第一話 餌に食いつく魚
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
卓球大会が終わった。
大会は大盛況。
ピンポン地方には多くの人が集まり、宿は埋まり、飲食店は繁盛し、商人まで集まった。
卓球を見た人たちは自分でもやりたいと言い出し、ラケットや球が売れ、職人たちには注文が殺到しているらしい。
大会会場についても、大会がない日は一般に貸し出されることになった。
結果だけを見れば、大成功。
素晴らしい成果だと思う。
うん。
第一王子であるお兄様が。
私はちょっと意見を言っただけ。
そういうことにしてほしい。
というより、そういう約束だったはずだ。
「終わった……」
自室のソファへ身体を沈める。
「お疲れ様でございました」
サリナがお茶を置いてくれる。
「本当に疲れたわ……」
「随分と楽しそうに卓球をされておりましたが」
「それとこれとは別よ」
卓球自体は楽しかった。
お兄様との試合も、途中から本気になってしまったことは認める。
大会も面白かった。
自分が説明した遊びを大勢の人が楽しんでいる光景は、悪い気分ではなかった。
ただし。
「意見だけって言ったのに」
「はい」
「名前を貸すだけって言ったのに」
「はい」
「なんで大会資料を全部確認することになったのよ」
「この国で最も卓球に詳しいのがリリアーナ様でしたので」
「知らないわよ!」
そんな理由で仕事が増えてたまるものか。
私は働きたくない。
正確には、必要な仕事ならする。
王族として最低限の仕事もする。
任されたなら、それなりに責任を持ってやる。
だけど、それ以上は嫌だ。
前世では散々働いた。
朝から晩まで仕事をして、部下の失敗を処理して、上司の無茶振りに付き合って、取引先に頭を下げて、会議をして、資料を作って。
休日まで仕事のことを考えていた。
だから今世では、のんびり暮らす。
そう決めていた。
なのに。
「ボーリング地方から帰ってきて、やっとのんびりできると思ったのに……」
「王位継承権を授与されましたからね」
「いらないのに」
「それは陛下へおっしゃってください」
「何度も言ってるわよ」
何度言っても聞いてくれない。
それどころか最近のお父様は、私が何かをするたびに楽しそうなのだ。
非常に嫌な予感がする。
「まあ、いいわ」
お茶を一口飲む。
終わったものは仕方がない。
大切なのはこれから。
「しばらく休むわよ」
「そうでございますね」
「読書して、お茶を飲んで、散歩して、昼寝するの」
「以前と同じ生活ですね」
「最高じゃない」
何もしなくていい。
素晴らしい。
私はそのために今まで目立たないように生きてきたのだ。
王位継承権第五位なんて余計なものはくっついてしまったけれど、それでも自分から仕事を増やさなければ――。
コンコン。
扉が叩かれた。
「失礼いたします」
ミハイルが入ってくる。
その手には一通の書状。
嫌な予感がした。
とても嫌な予感がした。
「リリアーナ様」
「嫌よ」
「まだ何も申し上げておりませんが」
「その手紙、お父様からでしょう?」
「はい」
「なら嫌」
「陛下よりお呼び出しでございます」
「嫌」
「リリアーナ様」
「行きたくない」
「王命です」
「…………」
私は天井を見上げた。
「サリナ」
「はい」
「私、何か悪いことした?」
「少なくとも、私の知る限りでは」
「じゃあ、なんで?」
「さあ」
行きたくない。
ものすごく行きたくない。
だけど、王命なら行かないわけにもいかない。
「……着替えるわ」
「畏まりました」
お願いだから。
仕事の話ではありませんように。
そんな願いを抱きながら、私はお父様のもとへ向かった。
◇
「嫌です」
部屋へ入って、挨拶をして、椅子へ座って。
お父様が口を開くより先に断った。
「まだ何も言っておらんぞ」
「どうせ仕事でしょう?」
「なぜそう思う」
「お父様が私を呼ぶとき、大体仕事だからです」
「親が娘を呼んではいかんのか?」
「仕事じゃないんですか?」
「仕事だ」
「ほら!」
だったら最初から言えばいいでしょう!
