第十一話 事実を積み重ねれば、いずれ真実に辿り着く
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
貴族裁判が開かれた翌朝。
ヴィクトリアの執務室には、前日の審理で使用された書類が山のように積まれていた。
実行犯マルクの供述。
その家族を監視していた男の証言。
事件に関わった仲介人の行動記録。
商会の取引帳簿。
そして、事件当日に王宮で保全された証拠品の一覧。
ヴィクトリアは、それらを一つずつ確認していた。
「……やはり、ここですわね」
手元の書類に印をつける。
そこには、前日の審理で名前が挙がった商会と、ある伯爵家との取引が記録されていた。
事件の少し前、伯爵家から商会へまとまった金額が支払われている。
名目は物資の購入代金。
しかし、対応する納品記録が見つかっていなかった。
もちろん、それだけで不正があったと断定することはできない。
記帳漏れかもしれないし、納品記録が別の場所で保管されている可能性もある。
ただ、気になることがあった。
その商会には、今回の事件で拘束された仲介人が何度も出入りしていたのである。
「失礼するよ」
扉が叩かれ、レオナルドが顔を覗かせた。
「おはよう、ヴィクトリア」
「おはようございます、お兄様」
「ずいぶん早くから仕事をしているんだね」
「昨日の証言を整理しておりました」
「そっか。僕も少し確認したいことがあってね」
レオナルドは椅子へ腰を下ろし、持参した書類を机に置いた。
「昨日の裁判で、気になった人たちを調べてもらったんだ」
「何かわかりましたか?」
「うん。まず、例の伯爵だけど、仲介人が商会について質問されたとき、少しだけ反応していたんだよね」
「それは私も確認しております」
「ただ、驚いたようにも見えなかったし、慌てているわけでもなかった」
レオナルドは、自分の記録を指差した。
「むしろ、仲介人の方をじっと見ていたんだ」
「……仲介人を?」
「うん。何を話すのか、確かめているように見えた」
ヴィクトリアは考え込んだ。
「それだけでは判断できませんね」
「もちろん。だから、ほかの人たちの反応も確認してみたんだ」
レオナルドは、別の紙を取り出した。
「伯爵が証言台に立ったとき、何人かの貴族が彼の方を見ていた。その中には、商会の経営者と親しい人もいたんだよ」
「……なるほど」
「それでね。少し気になって、その人たちの交流関係も調べてもらったんだ」
レオナルドは、いくつかの名前を示した。
「すると、伯爵家と商会の間に、共通の知人が何人もいることがわかった」
「それ自体は、珍しくありませんね」
「うん。でも、今回の事件で拘束された仲介人も、そのうちの一人と面識があったらしいんだ」
ヴィクトリアが顔を上げた。
「……それは、確認できているのですか?」
「以前、一緒に仕事をしていたことがあるそうだよ。本人の過去の雇用記録にも残っていた」
ヴィクトリアは、その書類を受け取った。
「……確かに」
「ね? 少しずつ繋がってきただろう?」
「ええ。ですが、まだ事件との直接的な関係は確認できません」
「そうだね」
レオナルドは頷いた。
「だから、エレオノーラの話も聞いてみようと思って」
ちょうどそのとき、扉が叩かれた。
「失礼いたしますわ」
入ってきたのはエレオノーラだった。
「あら、お二人ともお揃いですのね」
「おはよう、エレオノーラ。ちょうど君の話をしていたところだよ」
「まあ、私の?」
「うん。お茶会で集めた情報について、もう少し詳しく聞きたくてね」
エレオノーラは微笑んだ。
「もちろんですわ」
◇
三人は、机の上に記録を広げた。
ヴィクトリアが集めたのは、証拠と証言。
レオナルドが集めたのは、裁判に出席していた貴族たちの反応と、その後に確認した交友関係。
エレオノーラが集めたのは、貴婦人たちとの交流から得られた情報だった。
「まず、こちらをご覧くださいませ」
エレオノーラは、数枚の紙を並べた。
「例の商会ですが、最近になって貴族派の方々との取引が増えているそうですの」
「昨日もそう言っていたね」
「ええ。ですが、今回はもう少し詳しいお話がございます」
エレオノーラは、一人の貴婦人の名前を示した。
「実は、例の伯爵夫人から、少々気になるお話を伺いましたの」
「伯爵夫人から?」
「ええ。事件が起きる少し前、伯爵家を隣国の商人が訪れていたそうですわ」
ヴィクトリアが顔を上げた。
「隣国の商人、ですか?」
