第一話 無関心は時に人を傷つける
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
平穏とは、何だろうか。
少なくとも、私が思い描いている平穏とは、朝は好きな時間に起きて、美味しい食事をいただき、気が向いたら散歩をして、疲れたら昼寝をするような生活のことだ。
間違っても、毎日のように書類に目を通したり、各地から届く報告書を確認したり、兄姉たちと今後の方針について話し合ったりする生活ではない。
……ないはずなのだけれど。
「リリアーナ様、陛下よりお呼び出しがございます」
「…………」
サリナの言葉に、私は手にしていた書類をそっと机に置いた。
「サリナ」
「はい」
「今日は何か予定があったかしら?」
「午前中に報告書の確認、午後からは商会の方々との打ち合わせがございます」
「そうではなくて、お父様との予定よ」
「そちらは伺っておりません」
「……そう」
嫌な予感がする。
お父様から突然呼び出されるときは、大抵ろくなことにならない。
ボーリング地方へ送り出されたときもそうだったし、ピンポン地方の件もそうだった。
サーフィン地方では休暇をいただけると思っていたのに、結局は大変な目に遭った。
その後も、王位継承争いや領地経営に巻き込まれ、気がつけば私は二十二歳になっている。
おかしい。
私の予定では、もっとのんびりした生活を送っているはずだったのに。
「……行きたくないわ」
「陛下からのお呼び出しですので」
「わかっているわよ」
私は小さくため息をつき、椅子から立ち上がった。
せめて、これ以上仕事が増えませんように。
そんなささやかな願いを胸に、私はお父様のもとへ向かった。
◇
案内された部屋には、すでに四人の兄姉が揃っていた。
レオナルドお兄様、ヴィクトリアお姉様、ユリウスお兄様、そしてエレオノーラお姉様。
王位継承権者が全員揃い、そこにお父様までいらっしゃる。
……ますます嫌な予感がする。
「遅くなりました」
「いや、構わん。座れ」
「はい」
私は空いている席に腰を下ろした。
レオナルドお兄様が、いつもの穏やかな笑みを向けてくる。
「久しぶりだね、リリアーナ。元気にしていたかな?」
「はい、お兄様。おかげさまで」
「それはよかった。随分と忙しくしているようだけど、無理はしていないかい?」
「できることなら、もう少し暇になりたいところです」
「ふふ、相変わらずだね」
笑い事ではない。
私は本気で言っているのだ。
「さて、全員揃ったな」
お父様が口を開いた。
「今日はお前たちに、今後の王国に関わる話がある」
……今後の王国。
その言葉だけで、帰りたくなってきた。
「近年、各地方で様々な取り組みが進み、王国の経済や人の流れにも変化が生じている。これからは、お前たちの世代が中心となって国を支えていくことになるだろう」
それは、まあ、そうだろう。
お父様もいつまでも国王でいられるわけではないし、兄姉たちが将来の王国を担うことになる。
……私はできれば、その隅っこで静かに暮らしていたいけれど。
「そこで、若い貴族たちとの交流の場を設けることにした」
「交流の場、ですか?」
ヴィクトリアお姉様が尋ねる。
「うむ。各貴族家の次世代を担う者たちを招き、お前たちと交流してもらう。互いの顔を知り、考えを知り、今後の関係を築くための場だ」
なるほど。
それ自体は悪くない話だ。
王位継承権者たちと若手貴族が交流する機会は、意外と限られている。
公式行事では立場や礼儀を意識しなければならないし、個別に会おうとすれば、どの家と親しくしているかという余計な憶測を招くこともある。
その点、王家が主催する交流会ならば、特定の派閥に偏ることなく幅広い人々と接する機会を作れる。
「それはよいお考えだと思います」
私がそう答えると、お父様は満足そうに頷いた。
「そうか。では、お前も参加するのだぞ」
「……はい?」
「当然だろう。王位継承権者全員が参加するのだからな」
しまった。
余計なことを言った。
「ちなみに、どの程度の頻度で開催されるのでしょうか?」
「月に四回を予定している」
「四回!?」
思わず声が大きくなった。
毎週ではないか!
