第15話
タリル村までの道を歩きながら、私は自分の言動を後悔し始めていた。
これまでもトーキと二人きりになることは珍しくなかったけど、「好き」と言われたことを思うと気まずい。しかも徒歩で2か月はかかる旅の間、ずっと二人きりになるのだと考えると、ちょっと早まったかなと思わずにはいられなかった。
「最初の目的地は、ドワーフの村か。リテはドワーフに会ったことある?」
「遠目で見たことはあるけど、話したことはないかな。ドワーフたちは、エルフの村にはたまにしか来ないから」
「そうなんだ」
「うん……」
会話がつながらない。トーキもいつもより少し緊張しているみたいだし。
「えっと、ドワーフたちは家を建てたり、大きな家具を作ったりするのが得意だから。それで、村で新しく家を建てる時とか、大きな修理をするときにはドワーフたちが来るの」
「ああ、そういえば学校でも習ったね」
「そう! ドワーフの村はエルフの村より活気があるらしいから、ちょっと楽しみなんだ~」
「ふーん」
「……」
沈黙。
髪をはためかせる風は爽やかで、雲間から差す日差しが眩しい。
道は平坦に均されていて思っていたよりもずっと歩きやすい。その両側には緑の草原が広がっている。
初めて見る村の外の風景は、広々として気持ちがいいのだけれど、二人きりの時間が続くと気まずさの方が勝ってくる。
うーん、もしかしてトーキ、この前の私の返事に怒ってるのかな?
でも、トーキは友達だし、同志って感じだからなぁ。
そもそも、男女の恋愛感情みたいなものも、よくわからない。
お父さんとお母さんは、たまに私が見ていないと思ってイチャイチャしたりするけど、自分に置き換えると、男の人とそういうことをしたい気はしない。
トーキのことも嫌いじゃないけど、そんなイチャイチャしたりとか、ちょっと想像できないな。トーキって、あんまりカッコよくもないし。
そう思って私は、隣を歩くその人の顔を、改めて眺める。
黒い髪、黒い瞳、丸い鼻。
エルフに比べて平坦なつくりの顔は、なんだかユーモラスだ。
目線の高さが同じくらいなことは、安心感がある。
「ふふっ」
思わず可笑しくなって笑ってしまった。
「何? どうかした?」
トーキがこちらを振り返る。
軽く汗ばんだ額に、髪が張り付いている。
もともと細い目が、笑うことでくしゃっとなる。
「別に。日が落ちる前にはタリル村につかないとね」
「そうだね」
うん。怒ってはいないみたい。
これから二人きりで旅をするって思うと、ちょっと緊張しちゃったかな。
私は改めて前を向き、遥かに続く道の行く先を見つめる。
地平線の先まで続く道の彼方は、陽炎のように揺らめいて見える。
これから、見たことのない風景が果てしなく続くのかと思うと、私の心もどきどきと揺れる。
私は、乾いた風を鼻からいっぱいに吸い込んで、次の一歩を踏みしめた。
……………………
私たちは無言のまましばらく歩く。道はやがて緩やかな上り坂になり、小高い丘を登っていく。
こんなに長い距離を歩くのは初めてだ。
荷物は魔法で軽くなっているとはいえ、坂が続くと徐々に足が痛くなる。
私は、物を軽くする魔法「キャルロルディ」を自分自身に使うことにした。
これは加減が難しいから、少し慣れない。自分を軽くしすぎると、ちょっとした風でも転んでしまうから。
トーキも最初はふわふわと浮き上がって戸惑っていた。
楽に歩くことのできる、程よい加減を試しつつ坂を上る。
風に吹かれてよろめいたり、石につまずいたりしながらも、だんだんとペースをつかんでいく。
そして、上手く歩けるようになってきたころ、私たちは丘の頂上までたどり着いた。
眼下には、緑の草原に鏡のような水面の広がる湖が横たわっていた。
「あ! お父さんの言っていた湖! トーキ、あそこの湖畔で休憩にしよう」
「OK!」
水際まで降りて、湖畔に茂る広葉樹の木陰に荷物を下ろす。
湖には波も無く、透明な青空と流れる雲が映り込んでいる。
「素敵……!」
これが湖。初めて見る広大な水たまり。
村に川や池はあったけど、この10分の1の大きさもなかった。
