第四話 シュレディンガーの猫
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
王宮へ戻った私は、その日のうちにレオナルドお兄様のもとを訪れた。
「リリアーナ」
「はい」
「怪我は?」
「ありません」
「本当に?」
「ありません」
「掠ってもいない?」
「いません」
「怖くなかった?」
「……」
そこで言葉に詰まった。
怪我をしたかと聞かれれば、していない。
矢にも当たっていない。
ケインがすぐに気づいてくれたおかげで、私は無傷だ。
でも。
「……怖かったです」
「そう」
レオナルドお兄様は、それ以上何も言わなかった。
大丈夫だったんだから気にするなとも。
王族なら慣れろとも。
言わない。
「座って」
「はい」
促され、ソファへ座る。
サリナは私の後ろ。
ケインも少し離れたところに立っている。
向かいに座ったレオナルドお兄様の表情は、いつもよりずっと硬かった。
「ケイン」
「はい」
「説明して」
「本日午後、王都中央区にてリリアーナ殿下を狙ったと思われる襲撃がございました」
ケインが順番に説明する。
一射目。
二射目。
どちらも私がいた場所を狙っていたこと。
襲撃者を捕らえたこと。
使われた武器。
周囲の状況。
私は黙って聞いていた。
自分がその場にいたはずなのに。
こうして説明されると、まるで他人の話みたいだ。
「襲撃者は?」
「現在、取り調べを行っております」
「何か話した?」
「まだ有益な情報は」
「そう」
レオナルドお兄様が考え込む。
私は少し待ってから口を開いた。
「あの」
「何?」
「私、狙われるようなことをした覚えがないんですけど」
「うん」
「王位もいりません」
「知ってる」
「誰かの邪魔をするつもりもありません」
「それも知ってるよ」
「だったら、どうしてですか?」
レオナルドお兄様が黙った。
「エレオノーラお姉様にも言われました。私がどう思っているかは関係ないって」
「うん」
「本当にそうなんですか?」
「そうだね」
あっさり言われた。
嫌な答えだ。
「リリアーナが王になりたいかどうかと、周りがリリアーナをどう評価するかは別の話だから」
「……」
「ボーリング地方」
「はい」
「ピンポン地方」
「はい」
「ピーク島」
「……はい」
「君は十分すぎるほど目立った」
「目立ちたくてやったわけではありません」
「知ってるよ」
「全部、必要だったからです」
「それも知ってる」
レオナルドお兄様が苦笑する。
「でも、それを知らない人の方が多い」
「……」
「外から見れば、君は王位継承権を得てから次々と実績を作っている王女だ」
「嫌な言い方ですね」
「事実だからね」
「もっとこう……怠けているところも広めてもらえません?」
「何を頼んでるの?」
「私が王に向いていないという証明です」
「残念だけど、今のところ逆効果だと思う」
「どうして!?」
「必要な時だけ働いて結果を出す人に見えるから」
「……」
何それ。
ものすごく有能そう。
違う。
私はただ、仕事を増やしたくないだけなのに。
「ともかく」
レオナルドお兄様の表情から笑みが消えた。
「今日から護衛を増やす」
「え?」
「ケイン一人に任せるには危険すぎる」
「お待ちください」
「待たない」
「増やさなくても――」
「今日、殺されかけたよね?」
「……はい」
「なら増やす」
「でも、ずっとですか?」
「少なくとも、今回の襲撃についてある程度分かるまでは」
反論できない。
できないけれど。
「何人です?」
「四人」
「多くないですか!?」
「少ないくらいだよ」
「四人も増えたら目立ちます!」
「君はもう目立ってる」
「嫌です!」
「そこは諦めて」
酷い。
私は静かに暮らしたいだけなのに。
「それと」
「まだあるんですか?」
「しばらく外出は禁止」
「……」
「必要な場合は僕か、警護責任者の許可を取って」
「……」
「リリアーナ?」
「……茶葉」
「何?」
「まだ受け取ってないんです」
レオナルドお兄様が黙った。
「今日、受け取りに行く予定だった茶葉」
「……人を遣わせるよ」
「自分で選びたかったのに」
「注文済みなんだよね?」
「そうですけど」
「なら同じでしょう」
「違います」
「何が?」
「お店で他の茶葉を見る楽しみが」
「駄目」
「……」
暗殺者め。
私の命だけでは飽き足らず、買い物の楽しみまで奪うとは。
許すまじ。
「とりあえず、四人を呼んである」
「もう!?」
「君が来る前に手配した」
「早すぎません?」
「襲撃の報告を受けてから、君がここへ来るまで時間があったからね」
「……」
仕事が早い。
こういうところはさすが第一位だと思う。
今は全然ありがたくないけれど。
しばらくして、扉が叩かれた。
「入って」
「失礼いたします」
四人の騎士が入ってくる。
全員、見覚えがない。
三人が男性。
一人が女性。
年齢も少しずつ違う。
四人は私たちの前まで来ると、揃って頭を下げた。
「紹介するね」
レオナルドお兄様が一人ずつ示す。
最初は、四人の中で最も年上に見える男性。
「アルベルト。僕の警護を長く担当している」
「アルベルト・ノックスと申します。よろしくお願いいたします、リリアーナ殿下」
「よろしくお願いします」
次。
少し若い男性。
「ロイド。追跡と市街地での警護が得意」
「ロイド・ハーグです。殿下のお役に立てるよう努めます」
「お願いします」
三人目。
女性騎士。
「セシリア。近接警護なら、この四人の中でも特に優秀だよ」