「お父様、それは少々多すぎませんか? 若手貴族の方々にも、それぞれお仕事がございますでしょう?」
「もちろん、毎回の出席を求めるつもりはない」
「……そうなのですか?」
「うむ。参加は自由だ。領地に戻っている者もいれば、家業を手伝っている者もいる。月に一度程度、顔を出してくれれば十分だと考えている」
ああ、それなら納得できる。
毎回参加する必要があるなら、交流会のために仕事を調整しなければならない人も出てくる。
月に四回開催しておけば、それぞれの都合に合わせて参加できるというわけだ。
「それでしたら、よろしいかと思います」
「そうだろう」
「では、私も月に一度程度でよろしいでしょうか?」
「お前は毎回だ」
「なぜですか!?」
おかしい!
今、自由参加だと仰ったばかりではないか!
「王位継承権者と若手貴族の交流会なのだ。主催する側が顔を出さずにどうする」
「で、ですが、私にも仕事が……」
「ほう。仕事があるのか」
「……ございます」
「ならば、これまでのように上手く調整すればよかろう」
「…………」
自分で仕事を減らすために仕組みを整えてきた結果、仕事を増やされる。
どうしてこうなるのだろう。
「まあまあ、リリアーナ。若い貴族たちと交流するのも悪いことではないと思うよ?」
レオナルドお兄様が助け舟を出してくださった。
「それは理解しておりますけれど……」
「普段は仕事の話ばかりになりがちだからね。たまには、そういう場で人と話すのも大切だよ」
「……はい」
お兄様の言うこともわかる。
わかるのだけれど、私としては、その時間を休暇に充てたい。
そんな私の様子を見ていたお父様が、何やら意味ありげに口元を緩めた。
「それに、リリアーナ。お前もそろそろ将来のことを考える年頃だろう」
「将来、ですか?」
「うむ。良い相手と出会う機会にもなるだろう」
「…………」
良い相手。
……ああ、なるほど。
そういうことか。
「お父様」
「何だ?」
「まさか、私の婚約者を探そうとしていらっしゃいます?」
「さて、どうだろうな」
否定しない!
この方、否定しなかった!
「お父様! 私はまだ結婚するつもりなどございません!」
「今すぐ結婚しろとは言っておらん。交流を深めるだけだ」
「でしたら、わざわざ婚約の話を持ち出さなくてもよろしいではありませんか!」
「良い縁があれば、それに越したことはなかろう」
「それはそうかもしれませんけれど!」
私は思わず兄姉たちを見回した。
そうだ。
私だけが言われるのはおかしい。
「そもそも、お兄様やお姉様方はどうされるのですか?」
「ん?」
レオナルドお兄様が首を傾げる。
「婚約者です。私ばかりではなく、皆様もそろそろお考えになられた方がよろしいのでは?」
そう言った瞬間。
部屋の空気が、妙に静かになった。
……あれ?
「リリアーナ」
「はい?」
レオナルドお兄様が、穏やかな笑顔のまま私を見つめている。
「僕は、もう結婚しているんだけどね」
「…………はい?」
「俺も既婚だ」
ユリウスお兄様まで、当然のように続けた。
「…………え?」
既婚?
結婚している?
お兄様方が?
「ちなみに、私とエレオノーラには、すでに婚約者がおります」
ヴィクトリアお姉様が、さらりと付け加える。
「…………」
え?
ええ?
ちょっと待って。
お兄様方は結婚していて、お姉様方には婚約者がいる?
……いつの間に?
