第九話 避難生活では苛立ちが募る
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
嵐が過ぎて、三日が経った。
空はすっかり晴れ、海も少しずつ穏やかさを取り戻している。
それでも以前のような海に戻ったわけではなく、沖にはまだ高い波が見えていた。
「今日も駄目?」
「はい。沖はまだ波が高く、小型の船を出すには危険です」
「そう」
港の管理者からの報告を聞き、私は海を見る。
見た目だけなら随分と落ち着いたように思えるけれど、船に乗る人たちからすれば、まだ安全とは言えないらしい。
「それと、残った一隻ですが、船底に損傷が見つかりました」
「……無事じゃなかったの?」
「外から見ただけでは分からなかったようです。ただ、修理できないほどではありません」
「直せるならいいわ。どれくらい掛かるの?」
「材料はありますので、急げば数日ほどで」
「分かった。無理に急いで別のところまで壊さないでね」
「承知いたしました」
港には他にも壊れた船がある。
そちらも損傷の軽いものから順番に修理を始めているらしい。
船を直す職人たちの姿を眺めながら、私は小さく息を吐いた。
「思ったより掛かるわね」
「そうですね」
隣に立っていたサリナも海を見る。
嵐さえ収まれば。
船の状態さえ確認できれば。
最初はそう思っていた。
けれど、壊れたものは勝手には直らないし、本土側だって被害を受けている。
「本土からは、まだ何もないのよね?」
「はい。新しい連絡はございません」
「そう」
橋が落ち、道も崩れている。
本土側は本土側で、自分たちの生活を立て直すだけでも大変なのだろう。
「まあ、まだ三日よ」
食料はある。
水もある。
船だって直せる。
誰かが今すぐ命を落としそうな状況でもない。
「焦っても船が直るわけじゃないものね」
「はい」
「じゃあ、待ちましょう」
今の私たちにできるのは、それだけだった。
◇
「最初の確認では二十日分でしたが、現在の見込みでは二十七日ほどです」
「かなり増えたわね」
食料の管理は、思っていた以上に順調だった。
最初に確認した倉庫だけではなく、商店や宿、各家庭が持っていた保存食まで調べたことで、使える食料の総量が増えたらしい。
「畑は?」
「被害を免れたものがございます。すぐに収穫できるものは多くありませんが、今後使えるものはあるかと」
「それなら、それも含めて考えましょう。魚はどう?」
「まだ大きな船を出すことはできませんが、小舟を出せるようになれば沿岸で多少は確保できると思われます」
「じゃあ、一月くらいはいけそう?」
「今後の状況にもよりますが、かなり近づいております」
「よし」
思わず頷く。
食事の量も、極端に減らしてはいない。
普段より少しだけ節約し、傷みやすいものから先に使い、長く保存できるものはできるだけ後に回す。
それだけでも、かなり違うらしい。
「食べられなくなって捨てたものは?」
「ほとんどございません」
「それが一番大事ね。食べられるものを捨てる余裕なんてないもの」
「はい」
「配るときに揉めたりはしてない?」
「今のところはございません」
「そう」
まだ三日しか経っていない。
みんな状況を理解しているし、食べ物も水もある。
今すぐ困るわけではないから、落ち着いていられるのだろう。
「護衛はそのまま置いておいてね」
「何も起きておりませんが、それでもですか?」
「何も起きてないから外す、じゃないの。何も起きないように置いてるんでしょう?」
「……承知いたしました」
何もないなら、それが一番いい。
食料を盗もうとする人なんて、最後まで出ない方がいいに決まっている。
「怪我人は?」
「重傷だった三名も容体は安定しております。軽傷者の多くは、すでに普段通り動ける状態です」
「よかった」
少しずつではあるけれど、問題は減っている。
食料は一月近く持ちそうで、怪我人も回復している。
船も修理できる。
それなら、今のところ私が新しく何かをする必要はない。
「……暇ね」
「はい?」
管理者が困ったように私を見る。
「あ、ごめんなさい。あなたに言ったんじゃないの。報告はもう終わり?」
「はい」
「ありがとう。戻っていいわよ」
「失礼いたします」
管理者を見送ってから、私は椅子の背もたれに体を預けた。
「サリナ」
「はい」
「暇」
「先ほどもおっしゃっておりましたね」
「だって、本当に暇なのよ」
「よろしいことではありませんか?」
