第十四話 わからないのは本人だけ
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
王都へ戻ったのは、それから数日後だった。
「帰ってきた……」
王城を見上げる。
見慣れた建物。
見慣れた門。
見慣れた景色。
こんなに安心するものだっただろうか。
「リリアーナ様」
「何?」
「お疲れですか?」
「疲れてないわよ」
「では、なぜそのようなお顔を?」
「安心してるの」
「王城に戻られて?」
「そう」
ここなら嵐で船が壊れることもない。
橋が落ちて孤立することもない。
食料が何日持つのか数える必要もない。
「王都って素晴らしいわね」
「出発前とは随分と評価が変わりましたね」
「人は失って初めて大切さに気づくのよ」
「王都を失ってはおりませんが」
「細かいことはいいの」
早く部屋へ戻りたい。
着替える。
お風呂に入る。
寝る。
明日は昼まで寝る。
いや、昼を過ぎてもいい。
誰にも起こされず、何の報告も聞かず、好きなだけ寝る。
「サリナ」
「はい」
「明日は起こさないで」
「朝食はいかがなさいますか?」
「いらない」
「昼食は?」
「起きたら食べる」
「承知いたしました」
「誰か来ても入れないで」
「国王陛下でもですか?」
「……」
止まる。
「お父様でも」
「よろしいのですか?」
「明日くらいいいでしょう」
「では、そのように」
「絶対よ」
「はい」
よし。
完璧だ。
今度こそ休む。
「リリアーナ殿下」
前方から声を掛けられた。
王城の使用人が立っている。
「何?」
「国王陛下より、ご伝言を預かっております」
「……」
嫌な予感がする。
「何?」
「本日はそのままお休みになってよい、とのことです」
「……え?」
「長旅で疲れているだろうから、報告は後日で構わないと」
「本当に?」
「はい」
「執務室に来いとか」
「ございません」
「仕事とか」
「ございません」
「……お父様」
思わず胸が熱くなる。
「やっぱり娘思いだったのね」
「今まで疑っておられたのですか?」
「だって休養先に視察を入れる人よ?」
「それについては何とも」
「とにかく部屋へ戻るわ!」
「はい」
今度こそ。
本当に休める。
◇
お風呂に入り。
着替えて。
食事も済ませた。
あとは寝るだけ。
「ああ……」
ベッドへ倒れ込む。
「柔らかい……」
「お疲れ様でした」
「疲れてない」
「そうでしたね」
「休養から帰ってきたんだから」
「はい」
「……」
「……」
「サリナ」
「はい」
「なんで何も言わないの?」
「何を申し上げればよろしいのでしょう?」
「そこは休養でしたねって言うところでしょう?」
「そうでしたね」
「今言われても腹立つ!」
枕へ顔を埋める。
もう寝る。
今日は何もしない。
明日も何もしない。
できれば明後日も何もしない。
コンコン。
「……」
聞こえない。
コンコン。
「リリアーナ様」
「聞こえない」
「扉が叩かれております」
「私は寝てる」
「まだ寝ておられません」
「今から寝るの」
コンコン。
「リリアーナ」
「……」
知っている声だった。
「お兄様?」
「入ってもいいかい?」
「……」
少し迷う。
「どうぞ」
扉が開く。
入ってきたのは第一王子のレオナルドお兄様だった。
「おかえり、リリアーナ」
「ただいま戻りました」
「寝ていた?」
「今から寝るところでした」
「それは悪かったね」
「いえ」
お兄様が椅子に座る。
「顔を見に来ただけだから、すぐ帰るよ」
「顔?」
「一応、僕だって心配したんだよ?」
「……お兄様が?」
「随分な言い方だね」
「だって」
「大嵐の後、ピーク島との連絡が途絶えたと聞いたんだ。しかも本土側の橋まで落ちた」
「ああ……」
「父上ほどではないけれど、僕も何度か状況を確認した」
「お父様、そんなに心配してたんですか?」
「していたよ」
知らなかった。
こちらは自分たちが無事だと分かっていた。
でも、王都にいる人たちは知らなかったのだ。
「ご心配をお掛けしました」
「無事ならそれでいいよ」
お兄様が笑う。
「それで?」
「何です?」
「休暇はどうだった?」
「最悪でした」