「あなた……どれだけ興味ないんですの?」
エレオノーラお姉様が、呆れたように私を見ている。
「リリアーナ……僕は悲しいよ」
レオナルドお兄様まで、何とも悲しそうな表情を浮かべていた。
「ち、違うんです! 決して皆様に興味がないというわけではなくてですね!」
「では、どういうことですの?」
「そ、それは……皆様お忙しいでしょうし、あまり私生活に踏み込むのも失礼かと思いまして……」
「結婚したことすら知らない方が、よほど失礼ではありませんこと?」
「うっ……!」
正論だった。
何一つ反論できない。
いや、待って。
落ち着いて考えよう。
私だって、兄姉たちの結婚式に一度も参加していないということはないはずだ。
確か、数年前に……。
「あぁ、そういえば、数年前に結婚式に参加していたかも……」
記憶を辿る。
大勢の貴族が集まり、豪華な衣装を身にまとった人々が祝福していた。
料理も美味しかったような気がする。
……いや、料理のことは今どうでもいい。
「あれが、ユリウスお兄様の結婚式?」
「……そうだ」
ユリウスお兄様が、深いため息をついた。
「お前、今まで何の式だと思っていたんだ?」
「い、いえ! 結婚式だということは覚えておりました!」
「誰の結婚式かを覚えていなかったのか」
「…………」
しまった。
自分で墓穴を掘った。
「……申し訳ございません」
ユリウスお兄様は額に手を当てている。
けれど、これで一つは思い出せた。
では、レオナルドお兄様はいつ?
お兄様の結婚式も、それなりに大きな行事だったはずだ。
王位継承権第一位の婚姻なのだから、知らないはずがない。
知らないはずが……。
「リリアーナ」
「は、はい」
「僕が結婚したのは、リリアーナが学園に通っていた頃だよ」
「……あ、あー……」
思い出した。
確かに、学園に通っていた頃、一度王宮へ戻って式典に参加したことがあった。
あのときは、学園の授業や課題のことばかり考えていた気がする。
そうだ。
結婚式だった。
確かに結婚式だった。
……あれが、レオナルドお兄様の結婚式だったのか。
「思い出してくれたようで何より」
レオナルドお兄様が、にっこりと微笑んだ。
怖い。
怒られているわけでもないのに、非常に怖い。
「ご、ごめんなさい……」
「いいんだよ。リリアーナが元気に過ごしてくれていたなら、それで」
「お兄様……」
「ただ、今度は僕の妻の名前くらい覚えておいてくれると嬉しいかな」
「…………」
名前。
お兄様の奥様のお名前。
ええと……。
確か、何度かお会いしたこともあったはず。
……あった、わよね?
「リリアーナ?」
「は、はいっ!」
「……僕は本当に悲しいよ」
「ご、ごめんなさいぃ!」
もうやめて!
これ以上は、本当に私の立場がなくなってしまう!
「ふふっ……」
隣から笑い声が聞こえた。
エレオノーラお姉様だ。
「まったく、あなたという子は……。仕事のことでしたら細かな数字まで覚えておりますのに、どうしてそういうことは覚えていないのかしら」
「そ、それとこれとは別です!」
「ええ、別でしょうね。まさか、身内の結婚を忘れているとは思いませんでしたもの」
「うぅ……」
ヴィクトリアお姉様まで、小さくため息をついた。
「リリアーナ。今後は、もう少しご自身の周囲にも関心を持つべきです」
「……はい」
何も言い返せない。
それにしても、お姉様方まで婚約していらしたとは。
私は一体、何を見て生きてきたのだろう。
……庭園?
……紅茶?
……昼寝?
ああ、そうだった。
あの頃の私は、いかに仕事をせず、面倒事に巻き込まれず、平穏に暮らすかということばかり考えていた。
兄姉たちが何をしていようと、自分に仕事が回ってこなければそれでよかったのだ。
……うん。
知らなくても仕方がない。
仕方が……。
「リリアーナ?」
「な、何でもございません!」
危ない。
今の考えを口にしたら、間違いなく余計に怒られる。
◇
「さて、話を戻すぞ」
お父様の声に、私は背筋を伸ばした。
「今回の交流会は、次世代を担う貴族たちが互いを知るためのものだ。特定の家との婚姻を前提とするものではない」
「……本当ですね?」
「うむ。参加者も自由に出入りできるようにする。毎回同じ顔ぶれになるとは限らん」
それなら、交流会としての意義は十分にある。
各家の事情によって参加できる日も異なるだろうし、顔ぶれが変われば、それだけ多くの人と話す機会が生まれる。
「会場では、特に堅苦しい議題を設けるつもりもない。仕事の話をするもよし、趣味の話をするもよし。自由に交流してもらいたい」
「それでしたら、若手貴族の方々も参加しやすいかもしれませんね」
私がそう言うと、レオナルドお兄様も頷いた。
「そうだね。公式の謁見では話せないようなことも、気軽に聞けるかもしれない」
「各家の若い世代が、何を問題と考えているかを知る機会にもなりますね」
ヴィクトリアお姉様が続ける。
「軍務に関わる者たちとも、普段とは違う形で話ができそうだ」
ユリウスお兄様も、交流会の意義を認めているようだった。
「私も、普段のお茶会とは違った顔ぶれとお話しできるのは楽しみですわ」
エレオノーラお姉様まで乗り気である。
……あれ?
