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やり過ぎた!  作者: 涙目
第五章 トランプ地方編

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第十六話 兄妹

この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。

「なんだい?」


 レオナルドお兄様は、いつもの穏やかな笑みを浮かべながら私を見た。


 私は、膝の上で両手を握りしめた。


 ……聞いても、いいのだろうか。


 今まで、お兄様は何も聞いてこなかった。


 私がどれだけ奇妙なものを作っても、どれだけこの世界にはない考え方を口にしても、ただ話を聞き、必要なら協力してくれた。


 けれど、それは本当に不思議に思っていないからなのだろうか。


 ……違う。


 お兄様は、そんなに鈍い人ではない。


「……なぜ、聞き出そうとしないのですか?」


「何をだい?」


「お兄様は、お気づきになっていましたよね?」


 お兄様は、何も答えなかった。


「私が、なぜ色々なことを知っているのか。その理由を答えようとしないことに」


「…………」


「でも、それは……私には答えがあると、分かっているということですよね?」


 私は、お兄様を見つめた。


「……なぜですか?」


 沈黙が落ちた。


 お兄様は、いつもの笑みを浮かべなかった。


 ただ、静かに目を閉じた。


 少しの間を置いて、ゆっくりと口を開く。


「……そうだね。君が話したくないように見えたからかな」


「…………」


「誰にだって、話したくないことはあるだろう?」


 お兄様は、目を開いた。


「僕だって、君に話していないことはたくさんあるよ。それを全部聞き出そうとされたら、困ってしまうかな」


「……でも」


「それに……」


 お兄様は、机の上に置かれたトランプへ視線を向けた。


「君の知識は、有用なものだけではなく、王国にとって害になるものもあるよね」


「…………っ」


 それは、問いかけではなかった。


 確信だった。


 冷や水を浴びせられたようだった。


 ……そうだ。


 確かに、元の世界での知識は毒になり得る。


 それも、世界を滅ぼしかねない猛毒だ。


 核兵器などは、まさにそれだろう。


 私自身に、核兵器を作れるほどの知識はない。


 けれど、その概念くらいは知っている。


 電気すら普及していないこの世界で、すぐに作れるような代物ではない。


 だが、それを誰かに話してしまえば。


 その考え方を知った誰かが研究を重ね、いつか実現してしまうかもしれない。


 それが十年後なのか、百年後なのかは分からない。


 けれど、私が何も話さなければ、生まれなかったかもしれないものだ。


 私は、この世界にとって異物だ。


 前の世界の知識を持ち込み、この世界には存在しなかったものを生み出している。


 それが、人々の暮らしを豊かにするものならいい。


 けれど。


 私が持ち込んだ知識が、この世界を滅ぼすことになったら?


 ……冗談じゃない。


「……僕は王位継承権第一位を持つ」


 お兄様の声に、私は顔を上げた。


「父上に何かあれば、僕が王になる可能性は高い。だから、僕には王国を守る責任がある」


「…………」


「君の知識に、王国を守るために使えるものがあると知ってしまったら……僕は、それを使わざるを得ないかもしれない」


 お兄様は、静かに続けた。


「たとえ、君が望まなかったとしてもね」


「……お兄様」


「僕は、妹を道具のように使いたいとは思わないよ」


 その言葉は、とても穏やかだった。


 けれど、そこには確かな意志があった。


「だから、僕から無理矢理聞き出すことはないよ」


「…………」


「でも……」


 お兄様の表情が変わった。


 それまでの穏やかさが消え、真剣な眼差しが私へ向けられる。


「他の人は違うかもしれない」


「……え?」


「君の知識を欲しがる者が、君を攫って利用しようとするかもしれない。逆に、君の存在を邪魔に思った者が、殺そうとするかもしれない」


 私は、息を呑んだ。


「君は、自分が思っている以上に特異な存在なんだ。だから、十分に気をつけて」


「…………」


 何も答えられなかった。


 お兄様は、私の秘密を知らない。


 それでも、その秘密が持つ危険性を理解している。


 そして。


 知ることができる立場にありながら、知ろうとしなかった。


 ……私を、守るために。


     ◇


「……リリアーナ?」


 お兄様が、少し心配そうに私の顔を覗き込んだ。


「大丈夫かい?」


「…………」


 私は、答えようとした。


 けれど、声が出なかった。


 胸の奥が、ぎゅっと締めつけられる。


 ……どうして。


 どうして、お兄様は。


 こんなにも、私のことを考えてくれていたのだろう。


 私は、ずっと自分のことばかり考えていた。


 働きたくない。


 のんびり暮らしたい。


 面倒なことには関わりたくない。


 お父様から仕事を押しつけられたくない。


 だから、できるだけ目立たないようにしてきた。


 自分の知識についても、何も話さなかった。


 もちろん、前世のことを話したところで、信じてもらえるかは分からない。


 それに、話してしまえば面倒なことになるかもしれない。


 ……だから、黙っていた。


 それだけだった。


 お兄様が何を考えているのか。


 私のことをどう思っているのか。


 そんなこと、考えようともしなかった。


 ……なのに。


 お兄様は、私の知らないところで、私のことを考えてくれていた。


 私が話したくないのなら、聞かない。


 知ってしまえば、自分の立場が私を傷つけるかもしれない。


 だから、知らないままでいる。


 ……そんなこと。


 私は、一度だって考えたことがなかった。


「……っ」


 視界が滲んだ。


 ……あれ?


