第四話 三つ子の魂百まで
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
ケイン・スプリットに案内され、私は王宮の廊下を歩いていた。
その後ろにはサリナが続いている。
ミハイルは連れてきていない。
お兄様から呼ばれたのは私なのだから、わざわざ全員で押しかける必要もないだろう。
それにしても。
「……」
私は前を歩くケインの背中を見る。
気難しそうな顔。
無駄口は一切なし。
背筋を伸ばし、一定の歩調で歩き続けている。
この男を私の護衛に選んだのは、王位継承権第一位であるお兄様。
その理由を尋ねようとした結果が、今の状況だった。
『リリアーナ殿下から、その問いをされた場合について申しつかっております』
『その場合は、リリアーナ殿下を第一王子殿下の元へお連れするように、と』
つまり。
お兄様は、私が尋ねることを最初から予想していた。
そして、尋ねたら自分のところへ連れてこいと命じていた。
だったら最初から呼び出せばいいでしょうに。
「……帰りたい」
「リリアーナ様」
「何よ」
「まだ到着しておりません」
「だから今なら帰れるでしょう?」
「帰れません」
「そうよね」
知ってた。
私は小さく息を吐いた。
「嫌だわ」
「リリアーナ様」
「今度は何?」
「お顔が」
「不可抗力よ」
「左様でございますか」
「そうよ」
嫌なものは嫌なのだ。
王位継承権第五位なんてものを与えられてから、ろくなことがない。
祝賀会では、今までほとんど話したこともない人たちから次々と声をかけられた。
翌日にはお姉様からお茶会に呼び出され。
今日は朝から騎士と執事が増えた。
そして今から第一王子との会合。
私はのんびりしたいだけなのに。
どうして仕事ではないところでまで忙しくならなければならないのか。
「こちらです」
ケインが足を止めた。
大きな扉。
当然、私もこの場所自体は知っている。
第一王子であるお兄様が、王宮内で政務を行うために使っている部屋だ。
ただし、中へ入ったことはほとんどない。
そもそも、お兄様とはこれまであまり接点がなかった。
年齢も離れている。
お兄様は幼い頃から王位継承者として教育を受け、早くから政務にも携わっていた。
一方の私は第八王女。
王位継承権すらなく、庭園で昼寝をしていた女。
接点がないのも当然だった。
それが今では。
第一位と第五位。
「……」
本当に余計なことをしてくれたわね、あのクソジジイ。
もちろん口には出さない。
さすがの私でも、それくらいの分別はある。
「リリアーナ殿下をお連れいたしました」
「ああ。入ってもらってくれ」
中から声が返ってきた。
ケインが扉を開く。
「どうぞ」
「……ええ」
私は一度だけ息を吐き。
王女としての笑顔を作った。
「失礼いたします」
「よく来てくれたね、リリアーナ」
お兄様は執務机ではなく、応接用の長椅子に座っていた。
柔らかな笑みを浮かべている。
その周囲には数人の男女。
服装からして文官や側近だろう。
私が入った瞬間、一斉に視線が集まった。
「……」
なんなのよ。
ある者は眉間に皺を寄せ。
ある者は無表情。
またある者は、私を観察するようにじっと見ている。
歓迎されているようには見えない。
まあ。
仕方ないのかもしれない。
私はつい最近まで王位継承権すら持っていなかった。
それが突然、第五位になったのだ。
第一王子の側近からすれば、気になる存在ではあるのだろう。
それ以上のことは知らない。
言いたいことがあるなら、直接言ってほしい。
「そんなところに立っていないで、座ってくれ」
「ありがとうございます」
私は勧められた席へ腰を下ろした。
サリナは私の後ろ。
ケインは扉の近くへ移動する。
「君とこうして話すのは久しぶりかな」
「そうですね」
「というより、二人でまともに話したこと自体、ほとんどなかったね」
「側近の皆様がいらっしゃいますが」
一瞬。
お兄様が黙った。
「……確かに」
「はい」
「はは。そういうところは遠慮がないんだね」
「事実を申し上げただけです」
