第九話 順調過ぎれば当然
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
仕事を始めてから、二月が過ぎた。
街道の補修は順調に進み、使われていなかった倉庫も、少しずつ活用され始めている。
おかげで、商人たちの荷物の運搬も、以前より円滑になってきたらしい。
……素晴らしい。
実に素晴らしい。
これで少しは仕事が減るはず。
そう思っていたのだけれど。
「……アルベルト」
「はい、殿下」
「どうして書類が増えてるの?」
私は、机の上に積まれた書類を見つめながら尋ねた。
昨日、確かに片づけた。
それも、かなりの量を。
なのに、今朝になったら昨日より増えている。
……おかしい。
「街道の補修が進んだことで、商人たちの往来が増えておりますので」
「……それは聞いたわ」
「それに伴い、工房への注文も増えております」
「……それも聞いたわ」
「さらに、新しく商売を始めたいという者からの相談も増えておりまして」
「…………」
私は、ゆっくりと顔を上げた。
「……ちょっと待って」
「はい」
「道を直したのよね?」
「左様でございます」
「倉庫も増えたわよね?」
「はい」
「それで、仕事が増えたの?」
「……はい」
「…………」
私は、そっと机に突っ伏した。
……どうして。
どうして、こうなるのよ。
◇
それからも、ジョーカー領の変化は続いた。
街道に馬車の待避場所を設けたことで、荷物の運搬にかかる時間が短くなった。
橋の補修も進み、以前は通行を避けていた商人たちが、ジョーカー領を訪れるようになった。
使われていなかった倉庫は、職人や商人たちが共同で借りることになり、材料や完成品の保管場所として活用され始めた。
すると、今度は工房への注文が増えた。
天幕。
折り畳み椅子。
釣り道具。
屋外で料理をするための道具。
私が遊ぶために作らせた品々は、いつの間にかジョーカー領の新しい商品になっていた。
職人たちは人を雇い、仕事を教え、工房を広げていった。
当然、それに伴って新しい問題も生まれる。
材料が足りない。
人手が足りない。
作業する場所が足りない。
……足りないものばかりじゃない!
私はアルベルトと相談し、職人たちに集まってもらうことにした。
そこで、それぞれの工房が抱えている問題を話し合ってもらったのだ。
すると、意外にも解決できることが多かった。
木材の加工が得意な工房。
金具の製作が得意な工房。
布の裁断や縫製が得意な工房。
それぞれが得意な仕事を引き受ければ、一つの工房ですべてを作る必要はない。
材料をまとめて購入するという提案も出た。
新人には、比較的簡単な作業から覚えてもらうことになった。
もちろん、すべてが上手くいったわけではない。
工房ごとに仕事のやり方は違うし、品質について意見が分かれることもあった。
それでも、職人たちは自分たちで話し合い、少しずつ協力するようになっていった。
……素晴らしい。
これで、私の仕事も減るはず。
そう思っていたのだけれど。
「殿下。街道沿いに新しい食堂を開きたいという相談がございます」
「……そう」
「それから、宿屋を増築したいという申請も」
「……そう」
「新しい工房を建てるため、土地を購入したいという者もおります」
「…………」
……増えてる。
また仕事が増えてる!
食堂が増えれば、食材が必要になる。
宿屋が増えれば、働く人が必要になる。
工房が増えれば、材料を運ぶ商人が必要になる。
そして、人が増えれば、住む場所や水の確保まで考えなければならない。
……何なのよ、これ。
問題を解決するたびに、新しい問題が出てくるじゃない!
