第五話 意見だけという沼
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
「……これくらいかしら」
私はペンを置き、目の前の紙を眺めた。
第一王子であるお兄様との話を終え、自室へ戻ってから数時間。
私は机に向かっていた。
別に仕事をしているわけではない。
断じて違う。
これは意見をまとめているだけ。
お兄様とは約束した。
私は意見を出すだけ。
実務はしない。
書類も作らない。
職人への説明もしない。
予算にも関わらない。
だから、これは仕事ではない。
「……」
私は紙を見る。
卓球台の大きさ。
中央に張る網。
ラケットのおおよその形。
球の大きさ。
基本的なルール。
得点方法。
サーブの方法。
シングルスとダブルスの違い。
紙はすでに何枚にもなっていた。
「……」
仕事ではない。
これは説明。
そう。
説明なのだ。
「リリアーナ様」
「何?」
「先ほどから同じ紙を睨んでおられますが」
「考えてるのよ」
「左様でございますか」
サリナが新しい紅茶を机へ置く。
「ずいぶん熱心でございますね」
「違うわよ」
「何がでしょう?」
「別に熱心に仕事をしているわけじゃないの」
「仕事とは申し上げておりませんが」
「……」
私はサリナを見る。
いつも通りの無表情。
「今、わざと言ったでしょう?」
「何のことでしょう?」
「もういいわ」
紅茶を一口飲む。
少し冷めていた。
それだけ長く考えていたらしい。
仕方ないでしょう。
説明するなら、ちゃんと説明しないといけない。
中途半端な説明をして、あとから何度も質問される方が面倒なのだ。
一回で済ませる。
そのために必要なことを全部書いているだけ。
これは将来の仕事を減らすための行為。
だから問題ない。
「それにしても……」
改めて紙を見る。
卓球。
前世では珍しくもない競技だった。
私自身も何度か遊んだことがある。
けれど、こうして一から説明しようとすると、意外と難しい。
台の正確な寸法なんて覚えていない。
ネットの高さも知らない。
球の重さなんて当然分からない。
ラケットだって、形は覚えているけれど、細かい規格までは知らない。
だから、覚えている範囲でしか書けない。
「別に前世とまったく同じものを作る必要もないわよね」
「何かおっしゃいましたか?」
「なんでもないわ」
危ない。
前世なんて言えるわけがない。
私は紙へ視線を戻す。
この世界で作るのだ。
なら、この世界に合った形にすればいい。
台は、大人二人が向かい合って球を打ち合える大きさ。
高さは、腰より少し低い程度。
中央には網を張る。
球はできる限り軽く。
問題は材質。
前世の卓球球が何で作られていたのか、詳しくは知らない。
少なくとも木ではない。
でも、この世界で同じ素材を探す必要はない。
似た性質のものがあれば、それを使えばいい。
ラケットも同じ。
木材の種類によって、重さも硬さも違う。
ピンポン地方には様々な木があると、お兄様は言っていた。
なら、職人に何種類か試してもらえばいい。
私はそこまで書き。
ペンを止めた。
「……待って」
「はい」
「これ、私が考える必要ある?」
「何についてでしょう?」
「材質」
「さあ」
「私は遊び方を教えるだけでしょう?」
「第一王子殿下とのお約束では、そのように」
「よね?」
「はい」
「なら、これ以上は考えない」
私は材質について書きかけた部分に線を引いた。
危ない。
またやるところだった。
どうして私は、問題を見ると最後まで考えようとしてしまうのか。
材質は職人。
作り方も職人。
私は知らない。
知らないものは任せる。
完璧。
「できたわ」
「お疲れ様でございました」
「疲れてないわよ」
「左様でございますか」
「意見を書いただけだから」
「はい」
「仕事じゃないから」
「はい」
「……何よ」
「何も申し上げておりません」
なんだか腹が立つ。
◇
翌日。
私はまとめた紙をお兄様のもとへ届けさせた。
もちろん、自分では行っていない。
届けるだけなら使いの者で十分。
私は約束通り、意見を出した。
これで終わり。
あとはお兄様が好きにする。
「終わったわ」
「はい」
「今度こそ終わった」
「そうでございますね」
「今日は何もないわよね?」
「午後より王族としての定例会合がございます」
「……それは元からある仕事だからいいの」
「その後、二件ほど来客が」
「聞いてない」
「ミハイルが予定を調整しております」
「……」
執事を増やした結果、予定が増えてない?
