第七話 人が知らないことを知っていれば当然聞かれるという自明の理
名前だけ。
私は何もしない。
何か問題が起きても、お兄様たちで対処する。
質問が来ても、文官たちが対応する。
大会当日も、私は招待客として見ているだけ。
そこまで確認した。
側近たちも聞いていた。
サリナも聞いていた。
だから今度こそ大丈夫。
そう思っていた。
――三日後までは。
「リリアーナ様」
「何?」
「第一王子殿下より使者が」
「嫌」
「まだ内容を申し上げておりません」
「どうせ卓球でしょう?」
「左様でございます」
「ほら!」
私は読んでいた本を閉じた。
「今度は何?」
「大会会場について、少々確認したいことがあるとのことです」
「お兄様たちで決めればいいでしょう」
「それが」
「何?」
「卓球台同士をどれほど離せばよいのか分からない、と」
「……」
私は黙った。
確かに。
大会なら、何台か同時に使うことになる。
近すぎれば危ない。
球を追って隣の台へ入り込むかもしれない。
「……十分に離して」
「どれほどでしょう?」
「人が台から離れて球を打っても、隣の人とぶつからないくらい」
「具体的には?」
「会場を見てないのに分かるわけないでしょう!」
「では、見ていただきたいとのことです」
「……」
なるほど。
そう来たか。
「サリナ」
「はい」
「これ、私が行かないと駄目?」
「私には判断いたしかねます」
「ミハイル」
「はい」
「あなたは?」
「卓球というものを存じませんので」
「……」
逃げ道がない。
「一回だけよ」
「かしこまりました」
「会場を見て、台の配置について意見を言うだけ」
「はい」
「それ以上は絶対にしないから」
「承知いたしました」
◇
「もう少し離した方がいいです」
「これでも?」
「はい。試合中、選手は台のすぐ近くにいるとは限りませんから」
「なるほど」
「あと、後ろも空けてください」
「後ろ?」
「下がって打つこともあります」
「どれくらい?」
「だから、それを今見ているんです!」
「ああ、そうだったね」
お兄様が笑う。
私は会場を見回した。
広い。
想像していたより、かなり広い。
まだ建物そのものは完成していないけれど、屋根と壁はほとんど出来上がっている。
「それにしても」
「うん?」
「大きくありません?」
「観客も入れるからね」
「最初は規模を抑えるとおっしゃってませんでした?」
「抑えているよ」
「これで?」
「これで」
「……」
基準がおかしい。
「まあいいです」
私のお金じゃない。
私の領地でもない。
好きにすればいい。
「台はこの配置なら問題ないと思います」
「分かった」
「では、私は帰ります」
「待って」
「嫌です」
「まだ何も言ってないよ?」
「絶対何かありますよね?」
「一つだけ」
「……何です?」
「観客席なんだけど」
「お兄様」
「意見だけ」
「……」
意見だけ。
確かに。
「何でしょう?」
「選手のすぐ近くまで観客を入れても大丈夫かな?」
「駄目です」
「即答だね」
「球が飛びますから」
「ああ」
「それに、選手が球を追って走ることもあります」
「では柵を作る?」
「それでいいと思います」
「高さは?」
「腰くらいで十分では?」
「なるほど」
「終わりですね?」
「うん」
「では失礼いたします」
今度こそ帰った。
◇
その二日後。
「リリアーナ様」
「嫌」
「第一王子殿下より」
「今度は何!?」
「試合の審判について」
「審判!?」
「はい」
私は天井を見上げた。
「……何が分からないの?」
「誰が得点を判断するのか、と」