「そうなんだけどね」
毎日の報告を受けて、人数に変化がないかを確認する。
怪我人の状態を聞き、食料と水の残量を確認し、船の修理状況を聞く。
問題があれば対応するけれど、何もなければそれで終わりだ。
自分から仕事を増やすつもりなんてない。
「そういえば、私って休養中だったのよね」
「そうですね」
「じゃあ遊んでもいいのかしら」
「必要な確認は終わっておりますので、構わないのでは?」
「海は?」
「先ほど港で聞いてこられたばかりでしょう」
「駄目よね」
「はい」
「じゃあ浜辺でボールでも……」
そこまで言って、やめた。
「どうされました?」
「やっぱりいいわ」
「なぜです?」
「みんなが船や家を直してる横で、私だけ遊んでるのも落ち着かないもの」
悪いことではないのだろう。
私が一緒になって船を直せるわけでもないし、家の修理を手伝ったところで邪魔になるだけだ。
それでも、今は遊びたいという気分にはならなかった。
「その代わり、昼寝する」
「結局休まれるのですね」
「だって休養中だもの」
「そうでしたね」
仕事を増やさず、邪魔もしない。
今の私にできる一番正しい行動は、案外それなのかもしれない。
◇
嵐が過ぎて五日目。
ようやく小舟が海へ出た。
遠くへ行くわけではなく、島の近くで漁をするだけだったけれど、港へ戻ってきた船には魚が積まれていた。
「獲れたぞ!」
その声が響いた瞬間、港にいた人たちから歓声が上がった。
「魚だ!」
「今日食えるのか!?」
「久しぶりだな!」
普段なら、誰も大騒ぎしない程度の量なのだろう。
それでも数日ぶりの新鮮な魚だからか、みんな嬉しそうだった。
「……魚でこんなに盛り上がるのね」
「数日ぶりですから」
「保存食にも魚はあったでしょう?」
「新鮮なものは違うのではないでしょうか」
「確かに」
そう言われると、私も急に食べたくなってきた。
「今日の夕食に出るかしら」
「確認なさいますか?」
「する」
「随分嬉しそうですね」
「だって新鮮な魚よ?」
「ピーク島へ来てから、毎日のように召し上がっておられましたが」
「数日食べられなかったら食べたくなるのよ」
「そういうものですか」
「そういうものよ」
たぶん。
でも、私だけではない。
魚を運ぶ人たちも、それを見ている人たちも笑っている。
嵐が来てから、港でこれだけ明るい声を聞いたのは初めてだった。
それを見ていると、私まで少し安心した。
◇
七日目。
「本日も大きな変化はございません」
「船は?」
「引き続き修理中です」
「本土からは?」
「新しい連絡はございません」
「食料は?」
「問題ございません。漁を少しずつ再開できておりますので、当初の想定より余裕が出ております」
「怪我人は?」
「重傷だった者のうち一名が、短い距離なら歩けるようになりました」
「それはよかったわ」
「以上です」
「ありがとう」
報告を終えた責任者が部屋を出ていく。
今日も、大きな問題はなかった。
昨日もなかった。
一昨日もなかった。
いいことだ。
間違いなく、いいことなのだけれど。
「……なんか静かになった?」
窓の外を見ながら呟く。
「静か、ですか?」
「うん。最初の頃より、みんな喋ってない気がする」
道には人がいる。
仕事をしている人もいるし、壊れた建物の修理も続いている。
けれど、以前のような賑やかさがない。
「疲れているのではないでしょうか」
「……そうよね」
嵐から一週間。
島から出られない状態が続いている。
助けがいつ来るのかも分からない。
食べ物はあるし、水もある。寝る場所だって確保されている。
それでも、だから平気だとは限らない。
「私だって嫌だもの」
「何がですか?」
「いつ帰れるか分からないこと」
私はもともと一月ほど滞在する予定だった。
だから、島にいる期間だけを考えれば大した問題ではない。
それでも、自分の意思で一月いるのと、帰りたくても帰れないまま一月いるのとでは、まるで違う。
「観光客なら、もっと嫌でしょうね」
「そうでしょうね」
「商人だって、本土で仕事があるかもしれない。船員だって家族が向こうにいるかもしれないし、島の人たちだって家や船を壊されてる」
食料の残りばかり見ていたけれど、食べるものさえあれば人は何日でも平気で待てるわけではない。
「ちょっと歩いてくる」
「どちらへ?」
「島の中。少し見て回りたいの」
「では、私も参ります」
「お願い」
◇
実際に歩いてみると、やはり以前とは違っていた。
「こんにちは」
