第七話 解決の糸口は、地道な積み重ね
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
リリアーナが倒れてから、四日目の朝を迎えた。
王宮の寝室では、医師たちが交代でリリアーナの容態を確認していた。
昨日、トランプ地方から駆けつけた医師オルフェンによって投薬が行われ、危険な状態からは脱することができた。しかし、意識は依然として戻らず、医師たちも回復について明確な見通しを示せないでいた。
エレオノーラは寝台の傍らに座り、妹の顔を見つめていた。
昨日までの苦しそうな呼吸は落ち着き、顔色も少しずつ戻り始めている。それでも、呼びかけに応じることはなく、眠り続けているようにしか見えなかった。
「……おはようございます、リリアーナ」
エレオノーラは妹の手を握りながら、静かに語りかけた。
「今日はよいお天気ですわ。あなたでしたら、こんな日は庭園でお茶でも飲みたいと仰るのでしょうね」
返事はなかった。
それでも、エレオノーラは微笑みながら言葉を続けた。
「そういえば、先日お話しされていた菓子店のこと、覚えていらっしゃいますか? 王都の東側にあるお店ですわ。あなたが随分とお気に召したようでしたから、今度は私もご一緒させていただこうかと思っておりますの」
普段なら、妹はきっと嬉しそうに店の場所や菓子の種類について説明してくれるだろう。
それから、どうせならほかのお店も回りましょうと誘ってくるに違いない。
そんな姿を想像すると、自然と頬が緩んだ。
「……ですから、早く目を覚ましてくださいませ」
エレオノーラは、妹の手をそっと撫でた。
そのとき、背後から声がかかった。
「エレオノーラ殿下」
振り向くと、オルフェンが診察の準備を整えて立っていた。
「先生、おはようございます。妹の容態はいかがでしょうか?」
「昨夜から大きな悪化は見られておりません。呼吸や脈拍も安定しておりますので、投薬による効果は継続していると考えてよろしいでしょう」
「……そうですか」
エレオノーラは安堵の息を吐いた。
「では、意識が戻るのも、もうすぐでしょうか?」
オルフェンは、少しだけ表情を曇らせた。
「それについては、まだ何とも申し上げられません。毒によって身体が受けた影響は大きく、回復には時間が必要です。意識が戻ったとしても、しばらくは安静にしていただかなければなりません」
「……承知しております」
エレオノーラは頷いた。
命が助かっただけでも、十分にありがたいことなのだ。
これ以上を望むのは、贅沢なのかもしれない。
それでも、妹の声をもう一度聞きたいという願いを抑えることはできなかった。
◇
同じ頃、王宮の会議室では、レオナルド、ヴィクトリア、ユリウスの三人が集まっていた。
机の上には、交流会に関する調査報告書が積み上げられている。
リリアーナが倒れてから三日間、ユリウスは警備隊を動員して関係者の行動を調べ、ヴィクトリアは証言と記録の整合性を確認していた。
レオナルドも各貴族家との連絡を担当し、調査への協力を求めている。
その結果、少しずつではあるが、事件の輪郭が見え始めていた。
「昨日までの調査について、確認したいことがある」
ユリウスが口を開き、一枚の書類を机の中央へ置いた。
「交流会で提供された果実菓子について、調理場から配膳までの経路を調べたが、まだ確認できていない場所がある」
「どちらですか?」
ヴィクトリアが尋ねる。
「配膳室だ。調理場から運ばれた菓子は、一度そこへ集められている。だが、当日の担当者の行動を完全には確認できていない」
「配膳室なら、事件直後に封鎖したはずですよね?」
「そうだ。リリアーナが倒れた直後、王宮内の出入口を警備させ、調理場や配膳室、使用人の控室などへの立ち入りを制限した。残された飲食物や食器も、可能な限りそのまま保管させている」
ユリウスは書類を指で叩いた。
「だが、当初は何に毒が混入されたのかさえわからなかった。調べるべき場所が多すぎたのだ」
ヴィクトリアは頷いた。
リリアーナが口にしたものは、交流会の果実菓子だけではない。