 おかしいな。


 どうして、涙が出てくるんだろう。


 私は慌てて目元を拭った。


 けれど、涙は止まらなかった。


「……リリアーナ?」


 お兄様が、椅子から立ち上がった。


「どうしたんだい?」


「……ごめん……なさい」


 声が震えた。


「……どうして謝るんだい?」


「……私は」


 言葉が続かなかった。


 自分自身が、恥ずかしくなった。


 お兄様は、こんなにも私のことを考えてくれていた。


 なのに、私は。


 ただ、のんびり暮らしたいという利己的な理由だけで、動かないように、話さないようにしていた。


 自分に都合の悪いことから、逃げようとしていた。


 もちろん、危険な知識をむやみに広めてはいけない。


 それは、今でもそう思う。


 けれど、私が黙っていた理由は、それだけではなかった。


 面倒だから。


 働きたくないから。


 誰かに何かを求められるのが嫌だから。


 ……そればかりだった。


 それは――


「自分が……ずるい、と思ってしまって」


 ぽろぽろと、涙が落ちた。


「……お兄様は、私のことを考えてくださっていたのに……」


「…………」


「私は……自分のことばかりで……」


 私は、俯いた。


「……ごめんなさい」


 お兄様は、しばらく何も言わなかった。


 ただ、私の言葉を待ってくれていた。


 やがて、静かに口を開く。


「……リリアーナ」


「……はい」


「君は、何か悪いことをしたのかい?」


「……え?」


 私は、涙で滲んだ目を上げた。


「誰かを傷つけたのかな?」


「……それは」


「誰かから何かを奪った?」


「……いいえ」


「では、どうして謝るんだい?」


「……だって」


 私は、唇を噛んだ。


「私は……自分のことしか考えていなかったから……」


「……そうかな?」


 お兄様は、少し首を傾げた。


「君は、ボーリング地方で多くの人を助けたと聞いているよ」


「……それは、お父様に命じられたからで……」


「ピンポン地方でも、新しい産業が生まれたね」


「……あれは、遊びを教えただけです」


「サーフィン地方では、嵐に遭った人々を守った」


「……あれは、仕方なかったから……」


「そして、今は?」


「…………」


「ジョーカー領だけでなく、五つの領地が協力する仕組みを作った」


「……それは」


 私は、言葉に詰まった。


 ……だって。


 あれは、私だけが目立たないようにするためで。


 皆で成果を分け合えば、お父様も私一人に仕事を押しつけたりしないと思ったからで。


「……理由なんて、どうでもいいんだよ」


「……え?」


 お兄様は、穏やかに微笑んだ。


「君が何を考えていたとしても、助かった人たちがいる。それは、変わらない事実だろう?」


「…………」


「それに、君は自分が楽をするためなら、誰かが苦しんでも構わないと思うのかい?」


「……そんなこと!」


 私は、思わず顔を上げた。


「そんなこと、思いません!」


「うん。知っているよ」


 お兄様は、優しく頷いた。


「だから、君はずるくなんてない」


「……でも」


「君がのんびり暮らしたいと思うことと、誰かを大切に思うことは、別に矛盾しないんじゃないかな」


「…………」


「僕だって、できることなら面倒な仕事はしたくないよ」


「……お兄様も?」


「もちろん」


 お兄様は、少し困ったように笑った。


「僕だって、好きな本を読んだり、散歩をしたり、ゆっくりお茶を飲んだりして過ごしたいさ」


「…………」


「でも、僕には僕の立場がある。だから、必要なことはする。それだけだよ」


 お兄様は、私の目を見つめた。


「君も、そうなんじゃないかな?」


「……私も?」


「うん。君は働きたくないと言いながら、必要なときにはちゃんと動いている」


「…………」


「それで、十分だと僕は思うよ」


 私は、何も言えなかった。


 ただ、涙が止まらなかった。


     ◇


「……お兄様」


「なんだい?」


「……私、怖かったんです」


「……うん」


「自分の知っていることを話したら、もっと色々なことを求められるんじゃないかって……」


 私は、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「……だから、できるだけ何も話さないようにしていました」


