第十三話 ようやく手に入れた一つの成果
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
城下町で無事に発見された私は、再び王城での生活を送っていた。
もっとも、発見されたという表現には少々語弊がある。
何しろ、私は別に迷子になっていたわけではないし、レオナルドお兄様が迎えに来る場所も時間も、最初から決まっていたのだから。
……まあ、そんなことを城中の人々に説明するわけにはいかない。
それにしても、昨日のお菓子は美味しかった。
外側は香ばしく焼き上げられていて、中には甘い果実の餡が詰まっていた。値段も手頃だったし、あれなら王城の料理人に頼んで再現してもらうのも悪くないかもしれない。
「サリナ。昨日のお菓子なんだけど……」
「リリアーナ殿下」
「何?」
「本日は、レオナルド殿下からご報告があると伺っております」
「……分かってるわよ」
私は少しだけ肩を落とした。
昨日まで行方不明だった王女が、今日には何事もなかったようにお菓子の話をしている。
確かに、少々不謹慎かもしれない。
けれど、私としては、事件が解決するまでずっと暗い顔をしているつもりもないのだ。
そんなことをしていたら、余計に疲れてしまうではないか。
「……それで、ダニエルの奥様と娘さんについては、まだ連絡がないの?」
「今朝の時点では、捜索が続いていると伺っております」
「そう……」
私は小さく息を吐いた。
暗殺者たちを捕らえ、仲介者を捕らえ、その上にいた貴族まで捕らえた。
それなのに、肝心の人質が見つからない。
どうにも、すっきりしない話である。
そもそも、ダニエルは妻と娘を返してもらうために、私の情報を流していたのだ。
その行為を許すことはできない。
けれど、彼が協力してくれたからこそ、今回の事件はここまで進展した。
せめて、奥様と娘さんだけでも無事に戻ってきてほしい。
そんなことを考えていると、扉が叩かれた。
「リリアーナ、入ってもいいかな?」
「どうぞ、お兄様」
レオナルドお兄様が入ってきた。
いつもの穏やかな表情ではあるものの、その手には数枚の書類が握られている。
……嫌な予感がする。
書類というものは、どうしてこうも人の平穏を脅かすのだろう。
「おはよう、リリアーナ。昨日はよく眠れたかい?」
「はい。久しぶりにぐっすり眠れました」
「それはよかった。城下町での散歩も楽しかったようだね」
「ええ! とても美味しいお菓子を見つけたんです!」
「うん。その話は昨日も聞いたよ」
「……そうでしたっけ?」
「三回ほどね」
……あら。
そんなに話したかしら。
レオナルドお兄様は苦笑しながら椅子に座った。
「さて、今日はダニエルの家族について報告があるんだ」
私はすぐに姿勢を正した。
「何か分かったんですか?」
「うん。昨日、貴族の屋敷から押収した書類に、王都郊外の建物についての記録が残っていたんだ。騎士たちが確認に向かったところ、そこに二人がいた」
「……本当ですか!」
「ああ。二人とも無事に保護されたよ」
私は思わず立ち上がった。
「よかった……!」
胸の奥に溜まっていたものが、少しだけ軽くなった気がした。
「お怪我はありませんでしたか?」
「大きな怪我はないそうだ。ただ、長い間拘束されていたからね。今は医師に診てもらっている」
「そうですか……」
無事だった。
それだけでも、今は十分だ。
「ダニエルには?」
「既に伝えてあるよ。医師の確認が終わり次第、家族と会わせる予定だ」
「ありがとうございます、お兄様」
「礼を言われるようなことじゃないよ。彼の家族を助けることは、最初から僕たちの目的の一つだったからね」
私は頷いた。
けれど、まだ気になることがある。
「捕まっていたお二人を見張っていた者はどうなりました?」
「それが、居なかったみたいだよ」
「居なかった?」
「うん。鍵付きの倉庫のような場所に閉じ込められていたそうだ。扉の下には食事を差し入れるための小窓が一つあって、捕らえられてからの数日間、そこから一日に二回、食事が運ばれてきていたらしい」
「なんて非道な」
「犯罪者のやることはわからないね」
怒っているのは私だけではないようだ。
「……それで、あの貴族は何か話しましたか?」
「それがね……」
レオナルドお兄様は書類を机に置いた。
