食品も多い。知らないハーブの匂いが入り混じり、不思議な香りに満たされているのも面白い。
私はふらふらと歩み入って、珍しい山菜の入った瓶詰を手に取る。
魔族の市はテルノ村でもたびたびあったけど、こんなに知らない食品があるなんて。
この村は魔族やエルフ以外にも、いろんな種族が来るらしいから、そのせいだろうか。
私が熱心に瓶詰の並ぶ棚を物色していると、いつの間にか隣にも魔族のお客さんが棚を眺めている。商品を見るのに夢中になりすぎて、その人にぶつかりそうだった。
「あ、すいません」
「いえいえ。リテさんもお買い物ですか?」
私が謝ってその人を見上げると、なんとそこにいたのはさっき会ったラーム王だ。
「え⁉ ラーム王? 魔王様が自らお買物されてるんですか⁉」
「あっはっは。買い物くらい普通にしますよ。魔王と言っても、その仕事をしている以外は普通の魔族と変わりありませんから」
そう言ってラーム王は、慣れた手つきで棚から瓶詰を選ぶ。
「リテさんは旅の食料の買い出しですか? このヨルギ草のピクルスなんかはお勧めですよ。北方のホビット族の名産なのでこの辺りでは珍しいものですが、香りもいいですし」
「ええ。そう、なんですか。お詳しいんですね」
「ウチでは、二日に一度は私が料理の担当なんですよ。よろしければ、お昼をご馳走いたしましょうか? 今日はこれからウォルファン麺を作ろうかと思ってまして」
「え? ウォル……」
「獣人族に伝わる伝統料理です。魔獣肉のひき肉とハーブ類を麺にからめて食べるんです」
「『メン』ってなんでしょうか?」
「あ、そうか。エルフの料理に麺はないのでしたね。麺は粉にした麦を捏ねて、細長くして食べるものですよ」
ええ? 捏ねた麦を細長くして食べる? それはパンとは別物なのだろうか?
私は、見知らぬ料理に興味をひかれるが、トーキを宿に残したままラーム王の誘いにのってしまうのは悪い気がする。かといって、今、遅めの朝食をとっているだろうトーキを呼んでくるという訳にもいかない。
「ああ、今日はディルヴォルクの肉が安い! これはウォルファン麺によく合うんです。どうですか、リテさん」
「それじゃあ、お邪魔してもいいですか?」
「はい! いやあ、この時期にお客様は久しぶりです。腕によりをかけてご馳走しましょう」
私は結局、未知の料理を食べてみたいという欲求に逆らえず、ラーム王の昼食をいただくことになってしまった。
ラーム王は、両手に一杯の食材を買い込んで店を出る。
私もその後について、さっき訪れた大きな建物まで戻った。通りに面した入り口からは入らず建物の裏に回り、小さな裏口から入るラーム王に続いたのだった。
……………………
「今から作りますから、そちらにかけて待っていてください」
そう言われて通されたリビングは、意外にもこじんまりして、私の家と大差のない広さだ。
ラーム王に示されたのは大きなソファで、その前に高さの低いテーブルがある。
私はそのソファにちょこんと座り、室内を眺めた。
鮮やかな色使いの壁の装飾。床にはカーペットが敷かれていて、これも色彩豊かな幾何学模様だ。壁際には奇妙な形の彫刻がいくつも置かれて、その合間に額縁に飾られた絵がかかっている。
緑の森と山々が描かれたその絵に、私の視線は釘付けになる。
柔らかい色調で、きっと春頃なのだろう、新緑の樹々の美しさが絵から伝わってくるようだ。
「この絵、すごく素敵……!」
私が何気なく言うと、キッチンで調理していたラーム王の耳に届いて、こちらにやってくる。
「なかなかいいでしょう。リュームが描いたんですがね」
「え⁉ リュームさんが?」
