第27話〈魔王〉
その老人は、私よりもずっと大きな体躯を優雅にゆらして歩き、近づいてきた。
長く伸びた白い髭、気品のある眼差しで私を見る。
「えっと、ヴェグ……? すいません、聞き取れなくて」
「ヴェグラスドラームです。伝統的な魔族の名は、他の種族の方には発音しづらいでしょうから、ラームと呼んでいただいて結構ですよ」
「ラーム? その、魔王? なのですか? すいません、存じ上げなくて……」
「はっはっは。魔族でない方はご存じなくて当然です。まあ、今となっては魔王と言っても名前だけのものです。便宜上の魔族の代表者、と思っていただいて結構です」
私は、言葉の意味を理解しかねて、少し呆然としてしまう。
「魔王」という言葉は、パルキストス様の家にあった古いおとぎ話の中に出てきたので覚えている。大昔に世界を治めていたとかなんとか、そんな物語だった。
でもそれは作り話で、実際に「魔王」がいるなんて信じていなかった。
その場で固まっていた私の後ろから、宿屋で会った若い魔族の声が響く。
「魔王様。こちらはリテ様。そしてこの方がトーキ様です」
声にうながされて、トーキを背負っていた大柄な魔族が、前に出る。
そして、もはや意識もなくぐったりしているトーキを、魔王と呼ばれる老人の前に横たえた。
「ふうむ、これは危険な状態のようだな」
トーキの前にかがみこんだ魔王、ラーム王は、首にかけていた深い緑色の魔石を手にする。
私の握りこぶしほどある大きな魔石。初めて見る色だ。
金縁の装飾が施されて、豪華なネックレスになっているそれを首から外して、トーキの胸の上に置く。
置かれた魔石は、何の詠唱もなしにぼんやりと光り出した。
「え? 勝手に魔法が?」
「この魔石は特別な石でしてね。代々、魔王にのみ受け継がれる、継承の証です。そして、この魔石でのみ使える魔法の一つが、完癒の魔法です」
ラーム王は微笑んで私を見る。
「完癒の魔法?」
「あらゆる病気、怪我を完全に治すことができる魔法です。ただし、魔法が発動するかどうかは魔石の意思しだいですが」
トーキの胸の上の魔石は、次第にその光の強さを増していく。
それはもう目が眩むほど眩しいのに、ほんのりと温かく感じる光だ。
光に包まれる中で、荒かったトーキの呼吸が静まっていくのが聞こえた。
「魔石の意思って、そんなものがあるのですか?」
「はっはっは。言葉の綾です。実際に魔石に意思があるのかはわかりません。ただ病んでいる者にこの魔石を乗せ、その者を癒すべきと魔石が断じれば、自然に魔法が発動します」
「それはつまり、魔法が発動しないこともあると?」
「そうです。どのような基準で魔石が断じているのかはわかりませんが」
そう言ってラーム王は、柔らかな視線で私を見つめて、頭を下げた。
なんだろう、ラーム王のこの視線。初めて会った人の目じゃない気がする。ずっと昔から知っている人を見るような。
そんな不思議な思いが私の中によぎった時、トーキを包んでいた光がフッと消えた。
「ん、あ、あれ? ここは……」
「トーキ! 気がついたの? 良かった!」
目を覚ましたトーキは身体を起こして、きょろきょろと周りを見る。
「え? うわ! ど、どなたですか?」
目の前にいたラーム王に驚いて飛び上がるトーキ。
「大丈夫、トーキ。ラーム王様。トーキを助けてくれたの」
「ええ? お、王様?」
「そう。魔王様だって」
「ま、魔王⁉」
訳がわからなくて狼狽してるトーキに、ラーム王は優しげな笑顔を向ける。
「改めましてトーキさん。私が第48代魔王、ヴェグラスドラーム。ラームと呼んでください。完癒の魔法が発動しましたので、もう大丈夫だと思います」
「完癒の魔法?」
「ええ。あらゆる病を癒すことのできる魔法です」
そう言いながらラーム王は、トーキを癒した魔石のペンダントを再び自らの首にかける。
「ああ、トーキさんはかなり珍しい病気に感染していたようですね。なるほど、異世界からこられたトーキさんには、抵抗力がなかったのですね」
「え? どういうことですか? えーと、いろいろと意味がわからないのですが」
「この王の魔石による完癒の魔法は、治した病の原因も解るのです。トーキさんの病は非常に古い感染病でして、現在の『人』はみなこの病に免疫があります。感染元となる生物も太古の魔獣ですから、普通は接触しませんが、ああ、もしかしてあの森の温泉に行かれたのですか?」
「あ、温泉には入りましたけど。大きな魔獣たちのいた河原の……」
「やはりそうですか」
「あの魔獣たちって、太古の魔獣?」
「今では彼らしか生き残ってはいない、古い魔獣たちです」
そう言ってにっこりと笑い、ラーム王はゆるりと立ち上がった。そして傍に仕えていた若い魔族に目くばせをして、その場を立ち去る。
「リテ様、トーキ様、よろしければこちらにお部屋をご用意いたしましたので、ご案内いたします」
若い魔族は、まだ呆然としている私たちに丁寧な口調でそう言って、奥の部屋へと先導して行った。