それ以前の食事や飲み物に毒が混入されていた可能性もあり、発症までの時間を考えれば、調査対象を簡単に限定することはできなかった。
「昨日、オルフェン先生が毒のおおまかな種類を特定してくださいましたから、調査の方向も絞れますね」
「ああ。そこで、配膳室をもう一度詳しく調べさせている」
レオナルドは報告書へ目を落とした。
「何か見つかるといいけれど……」
「見つからなければ、別の可能性を調べるまでだ。いずれにせよ、見落としがないように進める」
ユリウスの言葉に、ヴィクトリアが頷いた。
「それがよいと思います。今は、確実な事実を一つずつ積み重ねるしかありません」
三人が今後の調査について話し合っていると、会議室の扉が叩かれた。
「失礼いたします!」
入ってきたのは、警備隊の兵士だった。
「ユリウス殿下、配膳室の調査にて、不審な物品が発見されました!」
ユリウスはすぐに立ち上がった。
「何が見つかった?」
「小さな容器でございます。備品棚の奥、壁との隙間に隠されておりました」
「中身は?」
「少量の粉末が残されております。現在、薬師による確認を手配しております」
ユリウスはヴィクトリアとレオナルドへ視線を向けた。
「……行くぞ」
◇
配膳室は、交流会が行われた広間からほど近い場所にあった。
調理場から運ばれてきた料理や菓子を一時的に置き、給仕たちが会場へ運び出すための部屋である。
事件が発生した直後、ユリウスの指示によって出入口には警備兵が配置され、内部の物品を勝手に持ち出したり処分したりすることは禁止されていた。
そのため、交流会で使用された備品の多くが、当時の状態に近い形で残されていた。
「こちらでございます」
兵士に案内された三人は、部屋の奥にある備品棚へ向かった。
棚には皿や盆、布巾などが収納されており、その奥に小さな隙間があった。
「この奥に容器がございました。棚の裏側へ押し込まれていたため、通常の確認では見つけられなかったようです」
「発見した際の状況は記録したか?」
「はい。発見した兵士二名の証言を取り、容器を動かす前の位置も記録しております」
「よし。容器は?」
「現在、別室にて厳重に保管しております。薬師が確認するまで、不用意に触れさせないよう管理しております」
ユリウスは頷いた。
容器が見つかったからといって、それが事件に使用された毒であるとは限らない。
しかし、備品棚の奥へ隠すように置かれていたことは、明らかに不自然だった。
「……誰かが、ここへ隠したということでしょうか」
ヴィクトリアが棚の隙間を覗き込みながら呟いた。
「その可能性は高い。だが、いつ隠されたのかは、まだわからん」
ユリウスは兵士へ向き直った。
「事件当日、この部屋へ出入りした者の一覧を持ってこい。それから、事件発生後の警備記録も確認する」
「承知いたしました!」
兵士が走り去ると、レオナルドが周囲を見回した。
「この場所なら、普段から配膳室を使っている人でなければ、気づかないかもしれないね」
「そうですね。ただ、交流会の準備に関わった者であれば、初めて入ったとしても隠す場所を見つけることはできるでしょう」
ヴィクトリアは棚から少し離れ、部屋全体を見渡した。
「まずは、ここに出入りできた人間を調べる必要がありますね」
「ああ。容器を隠した者が、この事件に関わっている可能性は高い」
ユリウスは厳しい表情で頷いた。
「だが、ここへ出入りしたというだけで犯人と決めつけるつもりはない。全員の行動を確認する」
◇
昼過ぎ、薬師から報告が届いた。
発見された容器の中身は、毒性を持つ植物から作られた粉末である可能性が高いという。
さらに、オルフェンによる確認の結果、リリアーナに使用されたと考えられる毒と、性質が近いこともわかった。
ただし、完全に同一のものかどうかまでは断定できない。
「……少なくとも、重要な手掛かりにはなりそうですね」
ヴィクトリアが報告書を読みながら言った。
「ああ。次は、この容器を誰が隠したのかだ」
ユリウスは机の上に、配膳室への出入りに関する記録を広げた。
交流会当日、配膳室へ出入りした者は二十名以上いた。
