第三話 出来事というのは、たいてい突然降りかかるもの
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
第一回の交流会から一週間が経過した。
あれほど面倒だと思っていた交流会だったけれど、実際に参加してみれば、それほど悪いものではなかった。普段は接する機会の少ない若手貴族たちと話すことができたし、仕事以外の話題にも多少は触れられた。
何より、私に新しい仕事が増えなかった。
これは非常に重要なことである。
もちろん、交流会で知り合った方々から後日相談を持ちかけられる可能性はあるけれど、今のところ、そのような話は届いていない。
つまり、第一回は無事に終わったと言ってよいだろう。
「リリアーナ様、本日の交流会について、参加予定者の一覧が届いております」
「ありがとう、サリナ。そちらに置いておいてちょうだい」
私は確認していた書類を片づけ、サリナから渡された一覧に目を通した。
前回参加していた方々の名前もあれば、今回初めて参加する方々の名前もある。
参加は自由なのだから、顔ぶれが変わるのは当然だろう。
毎回同じ人ばかりでは交流の幅も広がらないし、かといって初対面の人ばかりでは、親しくなる前に会う機会がなくなってしまう。
その点、月に四回という開催頻度は、案外よく考えられているのかもしれない。
「……あら、ラングレー様もいらっしゃるのね」
一覧の中に、前回お話ししたエドガー・ラングレー様のお名前を見つけた。
領地経営について熱心に学んでいらっしゃる方で、穏やかな物腰が印象に残っている。
前回は仕事の話ばかりになってしまったから、今度はもう少し違った話題を振ってみてもよいかもしれない。
「前回お話しされた方ですか?」
「ええ。領地経営について学んでいらっしゃる方よ。真面目な方だったから、よく覚えているわ」
「そうでございますか」
サリナが微笑んだ。
……何だろう。
何だか、妙に嬉しそうな気がする。
「サリナ?」
「はい」
「何か言いたいことがあるのかしら?」
「いいえ。ただ、リリアーナ様が交流会を楽しみにされるようになったのは、よいことだと思いまして」
「……別に、楽しみにしているわけではないのよ?」
「左様でございますか」
「ええ。せっかく参加するのだから、有意義な時間にしたいと思っているだけよ」
「承知いたしました」
……本当にわかっているのかしら。
まあ、いい。
どうせ何を言っても、サリナには面白がられるだけだろう。
私は一覧を机に戻し、交流会までに終わらせておきたい仕事へと意識を切り替えた。
◇
第二回の交流会も、前回と同じ広間で開催された。
会場の雰囲気には前回と変わらないものがあったけれど、参加者の顔ぶれが変わっているため、少し違った印象を受ける。
今回は前回よりも若干人数が多いようで、広間のあちらこちらに会話の輪ができていた。
私は兄姉たちに挨拶を済ませると、まずは近くにいた令嬢たちと話すことにした。
前回お話しした方もいらっしゃったので、会話を始めるのにそれほど苦労はしなかった。
「リリアーナ殿下、先日お話しした菓子店には行かれましたか?」
「ええ、サリナと一緒に伺いましたわ。とても美味しかったです」
「まあ、本当ですか!」
「特に果実を使った焼き菓子が素晴らしかったですわね。教えていただいて、ありがとうございました」
令嬢は嬉しそうに微笑んだ。
実際、あのお店の菓子は美味しかった。
果実の甘みと酸味を上手く生かしていて、紅茶との相性もよかった。サリナも気に入っていたようだから、また機会があれば訪れてみたいと思っている。
そんな話をしていると、別の令嬢が最近王都で評判になっている店について教えてくれた。
こうして話題が広がっていくのは、なかなか楽しい。
前回は仕事の話ばかりしてしまったけれど、今日は少し違った交流ができそうだ。
……もっとも、気になる店が増えれば、その分だけ出かける機会も増えるのだけれど。
それは仕事ではないのだから、何の問題もない。
むしろ歓迎すべきことである。
しばらく令嬢たちとの会話を楽しんだ後、私は別の参加者にも挨拶をするため、広間を移動した。
すると、少し離れたところに見覚えのある男性の姿があった。
「ラングレー様、ごきげんよう」
私が声をかけると、エドガー様は驚いたように振り向いた。
「リリアーナ殿下。ごきげんよう。またお会いできて光栄です」
「こちらこそ。前回は領地のお話を伺えて、とても勉強になりました」
「そのように仰っていただけるとは恐縮です。私の方こそ、殿下のお考えを伺えて参考になりました」
エドガー様は丁寧に礼をした後、少しだけ表情を和らげた。
「実は、前回のお話を父にも伝えたのです」
