第十五話 広がる知識と……
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
「……平和ねえ」
ジョーカー領の屋敷。
私は執務室の窓から外を眺めながら、温かいお茶を飲んでいた。
あれから二ヶ月。
五つの領地で進めていた協力事業は、ようやく体制が整ったらしい。
ダイヤ領を中心とした共同輸送。
ハート領との商品製作と販売。
クラブ領との街道警備と情報共有。
そして、スペード領が中心となって進めていた、共通書式の整備。
それぞれの担当者が話し合い、問題点を洗い出し、役割を分担してきた。
私も最初のうちは、何度も報告書を確認したり、手紙を書いたりしていたけれど、今ではアルベルトたちがほとんどの調整を進めてくれている。
……素晴らしいわ。
やっぱり、仕事はできる人に任せるべきよね。
「……サリナ」
「はい、殿下」
「最近、随分と暇になったと思わない?」
「皆様が、それぞれのお役目を果たしてくださっておりますので」
「そうなのよ!」
私は嬉しくなって頷いた。
「最初から、こうしておけばよかったのよねえ」
「……左様でございますね」
サリナは、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。
……何よ。
また、何か言いたそうね。
「……それで、殿下」
「なあに?」
「本日は、レオナルド殿下がお越しになる予定でございます」
「……ああ、そうだったわね」
私は頷いた。
五つの領地で進めていた協力事業について、すべての体制が整ったという。
その報告と、今後の運用について最終的な確認をするため、レオナルドお兄様がジョーカー領を訪れることになったのだ。
……まあ、もう担当者同士で話がまとまっているのだから、そんなに難しい話にはならないでしょう。
「……お茶とお菓子の準備は?」
「すでに整えております」
「さすがね、サリナ!」
「恐れ入ります」
私は満足して頷いた。
……ふふふ。
今日は、お兄様とお茶を飲みながら、報告を聞くだけ。
これなら、仕事というほどでもないわね。
◇
「久しぶりだね、リリアーナ」
「お久しぶりです、レオナルドお兄様」
昼過ぎ。
レオナルドお兄様が、ジョーカー領の屋敷へ到着した。
「元気そうで何よりだよ」
「お兄様も、お元気そうで安心しました」
「ありがとう。こちらは随分と忙しかったけれどね」
「……そうなんですか?」
「五つの領地で使う書類を揃えるとなると、思っていた以上に調整が必要でね」
お兄様は、苦笑した。
「各領地で使っている言葉や、記入する順番が違うだけでも、確認する側には負担になるんだ」
「……なるほど」
私は頷いた。
確かに、同じ内容でも書き方が違えば、確認するのが大変だ。
「でも、ようやくまとまったよ」
「……本当ですか?」
「ああ。共通書式の案も各領地で確認が終わった。輸送や警備の連絡体制も整っている」
「……それは、よかったです!」
私は笑顔になった。
……これで、ようやく一段落ね。
「今後は、実際に運用しながら問題を修正していくことになるけれど、基本的な仕組みは完成したと言っていいだろう」
「……素晴らしいですね!」
「君が最初に提案してくれたおかげだよ」
「……いえいえ!」
私は慌てて首を振った。
「皆さんが頑張ってくださったからです!」
「もちろん、それもあるね」
お兄様は微笑んだ。
「ただ、五つの領地が協力するきっかけを作ったのは、君だよ」
「…………」
……また、それ。
私は、曖昧な笑みを浮かべた。
……お兄様。
その話は、できれば忘れていただきたいのですが。
◇
報告が一段落したところで、私はお兄様を別室へ案内した。
せっかく来てくださったのだから、少しくらいゆっくりしていただきたい。
……それに。
私も、そろそろお茶が飲みたい。
「こちらへどうぞ、お兄様」
「ありがとう」
お兄様が椅子に腰掛ける。
サリナがお茶を用意している間、私は机の上を片づけ始めた。
……あ。
トランプ、出しっぱなしだったわ。
昨日、サリナと遊んだままになっていたのだ。
私は札を集めようとした。
「……リリアーナ」
「はい?」
「それは何だい?」
お兄様が、机の上の札を指さした。
「……ああ、これですか?」
私は札を手に取った。
「トランプです」
「……トランプ?」
「はい。最近作った遊び道具なんですよ」
私は、札を広げて見せた。
スペード。
クラブ。
ダイヤ。
ハート。
そして、ジョーカー。
「……なるほど。領地の名前と同じなんだね」
「ええ。ちょうど五種類あったので、使ってみました」
お兄様は、一枚の札を手に取った。
「……随分と綺麗に揃っているね」
「そうでしょう?」
私は嬉しくなって頷いた。
「最初は手描きだったんですけど、同じものを何枚も描くのは大変なので、木の板に模様を彫って、紙に写すようにしたんです」
「……木の板に?」
「はい」
私は、札の裏側を見せた。
「この模様も、全部同じでしょう? 一枚ずつ描いていたら大変ですから」
「……なるほど」
お兄様は、札を裏返したり、重ねたりしながら眺めていた。
「……つまり、同じ模様なら、何枚でも作れるということかい?」
「そうです!」
私は頷いた。
「型さえ作ってしまえば、あとは紙に写すだけですから」
「…………」
お兄様は、しばらく札を見つめていた。
……あら?
