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第二十一話 フレデリカの戦い

 夜中だったため家の中には灯りはなかった。窓も少なく月明かりも心許ない。だが、何度も歩き回った自身の生家である。真っ直ぐに里長の私室に向かう。そしてノックもせずにドアを開けた。

「お母様……」

「あら、フレデリカ、ごきげんよう」

 そこにはイレーヌが寝巻き姿で窓のそばに立っていた。喧騒で目が覚め、窓の外を眺めて様子を伺っていたのだろう。

「突然帰ってくるので驚いてしまいました」

 恐ろしいほどいつもと変わらない態度。その姿にフレデリカは違和感を覚える。

 時刻は真夜中だ。外では戦闘が発生し魔法を行使する大きな音が鳴り響いている。自分の姿だって帝国の兵士の装備を身につけたもので、どう考えても平常時とは思えない。

 にもかかわらず、イレーヌの態度は常と全く変わらないものだった。

 嫌な予感がする。だが、問わなければならない。いや、まずは連れ出さなければならないだろう。

「お母様、エルフの里は今、帝国軍の支配下に置かれています。このまま里にいれば帝国に良いように扱われてしまうでしょう。私とともに脱出してください」

 フレデリカの必死の懇願、だが、イレーヌは首を横にふる。

「それは間違いです。帝国の人たちは悪魔の支配から解放するために来てくださったのです」

「っ!? まだそのようなことをおっしゃられているのですか? 外をご覧ください! 帝国兵にわれわれの同胞が何人殺されたと思っているのですか!?」

「犠牲になったエルフたちは残念でした。でもそれは仕方がないことです。悪魔に魅了されてしまったものたちを救うためには、魂を解放してあげるしかありません」

 フレデリカは目の前がクラクラとするのを感じた。全く話が通じない。以前に里を訪れた時も同じ印象を受けた。そして今回もだ。いや、前回よりも悪い。イレーヌと話が全くできなくなっている。

 フレデリカはそこで一つの可能性に思い至る。

 洗脳魔法。アランの屋敷で読んでいた魔法の本に書かれていた。

 この魔法は、相手の思考・人格・気質、肉体ではなく精神に関するあらゆるものをコントロールする。そして、魔法をかけられた相手はそれに気づかない。非常に質の悪い魔法だった。

 アランがフレデリカに使った言霊の魔法も他者を操る。だが、言霊の魔法は肉体に作用するだけであり精神には影響を与えない。それに対して洗脳魔法は精神に直接影響を与える。

 もちろんイレーヌが元々こういった思想を持っていた可能性もある。だが、一人娘として母親であるイレーヌのことを見てきたフレデリカには、今の様子が明らかにおかしいと断定することができた。

「……お母様はおそらく洗脳魔法にかかっていらっしゃいます」

「何を言うのですか。失礼ですよ。私は正常です」

「正常であれば! どうしてこのような事態を放置しているのですか! 里が、帝国に襲われ支配されているのですよ!」

 フレデリカに洗脳魔法を解く方法はわからない。だから訴えるしかない。だが、どのような訴えもイレーヌには届かない。

 こうなってしまってはとフレデリカは覚悟を決める。話が通じないのであれば、実力によって連れていくしかない。

 ここにイレーヌを放置していくことはできない。それはもちろん帝国から里を取り戻す上でも問題となるし、何より、イレーヌの娘として、実の母を置き去りにすることはできないという考えからだった。

「ですから悪魔の支配から解放を……! 何をするのですか!」

 イレーヌが再び要領を得ない話を始めようとした時、フレデリカはイレーヌに殴りかかった。

 これで正気に戻るとは思ってはいない。だが、この状態で外に連れ出せるとは思えなかった。殴って気絶させてでも外に運び出そうとする。

 ローズのことを脳筋と笑えないと自嘲する。だが、すでにフレデリカの覚悟は決まっていた。

 これ以上誰も取り残さない、失わない。そして、イレーヌから里長の座を奪い取る。

「まったく……乱暴ですね。いいですか? 里長を、ましてや実の母親を殴る行為が許されると思っているのですか?」

 突然殴りかかってきた娘に対して、イレーヌは怒った風を出している。だが、フレデリカにはそれが悪いことをした娘を叱る母親の域を出ないことを感じる。

 フレデリカの雰囲気はすでに臨戦態勢だ。だが、イレーヌはどこまで行っても普通の雰囲気なのだ。だから、フレデリカはそれ以上の問答を諦める。そして再び殴りかかる。

 今度の攻撃はイレーヌに当たる。イレーヌの顔に拳が当たり、イレーヌは後ろに吹き飛ばされる。

「……申し訳ありませんお母様。このお詫びは必ずしますので」

 そう言ってイレーヌを拘束しようと近づく。だが、次の瞬間、イレーヌが機械仕掛けの人形のように状態を起こす。

 エルフの普通の動きからかけ離れた動きにフレデリカは驚き、次いでギョッとする。イレーヌの顔から感情が抜け落ちていた。ローズの無表情とも違う、生物の雰囲気を感じられない顔だった。