「そういうことにしておこう」
何よ。
私は何もおかしなことを言っていない。
「まあ、彼らのことは気にしないでくれ。私の仕事を手伝ってくれている者たちだ」
「承知いたしました」
気にするなと言われても、見られているものは見られている。
でも、まあいい。
私は何も悪いことをしていない。
お兄様の前に置かれていた紅茶から湯気が立っている。
私の前にも新しい紅茶が置かれた。
「それで」
お兄様がカップへ手を伸ばす。
「今日は少し、君と話をしたくてね」
「でしたら、最初からお呼びくださればよかったのでは?」
「ケインから聞いたんだね」
「はい」
「彼に私が何を命じたかも?」
「私が理由を尋ねたら、お兄様のところへ連れてくるように、と」
「その通りだよ」
「どうしてそのような回りくどいことを?」
「君が尋ねるかどうか知りたかったからかな」
「……」
やっぱり面倒臭い。
「それで?」
お兄様が楽しそうに笑う。
「君は尋ねた」
「尋ねますよ。突然、お兄様が選んだ騎士を寄越されたのですから」
「そうだね」
「理由をお聞きしても?」
「もちろん。その前に、一つ確認したいことがある」
お兄様が紅茶のカップを置いた。
笑顔は変わらない。
けれど。
私を見る目が、先ほどより真剣になった。
「率直に聞きたい」
「はい」
「君は王になって、何がしたいんだい?」
「…………」
私は黙った。
聞こえなかったわけではない。
意味が分からなかったわけでもない。
むしろ。
理解したからこそ、言葉が出なかった。
「リリアーナ?」
「……」
「どうしたんだい?」
お兄様の口調は優しい。
けれど、目は笑っていない。
「何か言えない理由でもあるのかい?」
「……です」
「なんだい?」
「……いです」
「すまない。聞こえなかった」
ぷつん。
何かが切れた。
「私は王位なんて欲しくないんです!」
叫んだ。
室内が静まり返った。
お兄様の目が丸くなる。
側近たちもこちらを見ている。
ケインまで僅かに目を見開いていた。
サリナだけがいつも通り。
でも。
もう止まらない。
「私はある程度仕事をしながら、のんびり暮らせればそれでいいんです!」
「……」
「朝起きて! 必要な仕事をして! 終わったら本を読んだり、お茶を飲んだり、庭園を散歩したり! 眠くなったら昼寝をしたり!」
「リリアーナ様」
「今は止めないで、サリナ!」
「かしこまりました」
止めないのね。
いや、今はいい。
「国王なんて絶対に嫌です!」
言ってやった。
「あんな朝から晩まで書類に囲まれて、国内で何か起きれば報告されて、外国で何か起きても報告されて、誰かが失敗すれば責任を取らされて、何か決めれば文句を言われて、休んでいても緊急事態が起きれば呼び出されるような仕事!」
一度息を吸う。
「国王なんていう、余計な仕事なんて一切いりません!」
言い切った。
「……」
静か。
本当に静か。
誰も何も言わない。
さっきまで私を見ていた側近たちも、今は別の意味でこちらを見ている気がする。
……あ。
ちょっと待って。
今、私は何と言った?
国王なんていう。
余計な仕事。
「……」
私はゆっくり座り直した。
目の前にいるのは王位継承権第一位。
つまり、何事もなければ次の国王になる人である。
その本人に向かって。
国王なんて余計な仕事。
と言った。
「……失礼いたしました」
遅い。
自分でも分かる。
ものすごく遅い。
私はそっと周囲を見る。
眉をひそめている人。
呆気に取られている人。
無表情のまま私を見ている人。
……何よ。
言いたいことがあるなら言えばいいじゃない。
こっちは本当のことしか言ってないのよ。
王位を軽んじているわけではない。
国王が重要な仕事なのも分かっている。
むしろ重要だから嫌なのだ。
責任が重い。
仕事が多い。
休めない。
私には何一つ魅力的に見えない。
そんなことを考えていると。
「……ふっ」
小さな音がした。
お兄様だった。
「……?」
口元を押さえている。
「お兄様?」
「ふ……くっ……」
肩が震えている。
何?