どうしたのかしら。
「……リリアーナ」
「はい?」
「これ、書類にも使えないかな?」
「……書類?」
私は首を傾げた。
「ほら、先日話した共通書式だよ」
「……ああ!」
「毎回同じ項目を書く必要があるだろう? 名前、住所、取引する商品、数量、届け先……」
「……そうですね」
「それを、最初から紙に写しておくことはできないかな?」
「…………」
私は、手元のトランプを見つめた。
……あ。
……ああ!
「……できますよ!」
「……本当かい?」
「ええ!」
私は勢いよく頷いた。
「だったら、最初から枠や項目を印刷してしまえばいいんですよ!」
「……印刷?」
「はい!」
私は机の上に紙を広げた。
「例えば、ここに名前を書く欄を作って、その下に住所、その下に商品名……というふうに、必要な項目を全部並べるんです」
私は、紙に簡単な見本を描いた。
「これを木の板に彫って、何枚も紙に写せばいいんです!」
「……なるほど」
お兄様は、身を乗り出した。
「そうすれば、役所の職員が毎回同じ項目を書く必要がなくなるね」
「そうです!」
「商人たちも、必要な場所に記入するだけで済む」
「はい!」
私は嬉しくなって頷いた。
……あら。
これ、なかなか便利じゃない?
◇
「……ただ、一つ問題があるね」
「……何でしょう?」
お兄様は、私が描いた書類を指さした。
「同じ書式なら、それでいい。けれど、書類には様々な種類があるだろう?」
「……そうですね」
「そのたびに木の板を彫るとなると、職人の負担が大きいんじゃないかな」
「……ああ」
私は頷いた。
確かに、同じ書類を何百枚も作るなら便利だ。
でも、少し内容が変わるたびに新しい板を作るのは大変ね。
……うーん。
私は、しばらく考えた。
……あ。
「……お兄様」
「何だい?」
「文字を、一つずつ別の型にすればいいんじゃないでしょうか?」
「……一つずつ?」
「はい!」
私は紙に文字を書いた。
「例えば、この文字だけを彫った小さな型を作るんです」
「……うん」
「それを、必要な順番に並べて、文章にするんですよ!」
お兄様は、目を見開いた。
「……なるほど」
「そうすれば、文章が変わっても、型を並べ直すだけで済むでしょう?」
「……確かに!」
私は頷いた。
「もちろん、同じ文字が何度も出てくるなら、その分の型も必要ですけど」
「それでも、毎回一枚の板を彫り直すよりは効率がいいかもしれないね」
「そうです!」
私は、机の上に文字を書き並べた。
「それに、文字の大きさを揃えておけば、綺麗に並べられると思うんです」
「……なるほど」
お兄様は、しばらく考え込んだ。
「……これは、試してみる価値がありそうだね」
「……そうでしょう?」
私は嬉しくなって笑った。
……ふふふ。
また一つ、便利なものが作れそうね。
「……リリアーナ」
「はい?」
「職人を呼んでくれるかい?」
「……え?」
「実際に作れるか、相談してみたい」
「…………」
……あれ?
何だか、嫌な予感がする。
◇
それから一時間後。
執務室には、アルベルトと、トランプの製作に関わった職人たちが集まっていた。
「……なるほど」
職人の一人が、私の描いた見本を眺めた。
「文字を一つずつ彫った型を作り、それを並べて紙に写すのでございますね」
「そうよ」
私は頷いた。
「できそうかしら?」
「……試してみる価値はあると思います」
「……本当?」
「はい。ただし、いくつか問題がございます」
職人は、紙に簡単な図を描いた。
「まず、文字の大きさを揃える必要がございます」
「……そうね」
「それから、並べた型が動かないように固定しなければなりません」
「……なるほど」
「さらに、紙へ均等に色を写す方法も考える必要がございます」
私は頷いた。
……確かに。
文字の高さが少しでも違えば、綺麗に写らない。
並べた型が動けば、文章が崩れてしまう。
……思ったより、難しいわね。
「……では、まずは簡単なものから試してみましょう」
レオナルドお兄様が口を開いた。
「最初から長い文章を作る必要はない。短い見出しや、決まった項目だけでも構わないよ」
「……なるほど」
職人たちは頷いた。
「それなら、試作品を作れるかもしれません」
「お願いできるかな?」
「承知いたしました」
お兄様は、満足そうに微笑んだ。
「費用については、スペード領でも負担しよう。共通書式の整備に関わる仕事だからね」
「……ありがとうございます!」
私は思わず頷いた。
……あら。
それなら、ジョーカー領だけの仕事にはならないわね。
……よかった。
「それから、リリアーナ」
「はい?」
「試作品ができたら、僕にも見せてほしい」
「もちろんです!」
「それと、もし上手くいくようなら、役所で使う書類以外にも応用できるかもしれないね」
「……そうですね!」
私は頷いた。
……例えば。
本。
新聞。
広告。
……あら?