「殴られた? エルフから? 実の娘に? こんな時にどうすれば良いのでしょうか。わかりません」

 ボソリと呟くイレーヌ。そして、ゆっくりと立ち上がる。そしてフレデリカを見る。瞳孔が大きく開いている。フレデリカは恐怖を感じる。

「そうです。目の前の人物はエルフではないのです。だから私を殴った。きっと悪魔の眷属です。そうに違いありません」

 そうして手を目の前にかざす。フレデリカは嫌な予感を感じ、反射的に全力で横に飛んだ。その瞬間、イレーヌの手から大きな火の玉が飛び出した。火の玉はフレデリカが直前まで立っていた場所を通過し、そのまま後ろのベッドに直撃する。ベッドが大きく燃え上がる。

 火の魔法。イレーヌが得意とする魔法だ。実の娘に向けて放つには物騒すぎる魔法である。

 フレデリカは起き上がりイレーヌを見る。その顔は先ほどと同様に全くの無表情であった。そして再びフレデリカの方に手を向けようとする。

 フレデリカはイレーヌの魔法の行使を阻止しようと飛び出す。そして腕を上に弾く。再び飛び出した魔法の炎は天井に当たる。天井が燃え上がる。

 だが、その熱を意に介さず、フレデリカはそのままイレーヌを拘束しようとする。フレデリカは魔法戦においてイレーヌに劣っていた。代わりに近接戦ではエルフの戦士たちと共に訓練を行なっていたフレデリカに分がある。

 だがフレデリカも驚くほどの力でイレーヌは抵抗してくる。押し切れない。

 その時、天井に放った炎の魔法で燃え上がった天井の一部が落ちてきた。フレデリカには運が悪いことに、その一部がフレデリカの肩に接触する。

 思わぬ熱さと衝撃に驚き、フレデリカの力が一瞬緩む。その気を見逃さず、イレーヌがフレデリカに覆い被さる形で押し倒した。転んだ拍子にフレデリカの背嚢が開いて中身が散乱する。

「ぐ……う……」

 フレデリカの首にイレーヌの肘が当たる。フレデリカも必死に押し返そうとするが、覆い被さっているイレーヌの方が有利な状態だった。左手でイレーヌの腕を跳ね返そうとし、右手で何か使えるものを探す。

 徐々にイレーヌの肘がフレデリカの首を圧迫する。フレデリカの息が苦しくなる。

 不味い。そう思うがフレデリカには打開策がない。

 徐々に苦しくなる息、意識が遠くなり始める。

 だが、ここで諦めるわけにはいかない。

「お……かあ……さま……」

 それは、反射的に出た言葉だった。意味などはない言葉だ。強いて言えば実の母親に殺されかけている現実を嘆く言葉だろうか。

 だが、そのつぶやきを発した時だった。フレデリカのほおに一滴の水滴が落ちる。

 霞む目で見る。イレーヌが泣いていた。目の端からポロポロと涙がこぼれ落ちている。

「私は……私は……」

 その瞬間、一瞬拘束が緩む。それと、フレデリカの右手が天井から落ちてきた燃える木材を掴むのは同時だった。

 フレデリカは火傷するのも構わず木材を掴むとイレーヌに対して力一杯に振るう。それはイレーヌの頭に当たる。鈍い音と鮮血と共にイレーヌが横に吹き飛んだ。

「ゲホッ、ゲホッ」

 フレデリカは大きく咳き込む。視界は霞み、生理的な反応で目に涙がたまる。

「はあ……はあ……」

 なんとか息が落ち着き辺りを見回す。イレーヌが転がっていた。

「……!? お母様」

 慌てて近づく。イレーヌは、頭から血を流していたが息をしていた。死んではいなかった。

「よかった……」

 フレデリカはほっと息を吐く。

 まわりはイレーヌが放った魔法で燃え始めている。早く脱出しないと不味いことになる。そう思い、フレデリカがイレーヌを抱き起こそうとした時だった。

 ばちばちという音が聞こえた。驚いてフレデリカがそちらの方を見る。そこには、ローズから取り上げて背嚢にしまい込んでいた火炎玉が落ちていた。ベッドにまで転がっていった火炎玉から飛び出ている紐に火が付いている。