「はい。伯爵様とは以前からお付き合いがあるようですが、その日は少々様子が違ったそうですの」
「様子が違った?」
レオナルドが尋ねる。
「ええ。普段でしたら、奥様もご一緒にお茶をいただくことがあるそうなのですが、その日は伯爵様から席を外すように言われたそうです」
「……へえ」
「その後、伯爵様と商人の方が二人で何やらお話をされていたそうですわ。もっとも、何を話していたのかは、奥様もご存じないとのことでした」
ヴィクトリアは、その内容を書き留めた。
「商人の名前はわかりますか?」
「ええ。伺っておりますわ」
エレオノーラは紙を差し出した。
「こちらです」
ヴィクトリアは名前を確認した。
「……この人物についても調べる必要がありますね」
「ええ。ただ、伯爵夫人ご自身は、仕事のお話だと思っていらしたようですわ」
「そうだろうね。商人が伯爵家を訪れること自体は、別におかしなことじゃない」
レオナルドが頷いた。
「席を外すように言われたことも、仕事の内容によっては普通にあるだろうしね」
「私もそう思いますわ」
エレオノーラは微笑んだ。
「ですが、昨日の裁判で商会の名前が出ましたでしょう? それで、少し気になりましたの」
ヴィクトリアは頷いた。
「ありがとうございます。ほかの記録と照らし合わせてみましょう」
◇
ヴィクトリアは、事件の経過を記した書類を中央に置いた。
「では、ここまでの情報を整理いたしましょう」
二人が頷く。
「まず、実行犯マルクは、家族を脅迫され、果実菓子へ毒物を混入しました」
「うん」
「マルクへ指示を伝えた人物がおり、その人物に繋がる仲介人も拘束されています」
ヴィクトリアは、仲介人の名前が記された紙を指差した。
「そして、その仲介人は、事件前に例の商会へ何度も出入りしていました」
「そこまでは、確認できている事実だね」
「はい」
次に、商会の帳簿を取り出す。
「商会には、事件の少し前に伯爵家からまとまった金額が支払われています」
「物資の購入代金だったね」
「ええ。しかし、納品を確認できる記録が見つかっておりません」
エレオノーラが口を開いた。
「その伯爵家には、隣国の商人が訪れていたというお話もございますわ」
「そして、伯爵家と仲介人の間には、共通の知人がいる」
レオナルドが続けた。
「さらに、伯爵は昨日の裁判で、仲介人の証言を気にしているように見えた」
ヴィクトリアは頷いた。
「……すべてを合わせると、一つの可能性が浮かび上がりますね」
三人は、机の上に並べられた記録を見つめた。
伯爵家。
商会。
仲介人。
そして、実行犯マルク。
それぞれの間に、何らかの繋がりが存在している。
「……伯爵が、今回の事件を指示した人物」
ヴィクトリアが静かに呟いた。
レオナルドも頷いた。
「僕も、そう考えているよ」
「私もですわ」
エレオノーラが続ける。
「ただし、現時点では推測の域を出ませんわね」
「ええ」
ヴィクトリアは、書類を整理した。
「伯爵家から商会へ支払われた金銭が、毒殺未遂のための資金だったと証明できていません」
「うん」
「商会と仲介人の関係についても、通常の商取引であった可能性を否定できません」
「そうだね」
「そして、何より……」
ヴィクトリアは、一枚の紙を取り上げた。
「伯爵本人が、今回の事件を指示したという直接的な証拠がありません」
沈黙が落ちた。
どれだけ疑わしくても、証拠がなければ罪を問うことはできない。
貴族派に属しているという理由だけで、伯爵を拘束することもできない。
ヴィクトリアは、小さく息を吐いた。
「……困りましたね」
エレオノーラも考え込んだ。
「お茶会で、もう少し情報を集めてみましょうか?」
「それも必要だと思います。ですが、伯爵が事件に関わっているのであれば、こちらの動きを警戒している可能性があります」
「そうですわね」
レオナルドは、二人の会話を聞きながら、机の上に並べられた書類を見つめていた。
マルクの供述。
仲介人の行動記録。
商会の帳簿。
伯爵家の取引記録。
そして、王宮で保全された証拠品の一覧。
その中に、一つ気になるものがあった。
「……ねえ、ヴィクトリア」
「何でしょう?」
「リリアーナに盛られた毒について、オルフェン先生は何か言っていなかったかな?」
「毒の種類について、ですか?」
「うん。確か、かなり珍しい毒だと聞いた気がするんだけど」
ヴィクトリアは、医師オルフェンの報告書を取り出した。
「……こちらですね」
書類を開き、該当する箇所を確認する。