気のせい?
いや。
今まで私のところへ届いていなかった話が、ミハイルを通して届くようになっただけかもしれない。
どちらにせよ嫌だ。
「終わったら昼寝するわ」
「かしこまりました」
「絶対よ」
「私に宣言されましても」
「宣言しておかないと仕事が生えてくる気がするの」
「仕事は植物ではございません」
「勝手に増えるところは似てるわよ」
「左様でございますか」
絶対に納得していない。
でもいい。
今日を乗り切れば昼寝できる。
卓球についても、もう私の手を離れた。
お兄様は実務を押しつけないと言った。
だから大丈夫。
そう思っていた。
三日後。
「リリアーナ様」
「嫌」
「まだ何も申し上げておりません」
「サリナがその顔で来るときは大体ろくな話じゃないもの」
「顔はいつもと変わらないかと」
「雰囲気よ」
「第一王子殿下より使者が参っております」
「ほら!」
やっぱり。
私は読んでいた本を閉じた。
「何?」
「こちらを」
差し出された手紙を受け取る。
封蝋。
第一王子の紋章。
開く。
読む。
「……」
「何と?」
「試作品ができたから見に来てほしいって」
「では、ご準備を」
「行かない」
「リリアーナ様」
「だって私、意見を出すだけって言ったもの」
「試作品に対する意見を求められているのでは?」
「……」
そう書いてある。
正確には、
『君の説明をもとに、いくつか試作品を作らせてみた。ぜひ意見を聞かせてほしい』
だった。
意見。
確かに意見。
約束の範囲内。
「……ずるくない?」
「何がでしょう?」
「なんでもない」
行くしかない。
◇
「待っていたよ、リリアーナ」
「お招きいただきありがとうございます」
「そんな顔をしなくてもいいだろう?」
「どのような顔でしょう?」
「今すぐ帰りたいという顔かな」
「気のせいですわ」
「そういうことにしておこう」
お兄様は楽しそうだった。
案内されたのは執務室ではない。
王宮の一角にある広めの部屋。
そこに。
「……おお」
思わず声が出た。
台があった。
前世の卓球台とはかなり違う。
色も違う。
大きさも微妙に違う。
脚も太く、全体的に重そう。
でも。
中央には網が張られている。
その上には数本のラケットらしきもの。
そして、小さな球。
間違いなく。
卓球台だった。
「どうかな?」
「……思っていたより早かったです」
「職人たちが面白がってね。試作品ならすぐ作れると言ってくれた」
「そうですか」
私は台へ近づく。
触る。
かなり頑丈。
少しくらいぶつかっても壊れそうにない。
「頑丈すぎません?」
「最初は頑丈な方がいいだろうと」
「まあ、それは」
量産するなら改善すればいい。
私はラケットを手に取る。
重い。
「これは駄目ですね」
「重い?」
「はい。長時間振るには重すぎます」
「なるほど」
お兄様の側にいた文官が何かを書き留める。
……待って。
私の発言、全部記録されてない?
