第八話 被災時の初動は正確な情報と迅速な対応が求められる
嵐は、翌朝になっても完全には収まらなかった。
雨は昨夜より弱くなっている。
風も少し落ち着いた。
それでも海は荒れている。
窓から見える波は高く、とても船を出せる状態ではなかった。
「リリアーナ様」
「何?」
「現地の責任者がお見えです」
「通して」
「はい」
しばらくして、数人の男たちが部屋へ入ってきた。
現地の責任者。
港の管理をしている者。
それから、昨日倉庫を案内してくれた者もいる。
「殿下。現時点で確認できた状況をご報告いたします」
「お願い」
「まず、人的被害ですが」
思わず背筋が伸びる。
「死者は確認されておりません」
「……よかった」
息を吐く。
「怪我人は?」
「二十三名です。そのうち三名が骨折などの重傷。残りは切り傷や打撲などで、命に関わる者はいないとのことです」
「治療は?」
「すでに始めております」
「薬は足りる?」
「今のところは。ただ、長期化した場合は分かりません」
「そう」
なら、無駄には使えない。
「建物は?」
「港に近い一部の家屋が損傷しております。また、屋根が飛ばされた建物が複数ございます」
「住めない家は?」
「現在確認できているだけで七軒です」
「そこに住んでいた人は?」
「近隣の家や宿へ移っていただいております」
「全員?」
「はい」
まずは大丈夫。
「それで」
私は机の上へ紙を広げた。
「島に今、何人いるの?」
「……はい?」
「人数」
「島民でしたら――」
「違うわ」
首を振る。
「全員」
「全員、ですか?」
「住んでいる人だけじゃないでしょう?」
私は指を折る。
「島民」
「はい」
「観光客」
「はい」
「商人」
「はい」
「職人」
「はい」
「私たち」
「……はい」
「他にもいる?」
「本土から仕事で来ている者が何名か。それと船員もおります」
「それも全部」
責任者が少し困った顔をした。
「正確な人数は、まだ……」
「なら数えましょう」
「今からですか?」
「今だからよ」
何人いるか分からない。
食料がどれだけ必要なのかも分からない。
怪我人の割合も分からない。
寝る場所が足りるのかも分からない。
「昨日までは、船が来ることを前提にしていたでしょう?」
「はい」
「でも今は来ないかもしれない」
港を見る。
昨日の報告では、使える可能性がある船は一隻。
だが、この海では出せない。
外から船が来られるかも分からない。
「何日になるか分からないなら、最初に人数を把握しないと何も決められないでしょう?」
「……おっしゃる通りです」
「宿ごとに宿泊客を確認して。住民は地区ごと。商人や職人は組合で分けられる?」
「可能です」
「船員は港ね」
「はい」
「私の随行員はこっちで数える」
「承知いたしました」
「重複しないようにしてね」
「重複?」
「例えば、宿に泊まってる商人を宿と商人の両方で数えたら二人になるでしょう?」
「ああ……」
「一人は一人よ」
責任者が頷く。
「集計方法を統一いたします」
「お願い」
それから。
「いなくなってる人も確認して」
空気が少し変わった。
「……行方不明者、ですか」
「そう」
死者はいない。
それは確認できた範囲での話だ。
「昨日までいたのに、どこにもいない人がいないか。ちゃんと確認して」
「承知いたしました」
◇
「次は食料ね」
人数の確認を任せたあと。
私は倉庫へ向かった。
雨はまだ降っている。
外へ出るのは危険なので、護衛をつけ、できるだけ建物沿いを進む。
「昨日まで休養だったのに」
「一昨日までは、では?」
「細かいわね」
「昨日は嵐でしたから」
「……そうだったわ」
倉庫へ着く。
中には、すでに何人もの人がいた。
「殿下」
「急にごめんなさい」
「いえ」
倉庫の管理者が頭を下げる。
「食料を確認したいの」
「はい」
「今あるもの、全部」
「全部ですか?」
「ここだけじゃないわよね?」