「ええ。あの子がノートゥニア地方に行った時に描いた絵です。あの子は私についていろいろな村に行ってましてね、そんな中で見た風景などを絵に描いてます」
「そうなんですね。すごく美しい絵だと思います」
「それは良かった! あんまりこういう趣味の魔族はいないのでね、褒められることも少ないんです。あとで本人にも言ってやってください」
「はい。昼食にも来られるんですか?」
「ああ、今日は宿屋の仕事は朝だけだって言ってたんでね。来るはずです」
そしてラーム王は調理に戻って行った。
絵を描くのが趣味だなんて、私以外でそんな人いるんだ。
しかも、絵具を使ってこんなに美しく描くなんて。
私が飽きることもなくその絵を眺めていると、後ろから足音がして声をかけられた。
「そんなに見られると恥ずかしいのですが……」
「あ、リュームさん」
「リテ様、すいません。祖父が無理に誘ったようで」
「いえ、そんなことないです! 珍しいお料理が食べられるってついてきたのは私なので」
「それならいいのですが」
少しはにかみながらリュームさんは言って、キッチンの方へと歩いて行った。ラーム王の調理を手伝うようだ。
私はソファに深く腰掛けて、リュームさんの絵を眺めながら、くつろいだ気分になって昼食を待った。
何かを炒めている軽快な音と共に、香ばしい匂いが部屋に漂ってくる。
しばらくすると、大きな器を抱えたラーム王が、満面の笑みでこちらへとやってきた。
「お待たせしました、リテさん!」
…………………
ソファに座る私の目の前、広いテーブルの真ん中にラーム王は抱えていた丸い器を置く。
すごい量だ。私なら持ち上げるのも大変なほどの大きな器に、ひき肉のかかった白い何かがたっぷりと入っている。
「この白いのが『メン』ですか?」
「そうです。上にかかっているひき肉の餡をからめて食べます。今取り分けますから、ちょっとお待ちください」
するとキッチンから、取り皿にする食器を持って魔族の女性がこちらに来る。
「こちらは妻のウェルシュネルーゼです」
「こんにちは、リテさん。ルーゼと呼んでくださいね」
気品のある雰囲気を漂わせたその女性は、にっこりと微笑んで名乗り、料理を取り分けてくれる。
目の前に置かれた皿に盛られた、初めて見る料理。
何種類ものハーブを使っているんだろう、とても複雑な匂いが鼻孔をくすぐる。
私が興味深くそれを見ている間に、ラーム王と妻のルーゼさん、リュームさんも席についた。
「獣人族の伝統ではこのチャスティルを使って食べるのですが、リテさんは使ったことありますか?」
そう言ってラーム王は、私に二本の細長い棒を渡してくる。
「この棒で食べるのですか? 初めて見ました」
「こうして、筆を持つように持ちます。初めてだと難しいかもしれないですね。フォークをお持ちしましょうか」
「いえ! やってみます!」
私はラーム王からチャスティルを受け取って、手に持ってみる。うん、筆を持つようには持てる。でも、みんなのように二本で物を挟んだりするのは難しい。
それでも、料理をとって口に運ぶことはできそうだ。
私は皿の上に盛られたその『メン』をチャスティルで持ち上げてみた。
「あ、本当に細長いんですね! 麦をこんな形にするなんて!」
「面白いでしょう。餡ともよくからむので美味しいですよ。獣人族のマナーではこれを音を立てて吸い込むように食べます。他の種族ではマナー違反のように感じるかもしれませんが」
そう言ってラーム王はウォルファン麵をズルズルと音を立てて食べる。ルーゼさんとリュームさんも同じように食べ始めたので、私も真似してその麺を口にした。
うわ! 美味しい!