「審判でしょう?」
「その審判が、何を見て判断すればよいのか分からないそうです」
「……」
そうだった。
ルールを知っている人間が、まだほとんどいない。
「説明書を渡したでしょう?」
「基本的な遊び方については」
「……」
審判用の規則までは書いていない。
「お兄様の文官に作らせて」
「そのために、判断基準を教えていただきたいとのことです」
「……」
私は頭を抱えた。
◇
「サーブは交代で行います」
「毎回?」
「二本ずつでいいと思います」
「十対十になった場合は?」
「その場合は一本ずつ交代」
「球が台の端に当たった場合は?」
「入っていれば有効」
「網に当たって相手側へ落ちたら?」
「試合中ならそのまま続行。サーブならやり直し」
「球が台に二回跳ねたら?」
「二回跳ねる前に返せなければ相手の得点」
「手で打った場合は?」
「駄目」
「ラケットを落として手に当たった場合は?」
「駄目!」
「台に手をついたら?」
「……」
どうだったっけ。
確か、ラケットを持っていない方の手を台についたら駄目だったはず。
「駄目です」
「なるほど」
文官が猛烈な勢いで書いている。
私はそれを見る。
「……これ」
「何だい?」
「最初から全部決めておく必要あります?」
「どういうこと?」
「分からないことが出たら、その都度決めればいいでしょう」
「大会中に?」
「最初なんですから仕方ないでしょう」
そもそも前世の正式な規則を完全に再現する必要なんてない。
ここはこの世界。
初めて卓球をするのだ。
「最低限だけ決めて、問題が出たら大会後に規則へ追加してください」
「なるほど」
「そうすれば次は迷わないでしょう?」
「確かに」
「同じ質問を二回私に持ってこないでください」
「そこが一番大事なんだね」
「当たり前です!」
◇
さらに四日後。
「リリアーナ様」
「……」
「第一王子殿下より」
「……何?」
「参加者から質問が」
「なんで私に来るのよ!」
「大会運営の者でも判断できなかったそうで」
「……何よ」
「試合中にラケットが壊れた場合、交換してもよいのか、と」
「交換すればいいでしょう!」
「その場合、同じ材質でなければならないのでしょうか?」
「何でもいいわよ!」
「では、そのように」
「待って」
「はい?」
「予備を用意させて」
「予備、でございますか?」
「大会中に壊れる可能性があるなら、会場に何本か置いておけばいいでしょう」
「なるほど」
「あと、球も」
「球も?」
「割れたり潰れたりするかもしれないから」
「承知いたしました」
「……」
またやった。
質問に答えるだけでよかったのに。
どうして私は、その次まで考えてしまうの。
でも。
途中で道具が壊れる。
そのたびに私へ聞きに来る。
そっちの方が嫌。
「多めに用意しておいて!」
「かしこまりました」
◇
さらに三日後。
「リリアーナ様」
「今度は何!?」
「第一王子殿下が」
「だから何!?」
「一度お越しいただきたいと」
「嫌よ!」
「リリアーナ様」
「名前だけって言ったじゃない!」
「私はその場におりませんでしたので」
「サリナ!」
「はい。確かに第一王子殿下は、そのようにおっしゃっておりました」
「でしょう!?」
「はい」
「なのに!」
会場。
審判。
規則。
道具。
何かあるたびに呼ばれる。
確かに。
私は実務をしていない。
書類も文官が作っている。
職人への指示もしていない。
大会の参加者を集めたのも私ではない。
会場を作ったのも違う。
私はただ。
聞かれたことに答えているだけ。
でも!