調理場から料理を運ぶ者、会場へ配膳する者、使用済みの食器を回収する者など、役割は様々だった。
その中から、容器が隠されていた備品棚の近くへ立ち寄った可能性のある者を調べる必要があった。
「まず、当日の担当者全員から話を聞こう」
レオナルドが提案すると、ヴィクトリアが頷いた。
「そうですね。ただし、先に記録を確認しておいた方がよいでしょう。誰が何時頃に配膳室へ入り、どのような仕事をしていたのか。それを整理してから話を聞けば、証言の食い違いも確認しやすくなります」
「すでに警備隊にまとめさせている」
ユリウスは別の書類を取り出した。
「事件発生後の出入りについては、警備兵が記録している。問題は、それ以前だ」
事件が起きる前、配膳室には常に警備兵が立っていたわけではない。
そのため、当日の作業記録や担当者同士の証言を照合しながら、誰がどこで何をしていたのかを確認する必要があった。
「……時間がかかりそうですね」
ヴィクトリアが呟くと、ユリウスは首を振った。
「時間をかけるべきところだ。ここで間違えれば、無関係な者を捕らえることになる」
その言葉に、レオナルドが小さく微笑んだ。
「ユリウスも、随分と慎重になったね」
「当然だ。相手は王族に毒を盛った者だぞ。確実に捕らえなければ意味がない」
「うん。そのとおりだと思う」
三人は手分けして記録を確認し、関係者への聴取を始めることにした。
◇
最初に呼ばれたのは、配膳室を管理していた使用人だった。
長年王宮に勤めている男性で、交流会当日も料理や菓子の運搬を監督していたという。
「当日、備品棚の近くへ立ち寄った者について、覚えていることはありますか?」
ヴィクトリアが尋ねると、使用人は少し考え込んだ。
「申し訳ございません。あの日は大勢の方が出入りしておりましたので、全員の行動までは……」
「構いません。覚えている範囲で教えてください」
「はい。皿や盆を取り出すために、何人かが棚へ近づいていたと思います。ただ、誰が何時頃に立ち寄ったのかまでは、はっきりと覚えておりません」
ヴィクトリアは頷き、記録へ目を落とした。
「では、交流会が始まる前と、始まった後では、どちらの方が人の出入りが多かったでしょうか?」
「始まる前でございます。料理や菓子の準備がございましたので」
「なるほど。ありがとうございます」
その後も、給仕や調理場の担当者たちを一人ずつ呼び、当日の行動を確認していった。
証言の中には、時間の記憶が曖昧なものもあった。
しかし、それだけで不審と判断することはできない。
大勢の人間が忙しく働いていたのだから、細かな時刻まで覚えていないのは当然だった。
ヴィクトリアは証言を整理しながら、作業記録との照合を続けた。
そして、何人目かの聴取を終えたところで、一つの食い違いに気づいた。
「……この方の証言、少し確認したいことがありますね」
ヴィクトリアが示したのは、交流会のために臨時で雇われた給仕の記録だった。
本人は、交流会が始まる直前まで調理場で菓子の準備を手伝っていたと説明している。
しかし、調理場の担当者は、その時間帯に彼の姿を見ていなかった。
さらに、別の給仕は、同じ頃に彼が配膳室へ入っていく姿を見たと証言していた。
「……なるほど」
ユリウスは書類を受け取り、内容を確認した。
「本人の説明と、ほかの者の証言が一致していないな」
「はい。ただ、記憶違いの可能性もあります。まずは、もう一度確認する必要がありますね」
「承知した。呼び戻そう」
◇
臨時の給仕が再び会議室へ呼ばれたのは、それからしばらく後のことだった。
若い男性で、名前はマルクといった。
最初の聴取では落ち着いた様子だったが、二度目に呼ばれたことで、少し緊張しているように見えた。
「マルク、確認したいことがあります」
ヴィクトリアは穏やかな口調で話しかけた。
「先ほど、交流会が始まる直前まで調理場にいたと仰いましたね?」
「は、はい」
「その時間帯に、配膳室へは行きませんでしたか?」
「……配膳室、ですか?」
「ええ」
マルクは少し考え込んだ後、首を振った。
「いえ、行っておりません。ずっと調理場で仕事をしておりました」
