第八話 急速な発展は軋轢を生む
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
「……思ったより大変ね」
ジョーカー領の執務室。
机の上に広げられた地図を眺めながら、私は小さく呟いた。
仕事を始めてから、早くも一週間。
最初に手をつけることにしたのは、街道の整備と荷物の保管場所の確保だった。
簡単に言えば、道を直して、倉庫を増やす。
それだけの話なのだけれど。
「……どうして、こんなに問題が出てくるのかしら」
「領地全体に関わることでございますから」
隣に控えていたサリナが、涼しい顔で答えた。
「……そうよね」
分かっている。
分かってはいるのだ。
けれど、分かっていることと、実際にやることは違う。
道を直すには、人手がいる。
人手を集めるには、お金がいる。
工事をするには、資材がいる。
そして、資材を運ぶには道が必要になる。
「……道を直すために、道が必要なのね」
「左様でございます」
「……何だか、嫌になるわ」
私は椅子の背もたれに体を預けた。
仕事とは、どうしてこうも次から次へと問題が出てくるのだろう。
せっかく一年間、のんびり過ごしていたというのに。
「……殿下」
「なあに?」
「アルベルト様がお見えでございます」
「……通してちょうだい」
私は背筋を伸ばした。
休みたい。
でも、今は仕事中だ。
……悲しい。
◇
「失礼いたします」
アルベルトが執務室へ入ってきた。
手には、数枚の書類を持っている。
「街道の調査結果がまとまりました」
「ありがとう。見せてちょうだい」
私は書類を受け取り、目を通した。
補修が必要な場所。
道幅を広げた方がよい場所。
橋の傷み具合。
工事に必要な人数と費用。
どれも、予想していたより厄介だった。
「……全部やったら、かなりのお金がかかるわね」
「はい。領地の財政だけでは、一度に実施することは難しいかと」
「そうよね……」
私は地図に目を落とした。
ジョーカー領は山と川に囲まれ、海にも面している。
自然が豊かなのは素晴らしい。
遊ぶ場所には困らない。
けれど、荷物を運ぶとなると話は別だ。
山を越える道は狭い。
川には橋が必要。
海沿いの道は遠回りになる場所もある。
しかも、道を広げようとすれば、土地の持ち主との話し合いも必要になる。
「……アルベルト」
「はい」
「今、一番荷物が通っているのはどこ?」
アルベルトは地図の一箇所を指さした。
「こちらの街道でございます。隣領から材料を運び込む商人の多くが利用しております」
「……なるほど」
私は、その道を指でなぞった。
途中に橋が一つ。
それから、道幅の狭い区間がある。
「ここ、馬車がすれ違えないのよね?」
「はい。片方が道を譲らなければなりません」
「……面倒ね」
「左様でございます」
私は少し考えた。
道を広げれば解決する。
けれど、それには時間もお金もかかる。
だったら。
「……ここに、馬車が待てる場所を作れない?」
「……待てる場所、でございますか?」
「ええ。全部の道を広げるのが難しいなら、途中に何箇所か広い場所を作ればいいでしょう?」
私は地図の上を指さした。
「馬車同士がすれ違える場所があれば、ずっと狭い道を走るよりは楽になるんじゃない?」
アルベルトは地図を見つめた。
「……確かに、その方法なら工事の範囲を抑えられます」
「でしょう?」
「ただし、見通しの悪い場所では、対向する馬車が分からない可能性がございます」
「……そうね」
私は頷いた。
そこは問題だ。
待つ場所を作っても、向こうから馬車が来ていると分からなければ、結局途中で鉢合わせする。
「だったら、見通しのいい場所を選ぶとか……」
「あるいは、通行する時間を分ける方法もございます」
「……時間?」
「はい。荷物を運ぶ馬車が集中する時間帯を調べ、通行する方向を調整するのです」
「ああ、なるほど!」
私は手を叩いた。
「それなら、大きな工事をしなくても済むかもしれないわね!」
「はい。ただし、商人たちの協力が必要になります」
「そこは相談してみましょう」
私は地図を見ながら頷いた。
全部を作り直す必要はない。
今あるものを、少し使いやすくする。
それだけでも、随分と違うはずだ。
「……まずは、できるところからね」
「承知いたしました」
◇
次に確認したのは、荷物の保管場所だった。
「……倉庫が足りないのよね?」
「はい。特に、職人たちが使う材料と、完成した製品を保管する場所が不足しております」
「……ふむ」
私は報告書を眺めた。
注文が増えたのはいい。
でも、材料が届いても置く場所がない。
完成した品も、商人が取りに来るまで工房に置いておかなければならない。
そのせいで、作業する場所まで狭くなっているらしい。
「……倉庫を建てるしかないのかしら」
「それも一つの方法でございます」
「……ほかには?」