「これのどこが名前だけなのよ!」
「殿下」
「何!?」
「お顔が」
「不可抗力よ!」
「左様でございますか」
「行くわよ!」
「かしこまりました」
◇
「名前だけとおっしゃったじゃないですか!」
部屋へ入るなり。
私は叫んだ。
お兄様が瞬きをする。
周囲の側近たちが一斉にこちらを見た。
「リリアーナ」
「なんですか!」
「まず座ったらどうだい?」
「その前に!」
「うん」
「名前だけ!」
「うん」
「私は何もしない!」
「そうだね」
「そうおっしゃいましたよね!?」
「言ったね」
「では、これは何ですか!?」
「何、と言われても」
「会場!」
「意見を聞いたね」
「審判!」
「それも聞いた」
「規則!」
「聞いたね」
「道具!」
「うん」
「全部私に聞いてるじゃないですか!」
「でも」
お兄様が首を傾げた。
「リリアーナの発案だよね?」
「うぐっ」
詰まった。
「卓球という遊びを知っているのも、君だ」
「それは……」
「ルールを知っているのも」
「……」
「君だね?」
「ぐぬぬ……」
「そもそも」
お兄様が頬杖をつく。
「リリアーナより詳しい人、いないよね?」
「……」
いない。
今のところ。
いない。
だって、この世界には卓球がなかったのだから。
私が教えた。
当然、私が一番詳しい。
「……それは」
「うん?」
「そうですけど……」
「だから、分からないことが出たら聞くしかなくてね」
「だからって!」
「こちらでも判断できることは判断しているよ?」
「……本当に?」
「本当だよ」
私は側近たちを見る。
何人かが頷いた。
嘘ではないらしい。
「でも、根本的な部分はどうしても君に確認しないと分からない」
「……」
「それに」
お兄様が少しだけ笑う。
「そもそも、どこで知ったのかな?」
「…………」
止まった。
心臓が。
一瞬だけ。
「何を……でしょう?」
「卓球だよ」
「……」
「この国にはなかった」
「……」
「私も知らなかった」
「……」
「君は最初から遊び方を知っていた。道具の形も。得点方法も。大会形式も」
「……」
まずい。
「どこかの外国で見たのかな?」
「……」
見ていない。
少なくとも。
リリアーナ・プレイングとしては。
「それとも、本で?」
「……」
私は笑顔を作った。
王女として身につけた。
何を考えているのか悟らせないための笑顔。
「随分と細かいことを気になさるのですね」
「そうかな?」
「どこで知ったかなど、どうでもよろしいではありませんか」
「まあね」
お兄様が笑った。
「なんてね」
「……」
「詳しくは聞かないよ」
「……そうですか」
「うん」
助かった。
そう思った瞬間。
「協力してくれたらね?」
「…………」
私は笑顔のまま固まった。
「お兄様?」
「なんだい?」
「今」
「うん」
「ものすごく卑怯なことをおっしゃいませんでした?」
「そうかな?」
「そうです!」
「でも、私だって困っているんだよ」
「何がですか!」
「君しか知らないんだから」
「それは……!」
言い返せない。
「大会まであと少しだ」
「……」
「ここまで来て中止にはしたくない」
「……」
「もちろん、実務を押しつけるつもりはないよ」
「信用がありません」
「酷いな」
「誰のせいですか!」
「君には、今まで通り分からないところを確認してもらうだけでいい」
「それが多いんです!」
「できるだけ減らすよ」
「本当ですか?」
「努力する」
「絶対増える言い方じゃないですか!」
お兄様が笑う。
腹が立つ。
本当に腹が立つ。
でも。
大会まであと少し。
ここで放り出して。
適当に運営されて。
問題が起きて。
結局、あとから私のところへ持ってこられる。
……そっちの方が面倒臭い。
「……分かりました」
「お、そうかい」
「やりますよ……」
「うん」
「やればいいんでしょ、やれば!」
「殿下、素が」
「うるさいわね、サリナ!」
「失礼いたしました」
「まったく!」
お兄様が楽しそうに笑っている。
「ふふ、君たちは仲が良いんだね」
「遠慮がないだけよ!」
「殿下のお目付役ですので」
「ああ言えばこう言う!」
「それが私の仕事です」
「むー」
「そんな可愛いお顔をされますと、殿方が勘違いされますよ?」
「……はぁ」
私は肩を落とした。
「ふふふ。彼女には勝てないね」
「……とりあえず」
私はお兄様の机を見る。
積まれている大会関係の書類。
もう逃げても仕方ない。
「全部見ます」
「うん。そうしてくれると助かるよ」
「ただし!」
「うん?」
「大会までですからね!」
「ああ」
「終わったら、本当に終わりです!」
「分かっているよ」
「絶対ですよ!」
「もちろん」
「……」
私はお兄様を見る。
笑顔。
ものすごくいい笑顔。
信用ならない。
でも。
今は大会を終わらせる。
それだけ考えよう。
終われば解放される。
終われば。
今度こそ。
本当に。
私は机の上にある、一番上の書類を手に取った。