「はい。島内には複数の保管場所がございます」
視察したときにも聞いた。
一か所に集めると、火事などが起きたときに全て失う。
だから分散している。
あのときは。
『ちゃんと考えてるのね』
それで終わった。
今は、その分散された食料を全部知らなければならない。
「穀物」
「はい」
「干した魚」
「はい」
「塩漬け」
「ございます」
「野菜は?」
「保存できるものはございますが、生鮮品はそれほど長くは」
「果物も同じね」
「はい」
「飲み水は?」
「井戸がございます。今のところ異常は確認されておりません」
「雨水が入って濁ったりしてない?」
「確認させます」
「お願い」
食べ物だけあっても、水が駄目なら意味がない。
「それと、お店にある食料も数えられる?」
「商店のものもですか?」
「買い上げるわ」
「買い上げる?」
「非常時だからって、勝手に取り上げるわけにはいかないでしょう」
必要なら使う。
でも、それは持ち主から奪っていいという意味ではない。
「王家で買い上げる形にする。記録は残しておいて」
「承知いたしました」
「宿が持ってる分も同じ」
「はい」
「今すぐ全部集めなくていいわ」
「集めないのですか?」
「一か所に集めて、そこに何かあったら全部なくなるでしょう?」
せっかく分けてあるのだ。
場所はそのままでいい。
「どこに、何が、どれだけあるか。それだけ分かるようにして」
「承知いたしました」
管理者が紙へ書き込んでいく。
「殿下」
「何?」
「どの程度を想定しておけばよろしいでしょうか」
「どの程度?」
「何日分を確保するか、です」
「……」
私は答えられなかった。
何日。
それが分からない。
「港の人に聞きましょう」
◇
「今すぐは無理です」
港。
建物の中から海を見ながら、船員が言った。
「分かってるわ。今出せるかじゃない」
「はい」
「嵐が収まったら?」
「船の確認が必要です」
「無事そうな一隻は?」
「見た限りでは大きな損傷はございません。ただ、船底までは確認できておりません」
「じゃあ、それが無事なら本土へ行ける?」
船員はすぐには頷かなかった。
「本土側の港の状況も分かりません」
「……そうか」
こっちだけ無事でも駄目だ。
「外から船が来る可能性は?」
「ございます」
「いつ?」
「分かりません」
「そうよね」
分からない。
さっきからそればかりだ。
でも。
「最悪の場合は?」
「殿下?」
「一番時間が掛かったら、どれくらい?」
「……」
船員たちが顔を見合わせる。
「本土側も大きな被害を受けている場合、まず港を使えるようにしなければなりません」
「うん」
「それから船を確保し、こちらの状況を確認して……」
「うん」
「道が寸断されておりますので、物資を港まで運ぶのにも時間が掛かる可能性があります」
「どれくらい?」
「正確には申し上げられません」
「正確じゃなくていい」
「……早ければ数日」
「遅ければ?」
沈黙。
「一月ほどは、見ておいた方がよろしいかと」
「一月……」
長い。
思っていたより、ずっと。
「分かった」
「ただ、そこまで掛かるとは限りません」
「ええ」
「数日で船が来る可能性もございます」
「それも分かってる」
早く来るなら、それでいい。
食料が余るだけだ。
「でも、一月掛かると思って準備する」
数日だと思って食べて。
本当に一月掛かったら。
取り返しがつかない。
◇
夕方。
朝から集めていた数字が、ようやく揃い始めた。
「島民がこちらです」
「観光客はこちら」
「商人、職人、船員が――」
「王家の随行員はこちらです」
机の上に紙が増えていく。
私は一枚ずつ確認する。
「重複は?」
「確認済みです」
「行方不明者は?」
「一名、所在が分からない者がおりましたが、別の地区へ避難していたことが確認できました」
「じゃあ、全員いるのね?」
「はい」
よかった。
本当に。
「怪我人は?」
「新たに七名確認されました。いずれも軽傷です」