私の期待を返してほしい。
いや、最初から期待なんてしていなかったけど。
「嫌です」
「内容くらい聞け」
「聞いたら断れなくなるじゃないですか」
「王命なら聞かなくても断れんぞ」
「横暴です!」
「王だからな」
この人。
王という立場をこんなところで使わないでほしい。
私が睨んでも、お父様はどこ吹く風。
机の上に置かれていた書類へ目を落とす。
「少し行政で問題が起こってな」
「文官に任せてください」
「お前の奇抜な発想が役立つかもしれん」
「役立ちません」
「まだ内容も聞いておらんだろう」
「聞いたら考えてしまうので聞きたくありません」
「……」
お父様が黙った。
何よ。
自分でも分かっている。
問題を聞けば考えてしまう。
ここがおかしい。
こうすればいい。
あれを確認した方がいい。
そういうものが勝手に頭へ浮かぶ。
前世からの悪い癖だ。
そして一度気づくと放置するのが気持ち悪い。
だから聞かない。
知らなければ考えなくて済む。
完璧な作戦だ。
「この件が済んだら、お前に休養を与えようと思っていたのだがな」
ピクッ。
「最近、働き詰めであろう」
「……」
「ボーリング地方から戻ってきた後も、王位継承権を与えられたことで予定が増えた」
「……そうですね」
「そのうえ、ピンポン地方の件にも関わった」
「意見だけの予定でしたけどね」
「卓球大会も成功させた」
「お兄様が、です」
「そういうことにしておこう」
何、その言い方。
「故に、少し休ませてもよいと思ってな」
「……本当ですか?」
「ああ」
怪しい。
ものすごく怪しい。
だけど、休養。
その言葉は魅力的だった。
「どのくらいですか?」
「そうだな。一月ほどはどうだ?」
「一月!?」
思わず身を乗り出した。
一月。
一月も休める。
読書。
散歩。
昼寝。
お茶。
何をしよう。
いや、何もしなくてもいい。
一月間、何もしないという贅沢。
最高ではないか。
「とある海に面した地方でな」
「海……」
「バカンスには最適だ」
ピクッ。
「気候もよい」
「……」
「あそこで海を眺めながら海鮮料理を食すのは、たいそう療養になるだろうに」
ピクピクッ。
海。
海鮮料理。
バカンス。
前世では、そんなものに縁がなかった。
旅行へ行こうと思ったことはある。
だけど、仕事が入った。
休みを取ろうとしたこともある。
だけど、問題が起きた。
気づけば休日は家で寝て終わる。
海辺で何もせず、波の音を聞きながら、美味しいものを食べる。
いい。
ものすごくいい。
だけど。
待って。
私はお父様を見る。
お父様は笑っている。
絶対に何かある。
「……意見だけ、ですね?」
「うむ」
「実務は?」
「現地の者に任せればよい」
「本当に?」
「無論だ」
「私が何かを直接やる必要は?」
「ない」
怪しい。
でも、条件としては悪くない。
少し行政上の問題について意見を出す。
それだけ。
終われば一月の休養。
しかも海。
海鮮料理。
「……分かりました」
「ほう」
「そのお仕事、お受けいたします」
「そうかそうか」
お父様が嬉しそうに笑う。
その顔が気に入らない。
「ただし」
「なんだ」
「意見だけですからね」
「ああ」
「実務はしません」
「分かっておる」
「問題を見つけても、報告するだけです」
「構わん」
「本当に、本当に、それだけですからね?」
「くどいぞ」
誰のせいだと思っているのか。
「では、話は終わりですね」
「ああ」
「失礼いたします」
立ち上がる。
よし。
少し仕事をする。
それが終われば休暇。
今度こそ本物の休暇だ。
私は晴れやかな気持ちで扉へ向かう。
「ああ、そうだ」
「はい?」
振り返る。
「行き先を伝えておらんかったな」
「そういえば」
「サーフィン地方だ」
「……サーフィン?」
聞き覚えのある単語。
いや、この国の地名なんて、そんなものばかりだけれど。
ボーリング。
ピンポン。
そして今度はサーフィン。
本当に、この世界の神様は遊び足りなかったのだろうか。
「その沿岸部と、近くにあるピーク島を見てきてもらいたい」
「ピーク島」
「景観もよいぞ」
「そうですか!」
島!
海!
これは期待できる。
「ちょうど現地の視察も必要だったところだ」
「…………」
「バカンスのついでで構わん」
「お父様?」
「なんだ?」
私は笑顔を作った。
「今、視察とおっしゃいました?」
「言ったな」
「休養ですよね?」
「ああ」
「なのに視察?」
「ついでだ」
「仕事ですよね?」
「ついでだ」
「仕事ですよね!?」
お父様は答えない。
ただ楽しそうに笑っている。
このクソジジイ。
危うく口から出そうになった言葉を、私は必死に飲み込んだ。
大丈夫。
まだ大丈夫。
視察だけ。
問題を確認して、意見を言って、報告書を書く。
それだけだ。
終われば海。
海鮮料理。
バカンス。
そう。
今度こそ。
今度こそ、本当に休むのだ。
お読み頂き、ありがとうございます。