それでも、仕事を放り出すわけにはいかない。
私はアルベルトや役人たちと相談しながら、一つずつ問題を片づけていった。
そして、さらに数月が過ぎた。
◇
ジョーカー領へ赴任してから、一年と半年。
つまり、二年間の領地統治も、残り半年となった。
「……ようやく、ここまで来たわね」
私は執務室の椅子に深く腰掛けた。
長かった。
本当に長かった。
いや、正確には、仕事を始めてからまだ半年しか経っていない。
けれど、私にとっては一年以上働いたような気分だった。
……前世の記憶が蘇るわ。
「殿下、お疲れ様でございます」
サリナが温かいお茶を差し出してくれた。
「ありがとう……」
私はカップを受け取り、一口飲んだ。
……美味しい。
最近、この時間だけが楽しみになりつつある。
「……ねえ、サリナ」
「はい」
「あと半年で終わりなのよね?」
「左様でございます」
「……そうよね」
私は、思わず頬を緩めた。
あと半年。
あと半年頑張れば、王命による領地統治は終了する。
そうすれば、きっとお父様も私のことを放っておいてくれるはず。
……今度こそ、のんびり暮らすのよ。
「失礼いたします」
そんなことを考えていると、アルベルトが執務室へ入ってきた。
「殿下。半年分の収支報告書と、年度末までの見込みがまとまりました」
「あら、ありがとう」
私は書類を受け取った。
……さて。
領地の状況を確認しておきましょうか。
この半年、色々と仕事をした。
街道を直し、倉庫を確保し、職人たちの仕事を調整した。
その結果が、どの程度数字に表れているのか。
少しくらいは、成果が出ていると嬉しいのだけれど。
「……へえ」
最初に目を通したのは、商業に関する報告だった。
商人の往来が増えている。
工房の数も増えている。
新しく雇用された者も多い。
……いいじゃない。
「……宿屋や食堂の売上も増えてるのね」
「はい。街道の整備によって、商人たちが以前より立ち寄りやすくなったようでございます」
「それはよかったわ」
私は微笑んだ。
次に確認したのは、領地の収支だった。
税収。
公共事業の支出。
街道や橋の維持費。
各村の収入の変化。
……ふむ。
工事にお金は使ったけれど、その分、商売も活発になっている。
収支も悪くない。
むしろ、予想していたよりずっといい。
「……アルベルト」
「はい」
「随分と順調なのね」
「はい。殿下のおかげでございます」
「大げさねえ。皆が頑張ってくれたからでしょう?」
「もちろん、領民たちの努力も大きいと考えております」
アルベルトは嬉しそうに微笑んだ。
「しかし、そのきっかけを作られたのは殿下でございます」
「……そうかしら」
私は首を傾げた。
まあ、確かに最初に天幕を作らせたのは私だけれど。
あれは、山でのんびり眠りたかっただけだし。
釣り道具だって、魚を釣りたかっただけ。
料理道具も、外で美味しいものを食べたかっただけなのよね。
……でも、結果が出たなら、それはそれでいいことだわ。
私は満足して、次の書類へ手を伸ばした。
年度末までの見込み。
残り半年間で、どの程度の収入と支出が予想されるのかをまとめたものだ。
「……ふむふむ」
私は数字を追っていった。
商業収入は、今後も増加する見込み。
新しく開業する店舗も、いくつか予定されている。
工房の受注も好調。
街道の整備によって、さらに商人の往来が増える可能性がある。
……素晴らしい。
実に素晴らしい。
「……あれ?」
私は、ある数字に目を止めた。
もう一度、確認する。
それから、最初の報告書へ戻った。
赴任前の数字。
現在の数字。
そして、半年後の見込み。
「…………」
私は、ゆっくりと顔を上げた。
「……アルベルト」
「はい、殿下」
「この見込みって、かなり控えめに計算してる?」
「はい。現在確認できている取引や、開業予定の店舗などを基に算出しております」
「……まだ増える可能性もあるの?」
「もちろんでございます」
「…………」
私は、もう一度書類を見た。
……まずい。
非常にまずい。
最初の一年間は、遊んでいただけだった。
それでも、少しずつ領地は発展していた。
そして、二年目。
私は仕事を始めた。
街道を整え、倉庫を確保し、職人たちが働きやすい環境を作った。
その結果。
……発展が加速してるじゃない!