「治療できる場所は?」
「三か所に分けております」
「三か所?」
「島が広いため、一か所では移動が難しい者が出ますので」
「なるほど」
それなら、その方がいい。
「薬と治療できる人は足りてる?」
「現時点では」
「分かった」
次。
「食料は?」
倉庫の管理者が紙を見る。
「現在確認できた分を、通常通り消費した場合ですが」
「うん」
「およそ二十日分です」
「……二十日」
一月には足りない。
「魚は?」
「この海では漁に出られません」
「嵐が収まったら?」
「可能です。ただ、船の被害もありますので、以前と同じ量を確保できるかは分かりません」
「畑は?」
「被害を確認中です」
「保存食だけで二十日?」
「概ね」
「じゃあ」
私は紙を見る。
人数。
食料。
日数。
一月。
「少しずつ減らしましょう」
「配給を、ですか?」
「いきなり半分にはしない」
それでは体力が落ちる。
怪我人もいる。
働かなければならない人もいる。
「まず無駄をなくす」
「無駄?」
「宿や店ごとに好きなだけ使うのをやめる。傷みやすいものから使う。長く保存できるものは後」
「はい」
「子供と怪我人、それから作業する人は必要な量を確保して」
「承知いたしました」
「それで何日まで伸ばせるか計算して」
「一月、ですか?」
「一月」
最悪に合わせる。
「もし十日で助けが来たら?」
サリナが聞く。
「いっぱい食べる」
「そうですか」
「二十日で来たら?」
「少しいっぱい食べる」
「では、一月掛かったら?」
「……足りるようにするのよ」
笑って答えた。
笑えているかは分からない。
「あと」
私は紙を置く。
「食料の保管場所には人を置いて」
「護衛ですか?」
「ええ」
「盗難を警戒されているのですか?」
「今は大丈夫でも」
今日。
明日。
三日後。
十日後。
助けが来ない日が続けば、人は不安になる。
「食べ物がなくなるかもしれないって思ったら、何をする人が出るか分からないでしょう?」
「……」
「誰かを疑いたいわけじゃないの」
何も起きないなら、それが一番いい。
「何も起きないようにするの」
「承知いたしました」
「それと、みんなに今の状況を伝えて」
「どこまででしょうか」
「分かってること全部」
責任者が驚いた顔をする。
「食料が二十日分ということもですか?」
「それも」
「不安を煽る可能性が……」
「隠した方が怖いわ」
船が来ない。
橋が落ちた。
食料がどれだけあるか分からない。
偉い人たちは何も教えてくれない。
そんな状態の方が、よほど怖い。
「ただし、一月来ないって決まったみたいには言わないで」
「はい」
「早ければ数日で来る可能性もある。でも最悪の場合は一月ほど掛かる可能性がある。だから一月持つように食料を管理する」
「……はい」
「今いる全員の無事は確認できてる。怪我人も命に関わる人はいない。水も今のところ問題ない」
悪いことだけじゃない。
分かっている安心材料も、ちゃんと伝える。
「それを毎日」
「毎日ですか?」
「何も変わらなくても」
「変わらなくても?」
「今日は何も変わってませんって伝える」
情報がない時間が長くなるほど、人は勝手に考える。
悪い方へ。
「分からないことは、分からないって言えばいいのよ」
「……承知いたしました」
責任者が深く頭を下げる。
人はいる。
食料もある。
水もある。
怪我人はいるけれど、命に関わる者はいない。
今すぐどうにかなる状況ではない。
なら。
「一月」
私は小さく呟く。
一月持たせればいい。
それより早く助けが来れば、笑って余った食料を食べればいい。
「よし」
「リリアーナ様?」
「やることが分かった」
分からないことだらけだった昨日より、ずっといい。
私は机の上の紙をまとめる。
「一月くらい、どうにかしてやるわよ」
せっかくのバカンスを潰されたのだ。
これ以上。
この島まで滅茶苦茶にされてたまるものか。