アルベルトは少し考えた。
「使われていない建物を借りることも可能かと」
「……あるの?」
「はい。以前、商人が利用していた建物がございます。現在はほとんど使われておりません」
「それ、先に言ってよ!」
「……申し訳ございません」
「あ、いえ、責めてるわけじゃないのよ?」
私は慌てて手を振った。
「ただ、使える建物があるなら、わざわざ新しく建てなくてもいいじゃない」
「はい。ただし、修繕は必要になるかと」
「それでも、新しく建てるよりは安いでしょう?」
「おそらくは」
「なら、まずは見に行きましょう」
私は立ち上がった。
すると、サリナが口を開いた。
「殿下」
「なあに?」
「本日は、ほかにもご確認いただく書類がございます」
「…………」
私は、ゆっくりと椅子へ座り直した。
「……アルベルト」
「はい」
「現地の確認、お願いしてもいいかしら?」
「もちろんでございます」
「……ありがとう」
私は心から感謝した。
頼れる人がいるって、素晴らしい。
◇
数日後。
アルベルトから、使われていない建物について報告があった。
古い倉庫が二棟。
それから、以前は商人の荷物置き場として使われていた建物が一棟。
いずれも修繕すれば使用できる状態らしい。
「……思ったよりあるのね」
「はい。ただし、所有者が異なりますので、それぞれ交渉が必要でございます」
「……そうよね」
私は頷いた。
勝手に使うわけにはいかない。
それに、建物を借りるなら賃料も必要だ。
「……アルベルト」
「はい」
「これ、領地で全部借りる必要はあるの?」
「……と、申されますと?」
「だって、使うのは職人や商人でしょう?」
私は報告書を指さした。
「領地が倉庫を借りて、無料で使わせるのも変じゃない?」
「……確かに」
「だったら、使いたい人たちに話を聞いてみたらどうかしら」
私は少し考えた。
「例えば、何人かの職人で一つの倉庫を借りるとか。商人たちが共同で使うとか」
アルベルトは頷いた。
「共同で借りれば、一人当たりの負担も抑えられますな」
「そうそう」
「ただし、保管する品の管理や、費用の分担について取り決めが必要になります」
「……そこは、使う人たちで相談してもらいましょう」
私は即答した。
何でも領地が決めていたら、仕事が増えるだけだ。
それに、実際に使う人たちの方が、必要なことをよく分かっているはず。
「領地は、建物の所有者との話し合いを手伝ったり、問題が起きたときに相談に乗ったりすればいいんじゃない?」
「……なるほど」
アルベルトは少し考えたあと、頷いた。
「それならば、領地の負担を抑えつつ、必要な場所を確保できるかもしれません」
「でしょう?」
私は満足して頷いた。
……よし。
これで、倉庫の問題も少しは前に進みそうだ。
◇
それから一月。
街道の一部では、馬車がすれ違うための待避場所を作る工事が始まった。
橋の補修も、傷みの大きい場所から順番に進められている。
倉庫についても、職人や商人たちが話し合い、いくつかの建物を共同で借りることになった。
もちろん、すべてが順調だったわけではない。
工事に必要な人手が足りなくなったり、倉庫の使用料をめぐって意見が分かれたり。
そのたびにアルベルトが調整し、必要なことを私に報告してくれた。
……本当に優秀よね、この人。
「……アルベルト」
「はい」
「いつもありがとうね」
「……殿下?」
アルベルトは、少し驚いたように顔を上げた。
「急に、どうなさいました?」
「いえ、改めて考えると、ほとんど貴方が動いてくれてるなって」
「それが私の務めでございますので」
「それでもよ」
私は微笑んだ。
「貴方がいてくれて、本当に助かってるわ」
「…………」
アルベルトは、しばらく黙っていた。
そして、深く頭を下げた。
「……もったいないお言葉でございます」
「大げさねえ」
私は苦笑した。
でも、本当にそう思っている。
私一人で、領地の隅々まで見て回ることなんてできない。
アルベルトが現場を確認し、役人たちが調査し、職人や商人たちが意見を出してくれる。
だからこそ、仕事が進んでいる。
……これが、組織ってものよね。
「……さて」
私は机の上の書類をまとめた。
「今日の仕事は、これくらいかしら?」
「殿下」
「……はい」
サリナが、静かに別の書類を差し出してきた。
「こちらも、ご確認をお願いいたします」
「…………」
私は、差し出された書類を見つめた。
……まだあるの?
「……サリナ」
「はい」
「仕事って、終わらないものなのね」
「左様でございますね」
サリナは、にっこりと微笑んだ。
私は深いため息をついた。
……ああ。
山が恋しい。
海が恋しい。
川が恋しい。
あの素晴らしかった一年間が、今となっては遠い昔のことのように思える。
私は窓の外を眺めた。
今日も、いい天気だった。
お読み頂き、ありがとうございます。