「……サリナ」
「はい、殿下」
私は、そっと報告書を持ち上げた。
「……これ、どう思う?」
サリナは書類に目を通した。
そして、静かに頷いた。
「……これは」
「……うん」
「殿下のお考えですと、“まずい”かと」
「……なんでわかるのよ、じゃなくて!」
私は、思わず立ち上がった。
「どうしてこうなるのよ!」
アルベルトが驚いたように目を見開いた。
「で、殿下? 何か問題でもございましたか?」
「……あるわ」
「……何でしょう?」
「……いえ、何でもないの」
私は、ゆっくりと椅子へ座り直した。
落ち着きなさい、リリアーナ。
まだ半年ある。
今なら、何とかなるかもしれない。
……いや、何とかするって、何を?
領地の発展を止める?
そんなこと、できるわけがない。
せっかく職人たちが仕事を得て、商人たちが儲かり、領民たちの暮らしが良くなっているのに。
それを、自分が休みたいからという理由で止めるなんて。
……駄目よね。
私は、再び報告書へ目を落とした。
このまま順調に進めば、ジョーカー領は二年間で大きな成果を上げることになる。
そして、お父様はその成果を評価する。
……あのお父様が。
第一章で、ボーリング地方を発展させた私に、王位継承権を与えたお父様が。
今度は、何を言い出すか分かったものじゃない。
私は、ゆっくりと天井を仰いだ。
……休みたいだけなのに。
どうして、こうなっちゃうのかしら。
◇
「……殿下」
しばらく黙っていると、アルベルトが心配そうに声をかけてきた。
「本当に、何か問題があるのでしょうか?」
「……いいえ」
私は首を横に振った。
「領地に問題があるわけじゃないの」
「……そうでございますか」
「むしろ、順調すぎるくらいよ」
アルベルトは、ほっとしたように微笑んだ。
「それは何よりでございます」
「……そうね」
私は苦笑した。
領地にとっては、間違いなく良いことだ。
問題があるのは、私の方。
……でも。
このまま何もしなければ、お父様からの評価は私一人に集中してしまうかもしれない。
それだけは避けたい。
私は、机の上に置かれた地図へ目を向けた。
ジョーカー領。
その周囲には、四つの領地がある。
スペード領。
クラブ領。
ダイヤ領。
ハート領。
それぞれ、お兄様やお姉様が統治している領地だ。
「…………」
私は、しばらく地図を眺めた。
……そうよね。
別に、ジョーカー領だけが発展する必要はないのよね。
お兄様たちだって、それぞれ頑張っているはず。
だったら。
「……アルベルト」
「はい」
「少し、考えたいことができたわ」
「……何でございましょう?」
「まだ、決まったわけじゃないの」
私は地図の上へ指を置いた。
「でも、ジョーカー領だけで何でもやろうとする必要はないと思うのよね」
「……と、申されますと?」
「例えば、商人たちの荷物を運ぶ道って、ほかの領地にもつながっているでしょう?」
「はい」
「だったら、ほかの領地と協力できることもあるんじゃないかしら」
アルベルトは、少し考えたあと頷いた。
「確かに、領地同士で協力できれば、さらに商業が発展する可能性がございます」
「……そうよね」
私は微笑んだ。
……ふふふ。
そう。
皆で協力すればいいのよ。
皆で成果を上げれば、私一人だけが目立つこともない。
お兄様たちの領地も発展する。
ジョーカー領も発展する。
皆が喜ぶ。
そして、私は目立たずに済む。
……完璧じゃない!
「……サリナ」
「はい、殿下」
「何か言いたそうね?」
「いえ」
サリナは、いつもの穏やかな笑みを浮かべた。
「殿下がお考えになったことでございますので」
「……何よ、その言い方」
「何でもございません」
「…………」
……まあ、いいわ。
とにかく、残り半年。
今度こそ、目立たずに終わらせてみせる。
私は、四つの領地が描かれた地図を見つめながら、固く決意した。
お読み頂き、ありがとうございます。