水面に映る空は、本当の空よりも少しだけ鈍い色合いだけど、その水の所々で太陽を反射しきらきらと輝いて見える。
ちゃぷちゃぷと聞こえる水の音。対岸はぼんやりと霞んで、はっきり見えないほど遠い。
湖から吹く風は、少しひんやりとして、歩き疲れた体を冷ましてくれる。
「気持ちいい……! 湖って初めて見た! トーキは湖、見たことある?」
「あるよ。元の世界で。もっと大きい『海』も見たことある」
「『海』!! そういうところがあるって聞いたことはあるけど、え? これよりも大きいの!?」
「そうだね。俺の世界の『海』だったら、この湖よりも、もっともっと大きいよ」
「そうなんだ! これよりも大きいなんて! いつか、いってみたいな」
「きっといけるよ」
私は、湖を眺めたまま立ち続けた。
この大陸の外側に広がっているらしい「海」。それは、これよりもっともっと大きいのか。魔法都市「シュルクタット」は大陸のほぼ中央だから、旅の路程では見ることは無いけれど、いつか行こう。
私が湖に見とれている間に、トーキは湖の水を汲んで沸かし、お茶を淹れてくれていた。
「ありがとう。トーキ」
「うん」
私はトーキと共に木陰に座って、淹れてくれたお茶を飲んで一息つく。
トーキは、カルスティのお店のものだろう、硬く焼かれた焼き菓子を出してくれる。
なんて気が利くんだろう。
それに、私がお礼を言っても、別に普通のことだといった感じだ。
こうやって一緒にいると、トーキはやっぱり大人なのだとわかる。
年齢は私とそんなに違いがないはずだけど、私はずっと子供として育ってきたから、他人に気遣いをする感覚がない。
私は、湖を眺めながらお茶とお菓子をいただきつつ、トーキの顔を盗み見る。
トーキのいた世界は、私たちの世界とは全然違う、とても厳しい世界だったらしい。
そんな世界で、きっと辛いことがたくさんあったのだろう。
私と同じような年齢で、私とは比べものにならないほど多様な経験をしてきたことが、トーキの顔から感じられるようだった。
私はトーキと二人、ただ水音だけを聞きながら、お茶を飲んだ。
時が止まってしまったかのような、静かな時間。
エルフの村ものんびりとした雰囲気だったけれど、旅で経験する時間の流れは全然違うのだと感じていた。
………………………
「あ! あれ、タリル村かな? トーキ」
「きっとそうじゃない? ギムセックさんの言っていた通りだし」
太陽が傾き始めて、光がすこしオレンジ味を増したころ、道の行く先に集落が見えた。
まだ遠くてよく見えないが、エルフの家よりは高さの低い、石造りと思われる家屋が並んでいる。
私は、初めて訪れるよその村に期待を膨らませながら、足取りを早める。
近づくにつれて、背の低いがっしりとした体格の人々が、家々の間を歩いているのも見えた。
「ドワーフたちだ!」
「へえ、あれがドワーフ!」
私が声をあげると、トーキも興味深そうに応える。
私たちに気がついたようで、そのドワーフがこちらに手を振ってくる。
私は大きく右手を上げて振り返し、トーキに言う。
「こっちに気づいたみたい。早く行こう!」
もうほとんど駆け足に近いくらい、私の足は速くなる。
エルフの村から出たことがなかった私が、ついにここまで来た。
ずっと夢見ていた旅がはじまったんだ、という実感が改めて胸に沸き上がり、私の足を突き動かす。
……………………
タリル村の入り口まで行くと、街道から真っ直ぐに幅の広い道が村を貫き、その両側にたくさんの商店が立ち並んでいるのが見えた。多くのドワーフたちが道を行き交い、商店からは客引きの掛け声が響く。
「すごい人。今日は何かの市なのかな? とりあえず宿屋を探そう、トーキ」
「OK。その辺の人に聞いてみようか」
トーキはそう言って、目の前を通ったドワーフの男の人に声をかけていた。
ドワーフたちは、誰も骨太で筋肉質な身体だけど、私と同じか少し低いくらいの身長だ。魔族やエルフの市の時は、みんなずっと背が高かったから人混みに飲まれそうになった。でも、ここではそんなことも無い。トーキも、ドワーフ相手だと声が掛けやすいようだった。