これ、色々なものに使えるんじゃない?
「……お兄様」
「何だい?」
「これ、書類だけじゃなくて、本も作れるかもしれませんね」
「……本?」
「ええ。同じ文章を何冊も作るなら、手で書き写すより早いでしょう?」
「…………」
お兄様は、しばらく私を見つめた。
「……リリアーナ」
「はい?」
「それは、随分と大きな話になりそうだね」
「……そうでしょうか?」
「うん。書物を作る費用が下がれば、今まで本を買えなかった人たちにも届くようになるかもしれない」
「……ああ!」
私は手を叩いた。
「それなら、勉強にも使えますね!」
「そうだね」
お兄様は、楽しそうに微笑んだ。
「これは、思っていた以上に面白い技術かもしれないよ」
「……そうですね!」
私は笑顔で頷いた。
……ふふふ。
トランプを作っただけなのに、随分と便利なものができそうね。
◇
夕方。
職人たちとの話し合いを終えたお兄様は、机の上に置かれたトランプへ視線を向けた。
「ところで、リリアーナ」
「はい?」
「せっかくだから、そのトランプという遊びを教えてもらえないかな?」
「……あら!」
私は思わず笑顔になった。
「もちろんです!」
「ありがとう。さっきから、少し気になっていたんだ」
「でしたら、皆で遊びましょう!」
私はサリナを振り返った。
「サリナ、お兄様の護衛の方々にも声をかけてちょうだい」
「かしこまりました」
こうして、レオナルドお兄様と、その護衛たち、サリナ、そして私で、トランプをすることになった。
◇
「……なるほど。同じ数字を揃えるんだね」
「そうです!」
まずは、神経衰弱。
机の上に裏返して並べた札を、順番に二枚ずつめくっていく。
お兄様は、最初こそ慎重に札を選んでいたけれど、何度か繰り返すうちに、次々と同じ数字を揃えるようになった。
「……あら?」
「これと、これだったかな」
お兄様が二枚の札をめくる。
同じ数字。
「……正解です」
「ありがとう」
……おかしい。
初めて遊ぶはずなのに。
どうして、こんなに覚えているのかしら。
しかも、サリナまで相変わらず強い。
……むう。
私は、少し不満になった。
「……次は、別の遊びにしましょう!」
「ほかにもあるのかい?」
「もちろんです!」
私は札を集めた。
今度は、ババ抜き。
それから、七並べ。
最後には、簡単なポーカーも教えてみた。
最初は遠慮していた護衛たちも、少しずつ遊びに夢中になっていった。
「……これは、なかなか面白いですね」
「同じ札なのに、遊び方でまったく違うものになるとは」
護衛たちが、楽しそうに話している。
お兄様も、手元の札を眺めながら微笑んでいた。
「確かに、これは面白いね」
「でしょう?」
私は得意げに頷いた。
「人数や気分に合わせて、色々な遊び方ができるんですよ!」
「なるほどね」
お兄様は、感心したように札を重ねた。
◇
楽しい時間は、あっという間に過ぎてしまった。
護衛たちが札を片づけ、サリナがお茶を淹れ直してくれる。
お兄様は、最後まで残っていた一枚の札を手に取った。
ジョーカー。
道化師の絵が描かれた札だ。
「……それにしても」
「はい?」
「こんなに色んな遊び方を思いつくなんて、凄いね」
「…………」
私は、思わず動きを止めた。
……あ。
そうだった。
私は、トランプを作った。
遊び方も、いくつも教えた。
でも、それは私が考えたものではない。
前の世界で知っていたものを、こちらへ持ち込んだだけだ。
……まずい。
どう説明しよう。
思いついた、と言えばいいのかしら。
それとも、どこかで聞いたことがあるとでも……。
私は、慌てて言い訳を考えた。
けれど。
お兄様は、それ以上何も聞いてこなかった。
ただ、穏やかに微笑んでいる。
……あれ?
ふと、あることに気づいた。
以前、お兄様に聞かれたことがあった。
私が、その知識をどこで得たのか。
あのとき、私は答えなかった。
答えられなかったのではない。
答えようとしなかったのだ。
お兄様なら、その違いに気づいていたはず。
……なのに。
それ以降、お兄様は一度も聞いてこなかった。
私が何を作っても。
どんな考えを口にしても。
まるで、最初から聞くつもりがないかのように。
……どうして?
私は、そっとお兄様を見た。
いつもと変わらない、穏やかな表情。
その顔を見つめているうちに、胸の奥で小さな疑問が膨らんでいった。
……聞いても、いいのかしら。
もし、聞いてしまったら。
今までと何かが変わってしまうかもしれない。
それでも。
私は、確かめたくなった。
「……お兄様は……」
お読み頂き、ありがとうございます。