「はは……」
「……」
「はははははは!」
突然。
お兄様が大声で笑い始めた。
「…………」
私はじっと見る。
笑っている。
本当に笑っている。
目に涙まで浮かべて。
「はははっ……す、すまない……!」
「……」
「いや……まさか……」
「お兄様?」
「私の妹が、こんなに面白いとは知らなくて」
「…………」
じとり。
私はお兄様を見る。
失礼な。
私は真剣なのに。
心の底から王位なんて欲しくないと言っているのに。
「絶対こいつ、あのクソジジイの息子だわ……」
「リリアーナ様」
「……何かしら?」
「お声に出ております」
「…………」
しまった。
恐る恐るお兄様を見る。
「ははははは!」
さらに笑っていた。
もういい。
どうにでもなれ。
しばらくして。
ようやく笑いが収まったお兄様が目元を拭った。
「はぁ……こんなに笑ったのは久しぶりだよ」
「……面白いことは何一つ申し上げておりませんが」
「悪かったよ」
「本当にそう思っていらっしゃいます?」
「もちろん」
絶対嘘。
まだ口元が笑っているもの。
「でも、そうか」
お兄様が改めて私を見る。
「君は本当に王位が欲しくないんだね」
「先ほどからそう申し上げております」
「いや、十分伝わったよ」
「本当ですか?」
「ああ」
「絶対ですよ?」
「そんなに念を押さなくても大丈夫だよ」
「昨日も同じことを言ったのに、お姉様には最後まで信じてもらえませんでしたから」
「エレオノーラに?」
「はい」
「なるほど」
お兄様は少しだけ考え。
「まあ、彼女が警戒するのも分からなくはないかな」
「私は分かりません」
「君は当事者だからね」
「本当にいらないものを、いらないと言っているだけなのですが」
「普通は王位をそういう扱いはしないんだよ」
「そう言われましても」
いらないものはいらない。
お兄様はまた笑った。
「ケインを君につけた理由も、それに関係している」
「やはり監視ですか?」
「随分はっきり言うね」
「違うのですか?」
「君のことを知りたかった、というのが正しいかな」
「同じでは?」
「少し違うよ」
お兄様がケインを見る。
「彼は私が信用している騎士だ。それにスプリット領の出身でもある」
「はい」
「君が一年間統括していたボーリング地方の人間なら、最初から君に妙な先入観を持つことも少ないと思ってね」
「……」
そこまで考えていたのか。
「もちろん、君が何をするのか報告はしてもらうつもりだけど」
「やっぱり監視ではありませんか」
「否定はしないよ」
「……」
潔い。
腹は立つけれど。
「でも、もう好きになさればよろしいです」
「いいのかい?」
「はい。見られて困るようなことはいたしませんので」
本を読む。
お茶を飲む。
散歩する。
昼寝する。
必要な公務だけする。
好きなだけ報告すればいい。
むしろ、それを毎日報告されるお兄様の方が先に飽きると思う。
「そうか」
「はい」
「それなら、この話は終わりにしよう」
「ありがとうございます」
終わった。
帰れる。
そう思って紅茶を飲み干そうとしたところで。
「ところで、リリアーナ」
「はい?」
「一つ、頼まれてくれないかい?」
私はカップを置いた。
「……」
「どうして黙るんだい?」
「いえ」
「そんなに嫌そうな顔をしなくても」
「しておりません」
「しているよ」
「気のせいです」
「そういうことにしておこう」
嫌な予感しかしない。
この一年で私は学んだ。
王族から持ち込まれる話は、大抵仕事になる。
「……聞くだけでしたら?」
「うん。それで構わないよ」
本当に?