ヴィクトリアは、その答えを記録した。
「そうですか。では、調理場ではどなたと一緒に作業していたのでしょうか?」
「それは……料理長の方や、ほかの使用人の方々と……」
「具体的には?」
「……申し訳ございません。名前までは覚えておりません」
ヴィクトリアは頷いた。
「わかりました。では、もう一つ確認させてください。あなたが配膳室へ入っていく姿を見たという方がいらっしゃるのですが、何か心当たりはありませんか?」
その瞬間、マルクの表情が変わった。
「……え?」
「交流会が始まる少し前のことです。配膳室へ入っていくあなたを見たという証言がございます」
「そ、それは……」
マルクは言葉を詰まらせた。
ユリウスは、その様子を黙って見つめていた。
ヴィクトリアは急かすことなく、相手が答えるのを待った。
「……少しだけ、入ったかもしれません」
「そうですか。何のために?」
「備品を……確認するためです」
「どのような備品でしょうか?」
「……皿、だったと思います」
ヴィクトリアは記録へ目を落とした。
「先ほどは、配膳室へ行っていないと仰いましたね?」
「……す、すみません。忘れておりました」
「構いません。では、もう少し詳しく教えてください」
マルクは俯いたまま、なかなか口を開かなかった。
その様子を見て、ユリウスが静かに告げた。
「マルク。お前が何かを隠しているのであれば、今のうちに話しておけ」
「……っ!」
「配膳室から、不審な容器が発見された」
マルクの肩が大きく震えた。
ユリウスは、その反応を見逃さなかった。
「その容器について、何か知っていることはないか?」
「……し、知りません」
「本当か?」
「本当です!」
マルクは必死に首を振った。
しかし、その声は明らかに震えていた。
ヴィクトリアは静かに問いかけた。
「では、なぜ配膳室へ行ったことを隠そうとしたのでしょうか?」
「……それは」
「何か、話せない事情があるのですか?」
長い沈黙が続いた。
やがて、マルクは震える手を握り締め、小さく呟いた。
「……私は」
三人は、その言葉を待った。
「……私は、ただ……言われたとおりにしただけなんです……」
ユリウスの表情が険しくなった。
「誰に言われた?」
「……っ!」
「答えろ。誰の指示だ?」
マルクは顔を上げた。
その目には、涙が浮かんでいた。
「……言えません」
「なぜだ?」
「言ったら……家族が……!」
その言葉を聞いた瞬間、三人は顔を見合わせた。
ヴィクトリアは、すぐに口を開いた。
「マルク、落ち着いてください。ご家族に何か危険が迫っているのですか?」
マルクは何度も頷いた。
「……妻と、娘が……。逆らったら、どうなるかわからないと……」
ヴィクトリアは、静かに息を吐いた。
単なる金銭目的の犯行ではない。
少なくとも、本人の説明が事実であれば、背後に別の人物がいることになる。
「……わかりました」
ヴィクトリアは穏やかに告げた。
「まずは、ご家族の安全を確認しましょう。お話は、それからでも構いません」
「……本当、ですか?」
「ええ。ただし、あなたが何をしたのかについては、きちんと調べさせていただきます」
マルクは俯いたまま、何度も頷いた。
ユリウスは兵士へ指示を出した。
「マルクの身柄を確保しろ。ただし、乱暴に扱うな。それから、家族の所在を確認し、必要であれば保護する」
「はっ!」
兵士たちがマルクを連れていくと、会議室には重い沈黙が残った。
「……どうやら、実行犯の一人に辿り着いたようだな」
ユリウスが呟くと、ヴィクトリアは頷いた。
「ただし、まだ本人の供述だけです。ほかの証拠と照合する必要があります」
「ああ。わかっている」
レオナルドは、机の上に広げられた記録を見つめた。
「それに、マルク一人で全てを行ったとは限らないね」
「そうですね。毒を用意した人物や、指示を出した人物がいる可能性があります」
ヴィクトリアは書類を整理しながら答えた。
「そして、なぜリリアーナが狙われたのか。その理由も、まだわかっていません」
ユリウスは腕を組み、厳しい表情で頷いた。
