第16話
「あ、起きたみたい。リテちゃん大丈夫? お水飲む?」
「う……、うん」
私は鈍く響く頭痛の中、目を覚ました。
見たことのない天井。
硬いベッド。
そして、人生で感じたことのない吐き気で呻く。
「気持ち……、悪い……」
のっそりと起き上がって、差し出されたコップを受け取る。
水は魔法で程よく冷やされていて、乾いた体に染み込むようだ。
一気に飲み干して顔を上げると、そこには見知らぬドワーフの女性が立っていた。
「気分はどう? リテちゃん。お水、もう1杯いる?」
「え? 誰、ですか?」
「ありゃ。覚えてないか~。酔ってたもんね、リテちゃん。あたしはメルギィ。よろしくね!」
「メルギィ、さん……。よろしく、お願いします……」
「あっはっはっは~。そんなに他人行儀にしなくてもいいのにね。昨日はあんなに盛り上がったんだからさ!」
メルギィは、縮れた赤髪を揺らして快活に笑いながら私の肩を叩いた。
大きくてよく通る声が、鈍痛のする頭に響く。
昨日盛り上がったって、何の話をしているのだろう?
あれ? 私は昨日のことを思い出そうとするが、食堂でお酒を飲んでいた時から、どうやってこの部屋に戻って来たか、思い出せない。
思い出そうとすると、頭痛がよりひどくなって頭を抱える。
おさまらない吐き気がこみあげてくる。
「うう……、私、どうしちゃったの?」
「二日酔いだよ。リテ」
トーキがあきれた様な顔でこちらを見ている。
部屋の仕切りのこちら側には入らないように言ったはずなのに。
と思ったら、昨日私が吊るした布の仕切りは外されている。
「あ、部屋の仕切りは外しちゃったんだよ。酔ったリテを運び込むのに邪魔だったから……」
「ちょっと、どういう、こと……?」
私は、トーキを問いただそうとしたが、気持ちが悪くて顔を上げていられない。
「あっはっは! 外したのはあたしだから! ついでにリテちゃんを運んだのもあたし。『人間』はエルフよりも小柄だから助かったよ」
メルギィは愉快そうに言って、私に笑いかけてくる。
「リテは昨日の夜、メルギィと仲良くなって一緒に飲んでたんだよ。二人で歌まで歌って。本当に覚えてない?」
トーキの言葉に、私は鈍痛の止まない頭を振り絞るが、やっぱり昨日の夜の記憶はすっぽりと抜けたままだ。
「ダメ……。思い出せない……。お酒って、こんなことになるの?」
「飲みすぎればね。メルギィは楽士でさ、酒場をまわって演奏してるんだって。なんだっけ、そのヴァイオリンみたいな楽器?」
「ヴァイオリン? ヴァリールだよ。ほら」
メルギィは、床に置いてあったケースから楽器を出して見せてくれた。
柔らかい曲線を持った木製の胴に、4本の弦が張られている。エルフの村では見たことのない楽器だ。
彼女は、その楽器ヴァリールを構え、長い弓をひらりとあてがい事も無げに一節弾く。軽く弾いているように見えるのに、輝くような響きが耳一杯に飛び込んでくる。すると、私の中からめきめきと記憶が蘇ってきた。
「ああ! 昨日聴いた! あなたの演奏、すごく素敵だった!」
「そいつはありがと!」
そうだ。昨夜、トーキと食堂にいた時に、彼女が現れて演奏していたのだ。
流しの楽士だと言って、食堂のテーブルをまわりながらヴァリール1本でなんでも弾きこなしていた。
その演奏があまりにも楽しくて、弾いている姿もかっこよくて、私は弾き終えた彼女に声をかけたのだった。
そのあと彼女と一緒に飲んで、たくさん話して、ものすごく楽しかった気がするが、話の内容は全く思い出せない。
「ごめんなさい、メルギィ。演奏を聴いたのは思い出したけど、その後に何の話をしたかは思い出せない……」
「あれだけ酔ってりゃね! まあ、気にしなさんな。酔っぱらいの会話なんて次の日には忘れてるもんさ」
そういうものなのだろうか。よくわからなかったが、押し寄せる気持ちの悪さに耐え切れず、私はベッドに突っ伏した。
「それじゃ、あたしはこれで! もう飲みすぎには気を付けなね!」