 その火が火炎玉に届いた瞬間、一瞬のうちに、大きな炎が立ち上がる。フレデリカはその炎に吹き飛ばされた。

 ローズの言う通り、火炎玉は一瞬で燃え広がっていく。このままこの部屋にいれば遠からず火に焼かれてしまう。

 フレデリカはなんとか立ち上がる。右手は火傷でボロボロ。何度も吹き飛ばされて倒れたせいで全身が痛い。だが生きている。

 目の前のイレーヌのところに行く。イレーヌは倒れて動かない。

「お母様、しっかりしてください、ここにいては焼かれてしまいます。逃げましょう」

 フレデリカはイレーヌを助け起こそうとする。だが、イレーヌの体に力が入っていないため、うまく助け起こすことができない。

 その間にも炎はどんどんと回ってしまう。

 フレデリカは焦る。だが、この場にイレーヌを置いて自分だけ脱出する気は全くなかった。自分がここに来たのはエルフを救うためだ。それは目の前の、イレーヌだって同じなのだ。

「私は……誰も失いたくありません」

 フレデリカはイレーヌを引きずりながら部屋の扉に向かう。右手は火傷でズルズルになってしまい、イレーヌを引っ張ろうとすると酷く痛む。だがやめない。諦めない。

「……フレデリカ……?」

 か細い声。それが聞こえてフレデリカは弾かれたように後ろを振り向く。イレーヌが目を開けていた。

「お母様!!」

「私は一体何を……? それにここは……?」

「大丈夫です、お気をしっかりしてください! 今からここを脱出します!」

 フレデリカのその叫びにも似た声に、イレーヌはフレデリカの方をみる。そして優しく微笑む。それはフレデリカのよく知る、イレーヌの普段の笑みだった。

 フレデリカは思わず泣き出しそうになる。だが、今は逃げることが優先なのだ。

「お母様、立てますか? 早くしないと火が回ってしまいます」

 その言葉に、イレーヌは力無く首を横にふる。

「体に力が入りません……状況はまだよくわかりませんが、あなただけでも逃げてください」

「そんなことはできません!」

 フレデリカは叫ぶ。目の前の実の母を、エルフを失いたくない。自分は全てのエルフを守りたいのだ。

 そんなフレデリカを見て、やはりイレーヌは微笑む。

「あなたは良い子に育ちました。悪魔の元に人質に出すとなった時は随分と心配しましたが、強く優しいあなたならきっとやっていけます」

 そういうと震える手をあげ、フレデリカの頭を優しく撫でる。

「あなたに、里長の座を譲り渡します。私はもう十分生きました。私を置いてあなたは生き残ってください。そして、里のエルフたちを導いてください」

 イレーヌは自分の記憶が混濁していることを感じていた。フレデリカを人質として悪魔に差し出してからの記憶が曖昧なのだ。そして意識がはっきりとしたと思ったら、ボロボロで今にも泣き出しそうな娘と、燃え上がる自宅の中に取り残されている。

 何もわからないまま死んでしまうのは怖かった。だが、それでも、一人娘を失うことと比べたら、そんなものは恐れるわけにはいかない。

 フレデリカは俯いていた。目の端から涙が溢れている。強く優しい愛娘。どうかこれからも健やかに成長してほしい。

 そうイレーヌは思った。

「……そんなことは許されません」

 ボソリと、だが絶対に譲らない意思を持ってフレデリカはそう言葉を発した。顔を上げる。フレデリカは覚悟を決めた。必ず、目の前の母親を救うと。

「私は全てのエルフを救うために努力したのです! それはあなたとて例外ではありません!」

 そう叫ぶ。

「それにアラン殿は私に里長を説得してエルフの混乱を鎮めるように言いました! あなたを見殺しにしてしまえばあなたを説得できなくなる!」

 フレデリカのその言葉は、イレーヌにはわからないものだった。だが、娘が自分のことを全力で助けようとしてくれていることはわかった。

「あなたは、本当に……」

 その先は声にならなかった。イレーヌの視界が涙で歪む。

 その瞬間、天井が嫌な音を鳴らす。炎が燃え広がり天井に大きな亀裂が走る。次の瞬間、天井から炎が降ってきた。


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