「まずは、マルクの家族を保護する。それから、関係者の調査を続けるぞ」
◇
その日の夕方、マルクの家族が無事に保護されたとの報告が届いた。
妻と幼い娘は、王都の外れにある住居で暮らしており、数日前から見知らぬ男に見張られていたという。
警備隊はその男の身柄も確保し、事情を聞くことにした。
家族の安全が確認されたことを伝えると、マルクはようやく詳しい事情を話し始めた。
交流会の数日前、見知らぬ男から声をかけられ、ある仕事を命じられたこと。
指定された菓子に、渡された粉末を混ぜるよう指示されたこと。
そして、誰かに話せば家族に危害を加えると脅されたこと。
マルクは、自分が何をさせられているのか理解していた。
それでも、家族を守るために従ってしまったのだという。
ヴィクトリアは、その供述を最後まで聞いた後、静かに口を開いた。
「……あなたが脅されていたことは、理解しました」
「……はい」
「ですが、あなたの行為によって、妹は命を失いかけました。その事実がなくなるわけではありません」
「……申し訳、ございません……」
マルクは深く頭を下げた。
「本当に……申し訳ございません……!」
ヴィクトリアは、その姿を見つめながら言葉を続けた。
「あなたがしたことについては、法に従って判断されることになります。ですが、ご家族に罪はありません。そこは安心してください」
マルクは涙を流しながら、何度も頷いた。
その後、警備隊はマルクの供述をもとに、関係者の調査を進めた。
家族を見張っていた男からも、別の人物に指示されていたことがわかり、事件に関与したと考えられる者たちが次々と拘束されていった。
ただし、その背後にいる人物については、依然として明らかになっていない。
誰が命令を出したのか。
誰が毒を用意したのか。
そして、なぜリリアーナを狙ったのか。
事件の全容を解明するには、まだ多くの調査が必要だった。
◇
その夜、エレオノーラは再びリリアーナの寝室を訪れた。
医師たちによれば、容態は昨日よりも安定しているという。
呼吸や脈拍に大きな異常は見られず、毒による急激な悪化も起きていない。
けれど、意識は戻らなかった。
「……リリアーナ」
エレオノーラは妹の手を握り、静かに語りかけた。
「今日は、お兄様方が事件の調査を進めてくださいましたのよ。少しずつ、何が起きたのかわかってきたそうですわ」
もちろん、詳しいことはまだ聞かされていない。
エレオノーラ自身も、今は事件の調査より妹の看病を優先している。
けれど、兄姉たちが動いてくれていることは、心強かった。
「ですから、あなたは何も心配なさらなくてよろしいのです」
妹の顔を見つめながら、エレオノーラは微笑んだ。
「お仕事のことも、事件のことも、今は全部忘れてしまいなさい。目を覚ましたら、しばらくはゆっくり休んでいただきますからね」
返事はない。
それでも、エレオノーラは話しかけることをやめなかった。
「……そういえば、あなたが倒れてから、もう四日も経つのですね」
時間が経つのは、こんなにも遅いものだっただろうか。
普段なら、仕事に追われているうちに一日が終わってしまう。
それなのに、この四日間は、何日も何日も過ごしたように感じられた。
「……明日には、目を覚ましてくださるかしら」
エレオノーラは、妹の手をそっと撫でた。
「そうしたら、きっと最初に、お腹が空いたと仰るのでしょうね」
想像すると、少しだけ笑みがこぼれた。
リリアーナなら、あり得る話だった。
目を覚ました途端に食事を要求し、医師からまだ食べてはいけないと言われて不満そうな顔をする。
そんな妹の姿を、もう一度見たかった。
「……待っておりますわ」
エレオノーラは妹の手を握り締めた。
「何日でも、待っておりますから……」
窓の外では、王都の夜が静かに更けていった。
王宮の別室では、兄姉たちが事件の調査を続けている。
そして、寝台の上では、リリアーナが今も眠り続けていた。
毒によって失われかけた命は、ようやく繋ぎ止められた。
けれど、彼女が再び目を開く日は、まだ誰にもわからなかった。
お読み頂き、ありがとうございます。




