第三話 上の人間はやることが無いことが一番良いこと
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
ストライク領。
ボーリング地方の東部に位置し、王都から向かった場合、最初に入ることになる領地だ。
馬車の窓から街を眺める。
「……綺麗ね」
最初に抱いた感想は、それだった。
別に建物が豪華なわけではない。
王都と比べれば、規模だってずっと小さい。
けれど、道が綺麗に整えられている。
大通りには荷馬車が行き交い、その邪魔にならないよう人々が端を歩いている。
露店が勝手に道を塞いでいるようなこともない。
店先には商品が並び、客の姿も多い。
少なくとも、寂れているようには見えなかった。
「資料通りなら、主要産業は農業と加工業だったわね」
「はい」
向かいに座るメイドが頷く。
「王都へ向かう街道も、この領を通っております」
「それで商業もそれなりに盛ん、と」
悪くない。
いや。
第一印象だけなら、かなりいい。
とはいえ、見た目だけで判断するわけにはいかない。
表通りだけ綺麗にしている可能性もある。
偉い人が来るときだけ掃除をして、普段は酷い有様。
前世でも似たような話はあった。
「予定通り、まずは領主に会いましょう」
「かしこまりました」
馬車はそのまま領主館へと向かった。
◇
「ようこそお越しくださいました、リリアーナ殿下」
領主館の前で出迎えてくれたのは、四十代ほどの男性だった。
ストライク領領主。
バルド・ストライク伯爵。
「突然の訪問にもかかわらず、出迎え感謝します」
「いえ。国王陛下の名代としてボーリング地方を統括なされる殿下をお迎えするのです。当然のことでございます」
丁寧に頭を下げる。
表情には緊張が見える。
まあ、当然か。
国王の娘が突然やってきて、一年間この地方を統括する。
領主側からすれば、
『何を調べられるんだ?』
という気分だろう。
安心してほしい。
私だって好きで来たわけじゃない。
「堅苦しい挨拶はこれくらいにしましょう」
「は」
「早速ですが、帳簿を見せてもらえますか?」
「……帳簿、でございますか?」
「ええ」
伯爵の表情が僅かに固まった。
やっぱり嫌よね。
でも仕方ない。
私は一年後に成果を出さなければならないのだ。
まず現状を知らなければ、何をすればいいのかも分からない。
「税収、支出、領内事業。それから過去五年分ほどあれば助かります」
「五年分……」
「何か問題でも?」
「いえ。すぐに用意させます」
「お願いします」
さて。
まずは数字から見てみましょうか。
◇
「…………」
帳簿をめくる。
もう一枚。
さらに一枚。
「……うん」
税収。
問題なし。
というより、緩やかに増えている。
人口。
こちらも増加傾向。
支出。
不自然なものは見当たらない。
道路や水路の補修にも定期的に予算が使われている。
領主個人の支出が領政の帳簿に紛れ込んでいる様子もない。
農業生産量。
安定。
主要作物が不作だった年には落ち込んでいるが、翌年には戻っている。
商業。
少しずつ伸びている。
治安維持費。
適正。
兵士の人数。
多過ぎず、少な過ぎず。
「…………」
ページを戻す。
もう一度確認する。
「殿下?」
「少し待って」
「は、はい」
おかしい。
いや。
おかしくない。
おかしくないから、おかしい。
何かない?
私は問題を探している。
税率が異常に高いとか。
無駄な公共事業をしているとか。
領主が金を使い込んでいるとか。
産業が一つに偏り過ぎているとか。
人口が減っているとか。
何でもいい。
改善できそうなところ。
「……ないわね」
「はい?」
「いえ」
まだ分からない。
帳簿だけ整えている可能性だってある。
前世でもいた。
報告書だけは綺麗な部署。
数字だけ見れば何も問題がない。
でも現場へ行ってみると、無理を押しつけて数字を作っていたりする。
なら。
「街を見せてください」
「これから、でございますか?」
「ええ」
「承知いたしました」
伯爵が立ち上がる。
「案内の者を――」
「必要ありません」
「……は?」
「案内された場所だけ見ても仕方ないでしょう?」
「それは……」
「伯爵も来なくて結構です」
「しかし、殿下の護衛が」
「護衛は連れていきます」
伯爵が困ったような顔をする。
その反応に、少しだけ期待した。
もしかして何かある?
「何か、私に見られると困るものでも?」
「い、いえ!」
伯爵が慌てて首を振る。
「では、問題ありませんね」
「……はい」
よし。
見つける。
何か一つくらいあるでしょう。
◇
「…………」
街を歩く。
道。
綺麗。
店。
客がいる。
市場。
活気がある。
裏道。
多少汚れているけれど、許容範囲。
排水。
詰まっていない。
井戸。
管理されている。
「……」
私は市場の店に入った。
「いらっしゃいませ!」
店主が元気よく声をかけてくる。
こちらが王女だとは気づいていないらしい。
服装は多少目立つだろうけれど、王族が普通に市場を歩いているなんて思わないのだろう。
「少しいいかしら?」
「もちろんです。何をお探しで?」
「最近、商売はどう?」
「商売?」
「ええ」
店主が首を傾げる。
「まあ、悪くはないですよ」
「税金が高いとか」
「そりゃ安い方が嬉しいですけどね」
笑う。
「払えないほどじゃないです」
「領主に不満は?」
「伯爵様ですか?」
「ええ」
「うーん」
考え込む。
何かある?