そう言ってメルギィは、わずかな荷物を手早くまとめて出て行った。
「メルギィは、同じ宿に泊まってるんだけど、昨夜はリテを運んで、そのままこの部屋のベッドで寝てたんだ」
「う……。そうなんだ。トーキ、私まだダメみたい。もうちょっと寝てていい?」
「あはは。うん。今日は休んでなよ。それじゃ、俺はちょっと買い物してくる。ドワーフの村っていうのも興味あるし」
「うん……。いってらっしゃい」
私はごそごそと準備して出て行くトーキの物音を聞きながら、もう一度眠りに落ちた。
………………
どのくらい眠っただろう。目覚めた私は、まだ不快感の残る頭を枕から持ち上げる。
部屋の中を見渡すが、誰もいない。
トーキはまだ買い物から帰っていないようだ。
身体を起こすと、さっきよりは気持ち悪さが薄らいでいる。ベッドの脇のテーブルの上に、水を汲んだコップがあったので、何も考えずに手に取って飲み干した。
水はぬるくなっていたが、その分、弱り切った身体に優しく染み込んで美味しかった。
一息ついて何とか立ち上がり、床に落ちていたテントの布地を拾い上げる。
普段の自分からしたら、半分以下のスピードでしか動けないが、それでも何とか布地を吊るして、再び部屋に仕切りを付けた。
「よし…………」
まだ身体の気持ち悪さは残っているが、なんとか動くことは出来る。
お酒を飲んでこんなことになるなんて、思ってもみなかった。
昨日、何を喋ったか覚えていないが、変なことを言ってなかっただろうか?
覚えている範囲だけでも、かなりはしゃいでトーキにあきれられていたような気がする。
「う……! ぐっ……」
私は、改めて考えて、恥ずかしくてその場にうずくまった。
どうしよう? いや、もうどうしようもないけど。
私が何を言ってたか、トーキに聞いてみようか?
だめだ。それでとんでもないことを言ってたら、それこそ恥ずかしすぎる。
しばらく、私は一人で悶絶していたが、もうしょうがないものはしょうがないので、気を取り直して服を着替えた。
新しい服に着替えると、少しだけ気分がすっきりし、落ち着きを取り戻す。
そうすると聞き覚えのある音が、かすかにどこからか響いているのが聞こえた。
ヴァリールの音だ。
メルギィが弾いているのだろうか。
………………………
私は、まだ重たい身体をのっそり動かして部屋を出る。
音は1階の食堂から聞こえてきた。
確かにヴァリールの音だが、昨日聴いた演奏とは少し雰囲気が違う。
とても柔らかくて、澄んだ音色だ。
階段を降りていくと、人気のない薄暗い食堂の真ん中で、メルギィがヴァリールを弾いているのが見えた。
誰もいない広い食堂に、彼女一人。
メルギィは、ややうつむき加減で楽器を構え、目を閉じて音楽だけに集中している。
昨日の夜に酔ったみんなを盛り上げて、盛大に弾いていたメルギィとは別人のように見える。
ドワーフであるメルギィは、私よりも少し低い身長で、ずんぐりしているが太っているわけではない。しっかりした骨格に、身長の割には大きな手足で、楽器を身体の一部のように操っているのが見て取れる。
そして、その音。
広い食堂の空間のすべてを、余すことなく満たす響き。
大きな音でも全くうるさいとは感じない。心地よく私の全身を包んでいる。
つややかでありながら、しっとりとして、上等の毛布のように温かに私の耳に届く。
やさしく、ささやくように弾き始めたかと思えば、緻密なレースのようにメロディを紡いでいくメルギィ。時に切なく、時に情熱的に、私の心に旋律が語りかける。
ただ音が鳴っているだけなのに、どうしてこんなに感情が揺さぶられるのだろう。
メルギィの奏でる音のひとつひとつ、すべてが言葉のように私に染みわたる。連なっていくメロディの流れが、一つの物語のように私を音の海にいざなっていく。
私は、彼女から目が離せない。
ただ、一人で楽器を弾いているだけの彼女の、一挙手一投足が私を釘付けにする。
やがて、私はメルギィの音楽に浸り、自分と音楽の境目もよく分からないほどに、没入していった。