「こちらは?」
別のラケット。
軽い。
「さっきよりはいいです」
「木材が違うんだ」
「そうなのですか?」
「ああ。全部違う木で作らせてある」
よく見ると、色や木目が少しずつ違う。
「硬さも重さも違うらしい」
「なら、実際に使って比べるしかありませんね」
「私もそう思う」
お兄様が笑った。
「やってみようか」
「……私が?」
「他に誰がいるんだい?」
「職人の方々とか」
「遊び方を正確に知っているのは君だけだろう?」
「……」
そうだった。
私はサリナを見る。
「私には分かりかねます」
「まだ何も言ってないわよ」
「お顔に書いてございましたので」
「最近みんな私の顔を読みすぎじゃない?」
「リリアーナが分かりやすいんじゃないかな」
「お兄様は黙っていてください」
「ははは」
仕方なく、私はラケットを持った。
お兄様も反対側へ移動する。
「それで?」
「まず、球をこちら側で一度跳ねさせてから、相手側へ入れます」
「こう?」
「それでは高すぎます。もっと低く」
「難しいね」
「最初ですから」
「リリアーナはできるのかい?」
「多少なら」
前世で遊んだ程度。
別に上手かったわけではない。
球を受け取る。
軽い。
ただ、前世の球とは感触が違う。
少し弾みすぎる。
「行きますよ」
「ああ」
軽く打つ。
コン。
台に跳ね。
網を越える。
「おお」
お兄様がラケットを振る。
空振り。
球が床へ転がった。
「……」
「……」
「お兄様」
「なんだい?」
「下手ですね」
「初めてなんだから仕方ないだろう?」
「ふふ」
「笑ったね?」
「いいえ?」
「笑ったよ」
「気のせいです」
「もう一度」
拾う。
今度はお兄様から。
コン。
高い。
打ち返す。
コン。
今度は返ってきた。
打つ。
返る。
「おっ」
「そのまま」
コン。
コン。
コン。
「おお!」
「お兄様、強く打ちすぎ――」
バン!
球が飛んでいった。
「……」
「……」
壁に当たり、床へ落ちる。
お兄様が笑った。
「面白いね、これ」
「でしょう?」
思わず答えて。
私は止まった。
「……」
「どうしたんだい?」
「いえ」
しまった。
普通に楽しくなっていた。
「もう一度やろう」
「試作品の確認では?」
「だから確認しているんだよ」
「絶対遊んでますよね?」
「実際に遊ばないと分からないだろう?」
「それはそうですが」
もう一度。
今度は別のラケット。
打つ。
さっきより軽い。
「こっちの方がいいですね」
「私もそう思う」
「ただ、少し薄すぎるかもしれません」
「割れる?」
「強くぶつけたら」
「なら厚さを少し変えて試そう」
「それがいいと思います」
また文官が書き留める。
次は球。
弾み方が違うものを試す。
重すぎる。
軽すぎる。
弾まない。
弾みすぎる。
「これが一番近いですね」
「では、これを基準に改良させよう」
「はい」
台の高さ。
網の高さ。
ラケットの重さ。
球の弾み方。
一つずつ試す。
気づけば。
「……あれ?」
「どうしたんだい?」
「どれくらい経ちました?」
「一時間半ほどですね」
答えたのはサリナ。
「……」
一時間半。
「リリアーナ?」
「帰ります」
「もう?」
「もうです!」
何をしているの、私は。
意見を言うだけだったでしょう。
どうして一時間半も試作品を試しているの。
「でも、かなり決まったね」
「そうですね!」
「ありがとう。助かったよ」
「どういたしまして!」
もう帰る。
絶対帰る。
お兄様が笑いながら、机の上に置かれた紙を見る。
「これなら職人たちに次の試作品を頼めそうだ」
「お願いします」
「できたら、また――」
「呼ばないでください」
「……」
「……」
「確認してくれないのかい?」
「今回ので基準は決まったでしょう!?」
「まあ、そうだけど」
「次からはお兄様たちで確認してください!」
「分かったよ」
「絶対ですよ?」
「ああ」
よし。
今度こそ終わり。
私は部屋を出る。
サリナが後ろからついてくる。
「……サリナ」
「はい」
「私、今日何しに来たんだっけ?」
「試作品へのご意見を求められて」
「そうよね」
「はい」
「……なら、約束は破られてないわね」
「左様でございますね」
確かに実務はしていない。
書類も作っていない。
職人への指示も、お兄様の文官がまとめている。
私は意見を言っただけ。
……一時間半。
「なんか納得いかない」
「そうでございますか?」
「そうなのよ」
でも。
まあ。
久しぶりに卓球をしたのは、少しだけ楽しかった。
少しだけ。
本当に少しだけ。
だから、今回はいい。
今回だけなら。
このときの私は。
本当に、これで終わると思っていた。
お読み頂き、ありがとうございます。