「殿下。こんにちは」
挨拶をすれば返ってくる。
でも、それだけだった。
嵐の前なら、今日は波がいいとか、魚が入ったとか、またボールで遊びましょうとか、誰かしらが声を掛けてきた。
今は挨拶を交わすだけで、みんなすぐに自分の作業へ戻っていく。
「やっぱり元気ないわね」
「そうですね」
さらに歩いていると、少し先から大きな声が聞こえた。
「だから俺じゃないって言ってるだろ!」
「じゃあ誰が食ったんだよ!」
見ると、二人の男が言い争っている。
「どうしたの?」
「殿下……」
二人とも、私に気づいた途端に気まずそうな顔をした。
「何かあった?」
「いえ、大したことじゃ……」
「俺がこいつの干し魚を食ったって言うんですよ!」
「昨日ここに置いたのに無くなってたんだ!」
「知らねえって言ってるだろ!」
「ちょっと待って」
二人の間に入る。
「配られてる食料が足りないの?」
「いえ、そういうわけでは……」
「お腹が空いてる?」
「それも……」
「じゃあ、なんでそんなに怒ってるの?」
二人とも黙った。
しばらくして、一人が困ったように頭を掻いた。
「……分かりません」
「分からない?」
「なんか、ずっとイライラしてて」
もう一人も視線を逸らした。
「俺もです。別にこいつが盗ったところを見たわけでもないのに……」
「それで、干し魚は?」
「さっき見つかりました」
「どこにあったの?」
「……自分で別の棚に置いてました」
「…………」
「すみません」
なんとも言えない。
「じゃあ、盗られてなかったのね?」
「はい」
「それなら仲直りしなさい」
「……悪かった」
「俺も悪かった」
二人は気まずそうに頭を下げ合う。
本当に、それだけのことだった。
食料を奪い合ったわけでもなければ、誰かが悪意を持って盗んだわけでもない。
ただ、いつ終わるか分からない生活が続いて、少しずつ余裕がなくなっている。
二人と別れて歩き出してから、私はサリナを見る。
「食べ物だけじゃ駄目なのね」
「と、申しますと?」
「食べ物があって、水があって、寝る場所があれば生きてはいける。でも、それだけで一月ずっと待ってろって言われても辛いでしょう?」
「……そうですね」
毎日、船が直るのを待つ。
本土から助けが来るのを待つ。
いつ終わるのか分からないまま、同じことを繰り返す。
そんな生活が楽しいはずはない。
「何か気を紛らわせるものがあった方がいいわね」
「例えば?」
「遊びとか」
そこまで言って、海を見る。
「サーフィン!」
「駄目です」
「……そうよね」
まだ波は高い。
以前より落ち着いているとはいえ、遊びで入っていい海ではない。
「嵐で海荒れてんのに馬鹿じゃないの、私」
「ご自分で気づかれて何よりです」
「じゃあ、ボール?」
「浜辺であればできる場所もございますね」
「でも、それだけじゃ駄目か」
ボール遊びは体を動かせる人なら楽しめる。
けれど、怪我をしている人には難しいし、年を取った人や小さな子供まで同じように遊べるわけではない。
外へ出たくない人だっているだろう。
「部屋の中でもできて、体を動かさなくてもよくて、何人かで遊べるもの……」
「何か思いつかれましたか?」
「ちょっと待って」
考える。
前世では、暇を潰す方法なんていくらでもあった。
でも、この島には当然そんなものはない。
なら、ここにある材料だけで簡単に作れるものがいい。
「……木」
「木ですか?」
「それと炭があればいけるかも」
「何をお作りになるので?」
「私が作るんじゃないわよ」
思わず答えてから、自分でも少し笑った。
ピンポン地方の件で散々やったのだ。
自分で全部やろうとする必要なんてない。
「作れる人にお願いするの。私は形と遊び方だけ説明する」
「なるほど」
「それならすぐできるでしょう?」
「何を作るのかにもよると思いますが」
「簡単よ」
必要なのは、盤と小さな駒。
複雑な加工なんていらない。
駒だって、片面だけ炭で黒くすれば区別できる。
「帰りに職人さんのところへ行きましょう」
「承知いたしました」
「船が直るまで何日掛かるかは分からないけど」
それでも、その時間をただ数えて待つ必要はない。
少しくらい笑って過ごしたっていい。
「せっかくなら、待ってる間くらい楽しくしましょう」
橋を直すことも、船を一瞬で直すことも私にはできない。
でも。
みんなが待たなければならない時間を、少しだけ楽なものにすることならできるかもしれなかった。
お読み頂き、ありがとうございます。