いったい、どれほどの時間、そこに立っていたのか、分からなくなる。
音楽の流れに、すべてをゆだねていた。
静かに、消え入るように演奏を終えると、メルギィはその場にしばし佇んでから顔を上げた。
「あれ!? リテちゃん! いつからいたの? もう、いたんだったら声をかけてくれればいいのに」
その声に、現実へと引き戻されたリテは、思わず拍手する。
「メルギィ! すごい! すごいよ! 私、音楽でこんなに感動したの初めて!」
メルギィは大きく目を見開いて、そして照れたように笑って頭を掻いた。
「いや、それほどのもんじゃないよ。あたしなんてまだまださ」
「そんなことない! 本当にすごいよ! 昨日の夜に弾いていた賑やかな音楽ももちろん素敵だったけど、今のはそれとは別世界って感じ! こんな音楽もあるのね!」
「ああ、そうだね。だいたい、音楽っていやあ集まってるみんなを盛り上げるものっていうのが普通だけど、ホントはもっといろいろあるのさ」
「うん。私がいたエルフの村でも、音楽って人が集まった集会の時とかに、活気を出すために演奏したり、皆で歌ったりするくらいだった。でも、メルギィの今の演奏は、ただ楽しいだけじゃなくて、もっといろんな感情が流れてきて、まるで物語を聞いてるみたいだったよ」
「そう言ってもらえると、楽士冥利につきるね。なかなかこういう音楽を聴きたいって人はいないからね。酒場じゃあんまりしんみりした曲はお呼びじゃないし。楽しくやってくれっていうのが楽士の仕事だから」
「そうなんだ。でも、それはなんだかもったいないね。こんなに素敵な音楽を聴く人がいないだなんて」
メルギィはうつむいて笑いながら、楽器ケースを出してヴァリールを片付け始める。
弦を緩めたり、楽器を布で軽く磨いたり、慣れた手つきの作業を見るのも楽しい。
「それよりもリテちゃん、二日酔いはもう大丈夫なのかい?」
「あ、そういえば。演奏を聴いてたら二日酔いも忘れちゃってた」
「あっはっは! そいつは良かった!」
私たちが笑い合っていると、買い物を終えたトーキが戻って来た。
「ただいま。どうしたの? 何か楽しいことでもあった?」
「あ、トーキ、おかえり! メルギィの演奏がすごかったの!」
「へえ、そうなんだ」
こちらを見ずにそういったトーキは、買い物して来た荷物を抱えて、そそくさと部屋に戻ろうとする。
私は、あまり興味なさそうにしているトーキに不満を感じて、引き留めた。
「ねえ、何買ってきたの?」
「あ、いや……」
そういったところに、楽器の片付けを終えたメルギィが先に階段を上る。
「それじゃ、あたしは部屋に戻るよ。今日の夜もここで弾くから、気が向いたらまた来てちょうだい」
さらっと言ってメルギィは自分の部屋に戻っていった。
「メルギィの演奏、本当にすごかったんだから。昨日の夜の演奏とは、また全然違ってたの。聞いてる? トーキ」
残されたトーキの荷物をよく見ると、中身は酒瓶だった。
「なんだ、トーキお酒買ってきたの」
「うん、まあ。ドワーフのお酒って珍しくて。リテは二日酔いは治った?」
「う……。治ったと思ったけど、お酒の瓶を見たら、また気持ち悪くなってきた……」
「ははは。すいません……」
……………………
私は、トーキと共に部屋に戻って、ベッドに横になった。
ぶり返す気持ちの悪さに耐えながら、目を閉じる。
二日酔いのおかげで今日1日を無駄にしてしまった。本当なら、今日の朝には出発して、次の村を目指すはずだったのに。旅の始めからなんてことだろう。
自分の失敗を後悔しつつも、さっき聴いたメルギィの演奏を思い出す。
そうだ。もし二日酔いにならずにすぐに旅立っていれば、あのメルギィの演奏は聴けなかった。
うん。失敗も悪いことばかりじゃない。
あんなにすごい音楽があるってことを知れたんだから。
トーキや、村のみんなにだってあの演奏を聴いてほしい。
でも、どうすればもっと多くの人にメルギィの演奏を届けられるだろう?