即答した。
「……」
「……」
「お兄様?」
「いや」
口元を押さえている。
「笑いました?」
「笑ってないよ」
「絶対笑いましたよね!?」
「大嵐に遭った妹を笑う兄がいるわけないだろう?」
「今ここにいました!」
「気のせいだよ」
この人。
やっぱりお父様の息子だ。
「海は綺麗でしたよ」
「うん」
「魚も美味しかったです」
「それはよかった」
「島の人たちもいい人でした」
「うん」
「でも嵐が来ました」
「聞いているよ」
「船が壊れました」
「それも」
「橋も落ちました」
「うん」
「一月近く閉じ込められました」
「大変だったね」
「どこが休養なんですか!」
「僕に言われても困るよ」
「お父様が勧めたんですよ!」
「嵐まで父上のせいにするのは可哀想じゃないかな」
「それは分かってます!」
分かっている。
分かっているけど納得できない。
「それで、どうしていたの?」
「何がです?」
「嵐の後」
「別に大したことはしてませんよ」
「そうなの?」
「はい」
思い返す。
「まず、全員いるか確認しました」
「島にいた全員?」
「はい。島民だけじゃなくて、観光客とか商人とか職人とか、私たちも全部」
「どうして?」
「誰かいなくなってたら困るでしょう?」
「なるほど」
「それから怪我人を確認して、食料と水を数えました」
「うん」
「船が壊れて、本土側の橋も落ちたので、長く孤立するかもしれないと思って。一月くらい持つように食料を使うことにしました」
「一月?」
「長くてそのくらい掛かるかもしれないって言われたので」
「それで一月を基準にしたんだ」
「はい」
「食料は足りた?」
「最初は二十日くらいでした」
「……足りないね」
「だから無駄を減らしました。あと、島中をちゃんと調べたらもっとありましたし、途中から魚も獲れるようになったので」
「混乱は?」
「食料の保管場所には人を置きましたよ」
「問題が起きた?」
「起きる前です」
「前?」
「何か起きてから取り締まるより、最初から人がいた方がいいでしょう?」
「……なるほど」
お兄様が少し考える。
「島にいる人たちには、食料のことを伝えたの?」
「伝えました」
「二十日しかないことも?」
「はい」
「不安にならなかった?」
「なったと思いますよ」
「それでも?」
「隠しても分かるでしょう?」
食事が変わる。
倉庫に人を置く。
船は来ない。
それなのに大丈夫だと言われても、余計に怖い。
「だから分かっていることは全部伝えました」
「分からないことは?」
「分からないって」
「そのまま?」
「だって分からないんですもの」
「救援がいつ来るか聞かれても?」
「分かりませんって言いました」
「……」
「何です?」
「いや。続けて」
「もう大体終わりですよ」
「遊び道具を作ったとも聞いたけど?」
「なんでそこまで知ってるんですか?」
「ピーク島から届いた話にあったよ」
「暇だったんですよ」
「リリアーナが?」
「みんなが!」
私も暇だったけれど。
「ずっと待ってるうちに、空気が悪くなってきたんです」
「それで遊び道具を?」
「一つ作ってもらっただけです。そしたらみんな勝手に色々始めました」
「リリアーナも遊んだ?」
「負けました」
「……」
「笑わないでください」
「まだ笑ってないよ」
「まだって言いましたよね?」
「気のせいだよ」
やっぱり笑っている。
「本当にそれだけです」
「それだけ?」
「船を直したのは職人です。魚を獲ったのは漁師。怪我人を治したのも治療できる人たちです。食料を管理したのも現地の人です」
私は確認しただけ。
「だから、大したことしてません」
「……そう」
お兄様が妙な顔をする。
「何です?」
「いや」
「何か言いたそうですけど」
「リリアーナらしいと思って」
「どういう意味です?」
「そのままの意味だよ」
「分かりません」
「分からなくていいよ」
「気になるんですけど」
「それより、今日は休むんだろう?」
「!」
そうだった。
「休みます!」
「なら邪魔しないよ」
お兄様が立ち上がる。
「ゆっくり休んで」
「はい!」
「ああ、それと」
「何です?」
「本当に無事でよかった」
「……」