『メン』は舌触りがつるつるしてるのに、噛むともっちりした弾力があって心地いい。
ひき肉の餡は不思議なハーブやスパイスの香りがして、食欲を掻き立てていく。
私は、この初めての料理に夢中になって、お替わりまでしてしまった。
……………………
「いやあ、リテさんにご満足いただけたようで良かったです」
お腹いっぱい食べ終えて、食後に出されたお茶もいただいていた私に、顔をほころばせたラーム王が言った。
「ありがとうございます。本当に美味しかったです。こんな料理を作られるなんてすごいですね」
「いやいや。仕事柄、いろんな種族とも交流があるのでね、他の地域の料理を覚えるのが好きなんですよ。今日のは特別上手くいきました」
「失敗することもあるんですか?」
「それはもちろん。それでもまあ、何事も挑戦ですから」
「でもこの間のユルトゥ揚げは、ちょっといただけなかったよ。おじいちゃんの挑戦に昼食を使うのは、ほどほどにしてほしいけど」
「あっはっは、リュームは厳しいな」
「まあ確かに、あれは失敗でしたわね」
「ルーゼまで。いやあ、すまんすまん」
私は、この一家団らんの会話を興味深く聞いていた。
これまでずっと丁寧に喋っていたリュームさんも、家族と一緒だとすっかり砕けた口調だ。魔王様をおじいちゃんと呼んでるのも微笑ましい。
リュームさんが温かい家族と暮らしていることを見ることができて、なんだか嬉しくなる。しかし、なぜ両親ではなく祖父母と暮らしているのだろうか。考えるといろいろと気になってしまうが、今は目の前にかけられた絵について聞いてみたかった。
「この絵、リュームさんが描かれたって聞きました。すごく素敵な絵ですね」
「ありがとうございます。そんな風に言われたことはあまりないので、照れますね」
「私も少し絵を描いているので。でも絵の具は高価だからなかなか使えないし、鉛筆で描くだけなんです」
「リテ様も絵を描かれるんですか! 私も普段はほとんど鉛筆でスケッチなんかを描いてますよ」
そう言ってリュームさんは立ち上がり、部屋の隅にあった棚からノートをとってきた。
「こんな感じです。自室にはもっとたくさんありますけど」
私の前に広げてくれたノートには、いろいろな風景のスケッチが描かれている。
繊細なタッチ。樹々や湖、自然を描いたものが多い。
「旅に出た時に見た風景などをよく描くんです。人に見せることはほとんどないので、恥ずかしいのですが」
「気持ちはわかります。私も初めてトーキに絵を見てもらった時はすごく恥ずかしかったので。でも、どれも素敵ですね」
「それは何とも、照れますね。リテ様はどんな絵を描かれるんですか?」
「私も、ここまでの道中の風景とか、花とか。ドワーフの楽士の人に出会った時は、その演奏している絵を描いたりもしました」
「へえ、ドワーフの楽士ですか、いいですね。私は人物を描くのは苦手なので」
「私も得意って訳じゃありません。でも、やっぱり自分が感動したものを描きたくて」
「それは素晴らしいですね、リテ様」
こんな風に絵を描くことについて人と話したのは初めてだ。
なんだろう、ものすごく楽しい。トーキと話していても楽しいことはあるけれど、トーキは絵を描かないし、絵を描くことについてもあんまり解ってもらえない。
でも、リュームさんはなんだか私に似ているところもあって話しやすい。
「リュームさん、私のことはリテって呼んでいいですよ。様ってつけなくても」
「いや、リテ様は宿のお客様ですし、村の客人でもありますから」
「そうだけど、ほら、リュームさんだって家族だけのときはラーム王のことをおじいちゃんって呼んでるじゃない。だから、二人のときは友達みたいに呼んでくれた方が嬉しいかな」
「うーん、それでしたらリテさん、でよろしいですか」
「まだ硬いけど、まあしょうがないか」
「はい、リテさん。私のことはリュームと呼び捨てで結構ですよ」
「うん、リュームね。ねえ、リュームは絵の描き方を誰かから習ったことはある? 私は誰にも教わったことがないから」
「いや、私も習ったことはありません。そもそも絵を描く人自体あまりいないので」
「だよね! 私の学校でも私だけだった。学校の先生も教えてはくれなかったし。でも、リュームのあの絵は独学で描いたなんて思えないな」
「そうですか? 私は他の人の描いた絵もあまり見たことがないので、よくわからないのですが」
「あ、そうなんだ。私も見たことなかったけど、ベルシュテン村の図書館に画集があってね、それがすごく良かったから」
「ああ、ベルシュテン村の図書館。話には聞いたことがありますが、画集なんてあるんですか⁉ それは見たい……」
「あるの。いろいろな絵の描き方の本もあるから!」
「いいですね。ぜひ行ってみたい」
私とリュームの話は止まらなかった。
このあとも絵の描き方についていろいろと話して夢中になった私は、宿に残したトーキのことをすっかり忘れていた。
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