ドワーフの男は、気さくに笑って宿の場所を指し示し、私とトーキは、他の建物よりも一回り大きな石造りの宿屋にたどり着いた。
「こんにちは。部屋を借りたいのだけど、空いてますか?」
「いらっしゃい! お二人ですか? 空いてますよ!」
私は宿屋の門をくぐり、威勢のいいドワーフの店主に声をかける。
この宿屋も1階が食堂になっていて、がやがやとたくさんのドワーフたちが席を埋めていた。
「今日って、何かの市が立つ日なんですか? すごく人が多いですけど……」
「いや? いつも通り、普通の日ですけどね。お客さん、もしかしてエルフの村から来られたんですか? エルフの村は静かな雰囲気ですからねぇ。ここはいつでもこんな感じですよ!」
「そうなの!? ドワーフの村は活気があるって聞いてたけど、思ってた以上ね」
「みんなでワイワイ楽しむのがドワーフ流ですからね! 楽しんでいってください!」
市でもないのに、こんなに賑わっているのが普通なんだ。エルフの村とは全然違う。
私は、笑い声があふれる食堂を感嘆しながら眺める。ドワーフたちは、皆お酒を飲んで賑やかに料理をつついている。そういえば、エルフは自宅で家族と夕食とるのが普通だけど、ドワーフたちは、レストランなんかでみんなと食事する文化があると学校で習った。
とはいえ、学校の授業で習うのと、実際に見るのとでは印象が全く違う。
「トーキ! 私たちも部屋に荷物を置いたら食事にしよう!」
「そうだね!」
私は、はやる気持ちを抑えながら案内された部屋に向かった。
店主について階段を上り、部屋に入ると、中はベッドが4つ並んでいて、思っていたよりも広い部屋だった。
「ベッドが4つも。2人だから、もっと狭い部屋でもいいんだけど……」
「ウチで一番狭い部屋がここなんで。料金は割引しときますよ!」
「ありがとう。じゃあ、ここでお願いします」
私は背中の大きなリュックがぶつからないように、ゆっくりとドアをくぐる。
トーキも、私の後に続いて部屋に入ってくる。でも、なんだかためらっているみたいだった。
「ええと、リテ。一緒の部屋でいいのかな……」
もちろん、本当はいい訳がない。出来れば別々の部屋をとりたい。
「旅は長いし、節約しなくちゃいけないから、2部屋とる余裕はないし。大丈夫、いい考えがあるの」
私は、荷物の中からテント用の大きな布地を出して広げ、壁の両側の柱から吊るす。布と柱は、物を一時的にくっつける魔法「ピトリトゥス」で貼り付けた。部屋は、大きな布でカーテンのように、手前側と奥側に仕切られた。
「よし! 私は奥側を使うから、トーキは手前側でいい?」
「う、うん。いいよ」
部屋を布で仕切る私のアイデアに、トーキは安心したような、少しだけ残念なような顔をしながら納得してくれた。
「奥側にはぜったいに入ってこないでね」
「ああ、うん。もちろん」
私は一応、念押しして即席のカーテンをくぐり、部屋の奥に荷物を置いて一息ついた。
自分の身体よりも大きなリュックを床に置き、私はベッドに腰かける。
村を出て、初めての距離を歩いたので、けっこう汗をかいた。
下着がじっとりして、着替えたい。
でも、この布を一枚隔てた向こうにトーキがいるのかと思うと、下着を脱ぐのも躊躇われる。
私は、少しの間悩んだが、これからも旅の間はこういうことが続くのだから、と思い切って服を脱ぐ。やっぱり少し汗臭い。
「ぜったいに、こっちに入っちゃダメだからね!」
「え? うん。わかってるよ」
トーキにもう一度念押しする。なんだか、トーキはあまり気にしていない感じなのが少しイラっとする。
とにかく、さっさと着替えよう。
私は、下着も脱いで汗を拭き、手早く着替えた。
洗濯はどうしようかと思うが、とりあえず今は食事にしようと考えて、脱いだ下着を布袋に突っ込む。
服をきれいにする魔法もあればいいのに……!
なんてことを空想しつつ、トーキに声をかける。
「トーキ! 落ち着いたら食事に行こう!」
………………………
私とトーキは1階に降りて、ドワーフたちでごった返す食堂のテーブルについた。
木製の椅子とテーブルは、木材を分厚く使ってかなり堅牢なつくりだが、座ってみて驚かされた。
サイズがちょうどいいのだ!