……………………
「申し遅れましたが、わたくしはヴァグリスドリュームと申します。リュームとお呼びください」
ドワーフ用の客間なのだろう、私たちにちょうど良い大きさの椅子とテーブルの並ぶ部屋に入り、その魔族は名乗る。木製の椅子もテーブルも繊細な彫刻が施されていて、気品のある造りだ。他の種族のお客さんをもてなすことに慣れているのだと感じる。
「ええと、リュームさん。先ほどの魔族の老人が魔王って名乗られてましたけど、その、魔王ってどういうことなんですか? 王様みたいな存在はこの世界にはいないって聞いていたんですが」
私たちはリュームさんに促されて椅子に座り、彼も正面の椅子にかける。
その座り終えるのも待たず、すっかり元気を取り戻したトーキが聞いた。
そう、私も気になっている。
「他の種族の方にはご理解しづらいかと思いますが、魔王様は全魔族の中心としての役職を果たされている方なのです」
「それは、魔族を支配しているということですか?」
「ええと、トーキ様『シハイ』というのは? 申し訳ございません、私の存じ上げない言葉です」
「あ、あのー魔王が命令をして、他の魔族が従っているっていうのかな。魔王には逆らうことができない、みたいな」
「とんでもない! そんなことはありません。魔王様は確かに魔族の中心ではありますが、他の魔族に命令などはされません。魔王様は、全ての魔族と共に立って歩まれるお立場です」
「なるほど、失礼しました。じゃあ、『日本』の『天皇』みたいな感じなのか」
「『ニホン』……? 『テンノウ』というものも存じませんが……」
「いや、これは俺の独り言なので、気にしないでください! それで、その魔王様が俺のことを助けてくれたのですね」
「はい。代々魔王のみに継承された魔石の力です。あらゆる病を癒すとされています」
「へえ、すごいですね」
そう言った後、トーキは少し考えるように固まって、私の方を見た。
目が合った私も、トーキの考えに気付く。
「あらゆる病って、それってもしかしてリテの病気も治すことができるって言うこと……?」
やっぱりトーキも同じことを考えていたようだ。
私のこの病気、エルフの両親から生まれながら「人間」の特徴をもってしまっているこの身体も治るということだろうか?
私は、信じられない気持ちでリュームさんの方を見た。
「リテ様。申し上げにくいことですが、リテ様のご病気には、魔石は効果がありませんでした」
リュームさんは目を伏せて、低い声で応えた。
「ええ⁉ 試してもいないのに!」
トーキがリュームさんを問いただすが、私にはなんとなくわかっていた。
「私、会ったことがあるのですね、ラーム王と」
「そうです。リテ様がまだ小さかったころ、魔王様がテルノ村を訪れた際に、魔石を試しました。ちなみに、その際には私も同行しておりました」
「やっぱり。お父さんは村長だから、ラーム王のことを知らないはずはないと思った」
ラーム王は、このバルドゥルグ村の村長でもある。この地域の村の村長はみんな年1回の三種族会議に出席しているから、面識があるはずだ。お父さんは私の病気についていろんな人に相談してたから、ラーム王にも話したんだ。
「もう二十年以上前ですが、我々がテルノ村を行商で訪れた際に、村長のギムセック様よりご相談を受けました。在り得ないほどの速さで成長する病気の子がいると。その際に魔王様はリテ様に会い、王の魔石をかざしましたが、石は反応しませんでした」
「そうでしたか。私はほとんど覚えていませんが、そういえば子供のころに大きな魔族に会った記憶があります」
「お力になれず、申し訳ございません」
「別に、リュームさんが謝らなくても! 私たちはシュルクタットまで行って、そこで黒の魔石を見つければ病気が治るという話を聞いていますので、大丈夫です。魔石の中には、ラーム王の魔石のように特別な石もあるってことがわかっただけでも良かったです。シュルクタットの黒の魔石も、きっと特別な石なのでしょう」
「黒の魔石にそんな力が……?」
リュームさんは少し驚いたように目を開く。
「リュームさんも黒の魔石をご存じですか? 私は、テルノ村で魔法を研究されているパルキストス様という方から聞いたのですが」
「パルキストス、ああ、あの方ですか。なるほど……。シュルクタットに黒の魔石と呼ばれる特別な石があることは知っています。しかし、それがどんなものかは私も存じません。魔王様も詳しくはご存じないかと思います」
「そうなのですね。ラーム王も知らないなんて」
「ええ。むしろ、なぜあの男、パルキストスがそんなことを知っているのか、不思議です」
リュームさんは怪訝な顔で眉をしかめる。
どうもリュームさんも、パルキストス様のことをあまり良く思っていないみたいだ。
私はたくさん本を読ませてくれたから感謝してるけど、知っているはずのことをきちんと説明してくれない人だから、印象が悪いのかも。トーキもパルキストス様のことを信用してないみたいだし。