「リリアーナに使用されたと考えられる毒は、ある植物から採取されるものだそうです」
「どこに生えている植物なの?」
「……隣国の、特定の地方です」
三人の視線が、一斉に集まった。
「……隣国?」
レオナルドが呟いた。
「はい。こちらの報告書によりますと、主な生息地は隣国の一地方に限られているそうです」
エレオノーラが、ゆっくりと口を開いた。
「……伯爵家を訪れていた商人の方も、隣国の方でしたわね」
「そうだね」
レオナルドは頷いた。
「もちろん、それだけで毒を持ち込んだとは言えないけれど……」
「ええ。ですが、入手経路を調べる手掛かりにはなります」
ヴィクトリアは、さらに報告書を読み進めた。
「……あら?」
「どうしたの?」
「この毒には、もう一つ特徴があるそうです」
ヴィクトリアは、書類へ視線を落とした。
「毒そのものに触れることも危険であり、取り扱いには細心の注意が必要だと記されています」
「……触れるだけでも?」
「はい。皮膚に付着することでも危険があるため、素手での取り扱いは避けなければならないそうです」
レオナルドは考え込んだ。
「……それなら、運ぶときも普通の袋に入れるわけにはいかないね」
「ええ。漏れたり、容器の外側に付着したりすれば、運搬する者にも危険が及びます」
「つまり、専用の容器が必要になる?」
「その可能性が高いと思います」
ヴィクトリアは、報告書を閉じた。
「ただし、どのような容器が使われるのかまでは、こちらには記されておりません」
エレオノーラが口を開いた。
「でしたら、オルフェン先生に確認してみてはいかがでしょう?」
「ええ。そういたしましょう」
ヴィクトリアは、侍従へ医師オルフェンを呼ぶように伝えた。
◇
しばらくして、オルフェンが執務室を訪れた。
「お呼びでしょうか、殿下」
「お忙しいところ申し訳ございません。リリアーナに使用された毒について、少しお尋ねしたいことがございます」
「もちろんです。私にわかることであれば、お答えいたします」
ヴィクトリアは、報告書を示した。
「こちらに、毒に触れることも危険だと記されていますね」
「はい。そのとおりです」
「では、その毒を運搬する場合、どのような容器を使用するのでしょうか?」
オルフェンは、少し考え込んだ。
「……そうですね。通常の袋や木箱では、取り扱う者が危険に晒される可能性があります」
「やはり、特殊な容器が必要なのですね?」
「ええ。少なくとも、内容物が漏れず、外側に付着しない構造のものが望ましいでしょう」
レオナルドが口を開いた。
「先生。そういう容器は、誰でも簡単に手に入れられるものなのかな?」
「一般的なものではありませんね。毒物や危険な薬品を扱う者が使用するものですから、取り扱っている業者も限られるでしょう」
「なるほど」
レオナルドは頷いた。
「では、もう一つ」
「何でしょう?」
「事件の後、配膳室から小さな容器が見つかったよね?」
「はい。私も確認いたしました」
「あれは、そういう特殊な容器だったのかな?」
オルフェンは、少し考えてから答えた。
「……形状を見る限り、通常の容器とは異なる構造が見られました。ただ、私も容器の専門家ではありませんので、断定はできません」
「そうなんだ」
「ですが、毒物の保管や運搬に使用されるものとして、不自然ではありません」
ヴィクトリアが頷いた。
「ありがとうございます。では、容器についても専門の方へ確認を依頼いたします」
「それがよろしいでしょう」
オルフェンは一礼した。
「ほかにご質問がなければ、私はリリアーナ殿下の診察へ戻らせていただきます」
「はい。ありがとうございました」
オルフェンが退出すると、三人は再び机を囲んだ。
◇
「……さて」
レオナルドは、机の上に並べられた書類を見つめた。
「少しずつ、見えてきたね」
ヴィクトリアが頷いた。
「はい。毒の入手経路について、調べるべきことが明確になりました」
エレオノーラも、伯爵夫人から聞いた話を記した紙を取り上げた。
「伯爵家を訪れていた隣国の商人について、もう少し詳しく調べる必要がございますわね」
「うん」
レオナルドは頷いた。
「隣国の特定の地方に生えている植物から採れる毒。その毒を扱うには、特殊な容器が必要になる」
「そして、事件前に伯爵家を訪れていた隣国の商人」
ヴィクトリアが続ける。
「伯爵家から商会への不審な支払いもあります」
「商会には、今回の事件に関わった仲介人が出入りしていた」
レオナルドは、一つずつ指で示していった。