椅子に座って、普通に両足の裏が床につく。テーブルも、食事をとるのにちょうどいい高さだ。
「ねえ! トーキ、この椅子とテーブル!」
「あ! ちょうどいいね。エルフの村だと、いつも大きすぎたから。ドワーフのサイズに合わせてあるからか……」
なんてことだろう。ただ椅子とテーブルの高さがしっくりくるっていうだけだけど、見知らぬ食堂なのに安心感がある。自分がここにいることが、自然なんだという落ち着き。
エルフの村にいた時の、どこに行っても全ての物が自分には合わないサイズで作られていた、あのうっすらとした疎外感が無い。
私は、まるで十年前からそこに座っていたような席の感触に浸りながら、騒がしいドワーフたちの食事風景を眺めた。
ドワーフたちはみんな、手に大きな陶製のジョッキを持って笑いあっている。
「ねえトーキ。あれってお酒かな?」
「そうだね。この世界のお酒は、飲んだことないけど。エルフってお酒飲まないの?」
「うーん、特別なお祝いの時に、少し飲むくらいかな。普段の生活で飲むことは無いと思う」
「リテは飲んだことないの?」
「あるわけないじゃいない! 私、子供だと思われてたんだから!」
「あ、そうか! それじゃ、飲んでみる?」
「……うん。飲んでみたい!」
トーキはドワーフの店員を呼んで、お酒と、何種類かの料理を注文してくれた。
お酒については、私は分からないのでトーキのお任せだった。
初めてだから、あまり強くないお酒で、蒸留酒? 醸造酒? とか、いろいろ種類を確認してくれた。トーキは元の世界でも飲んでいたから、お酒には詳しいみたいだった。
しばらくして、テーブルに置かれたジョッキには、白い泡が満たされている。
「え? これってどういうこと? 泡が入ってるみたいだけど」
「泡の下には液体があるよ。麦から作られているお酒で、『ベッレ』って言うんだって」
「へぇ。こんなお酒もあるのね。エルフの村で見たのは、赤い果実から作ったお酒だったけど」
「こっちの方がアルコール度数が低いから、飲みやすいと思う」
「アルコール?」
「ええと、お酒に入っている、酔っぱらう成分のこと。とにかく、飲んでみよう」
トーキは、きっとお酒が好きなのだろう、嬉しそうにジョッキを掲げてこちらに持ち上げてみせる。
「乾杯!」
「え? 何?」
「俺の世界の、お酒を飲む挨拶。ほら、ジョッキを合わせて」
私は、よく分からなかったが、ジョッキを持ち上げてトーキの方に向ける。
トーキは、軽くジョッキ同士をぶつけて、もう一度「乾杯」と言って飲み始めた。
「ぷっっはーー! うまい!!」
「え? そんなにおいしいの?」
思っていた以上においしそうに飲むトーキを見て、私も恐る恐るジョッキに口をつける。
ジョッキを傾けていくと、白い泡の下の液体が口に入る。
冷たい。魔法で冷やしてある。鼻孔に入る、香ばしい香り。
舌に感じる刺激は炭酸だ。炭酸の入った水は村にもあったけど、お酒にも炭酸があるんだ。
そのまま飲み干すと、最初に来るのは苦み。初めての味だ。
飲めなくはないけど、うーん、美味しくはないかな。
「どう?」
「なんだか不思議な味。苦いし、甘くないし……」
トーキが楽しそうに感想を聞いて来たけれど、正直、微妙だった。
「そうか~。まあ、初めて飲んだらそうかもね」
「うん……。トーキはおいしい?」
「めちゃくちゃおいしい。苦みが強めだけど、クラフトビールみたいにコクがあって……」
「……? そうなんだ……」
その後に出てきた、串に肉や野菜を刺して焼いた料理は、とても美味しかった。
少し脂っぽいその串焼きを食べながら、また「ベッレ」を飲む。
苦みに慣れたのか、さっきよりは飲みやすい。
それに、「ベッレ」を飲むと肉の脂がすっきりして、串焼きをもっと食べたくなる。
さらにその後に出てきた、川魚に衣をつけて揚げた料理と合わせると、少ししつこい揚げ物に「ベッレ」の苦みがものすごく合うことに気付いた。
「え!? これおいしいかも……」
私は、新たに発見したこの美味しさに、これまで体験したことがないほど楽しくなる。
なんだか、全身がふわふわして、料理もお酒も美味しくてしかたがない。何も話していないのに、楽しくなって笑い出してしまう。
追加で注文した「ベッレ」は、1杯目よりもずっと早く飲み干してしまった。
トーキがなんだか心配そうな顔でこっちを見ているが、どういうことだろう?
「大丈夫? 飲みすぎじゃない?」
「ええ? 何が~? こんなに楽しいのに?」
旅に出て、初めてのお酒、初めての料理、なんて楽しいんだろう!
私は、すっかり味に慣れた「ベッレ」をごくごくと流し込む。
うん、美味しい!
「ふふっ、楽しいね! トーキ」
食堂に吊るされた光魔法の明かりが、キラキラと私の周りを飛び回っているみたいだ!
魔法を使っていないのに、体重が軽くなって浮き上がりそう!
「ベッレ」は飲めば飲むほど美味しくて、何杯でも飲める!
私は、笑いが止まらなくなって叫ぶ。
「かんぱ~い!!」
この夜の記憶は、ここから途切れた。
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