「リテ、もうお昼過ぎだけど、昼食はどう? 食べれそう?」
私が考え込んでいると、布の仕切りの向こうからトーキが声をかけてきた。
「うーん、難しいかも。なにか、あっさりしたものなら食べられるかな……」
「だと思った。フルーツをいくつか買ってきたけど、それならどうかな?」
「あ、フルーツ、いいかも」
「じゃあ、切るからちょっと待ってて」
トーキが切ってくれたフルーツは、程よい酸味でよく冷えていて、なんとか食べることが出来た。
「ねえ、リテ。緑の魔石を貸してくれない? 回復魔法を二日酔いに試してみようよ」
「え? 回復魔法って効くのかな。二日酔いが治るイメージって難しそうだけど」
「肝臓でのアルコールの分解を促進する、みたいなイメージができれば効くと思う」
肝臓って何だろう? アルコールはお酒の中の成分なんだっけ?
「回復魔法って、失敗しても悪影響とかは無いんだよね。だったら、やってみてもいいかな?」
「うん。イメージが出来なくて失敗しても、魔法が発動しないだけだから、今より悪くなることはないけど」
「じゃあ、横になってみて」
私はトーキに言われてベッドに仰向けになる。
トーキの前で寝ていると、なんだかものすごくドキドキする。
トーキは、私の右の横腹あたりに魔石をあてて目を閉じた。
うわ、ちょっとお腹は触らないで、と思ったが、真剣に魔法を発動させようとしているみたいだったので、我慢した。
「クルストリーン」
トーキがつぶやくと、魔石が光る。
魔法はちゃんと発動したみたいだ。
「どう? かな?」
問いかけるトーキに、私は身体を起こして確かめる。
「!」
さっきよりも確実に楽になっている。
「うん! 効いたみたい! 吐き気もないし、頭痛もおさまってる」
「良かった。もしかして効くかもって思ってたけど、ちゃんと効いた。もっと早く使えばよかった」
「ううん。いいの。寝込んでいたおかげで良いこともあったし。ありがとう! トーキ!」
すっきりとした気分で私は立ち上がる。
うん。身体の不快感はもうほとんどない。安心したような笑顔のトーキと目が合って、自然と笑いがこみあげてきた。
「こんな魔法が使えるなんて、すごいね、トーキ」
「いや、俺の元いた世界なら、当たり前の知識だから。上手くいって良かったよ。もう少しフルーツ食べる?」
「食べる!」
不快感のなくなった身体は空腹感を取り戻して、冷えたフルーツが美味しい。
私は、改めてさっき聴いたメルギィの演奏について、トーキと話した。
「それで、メルギィは一人で練習していたんだけど、それが今まで聴いたことのない音楽だったの」
「聴いたことのない音楽? どんな感じだったの?」
「うーん、言葉で説明するのは難しいんだけど、メロディが語りかけてきて、物語を聴いているみたいだった」
「そうなんだ。俺も聴いてみたかったな」
「うん。メルギィにお願いしてみようかな。ちょっと部屋を訪ねてみる」
そして私は、メルギィの泊まっている部屋をノックしたが、返事はなかった。
買い物にでも出かけているのだろうか。
食堂が始まってしまったら騒がしくなって、もうあんな繊細な演奏は聴けない。
そう思うと私は、もう一度メルギィの演奏が聴きたくてたまらなくなった。
「トーキ。私、メルギィを探しに行こうかと思う。やっぱりトーキにもあの演奏を聴いてほしいし。トーキも一緒に行く?」
「うーん、俺はさっき買い物した荷物を整理したいし、留守番してるよ」
「そう、わかった。じゃあ、夕食までには戻るから」
そして私は、メルギィを探して外に出た。
見知らぬドワーフの村を、一人でめぐるドキドキと共に。
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