「セシリア・ローデンと申します」
真面目そう。
というより、怖い。
ずっと姿勢が微動だにしない。
「……よろしくお願いします」
「命に代えましても」
「代えなくていいです」
「はい?」
「私を守るために死なないでください」
「しかし」
「私が嫌です」
セシリアが一瞬だけ黙った。
「……承知いたしました」
本当に分かったのだろうか。
少し不安だ。
「最後がダニエル」
「ダニエル・フォードと申します」
四人の中では一番若そうだ。
「周囲の観察力が高い。人の出入りや、不自然な動きに気づくのが早い」
「よろしくお願いします」
「こちらこそ」
四人。
私は改めて見回す。
アルベルト。
ロイド。
セシリア。
ダニエル。
「この四人は信頼できる」
レオナルドお兄様が言う。
「僕が直接選んだ」
「レオナルドお兄様が?」
「うん」
「……分かりました」
そこまで言われれば、断る理由もない。
何より。
今日のことを思い出す。
壁に刺さった矢。
地面に落ちた矢。
ケインが気づかなければ。
そう考えると、護衛を断る気にはなれなかった。
「皆さん」
「はい」
「ご迷惑をおかけします」
頭を下げようとして。
「リリアーナ」
「何です?」
「王族が護衛に頭を下げない」
「でも、私のせいで仕事が増えるんですよ?」
「それが彼らの仕事」
「……」
嫌な言葉だ。
仕事だから。
前世でも何度聞いたか分からない。
「それでも」
私は四人を見る。
「よろしくお願いします」
「「「「はっ」」」」
こうして。
私の周りは一気に騒がしくなった。
◇
数日後。
何も起きなかった。
護衛が増えたこと以外は。
「……暇ですね」
「何も起きない方がよろしいかと」
私の呟きにセシリアが答えた。
「それはそうなんですけど」
外出は禁止。
知らない人間との面会も、しばらくは必要最低限。
食事についても確認が増えた。
おかげで。
暇だ。
本当に暇だ。
仕事はしたくない。
でも、何もできないのも違う。
私は贅沢なのだろうか。
「庭くらい歩いてもいいですか?」
「宮の敷地内でしたら」
「やった」
立ち上がる。
サリナも一緒。
今日はアルベルトとセシリアが近くにつき、ロイドとダニエルは少し離れた位置を確認している。
最初は落ち着かなかった。
でも数日もすれば、少し慣れてきた。
庭へ出る。
「いい天気」
「そうですね」
「これなら外にも――」
「駄目です」
「まだ何も言ってません」
「王都へ出たい、と仰るつもりだったかと」
「……セシリア」
「はい」
「あなた、サリナと気が合いそうね」
「光栄です」
「褒めてない」
歩く。
花を見る。
少しだけ風が吹く。
平和。
これなら、しばらく我慢してもいいかもしれない。
そう思った時だった。
「殿下」
アルベルトが足を止めた。
「何です?」
「こちらへ」
まただ。
その声を聞いた瞬間。
数日前の記憶が蘇った。
「……何?」
「セシリア」
「はい」
セシリアが私の前へ出る。
アルベルトは庭の先を見ている。
私には何も見えない。
「アルベルト?」
「予定を変更いたします。お部屋へお戻りください」
「どうして?」
「確認したいことがございます」
「何を?」
アルベルトは答えなかった。
代わりに。
「ロイド」
低い声で呼ぶ。
少し離れていたロイドが動いた。
ダニエルも。
二人が庭の奥へ向かう。
「殿下」
セシリアに促される。
「戻りましょう」
「……分かりました」
何が起きたのか。
まだ分からない。
でも。
胸の奥がざわつく。
部屋へ戻ってから、しばらくして。
アルベルトが入ってきた。
「殿下」
「はい」
「侵入者を一名、拘束いたしました」
「……」
また?
「私を?」
「その可能性が高いかと」
「どうして分かったんです?」
「本来、あの時間に庭の周囲へ入る予定のない使用人がおりました」
「使用人?」
「確認したところ、宮に仕える者ではございませんでした」
「……」
「武器も所持しておりました」
背筋が冷える。
数日前とは違う。
今度は。
私の宮の中。
「どうやって入ったんですか?」
「現在確認中です」
「私が庭を歩くことは?」
「……」
アルベルトが一瞬黙った。
それだけで。
分かった。
「知っていた?」
「その可能性がございます」
「でも」
今日、庭を歩くことを決めたのは。
ついさっきだ。
朝から決めていたわけでもない。
私は部屋にいて。
暇だから。
突然。
「……誰が知ってたんです?」
声が少し低くなった。
「私が庭へ出ること」
「殿下」
「誰が知っていたんですか?」
アルベルトは答えなかった。
代わりに。
「まずは事実関係を確認いたします」
そう言った。
その言葉に。
私は口を閉じた。
そうだ。
確認。
まだ何も分からない。
庭にいた男が本当に私を狙っていたのか。
私が庭へ出ることを知っていたのか。
どうやって宮へ入ったのか。
誰かから情報を得たのか。
何も。
分かっていない。
だから。
「……分かりました」
今は決めつけない。
でも。
数日前。
レオナルドお兄様は言った。
この四人は信頼できる。
僕が直接選んだ。
私はそれを信じた。
そして。
今日。
私が庭へ出ることを知っていた人間は。
決して多くない。
私は部屋の中を見る。
サリナ。
ケイン。
そして。
レオナルドお兄様が選んだ四人の騎士。
アルベルト。
ロイド。
セシリア。
ダニエル。
胸の奥に。
嫌なものが残った。
――この中に。
誰かいる?
そう考えた自分自身が。
一番、嫌だった。
お読み頂き、ありがとうございます。




