第二十二話 信頼
「おやおや? おかしいねぇ。私の洗脳魔法が切れちまった気配があるよ。全く何があったのやら」
ルッツが呟く。その視線は里長の家の方を向いていた。丁寧に洗脳魔法をかけたつもりだったが、何があったか切れてしまったようだった。
「さて、こちらもだいたいひと段落つきそうかな?」
ルッツの視線の先、そこはまさに地獄絵図だった。血で汚れていない場所がない。その中心には全身に返り血を浴びた一人の男が膝をついていた。アランである。洗い息をしている。だがその目は鋭く戦意は少しも衰えていなかった。
「おめでとう! まさか本当に200人全員を一人で倒し切ってしまうとは驚いたよ。化け物だねえ」
ルッツはわざとらしく賞賛する。アランは立ちあがろうとするが、足に力が入らない。魔力の欠乏に加えて、体力の限界でもあった。
代わりに、ルッツを睨みつける。
「200人程度造作もねえな。それよりそっちは洗脳魔法が切れたそうじゃねえか。ぬるいことばっかりやってるから魔法のキレも悪くなるんだよ」
「ははは、まいったね、その通りかもしれないよ。一人娘が人質に行って精神が衰弱してたから楽な洗脳だと思ったんだけど」
そういうとルッツは立ち上がって剣を抜く。必然的に目線が膝をついているアランより上にくる。その瞳は絶対的有利な立場に立ったもの特有の傲慢さに満ちていた。
「まあ、彼女への洗脳は余録だよ。うまくいけばエルフの里を攻めるのが多少楽になるかな程度のね。ここを占領した以上はもう必要ないものではあったんだよ」
そう話しつつ、ルッツは歩いてアランに近づいてくる。隙だらけのその動作。だが今のアランには、その隙をつく余裕がない。
その様子に気分をよくしたのか、ルッツは一人で話し出す。
「しかしまあ私の作戦がうまくいってよかったよ。あの外套はね、君を殺すために用意したんだ」
「……」
「君の弱点についてはすでに我々も知るところだよ。魔力回復に制限があるのだろう?」
アランは舌打ちする。アランの魔力回復の制限はアランの弱点そのものであった。だが、魔力回復という非常に重要な部分であるため、近しいものには情報を伝えておく必要があった。また、騎士団で働いていた時に、アランの様子を見ていた誰かが、アランの制約に気付いた可能性もある。
いずれにせよ、完璧に隠蔽できるものではない。ただ、それがよりにもよって目の前の性悪に伝わっていたとなると、アランはかなり不利な立場に置かれたことになる。
「詳細な回復の条件はわからなかったけどね。ただ魔力が簡単に回復しないなら話は簡単だ。兵士による時間差飽和攻撃、それによって君の魔力を枯渇させることが私の策だよ」
兵士一人を倒すためにも魔力は消費する。ただ、魔力が回復するのであれば、大量の兵士を当てたとしても、次の日には無かったことになってしまう可能性がある。
だが、魔力の回復に著しい制限があるならばどうか? 大量の兵士を当てて疲弊させることで、労なく相手を倒すことができる。
「普通なら魔力探知で避けられるのだろうけど、あの外套のおかげで君は森の中で何度も戦わざるを得ない。結果的にここにくるまでに君は魔力を多く使った」
ルッツはアランの後ろに回る。そして、剣の腹でアランの肩を叩く。
「そしてダメ押しで200人の兵士による攻撃だ。わかるよ、君の魔力が枯渇しそうな気配が。私の策が大当たりというわけだ」
くつくつとルッツは笑う。正面に回り込んできたルッツはアランに顔を近づける。嗜虐的な笑みを浮かべている。目の前の、散々にてこずらされ、煮湯を飲まされた相手が魔力枯渇で何もできない状況。ルッツにとってこれ以上に面白い状況はなかなかない。
古今東西、指揮官にとって、弱った相手を倒すことほど甘美な瞬間はない。それは自身の指揮の成功、策の成功を示すものなのだ。
「さてさてどうするかね、アランくん? 命乞いでもしてみるかい? 面白い命乞いができたら、すぐさま命を奪うことはしないでおいてあげるかもよ?」
ルッツのその言葉を、アランは鼻で笑い飛ばす。
「命乞いだと? 笑わせるな。お前に下げる頭など持ち合わせていない」
アランは自分の今の状態を絶体絶命であると正しく認識している。だが、それでも自身の矜持は曲げられない。
それにだ、言わないといけないこともある。
「おまけにお前の策は下策だな、部下を見殺しにする策だ。それは短期的には成果が出せても、長期的には破綻を招く」
ルッツは人を信じない。自分の策しか信じない。だから、部下を捨て石にする策も平気で実行できる。森で戦った斥候の兵士も、今アランに命をかけて挑んできた誇り高き兵士たちも、全て目の前の男が切り捨てた部下だ。
アランは違う。確かにアランは領主として仲間を切り捨てる選択肢をすることもある。決死の命令を下すこともある。だが、初めから部下を使い捨てにするようなことは絶対にしない。必死と、決死には、決して超えられない大きな壁がある。
アランの矜持だ。アランは国民を守る義務を負った貴族なのだ。それは兵士であろうとも変わらない。
「そんな策しか弄せないから、いつまで経ってもお前らは王国に勝てないんだよ」
「死に体の分際でよく吠える……」
ルッツの表情が険しくなる。気分よく相手を見下し勝利の余韻を味わおうとしていたにもかかわらず、アランが自分に命乞いをせず、あまつさえ自身の策を下策だと言い切ったからだ。
その様子を見て、そして、自身の魔力の変化を感じて、今度はアランが笑みを浮かべる。
「それにな、ルッツ、お前は基本的なことを忘れている。相手にとどめを刺すまでが戦いだ。油断すると、足元を掬われるぜ」
何をとルッツは反論しようとする。だができなかった。ルッツに寒気が走る。
ルッツは非常に優秀な魔法使いである。アランを除けば世界で最も優れた魔法使いである。洗脳魔法の分野で言えば、アランよりも優れているといって良い。
だからこそ、ルッツには感じ取れてしまった。目の前の、死に体のはずの男の魔力が急速に回復していくのを。
「バカな……一体どうして……」
ルッツが一歩後ずさる。それに合わせて、アランが立ち上がる。その顔は嗜虐的な笑みが浮かべられている。だがその目はルッツを射殺してしまうほどに強烈だった。
「今言った通りだ。俺は部下を、共に戦う仲間を信頼する」
そう言って剣を構え直す。薄く纏われた風の魔法。あらゆる敵を切り裂いてきた風の魔法だ。
ルッツは慌てて魔法を発動する。だが、動揺した状態で発動した魔法は脆弱だった。アランが振り下ろした剣を止めることは叶わない。
ルッツはその場で真っ二つに引き裂かれた。




