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やり過ぎた!  作者: 涙目
第五章 トランプ地方編

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第七話 楽しい時間は瞬く間に

この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。

「もう一年経ったのね」


 ジョーカー領の屋敷。


 執務室の窓から庭を眺めながら、私はしみじみと呟いた。


 早いものだ。


 お父様から二年間の領地統治を命じられ、ジョーカー領へやってきてから、もう一年。


 山で遊び、川で遊び、海で遊び。


 釣りをしたり、料理をしたり、天幕で眠ったり。


 いやあ、楽しかった。


 実に楽しかった。


 前世では考えられないほど充実した一年だった。


 毎日仕事に追われ、休みの日には疲れ果てて寝ていた、あの頃の自分に教えてあげたい。


 世の中には、こんな素晴らしい生活があるのだと。


「……そろそろ仕事しなきゃ駄目よね」


「……」


 背後に控えていたサリナから、返事はなかった。


 振り返る。


 いつもの穏やかな表情。


 しかし、その目が何となく冷たい気がする。


「……やっぱり、明日から……」


「殿下」


「はい」


「殿下はご自分でおっしゃった事をお曲げになるのでしょうか」


「うぐっ……」


 そう。


 私は確かに言った。


 一年目は遊ぶ。


 二年目は仕事をする。


 それも、サリナの前で堂々と宣言した。


 つまり、逃げ道がない。


「……一日くらい」


「殿下」


「……半日」


「殿下」


「……はい」


 私は肩を落とした。


 サリナは決して声を荒らげない。


 ただ、静かに名前を呼ぶ。


 それだけで、なぜか逆らえなくなる。


「……分かったわよ。仕事するわ」


「かしこまりました」


 満足そうに微笑むサリナ。


 ……絶対、楽しんでるわよね?


     ◇


「アルベルトを呼んでちょうだい」


「かしこまりました」


 しばらくして、アルベルト・ジョーカー伯爵が執務室へやってきた。


「お呼びでしょうか、殿下」


「ええ。ちょっと領地の状況を確認したいの」


「……領地の状況、でございますか?」


「そうよ。そろそろ仕事を始めようと思って」


「…………」


 アルベルトが固まった。


 ……何よ、その反応。


「アルベルト?」


「……失礼いたしました」


 彼は軽く頭を下げた。


「承知いたしました。では、これまでの報告書をお持ちいたします」


「お願いね」


 アルベルトが部屋を出ていく。


 私は机へ向かった。


 さて。


 ここからは真面目にやらなければならない。


 お父様との約束は二年間。


 そのうち一年を遊んで過ごした以上、残された時間は一年しかない。


 まあ、アルベルトは優秀そうだし、領地の仕事も問題なく回っていた。


 そこまで大変なことにはならないでしょう。


 ……多分。


     ◇


「……え?」


 机の上に積まれた報告書を見て、私は首を傾げた。


「……アルベルト?」


「はい」


「これ、去年の数字よね?」


「はい。殿下が赴任される前年度の記録でございます」


「……で、こっちが今年?」


「左様でございます」


 私は二つの報告書を見比べた。


 ……おかしい。


 明らかに数字が違う。


「……商人の往来が増えてるわね」


「はい」


「職人の数も?」


「増えております」


「……宿屋の利用者も?」


「はい」


「……税収まで?」


「左様でございます」


 私は、もう一度数字を確認した。


 ……何これ。


「……アルベルト」


「はい」


「何か大きな事業でも始めたの?」


「いえ、特には」


「……じゃあ、どうして?」


 アルベルトは少し考えたあと、口を開いた。


「殿下が職人たちへ依頼された品々が、領内外で売れるようになったことが大きいかと」


「……私が?」


「はい。天幕や折り畳み椅子、釣り道具などでございます」


「ああ……」


 そういえば、そんな話も聞いた気がする。


「それらの製作に携わる職人が増え、材料を運ぶ商人も増えました。また、買い付けに訪れる商人たちが宿屋や食堂を利用するようになり、少しずつ領内の商業が活発になっております」


「……へえ」


 私は報告書へ目を落とした。


 確かに、私が注文した道具はどれも便利だった。


 便利なものなら、ほかの人だって欲しくなる。


 それは分かる。


 分かるけど。


「……こんなに売れるものなの?」


「私も、ここまでとは予想しておりませんでした」


 アルベルトは微笑んだ。


「職人たちも、非常に喜んでおります」


「……そう」


 それなら、まあ、よかった。


 私も気に入った道具を手に入れられたし、職人たちも儲かった。


 誰も損をしていない。


 素晴らしいじゃない。


 ……あれ?


