第十話 事実と真実は似て非なるもの
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
「貴方は知っていますか?」
私が問いかけると、ダニエルはすぐには答えなかった。
組み伏せられたまま顔を伏せ、何かを迷うように唇を噛んでいる。
アルベルトが一歩前へ出ようとしたが、私は手を上げて止めた。
今は問い詰めても仕方がない。
逃げられる状況でもなければ、武器を持っているわけでもない。それに、ここまで来た以上、急いで答えを出す必要もなかった。
「ダニエル。もう一度聞きます。この方々が、どうしてここへ来たのか知っていますか?」
しばらくの沈黙の後、ダニエルが小さく息を吐いた。
「……はい」
その一言で、周囲の空気が張り詰める。
ロイドが何かを言おうとしたが、それより先にアルベルトが視線だけで止めた。セシリアも黙ったまま、ダニエルを見つめている。
「そうですか。では、教えてください」
「その前に……殿下」
「はい」
「お願いが、ございます」
ようやく上げられた顔には、普段のダニエルからは想像できないほどの疲労が滲んでいた。
「何でしょう?」
「私の家族を……助けていただけませんか」
予想していなかった言葉に、私は眉を寄せた。
「ご家族ですか?」
「はい。妻と、娘がおります」
「そのお二人に何かあったんですか?」
ダニエルはすぐには答えず、苦しそうに目を閉じた。
「人質に取られています」
その瞬間、アルベルトの表情が変わった。
「ダニエル、それはいつからだ」
「二度目の襲撃の後だ」
「なぜ言わなかった!」
「言えるわけがないだろう!」
初めてダニエルが声を荒らげた。
「言えば殺すと言われた! 誰かに相談しても、いつもと違う行動を取っても、妻と娘を殺すと!」
「だからといって――」
「アルベルト」
私は二人の間に入るように声をかけた。
「今は責める時ではありません」
「しかし、殿下」
「責任については、全部確認してから考えます」
ダニエルが脅されていたとしても、それだけで何をしても許されるわけではない。
反対に、家族を人質に取られていた人間を、事情も聞かずに裏切り者と決めつけるのも違う。
今必要なのは、何が起きていたのかを一つずつ確認することだ。
「ダニエル。ご家族が人質に取られていることは確認できていますか?」
「……自分の目で捕らえられているところを見たわけではありません」
「では、どうして?」
「接触してきた男が、妻と娘しか知らないはずのことを知っていました。それから自宅へ戻ると、二人ともいなくなっていました」
「それ以降、一度も会っていない?」
「はい」
「手紙などは?」
「一度だけ届きました。妻の字でした」
「内容は?」
「余計なことをせず、言われたとおりにしてほしいと」
「その手紙は?」
「読み終えた後、指定された場所で燃やしました。そうするように指示されていましたので」
証拠は残っていない。
だからといって、今の話が嘘だと決める理由にもならない。
私は隣にいるレオナルドお兄様へ顔を向けた。
「お兄様」
「分かってる。すぐに探させるよ」
「お願いします」
レオナルドお兄様が動こうとすると、ダニエルが慌てて顔を上げた。
「お待ちください!」
「どうしたの?」
「相手に知られれば、妻と娘が殺されます!」
「だからこそ急ぐんです」
私はダニエルを見る。
「貴方は今、ここで捕らえられています。そして、この方々も捕らえられた。相手が状況を把握している可能性を考えれば、何もしない方が安全だとは言えません」
「ですが……」
「もちろん、できるだけ気づかれないように探してもらいます。お兄様、それはできますよね?」
「できる。表立って兵を動かしたりはしないよ」
「お願いします」
それでもダニエルは迷っていた。
けれど、やがて力が抜けたように肩を落とすと、小さく頭を下げた。
「……お願いいたします」
「はい」
これで少なくとも、ダニエルが黙っていた理由の一つは分かった。
もっとも、今聞いた話がすべて事実なのかはまだ分からない。
家族を人質に取られていることと、この場所に武器を持った人たちが現れたことが、どう繋がっているのかも確認しなければならない。
「それでは、話を戻します。貴方は何を要求されたんですか?」
ダニエルはしばらく黙っていたが、今度は逃げずに答えた。
「リリアーナ殿下の情報です」
「私の?」
「はい。どこへ行くのか。誰と会うのか。警護がどのようになっているのか。そういった情報を伝えるように言われました」
「実際に伝えたんですか?」
「……はい」
アルベルトが拳を握るのが見えた。