「……そうだったんだね」


「……でも」


 私は、顔を上げた。


「お兄様が、そんなふうに考えてくださっていたなんて……知りませんでした」


 お兄様は、静かに頷いた。


「……僕も、君が何を考えているのか、全部分かるわけじゃないよ」


「…………」


「だから、話してくれて嬉しい」


 その言葉に、また涙が溢れた。


 ……ああ。


 私は、本当に。


 何も分かっていなかったんだ。


 お兄様は、私を王位継承争いの相手として見ているだけではなかった。


 私を、妹として見てくれていた。


 それが、こんなにも嬉しいなんて。


「……お兄様」


「うん?」


「……ありがとうございます」


 私は、深く頭を下げた。


「……本当に、ありがとうございます」


 お兄様は、そっと私の頭に手を置いた。


「……どういたしまして」


 その手は、とても温かかった。


 私は、しばらく俯いたまま、泣き続けた。


 お兄様は、何も急かさなかった。


 ただ、私が落ち着くまで、静かに傍にいてくれた。


     ◇


 どれくらい時間が経っただろう。


 ようやく涙が落ち着いた頃、私はサリナから差し出された布で目元を拭った。


「……ごめんなさい、サリナ」


「お気になさらず」


 サリナは、いつもの穏やかな笑みを浮かべていた。


 ……ああ。


 そういえば、サリナもずっと傍にいてくれたのよね。


 私が何を考えているのか、誰よりも理解してくれている。


 ……本当に。


 私は、周りの人たちに恵まれているわ。


「……お兄様」


「なんだい?」


「……一つだけ、お願いしてもいいですか?」


「もちろん。僕にできることならね」


 私は、少しだけ迷った。


 けれど、今度は逃げたくなかった。


「……いつか」


「うん」


「いつか、私のことを……全部、お話しできる日が来たら」


 私は、お兄様を見つめた。


「……聞いて、いただけますか?」


 お兄様は、少しだけ目を見開いた。


 そして、ゆっくりと微笑んだ。


「……もちろんだよ」


「…………」


「でも、無理はしなくていい」


 お兄様は、優しく続けた。


「君が話したいと思ったときに、話してくれればいい。それまでは、今までどおりで構わないよ」


「……はい」


 私は、頷いた。


 ……いつか。


 いつか、本当に話せる日が来るのだろうか。


 前の世界のこと。


 私が、ここではない場所から来たこと。


 そして、私が知っているものの中には、この世界に持ち込んではいけないものもあるということ。


 ……まだ、分からない。


 けれど。


 少なくとも、今は。


 この人になら、いつか話せるかもしれない。


 そう思えた。


「……さて」


 お兄様は、少しだけ明るい声を出した。


「そろそろ帰らないと、護衛たちに怒られてしまうかな」


「……ふふっ」


 私は、思わず笑ってしまった。


「お兄様でも、怒られるんですか?」


「もちろん。彼らにも仕事があるからね」


「……そうですね」


 私は、微笑んだ。


 ……ああ。


 やっぱり、お兄様は優しい。


 でも、優しいだけではない。


 王位継承権第一位としての責任を、誰よりも理解している。


 ……私とは、違う。


 けれど。


 だからこそ、私は。


 この人の力になれることがあるのなら、少しくらいは協力してもいいのかもしれない。


 ……少しくらい、だけど。


「……リリアーナ」


「はい?」


「最後に、一つだけいいかな?」


「……何でしょう?」


 お兄様は、机の上に置かれたトランプを指さした。


「それ、ひと組もらってもいいかい?」


「……あら!」


 私は、思わず笑顔になった。


「もちろんです!」


「ありがとう。スペード領に戻ったら、皆にも教えてみようと思ってね」


「でしたら、遊び方を書いた紙もお渡しします!」


「それは助かるよ」


 私は、早速サリナに頼んで、トランプと遊び方をまとめた紙を用意してもらった。


 ……ふふふ。


 お兄様も、気に入ってくださったのね。


 私は、少し嬉しくなった。


 そして、ふと思った。


 ……そういえば。


 お兄様が、こんなに楽しそうに遊んでいる姿を見るのは、初めてだったかもしれない。


 王位継承権第一位。


 いつも多くの仕事を抱え、周囲から期待されている人。


 そんなお兄様だって、たまには休みたいはずだ。


 ……うん。


 やっぱり、遊びは大切よね。


 私は、トランプを受け取ったお兄様に微笑んだ。


「……お兄様」


「なんだい?」


「今度は、仕事抜きで遊びに来てくださいね」


 お兄様は、少し驚いたように目を見開いた。


 そして。


「……ああ。約束するよ」


 今までで一番、優しい笑顔を浮かべた。

お読み頂き、ありがとうございます。

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