「まあ、そうなのですか?」
「はい。何でも自分で抱え込むのではなく、適任の者に任せることも大切だとお話ししたところ、父からも同じことを言われました」
「ふふ、それはよかったですわね」
「おかげで、自分が何を学ぶべきなのか、少し考え直すことができました」
その言葉を聞いて、私は素直に嬉しくなった。
誰かの役に立てること自体は、嫌いではない。
ただ、その結果として自分の仕事が増えてしまうのは困るというだけだ。
相手が自分で考え、行動してくださるのなら、それに越したことはない。
「ところで、殿下は本日もお仕事のお話をされていたのですか?」
「……いいえ。今日はお菓子のお話をしておりました」
「お菓子、ですか?」
「ええ。前回、あるご令嬢から美味しい菓子店を教えていただきまして、先日訪れてみたのです」
「なるほど。それは楽しそうですね」
「とても美味しかったですわ。ラングレー様は甘いものはお好きですか?」
「嫌いではありませんが、あまり詳しくはありません。領地にいることが多いため、王都のお店にも疎いのです」
「でしたら、今度お時間があるときにでも、訪れてみるとよろしいかもしれませんね」
「ぜひ、そうさせていただきます」
エドガー様は穏やかに微笑んだ。
こうして仕事以外の話をしてみると、前回とはまた違った印象を受ける。
真面目な方であることに変わりはないけれど、こちらの話題に合わせてくださるので、会話を続けやすい。
なるほど。
レオナルドお兄様が、仕事以外の話もしてみるとよいと仰っていた理由が、少しわかった気がする。
◇
しばらく話しているうちに、エドガー様が軽食の並ぶテーブルへ視線を向けた。
「そういえば、殿下は果実を使ったお菓子がお好きなのですね」
「ええ。甘いものは大抵好きですけれど、果実の酸味が加わったものは特に好きですわ」
「それでしたら、こちらはいかがでしょう?」
エドガー様が示したのは、小さな果実菓子だった。
薄い生地に包まれた一口大の菓子で、表面には細かな砂糖がまぶされている。
見た目は可愛らしく、ほかの焼き菓子とは少し違った香りがしていた。
「まあ、珍しいお菓子ですわね」
「私も先ほどいただいたのですが、少し独特の風味がありました。お好みに合うかはわかりませんが」
「そうなのですか?」
「ええ。果実の甘みの後に、わずかに苦みが残るのです」
「苦み、ですか?」
それは少し気になる。
甘い菓子に苦みがあるというのは、決して珍しいことではない。
前世でも、柑橘類の皮を使った菓子や、苦みを生かした菓子はいくつもあった。
むしろ、甘さ一辺倒ではないからこそ美味しいというものもある。
「どのような果実を使っているのでしょう?」
「申し訳ありません。そこまでは存じ上げないのです」
「いえ、お気になさらないでください。少し興味が湧いただけですわ」
私は菓子を一つ取り、しばらく眺めてから口に運んだ。
最初に感じたのは、控えめな甘さだった。
続いて、果実らしい酸味が広がり、最後にエドガー様の仰っていた苦みが舌に残る。
「……なるほど」
「いかがでしょうか?」
「確かに、少し苦みがございますね。ただ、甘さとの釣り合いは悪くないと思います」
「お気に召したのでしたら何よりです」
私は微笑みながら頷いた。
ただ、食べ慣れない風味ではある。
どのような果実を使っているのか、後で料理人に尋ねてみてもよいかもしれない。
「それにしても、王宮の料理人の方々は様々なお菓子をご存じなのですね」
「そうですね。私も、こちらへ伺うたびに驚かされます」
そんな何気ない会話を続けていると、少し離れた場所からエドガー様を呼ぶ声が聞こえた。
どうやら知人がいらっしゃったらしい。
「申し訳ありません、殿下。少し失礼してもよろしいでしょうか?」
「もちろんですわ。どうぞお気になさらず」
「ありがとうございます。また後ほど、ご挨拶に伺います」
エドガー様は丁寧に一礼し、声のした方へ向かっていった。
私はその背中を見送った後、残っていた紅茶を一口飲んだ。
……あら?
何だか、少し変な感じがする。
最初は、菓子の苦みがまだ口に残っているだけかと思った。
けれど、そうではない。
胸の奥に、妙な違和感があった。
少し息苦しいような、胃のあたりが落ち着かないような、不思議な感覚だ。
……食べ過ぎたかしら?
そう考えて、今日食べたものを思い返してみたけれど、それほど多くはない。
朝食も普段通りだったし、交流会でも軽食を少しいただいた程度だ。
気のせいだろうか。
私は紅茶のカップをテーブルへ戻し、近くの椅子に腰を下ろそうとした。
そのときだった。
「……っ!」
突然、胸の奥を強く締めつけられるような感覚に襲われた。
思わず足を止め、胸元に手を当てる。
何、これ……?