セシリアも厳しい表情をしている。
けれど、誰も口を挟まなかった。
「庭へ行くことが漏れていたのも?」
「私です」
「では、今日のことも?」
ダニエルが答えない。
私は急かさず待った。
やがて、彼はゆっくりと頷いた。
「殿下からいただいた紙に書かれていた場所と時間を、伝えました」
「誰にですか?」
「いつも直接会うわけではありません。指定された場所へ情報を書いた紙を置き、代わりに次の指示が残されていました」
「では、相手の正体は知らない?」
「最初に接触してきた者の顔しか知りません」
「その方は、この中にいますか?」
私は拘束されている者たちへ視線を向けた。
ダニエルも一人ずつ顔を確認していく。
そして、首を横に振った。
「いません」
「そうですか」
ここで捕らえた人たちが、そのままダニエルへ指示を出していたわけではないらしい。
ならば、この人たちを捕まえただけでは終わらない。
「最初に接触してきた方について、何か分かっていることはありますか? 名前でなくても構いません。服装でも、話し方でも、所属でも」
「所属は……」
そこでダニエルが言葉を止めた。
明らかに言うことを躊躇っている。
「何です?」
「……その者は」
ダニエルが一度目を閉じた。
「王位継承権第三位の方の配下だと、名乗りました」
「第三位……」
誰だっけ。
「ユリウス殿下です、リリアーナ殿下」
すぐ隣からサリナの声が飛んできた。
「あー」
ユリウスお兄様。
そうだった。
だって、関わりないんですもの。
私は王位なんて欲しくないし、王位継承権を持つ方々と争うつもりもない。
レオナルドお兄様とは以前から関わりがあるし、エレオノーラお姉様には向こうから呼び出された。
でも、それ以外は。
「関係ないとお調べにならなかったツケと言うものでしょうか」
「サリナ」
「はい」
「分かってるから言わないで」
「かしこまりました」
今、ちょっとだけ反省したから。
そんな私たちのやり取りを、アルベルトたちが何とも言えない顔で見ている。
仕方ないでしょう。
関わる予定がなかったんだから。
……なかったのに。
「それで、そのユリウスお兄様の配下を名乗った方が、貴方に接触したんですね?」
「はい」
「ユリウスお兄様本人ではなく?」
「はい」
「ユリウスお兄様から直接命令を受けたとは?」
「聞いておりません」
「では、まだユリウスお兄様が関わっているとは限りませんね」
「殿下」
アルベルトが声を上げる。
「しかし、第三位の配下を名乗る者が接触してきたのであれば、少なくとも調べる必要はあるかと」
「もちろん調べます」
そこは否定しない。
「でも、ユリウスお兄様が私を殺そうとした、と決めるのは別の話です」
ダニエルに接触した人が、ユリウスお兄様の配下だと名乗った。
今分かっているのは、そこまでだ。
「その方が本当にユリウスお兄様の配下なのか、確認できていますか?」
「……いいえ」
ダニエルが答える。
「では、本当に配下だったとして、ユリウスお兄様の命令で動いていたことは?」
「分かりません」
「そうですよね」
本当に配下なのか。
仮に本当に配下だったとして、ユリウスお兄様の命令なのか。
その人が勝手に動いたのか。
あるいは、誰かが名前を騙っただけなのか。
まだ何も分からない。
「調べましょう」
ダニエルの家族を探す。
捕らえた人たちが何者なのかを調べる。
ダニエルに最初に接触した人を探す。
そして、本当にユリウスお兄様の配下なのかを確認する。
「全部確認してからです」
「……承知いたしました」
アルベルトが頭を下げる。
危なかった。
もし相手が本当にユリウスお兄様の配下で、その命令で動いているなら、それはもちろん大問題だ。
でも、違った場合。
ここで私たちがユリウスお兄様を犯人だと決めつければ。
それこそ、相手の思う壺なのかもしれない。
「お兄様」
「うん」
「ユリウスお兄様には、まだ何も言わないでください」
「分かった」
「それから、ダニエルのご家族を最優先でお願いします」
「任せて」
私はもう一度、ダニエルを見る。
彼が私の情報を流した。
それは本人も認めた。
けれど、どうしてそうしたのか。
誰に命じられたのか。
その先に誰がいるのか。
まだ分からないことの方が多い。
だから今は、決めつけない。
確認する。
そして。
全部分かってから。
どうするのかを決めればいい。
そう思い、息を吐いた瞬間。
「それにしても」
不意にお兄様が呟いた。
「部屋から出ない約束だったんだけどね」
「お兄様……」
「なんだい?」
「ごめんなさい」
「謝れて偉いね」
最後まで締まらなかった。
お読み頂き、ありがとうございます。