 ちょっと待って。


「……アルベルト」


「はい」


「もしかして、私が何もしなくても、領地って発展するんじゃない?」


「…………」


 アルベルトは、何とも言えない表情を浮かべた。


「……殿下」


「なあに?」


「少なくとも、この一年で生まれた変化の多くは、殿下がきっかけでございます」


「……そうなの?」


「はい」


 ……困った。


 私は遊んでいただけなんだけど。


「……まあ、いいわ」


 私は報告書を閉じかけた。


 すると。


「殿下」


「……はい」


 サリナが静かに声をかけてきた。


「まだ、ご確認いただいていない書類がございます」


「…………」


 机の端を見る。


 そこには、まだ手をつけていない報告書が積まれていた。


 ……多い。


 非常に多い。


「……全部?」


「はい」


「……今日?」


「できるところまでで結構でございます」


 私は小さく息を吐いた。


 ……そうよね。


 仕事するって言ったものね。


     ◇


 それから数時間。


 私は、ひたすら報告書を読み続けていた。


 そして、一つのことに気がついた。


「……アルベルト」


「はい」


「これ、ちょっと困ったことになってない?」


「……と、申されますと?」


 私は報告書の一箇所を指さした。


「注文が増えてるのに、材料が届くまで時間がかかってるでしょう?」


「はい。街道の補修は進めておりますが、まだ十分とはいえません」


「それに、完成した品を保管する場所も足りなくなってる」


「……左様でございます」


「あと、職人が増えてるのはいいけど、仕事を覚えるまで時間がかかるわよね?」


「はい」


 私は腕を組んだ。


 ……なるほど。


 今のジョーカー領は、売れるものができたのに、それを十分に作ったり運んだりする準備が追いついていないのだ。


 せっかく注文が入っているのに、材料が届かない。


 品物ができても、置く場所がない。


 運ぼうにも、道が悪い。


 ……もったいない。


「……アルベルト」


「はい」


「今、一番困っているのは何?」


 アルベルトは少し考えた。


「……やはり、輸送でしょうか」


「そうよね」


 私は頷いた。


 道が悪ければ、何をするにも時間がかかる。


 材料を運ぶのも、品物を届けるのも、人が移動するのも。


 だったら、まずはそこから考えた方がよさそうだ。


「街道の地図を見せてもらえる?」


「承知いたしました」


 アルベルトが地図を広げる。


 私は椅子から立ち上がり、その上へ身を乗り出した。


「……ここが一番混むの?」


「はい。特に商人の馬車が集中する時期には、通行に時間がかかります」


「こっちは?」


「山道でございます。道幅が狭く、大型の馬車は通れません」


「……なるほどね」


 私は地図を眺めながら考えた。


 全部の道を一度に直すのは無理。


 お金も人手も必要になる。


 だったら、まずは一番使われている道を優先する。


 それから、荷物を一時的に置いておける場所も必要だろう。


「……アルベルト」


「はい」


「街道の整備と、荷物を保管する場所の確保。この二つを優先して考えましょう」


「……承知いたしました」


「ただし、今ある仕事を止めないようにね。工事のために馬車が通れなくなったら意味がないもの」


「はい」


 アルベルトは、真剣な表情で頷いた。


 私は椅子へ戻り、もう一度報告書を見た。


 ……よし。


 とりあえず、最初にやることは決まった。


 これなら、何とかなるでしょう。


「……ところで、サリナ」


「はい、殿下」


「今日の仕事は、もう終わりでいいかしら?」


「まだ、午後でございます」


「…………」


「ほかにも、ご確認いただきたい書類がございます」


「……そう」


 私は机へ突っ伏した。


 ……ああ。


 懐かしい。


 この、終わりの見えない仕事。


 前世で散々味わった感覚だ。


 私はゆっくりと顔を上げ、窓の外を見た。


 青い空。


 白い雲。


 庭を吹き抜ける、気持ちのよさそうな風。


 ……外に出たい。


「……サリナ」


「はい」


「明日は休んでも……」


「殿下」


「……はい」


 私は諦めて、次の報告書を手に取った。


 どうやら、楽しかった一年間は、本当に終わってしまったらしい。

お読み頂き、ありがとうございます。

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