「相変わらず、自分は何も知らないと言い張っているんだ」
「……そうですか」
「ただ、仲介者の証言と押収した書類から、少なくとも暗殺の手配に関与していたことは、かなり明確になってきた」
「では、あとはその方が誰の指示で動いていたのか、ですね」
「そういうことになるね」
私は腕を組んだ。
今回捕らえた貴族が、自分の意思だけで私を殺そうとした可能性もある。
けれど、別の人物から命じられていた可能性もある。
そして、何より気になるのは、ダニエルが聞かされていたという話だ。
第三位。
ユリウスお兄様の名前。
もちろん、それだけで本人が関与していると決めつけるつもりはない。
むしろ、なぜわざわざ名前を出したのかが気になる。
「……お兄様」
「何かな?」
「捕らえた貴族は、第三位との関係について何か話していますか?」
「今のところ、何も話していないよ」
「そうですか」
「ただ、ユリウスの名前が出ている以上、こちらでも確認は進めている」
「……」
私は少し考えた。
もし本当にユリウスお兄様が関与しているなら、当然ながら大問題だ。
けれど、そうでないなら、名前を利用されたことになる。
どちらにしても、本人にとって迷惑な話だろう。
「お兄様。ユリウスお兄様には、この件をお伝えしているんですか?」
「うん。僕から事情を説明してあるよ」
「何と仰っていました?」
「……それがね」
レオナルドお兄様が、少し困ったように笑った。
「『私の名前を使った者がいるのなら、私も調べさせてもらう』と言っていたよ」
「……なるほど」
それは、当然の反応だと思う。
自分の名前を使って王族の暗殺が企てられたとなれば、放っておけるはずがない。
「それで、調べていただくんですか?」
「うん。ただし、彼自身にも疑いが向けられていることは伝えてある。だから、調査は別の担当者と協力して進めてもらうことにした」
「それなら安心ですね」
私は頷いた。
関係者だから調査から外す。
あるいは、関係者だからすべて任せる。
どちらも極端だと思う。
必要なのは、きちんと確認できる形で進めることだ。
「……それにしても」
「どうしたんだい?」
「どうして皆さん、そんなに王位が欲しいんでしょうね?」
レオナルドお兄様が首を傾げた。
「王位が欲しい?」
「はい。今回の事件が王位継承に関係しているのかどうかは分かりませんけど、私を殺してまで何かを得ようとする方がいるわけでしょう?」
「そうだね」
「私には、そこまでして欲しいものがあるというのが、よく分からないんです」
私は深くため息を吐いた。
王になれば、国中の問題が自分のところへ集まってくる。
貴族同士の争いも、領地の問題も、外国との交渉も、最終的には王の責任になる。
そんな立場を、どうしてわざわざ望むのだろう。
「……私だったら、絶対に嫌ですけど」
「ははは。リリアーナらしいね」
「笑い事ではありませんよ?」
「分かっているよ。ただ、王位を欲しがる理由は人によって違うからね」
「違う?」
「権力が欲しい人もいれば、国を変えたい人もいる。自分が王になることで、誰かを守りたいと考える人もいるだろうね」
「……なるほど」
確かに、全員が同じ理由で王位を望んでいるわけではないのだろう。
私がのんびり暮らしたいと思うように、誰かには王になって成し遂げたいことがあるのかもしれない。
「でも、それなら正々堂々と目指していただきたいですね」
「うん。僕もそう思うよ」
「暗殺なんてされたら、こちらは迷惑ですから」
「……そこに戻るんだね」
「当然です!」
私は胸を張った。
誰が王になるかは、その人たちで決めていただければいい。
ただし、私を巻き込まないでほしい。
それだけは譲れない。
◇
王城の別棟にある一室。
ダニエル・フォードは、椅子に座ったまま扉を見つめていた。
昨夜、妻と娘が保護されたと知らされてから、ほとんど眠れていない。
無事だという報告は受けた。
けれど、自分の目で確かめるまでは、どうしても安心できなかった。
やがて、扉が静かに開いた。
「ダニエル・フォード。面会を許可する」
騎士の言葉に、ダニエルは立ち上がった。
そして、扉の向こうに立つ二人の姿を見た瞬間、息を呑んだ。
「……あなた」
「……お父さん?」
妻と娘だった。
二人とも少し痩せていたものの、確かにそこに立っていた。
「……っ!」