息を吸おうとしても、思うように空気が入ってこない。
心臓が激しく打ち始め、指先から急速に力が抜けていく。
……おかしい。
これは、絶対におかしい。
「リリアーナ?」
聞き慣れた声がした。
顔を上げると、少し離れたところにエレオノーラお姉様が立っていた。
私の様子に気づいたのか、こちらへ歩いてくる。
「どうかなさいましたの?」
「お、ねえ……さま……」
返事をしようとしたけれど、声が上手く出なかった。
視界が揺れる。
足元がふらつき、立っていることさえ難しくなってきた。
「リリアーナ?」
お姉様の表情が変わった。
急いでこちらへ駆け寄ってくる姿が見えたけれど、そのときにはもう、自分の身体を支えることができなくなっていた。
「……っ!」
膝から力が抜け、床へ倒れそうになる。
けれど、身体が床に触れるよりも先に、誰かに抱き留められた。
「リリアーナ! しっかりなさい!」
お姉様の声だ。
いつも落ち着いているお姉様が、聞いたこともないほど切迫した声を上げている。
どうして……?
何が、起きて……。
「誰か! 医師を! 今すぐ医師を呼んでください!」
広間が騒がしくなった。
誰かが走り出す足音が聞こえ、周囲の人々が何かを叫んでいる。
けれど、その声は次第に遠くなっていった。
息が苦しい。
身体が動かない。
何が起きているのか、わからない。
ただ、お姉様が必死に私の名前を呼んでいることだけはわかった。
「リリアーナ! お願い、目を開けて!」
……お姉様。
そんなに、心配しなくても……。
大丈夫、ですから……。
そう伝えようとしたけれど、唇は動かなかった。
視界が暗くなっていく。
最後に見えたのは、今にも泣き出しそうなお姉様の顔だった。
◇
「リリアーナ! リリアーナ!」
エレオノーラは腕の中で力を失った妹を抱き締めながら、何度もその名前を呼んでいた。
つい先ほどまで、楽しそうに誰かと話していたはずなのに。
ほんの少し目を離しただけで、リリアーナは突然倒れてしまった。
顔色は青白く、呼吸も浅い。
呼びかけても返事がなく、身体にはほとんど力が入っていなかった。
「医師はまだですの!?」
「ただいま、お呼びしております!」
「急いでください! 今すぐです!」
侍従が駆け出していく。
周囲の貴族たちも、突然の出来事に動揺していた。
そんな中、騒ぎを聞きつけたレオナルドが近づいてきた。
「エレオノーラ、何があったんだい?」
「お兄様! リリアーナが、突然……!」
言葉が続かなかった。
レオナルドは妹の顔を見るなり表情を引き締め、すぐに周囲へ指示を出した。
「誰か、医師を呼びに行ったかな?」
「はい、すでに向かっております!」
「わかった。では、リリアーナの周囲に空間を確保しよう。医師が来るまで無理に動かさないように」
普段と変わらない穏やかな口調だったけれど、その表情には明らかな緊張が浮かんでいた。
ほどなくして、ユリウスとヴィクトリアも駆けつけた。
「何があった!」
「リリアーナが突然倒れたのです!」
エレオノーラの返答を聞いたユリウスは、すぐに周囲を見渡した。
「出入口を確保しろ! 医師の通行を妨げるな! それから、ここにいた者たちの確認を始めろ!」
「承知いたしました!」
護衛たちが動き出す。
ヴィクトリアはリリアーナのそばに膝をつき、その様子を確かめた。
「エレオノーラ、倒れる前に何か変わったことはありませんでしたか?」
「わかりません……。私が気づいたときには、もう……」
エレオノーラは震える声で答えた。
その腕の中で、リリアーナは目を閉じたまま動かない。
いつもなら、仕事が増えたと文句を言いながらも、何だかんだで笑っている妹。
少し目を離すと、すぐに休もうとする妹。
自分のことよりも、周囲の人々の負担を減らすことばかり考えている妹。
その妹が、今は何も言わない。
「……リリアーナ」
エレオノーラは妹の手を握り締めた。
冷たい。
そのことが、何よりも恐ろしかった。
「お願い……」
声が震える。
「お願いですから、目を開けてくださいませ……」
けれど、リリアーナが応えることはなかった。
やがて駆けつけた医師たちが診察を始め、王女の容態を確認する。
そして、そのうちの一人が、険しい表情で顔を上げた。
「……毒の可能性がございます」
その言葉に、広間の空気が凍りついた。
「……毒?」
エレオノーラが、かすれた声で繰り返す。
「現時点では断定できません。しかし、症状から考えますと、その可能性が高いかと……」
毒。
その言葉が、頭の中で何度も繰り返された。
誰が。
どうして。
何のために。
考えようとしても、何一つまとまらない。
ただ、腕の中で動かない妹の姿だけが、現実としてそこにあった。
「……助けて」
エレオノーラは医師を見上げた。
「お願いです。妹を、助けてください……!」
医師たちはすぐにリリアーナを運び出し、治療の準備を始めた。
楽しい交流の場となるはずだった第二回交流会は、こうして突然の混乱に包まれることになった。
お読み頂き、ありがとうございます。