「真面目過ぎるくらいですかね」
「……それ、不満?」
「いやぁ、不満ってほどじゃ」
ないのね。
「役人は?」
「たまに融通が利かない奴もいますけど」
「賄賂を要求されたり?」
「聞いたことないですね」
「兵士は?」
「普通ですよ」
「街道は?」
「去年直してくれました」
「…………」
ない。
別の店。
「領主に不満?」
「特には」
別の住民。
「生活で困っていること?」
「今年は野菜がちょっと高いですかね」
それは領主の責任ではない。
農家。
「困っていることは?」
「今年は雨が少ないんで、それくらいですかね」
自然現象。
職人。
「仕事は?」
「ありますよ」
商人。
「街道?」
「悪くないですな」
兵士。
「治安?」
「最近は大きな事件もありません」
「…………」
ない。
本当にない。
◇
夕方。
領主館へ戻った私は、用意された部屋の椅子に座り込んでいた。
「リリアーナ様、お疲れ様でございました」
「……ええ」
メイドが紅茶を淹れてくれる。
私は受け取り、一口飲んだ。
「ねえ」
「はい」
「ストライク領って、優秀なの?」
「私に領政の良し悪しは分かりかねますが……活気のある領地だとは思います」
「そうよね」
資料を見る。
もう一度。
税収。
人口。
産業。
治安。
全部悪くない。
領主にも大きな問題は見当たらない。
現場も確認した。
住民にも聞いた。
「……ストライク」
資料の表紙を見る。
前世のボーリングなら。
一投目で全部倒す。
最高の結果。
「まさかね」
「何がでしょう?」
「なんでもない」
さすがに地名と領地の状態まで一致しているなんてことはないでしょう。
たまたま。
偶然。
そうに決まっている。
それより問題は――。
「私、ここで何をすればいいの?」
「はい?」
「改善するところがないのよ」
正確には、細かな改善点ならある。
もっと効率化できそうな業務もある。
伸ばせそうな産業もある。
前世の知識を使えば、新しいことだってできるかもしれない。
でも。
「今、ちゃんと回ってるのよね」
それを私が、
『もっと良くしてあげる』
なんて横から口を出して弄り回す?
嫌だ。
前世で散々見た。
新しく来た上司が、自分の成果を作るために、それまで上手く回っていた仕組みを変える。
意味のないルールを追加する。
書類を増やす。
会議を増やす。
現場の負担だけが増える。
「必要がないなら、触らない方がいいわね」
「……よろしいので?」
「何が?」
「リリアーナ様は、ボーリング地方をより良くするためにいらしたのでは?」
「違うわ」
即答する。
「廃嫡されないためよ」
「……」
メイドが黙った。
「何、その顔」
「いえ」
「何よ」
「リリアーナ様らしいと思いまして」
「褒めてる?」
「もちろんでございます」
怪しい。
まあいい。
「とにかく」
私は資料を閉じた。
「問題がないところに問題を作ってまで、仕事を増やす必要はないわ」
「はい」
「ストライク領については現状維持」
「承知いたしました」
「定期的な報告だけ出してもらいましょう。それで十分」
「では、明日からはいかがなさいますか?」
「……」
明日から?
私は予定表を見る。
ストライク領での滞在予定。
十日間。
今日は初日。
「…………」
あと九日。
「リリアーナ様?」
「暇になったわ」
「……はい?」
「だって、やることないもの」
予定では、この十日間で問題点を洗い出し、必要なら改善案を作るつもりだった。
でも問題がない。
なら。
「休みましょう」
「はい?」
「だから、休むの」
「……九日間ですか?」
「何か問題でも?」
「いえ、その……」
「仕事がないのに、仕事をしているふりをする方が無駄でしょう?」
「それは、そうかもしれませんが」
「決まりね」
私は立ち上がった。
途端に気分が軽くなる。
「せっかく遠くまで来たんだもの。ストライク領の名物でも食べましょう」
「名物、ですか?」
「観光できる場所も聞いておいて」
「観光……」
「あと、できれば昼寝に向いている場所」
「リリアーナ様」
「何?」
「統括代官としていらしたのでは?」
「だから確認したでしょう?」
帳簿を見た。
街を見た。
領民から話も聞いた。
問題なし。
「問題が起きたら働くわ」
「……」
「起きてないなら休む」
私は胸を張る。
「それの何が悪いの?」
「……いえ」
メイドは何かを諦めたように頭を下げた。
「承知いたしました」
「よろしい」
やっと話が分かってくれた。
こうして。
廃嫡を回避するため、一年間だけ本気で働くと決意した私の統括代官としての仕事は――。
初日でいきなり暇になった。
お読み頂き、ありがとうございます。