もしかして、嫌がっているのは私だけ?
「リリアーナ」
「はい、お父様」
「お前にも、良い経験となるだろう」
「……そうですね」
確かに、人脈を広げることは大切だ。
領地経営でも、商業でも、行政でも、人との繋がりが役立つ場面は多い。
これまでの経験から、それは十分に理解している。
だから、交流会そのものに反対するつもりはない。
ただし。
「お父様、一つだけお願いがございます」
「何だ?」
「私の婚約者探しを、交流会の正式な目的にはしないでくださいませ」
「……ほう?」
「若手貴族の皆様にも、それぞれのお考えやご事情がございます。王女の婚約者候補として呼ばれたなどと思われれば、気軽に参加できなくなってしまいます」
そう。
それでは、せっかくの交流会が台無しになってしまう。
誰もが婚約を意識して私に接するようになれば、仕事の話も趣味の話も、自然にはできなくなるだろう。
「交流会は、あくまで交流会として開催するべきだと思います」
お父様はしばらく私を見つめていたが、やがて頷いた。
「よかろう。その点は約束しよう」
「ありがとうございます!」
よかった。
これで、少なくとも露骨な婚約者探しにはならないはずだ。
「もっとも、そこで良い相手が見つかることまで禁止するつもりはないがな」
「……お父様?」
「自然な出会いというものもあるだろう」
「…………」
この方、絶対に諦めていない。
まあ、いい。
交流会に参加したからといって、必ず婚約しなければならないわけではないのだ。
それなら、私にも考えがある。
仕事の話を中心にしていれば、余計な勘違いをされることもないだろう。
領地経営や行政に興味のある方々と交流して、有益な情報を交換する。
それだけなら、悪い話ではない。
むしろ、今後の仕事を減らすための協力者が見つかる可能性だってある。
……うん。
そう考えれば、少しは楽しみになってきた。
「では、第一回の開催は来週とする。詳細は追って伝える」
「承知いたしました」
兄姉たちとともに返事をし、会議は終了した。
部屋を出ようとしたところで、レオナルドお兄様に声をかけられる。
「リリアーナ」
「は、はい!」
思わず身構えてしまった。
お兄様は、そんな私を見て苦笑する。
「そんなに怯えなくてもいいんだよ」
「……申し訳ございません」
「今度、妻も交えて食事でもどうかな?」
「えっ?」
「せっかくだから、改めて紹介しておこうと思ってね」
「…………」
お兄様。
それはつまり、私が奥様のお名前を覚えていないことを、完全に見抜いていらっしゃるということですね?
「……ぜひ、お願いいたします」
「うん。楽しみにしているよ」
お兄様は満足そうに微笑み、部屋を出ていった。
私はその背中を見送りながら、小さく息を吐く。
……今日は、随分と疲れた。
まさか、兄姉たちの婚姻状況を知らなかったことで、これほど追い詰められるとは思わなかった。
それにしても。
お兄様方は既婚。
お姉様方は婚約済み。
そして、私だけが婚約者なし。
……あれ?
もしかして、お父様が今回の交流会を開くことにした理由って……。
「…………」
考えるのはやめよう。
きっと、気のせいだ。
私はそう自分に言い聞かせながら、執務室へと戻った。
机の上には、出かける前に置いた書類が残っている。
……そうだ。
まずは、目の前の仕事を片づけなければ。
婚約者より先に、仕事を減らす方法を見つけたい。
それが、今の私にとって最も切実な願いだった。
お読み頂き、ありがとうございます。