「その仲介人を通じて、マルクへ毒が渡された」
三人は、しばらく黙って書類を見つめていた。
隣国の商人が毒を持ち込んだ。
伯爵がそれを受け取り、商会を通じて仲介人へ渡した。
そして、マルクを脅迫し、リリアーナへ毒を盛らせた。
そう考えれば、これまでの情報が一つに繋がる。
しかし、それはあくまで推測だった。
「……伯爵が指示者である可能性は、かなり高いと思います」
ヴィクトリアが口を開いた。
「ですが、やはり決定的な証拠がありません」
「そうだね」
「隣国の商人が毒を持ち込んだという証拠もありませんし、伯爵がそれを受け取ったという証拠もありません」
エレオノーラが頷いた。
「伯爵夫人も、二人が何を話していたのかはご存じありませんものね」
「ええ」
ヴィクトリアは、書類を整理した。
「商会への支払いについても、毒殺未遂のための資金だったと証明できていません」
「うん」
「そして、何より……」
ヴィクトリアは、伯爵の名前が記された紙を取り上げた。
「伯爵本人が、今回の事件を指示したという直接的な証拠がありません」
沈黙が落ちた。
どれだけ疑わしくても、証拠がなければ罪を問うことはできない。
貴族派に属しているという理由だけで、伯爵を拘束することもできない。
「……困りましたね」
ヴィクトリアは、小さく息を吐いた。
エレオノーラも考え込んだ。
「お茶会で、もう少し情報を集めてみましょうか?」
「それも必要だと思います。ですが、伯爵が事件に関わっているのであれば、こちらの動きを警戒している可能性があります」
「そうですわね」
レオナルドは、二人の会話を聞きながら、机の上に並べられた書類を見つめていた。
マルクの供述。
仲介人の行動記録。
商会の帳簿。
伯爵家の取引記録。
隣国の商人についての情報。
オルフェンの報告書。
そして、王宮で保全された証拠品の一覧。
その中に、一つ気になるものがあった。
「……ねえ、ヴィクトリア」
「何でしょう?」
「事件が起きた直後、ユリウスが王宮を封鎖したよね?」
「はい。おかげで、多くの証拠を保全することができました」
「そのとき、配膳室から見つかった容器も、まだ保管されているんだよね?」
「ええ。厳重に保管しております」
「……そうか」
レオナルドは、少し考え込んだ。
「もし、あの容器が毒の入手経路を調べる手掛かりになるとしたら、どうだろう?」
ヴィクトリアは首を傾げた。
「……どういうことでしょう?」
「特殊な容器なら、作っている場所や、取り扱っている業者も限られるかもしれない」
「……確かに」
「それに、もし伯爵が本当に今回の事件を指示した人物だとしたら、あの容器が残っていることを気にしているんじゃないかな」
エレオノーラが口を開いた。
「……証拠が残っていることを、ですか?」
「うん」
レオナルドは頷いた。
「事件直後に王宮が封鎖されたから、犯人側は証拠をすべて処分できなかった」
ヴィクトリアは、少し考え込んだ。
「ですが、証拠品はすでに保管されています。今から処分することは難しいはずです」
「そうだね」
レオナルドは微笑んだ。
「だからこそ、気になるんだ」
「……どういうことでしょう?」
「伯爵が犯人だとしたら、毒の入手経路を調べられるのは困るはずだよね」
「ええ」
「そして、その手掛かりになるかもしれない容器が、まだ王宮に残っている」
レオナルドは、証拠品の一覧を指差した。
「もし、処分できる機会があると知ったら?」
ヴィクトリアは目を見開いた。
「……お兄様、まさか」
エレオノーラも、ゆっくりと顔を上げた。
「……なるほど。こちらから動くのではなく、向こうから動いていただくのですわね」
「そういうこと」
レオナルドは頷いた。
「もちろん、伯爵が動くとは限らない。ほかの誰かを使うかもしれないし、何もしないかもしれない」
「ですが、動いた場合には、その行動を確認できます」
ヴィクトリアが答える。
「ええ。証拠品そのものは安全な場所へ移しておく必要がありますね」
「うん。そこは任せるよ」
レオナルドは、二人へ顔を向けた。
「それじゃあ、少し仕掛けてみようか」
ヴィクトリアとエレオノーラが顔を見合わせる。
「……何をなさるおつもりですか?」
ヴィクトリアが尋ねると、レオナルドは楽しそうに微笑んだ。
「簡単なことだよ」
そして、机の上に置かれた証拠品の一覧を指差した。
「伯爵に、証拠を処分する機会をあげようと思ってね」
お読み頂き、ありがとうございます。