今度は冗談ではなかった。
「はい」
「おやすみ、リリアーナ」
「おやすみなさい、お兄様」
扉が閉まる。
「……」
少しだけ。
心配を掛けたことが申し訳なくなった。
でも。
「寝る」
「はい」
「今度こそ本当に寝る」
「おやすみなさいませ」
「おやすみ」
目を閉じる。
もう何も考えない。
島のことも。
船のことも。
食料のことも。
全部終わった。
私は休む。
今度こそ。
本当に。
◇
「どうだった?」
国王の問いに、第一王子は椅子へ腰掛けた。
「元気でしたよ」
「そうか」
「今頃は寝ていると思います」
「随分と疲れていたか?」
「本人は疲れていないと言っていました」
「なら疲れているな」
「私もそう思います」
国王が小さく笑う。
「それで?」
「聞いてきました」
「何をしたと?」
「本人曰く、大したことはしていないそうです」
「……ほう」
「まず、島にいる全員を確認した」
第一王子が一つずつ話す。
「次に怪我人。食料。水」
国王は黙って聞いている。
「一月の孤立を想定し、食料の消費を調整。保管場所へ人を置いたそうです」
「治安維持か」
「本人は『問題が起きる前に人を置いただけ』と言っていました」
「なるほど」
「情報については、判明したことを毎日すべて伝えたと」
「食料が足りないことも?」
「最初は二十日程度しかないことまで伝えています」
「一月の孤立を想定していながら?」
「はい」
「理由は?」
「隠しても分かるから、と」
国王が僅かに笑う。
「分からないことについては?」
「分からないと答えたそうです」
「救援時期もか?」
「はい」
「不満は?」
「当然あったでしょう。ただ、できないものはできない、と」
「……」
国王が指で机を軽く叩く。
「他には?」
「長期化するにつれて島内の空気が悪くなったため、遊び道具を一つ作らせたそうです」
「遊び道具?」
「はい。それをきっかけに、島の者たちが自分たちでも遊び始めたと」
「本人は?」
「負けたそうです」
「何にだ」
「そこまでは聞いていません」
「……そうか」
「笑っておられます?」
「笑っておらん」
「親子ですね」
「何がだ」
「いえ」
第一王子が笑う。
「そして本人は、最後までこう言っていました」
「何と?」
「船を直したのは職人。魚を獲ったのは漁師。怪我人を治したのは治療できる者。食料を管理したのも現地の者」
「自分は?」
「確認しただけだから、大したことはしていない、と」
「……なるほど」
国王が背もたれへ体を預ける。
「お前はどう思う」
「私ですか?」
「ああ」
第一王子は少し考えた。
「リリアーナらしいと思います」
「それだけか?」
「では、父上」
「何だ」
「船を直せない者が、自分で船を直そうとする必要がありますか?」
「ないな」
「怪我人を治療できない者が、治療する必要は?」
「ない」
「魚を獲ったことのない者が、漁へ出る必要は?」
「それもない」
「なら」
第一王子が少しだけ笑う。
「誰が何をするべきかを決めて、できる者へ任せた。それで十分なのでは?」
「……」
「本人は、それを『確認しただけ』と言うのでしょうけど」
「お前も随分と評価しているのだな」
「ピンポン地方で一緒に仕事をしましたから」
第一王子は知っている。
妹が、自分のしたことを大したことだとは思わないことを。
問題を見つければ考える。
必要なら動く。
誰かに任せられるなら任せる。
そして終われば。
自分は大したことをしていないと言う。
「本人だけでしょうね」
「何がだ?」
「自分が何をしているのか、分かっていないのは」
「……そうかもしれんな」
国王の視線が机の上へ落ちる。
そこには、王位継承権を持つ者たちの名が並んでいた。
「第五位、か」
第一王子もその紙を見る。
「父上」
「何だ」
「また何か考えておられます?」
「まだ何も」
「その言い方は信用できませんね」
「お前までリリアーナのようなことを言うな」
「父上の子ですから」
「まったく」
国王は小さく息を吐く。
そして。
「さて」
王位継承者たちの名を見ながら、静かに笑った。
「次は、どうするか」
お読み頂き、ありがとうございます。