ダニエルは駆け寄ろうとして、足を止めた。
自分は罪を犯した。
家族を助けるためとはいえ、王女殿下の情報を流し、暗殺に加担してしまった。
そんな自分が、二人を抱き締めてもいいのだろうか。
そう思った瞬間だった。
「お父さん!」
娘が走り出した。
小さな体が、ダニエルの胸へ飛び込んでくる。
「……っ、ああ……!」
ダニエルは娘を抱き締めた。
続いて妻も駆け寄り、二人を包み込むように腕を回した。
「……ごめん」
ダニエルの口から、声が漏れた。
「ごめん……! 俺が、もっとしっかりしていれば……!」
「……あなた」
「怖かっただろう……! 本当に、すまなかった……!」
妻は何も言わず、夫の背中を撫でた。
娘は父親の服を掴んだまま、離れようとしない。
しばらくして、妻が静かに口を開いた。
「……帰ってきてくれて、ありがとう」
ダニエルは顔を上げた。
「……俺は……」
「あなたが何をしたのか、まだ全部は聞いていないわ」
「……」
「でも、私たちを助けようとしてくれたことは分かっている」
妻の目から涙が零れた。
「だから……今は、こうして会えたことを喜ばせて」
ダニエルは何も答えられなかった。
ただ、妻と娘を強く抱き締めた。
その様子を見守っていた騎士たちは、静かに部屋を出ていった。
家族に残された時間は、決して長くない。
ダニエルには、これから正式な取り調べが待っている。
けれど、今だけは。
誰にも邪魔されず、三人で過ごす時間が与えられていた。
◇
「……よかったですね」
ダニエルが家族と再会したという報告を聞いた私は、思わず微笑んだ。
「うん。彼も随分と安心したようだよ」
「それなら何よりです」
私はお茶を一口飲んだ。
もちろん、ダニエルの罪がなくなるわけではない。
それでも、家族が無事だったことと、彼自身の責任は分けて考えるべきだろう。
「お兄様。ダニエルの処遇は、どうなるんでしょう?」
「まだ決まっていないよ。脅迫されていた事情や、捜査に協力したことも含めて、正式に判断されることになる」
「そうですか」
「気になるかい?」
「はい」
私は素直に頷いた。
「彼がしたことは、決して許されることではありません。でも、家族を人質に取られていたのも事実ですから」
「うん」
「だから、きちんと事情を調べたうえで判断していただきたいんです」
レオナルドお兄様は静かに頷いた。
「もちろん。そのための取り調べだからね」
「ありがとうございます」
私はほっと息を吐いた。
これで、ひとまず人質の問題は解決した。
あとは、捕らえた貴族の背後関係を調べるだけだ。
……だけ。
いや、待って。
それが一番面倒なのでは?
「……お兄様」
「何かな?」
「私、そろそろ今回の事件から手を引いてもよろしいでしょうか?」
「……どうして?」
「だって、もう暗殺者も仲介者も捕まえましたし、ダニエルのご家族も無事に戻ってきたんですよ?」
「そうだね」
「でしたら、あとは専門の方々にお任せしても……」
「リリアーナ」
「はい?」
「まだ君を狙った理由も、事件の全容も分かっていないんだよ?」
「……」
「それに、君の名前を使っている者がいる以上、他の王位継承者たちにも関係する問題だからね」
「……ですよね」
私は深くため息を吐いた。
分かっている。
分かっているけれど。
どうして、こうも次から次へと仕事が増えるのだろう。
「……本当に、王位継承権なんていらないんですけど」
私がそう呟くと、レオナルドお兄様が少しだけ笑った。
「それは、父上にも伝えておくよ」
「……え?」
「君がそこまで嫌がっていることは、きちんと報告しておいた方がいいだろう?」
「……お兄様?」
「大丈夫。僕から上手く伝えておくから」
にこやかに微笑むお兄様。
……何だろう。
ものすごく嫌な予感がする。
「……あの、お兄様」
「何かな?」
「余計なことは言わないでくださいね?」
「もちろんだよ」
即答だった。
……絶対に信用できない。
私は頭を抱えた。
こうして、ダニエルの家族は無事に救出された。
暗殺者たちの背後にいた貴族も捕らえられ、事件は着実に進展している。
けれど、私の平穏な生活が戻ってくる気配は、相変わらずない。
……誰か。
本当に、誰でもいいから。
私を王位継承争いから外してくれないかしら。
お読み頂き、ありがとうございます。