「それにしても私、リュームさんにも会ったことがあるんですね」
「はい。私は魔王様の傍についておりましたので」
「さっきラーム王のことを祖父っておっしゃってたから、リュームさんは魔王様のお孫さんなんですよね。それじゃあ、リュームさんは将来の魔王様ということですか?」
「いや、私にそのつもりはございません。私に務まるとも到底思えませんし」
リュームさんが硬い表情で言ったところへ、後ろから壁のように大きな体躯を持つ魔族が、のそりと近づいてきた。
「おうリューム! お前はまだそんなことを言ってんのか。俺も親父も、お前にこそ次の魔王を継いでほしいと、何度も言ったんだがな!」
「おじさん。その話はお断りしたはずです」
「それでもお前がふさわしいって思ってんだが。お前も頑固だなぁ」
「おじさんこそ」
その男は魔族としても特別に大きく、部屋の間口をくぐるように入ってきて、笑いながらリュームさんの肩を叩いた。
「リテ様、トーキ様、こちらはガルネコスドュルグ。私の叔父で、次の魔王継承者にあたる方です」
「初めまして、お客人方。ドュルグと呼んでくれ。ああ、リューム、俺は継がねえって言ってるだろ」
ドュルグさんは、さすがにドワーフ用の小さな椅子には座れないらしく、リュームさんの傍に立って私たちに人懐っこい笑顔を見せた。
「お客人方のことは聞いてますぜ。テルノ村から来られた『人間』ってえ種族の方だそうで。ドネルコのやつが世話になったってな」
「ドネルコさんを知ってるんですか? 私たち、旅についていろいろ教わったんです」
「ああ。あいつは俺の行商仲間なんでね。あんた達が来るっていう知らせも聞いてたよ」
そう言って、ドュルグさんは指に嵌めたオレンジ色の魔石を私たちに見せる。
「こいつは臣の魔石。魔王様が持つ王の魔石と交信できる。ドネルコがあんた達のことを魔王様に報告したんで、その知らせが俺にもまわってきたのさ」
「交信できる? お話しできるってことですか?」
「まあ、そうだな。実際に声に出さなくても、思うだけで伝えることができるぜ。魔族だけが持つ石だから、他の種族は知らないだろうがね」
「ええ。初めて見ました」
「世界中にいる選ばれた魔族が、この臣の魔石を持って魔王様とやりとりしてるわけだ。魔族の一番の生業は行商だから、情報交換が重要だ。魔王様自身は、自分のことを名前だけの代表だなんて言ってるが、実際のとこは魔族の商売の要だからな」
私は、そう言ったドュルグさんの指で光る魔石をしげしげと見つめた。
確かに魔族は私の村にも行商に来ていたが、違う魔族たちが時期や扱う商品をずらして、こちらが必要な時にタイミングよく訪れていた。それは、魔族同士のやりとりがあったおかげなんだ。
「それで、俺はこいつを次の魔王にしたいと思ってるんだがね、こいつはウンと言わねえんで。まあ、こいつの気持ちもわからんでもねえが、しかしなぁ」
「いや、おじさん。私に向いていないのは明白でしょう。おじさんこそ、一流の行商人なんだから、どう考えてもふさわしいよ」
「いやぁ、一介の行商人と、長たる魔王では役割が違うってもんだよ。まあ、もうちょっと考えてみてくれ」
ドュルグさんはバシッとリュームさんの肩を叩いて、部屋を出て行った。
「すいません、お二人には関係ないお話をお聞かせして」
ばつの悪そうにしているリュームさんに、私はつい余計な疑問を考えてしまう。
リュームさんはドュルグさんを叔父と言った。祖父が魔王だから、ドュルグさんは魔王の息子なのだろう。そしてリュームさんは孫。ドュルグさんとラーム王は、リュームさんに魔王を継がせたいらしい。
じゃあ、リュームさんの父母は? ラーム王にはリュームさんの父か母、もう一人は子供がいるはず。その人は魔王を継がないのだろうか。
私は怪訝に思ってリュームさんを見る。
彼は、他の魔族よりも明らかに華奢で、背が低く、肌の色も薄い。
両親は見ていないが、リュームさんは祖父と叔父には全く似ていない。
自信なさげな彼の顔。
これは、余計なお世話なのだろう。でも、私は彼を見ると、微かな親近感を感じてしまう。
だから、つい聞いてしまった。
「どうしてリュームさんは魔王を継ぎたくないの?」
困ったような表情を見せたリュームさんは、ごまかすように笑いながら口を開く。
「僕は純粋な魔族じゃないんです。母は魔族ですが、父はエルフなので。それなのに魔王になんてなれません」
そう言って、リュームさんはそそくさと立ち上がった。
「すいません。お二人はゆっくりしていただいて構いませんので」
足早に部屋を出て行く。
思っていた通りだ。そして、やっぱり聞くべきではなかったのかもしれない。
それでも私はリュームさんの力になりたい、そう思った。
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