私は少しだけ身構えた。
「僕が治めている地方は知っているね?」
「ピンポン地方ですね」
「そう」
ピンポン。
その言葉を聞いた瞬間。
頭の中に、前世の光景が浮かんだ。
長方形の台。
中央に張られたネット。
小さな球。
ラケット。
向かい合って球を打ち合う人たち。
卓球。
「ピンポン地方は木材資源に恵まれている。森も多く、採れる木の種類も豊富だ」
「はい」
「林業自体は悪くない。ただ、それ以外にこれといった特色がなくてね」
「特色……」
「そこで、新しい特産を作りたいと思っている」
お兄様が私を見る。
「ボーリング地方を一年であそこまで変えた君なら、何か面白い案がないかと思ってね」
「……」
またそれ。
私は問題を片づけただけなのに。
どうしてそれが、新しい仕事を持ってくる理由になるのか。
「何かないかな?」
「……」
ピンポン地方。
豊富な木材。
新しい特産。
そして。
前世に存在した卓球。
頭の中で全部が繋がってしまった。
「……卓球」
「なんだい?」
「……」
言ってしまった。
お兄様が興味深そうにこちらを見る。
「今、何か言ったね?」
「……」
「卓球?」
「……はい」
「それは何だい?」
説明する?
説明したら。
仕事になる。
ボーリング地方の一年間が頭をよぎった。
駄目。
同じ失敗はしない。
今度こそ、最初に条件を決める。
「お兄様」
「なんだい?」
「一つだけ、お約束してください」
「約束?」
「はい」
私は姿勢を正した。
「先ほども申し上げた通り、私は余計な仕事なんて一切したくありません」
側近の一人が咳払いをした。
知らない。
もう気にしない。
「ふふ。うん。それで?」
「ですので」
ここが重要。
絶対に曖昧にしない。
「私は意見を申し上げるだけで、実務は一切いたしません」
「うん、いいよ」
「えっ?」
「え?」
あまりにもあっさり返されて。
私は思わず、お兄様の顔をまじまじと見た。
「……本当に?」
「何が?」
「私は何もしませんよ?」
「意見をくれるんだろう?」
「それだけです」
「うん」
「書類も作りません」
「僕の文官に作らせるよ」
「職人への説明も」
「こちらでやる」
「予算は」
「僕の領地だよ?」
「…………」
「リリアーナ?」
私はお兄様を見つめた。
なんてことだ。
この人。
もしかして。
「お兄様」
「なんだい?」
「素晴らしいです」
「……ありがとう?」
感動した。
こんな人が王家にいたなんて。
意見だけ聞く。
実務は押しつけない。
書類も作らせない。
職人への説明も自分たちでやる。
予算まで自分で用意する。
素晴らしい。
本当に素晴らしい。
「僕が欲しいのは君の発想だよ」
お兄様は少し不思議そうにしながら続けた。
「実務まで君にやらせるなら、僕が領主である意味がないだろう?」
「……!」
私は衝撃を受けた。
その通り。
その通りよ!
どうしてみんな、この簡単なことが分からないの?
――同じ血を引いてるのに、どうしてあのクソジジイとこんなに違うのかしら。
今度は口に出さなかった。
偉い。
「それで?」
お兄様が少し身を乗り出す。
「卓球というのは、どういうものなんだい?」
「……遊戯です」
「遊戯?」
「はい」
私は前世の記憶を辿る。
「まず、長方形の台を作ります。中央には網を張って、台を二つに分けます」
「ふむ」
「それから、手で持てる大きさの板に柄を付けたものを用意します」
「木で作れる?」
「作れると思います。むしろピンポン地方なら、いろいろな木材を試せるのでは?」
「なるほど」
お兄様の目が輝いた。
「それを二人で持つのかい?」
「基本的には。四人でもできます」
「四人でも?」
「はい。小さくて軽い球を、この板で打ち合うんです」
「相手に当てる?」
「違います」
「では?」
「台に一度跳ねさせてから相手側へ返します。相手が返せなければ得点です」
「ほう」
「細かい規則はいくつかありますが、基本はそれだけです」
「なるほど……」
お兄様が考え込む。
私は待つ。
しばらくして。
「面白そうだね」
「やってみなければ分かりません」
「いや、面白いと思う」
「そうですか?」
「ああ。必要な道具もほとんど木材で作れるんだろう?」
「球は少し難しいかもしれませんが、台とラケットは木材で作れます」
「なら、地方の産業とも相性がいい」
「そうですね」
「木材ごとに打ち心地も変わるのかな?」
「……変わると思います」
「板の厚さでも?」
「おそらく」
「柄の形は?」
「持ちやすさに関係するでしょうね」
「なるほど」
お兄様が楽しそうに笑う。
……あれ?
なんだか。
嫌な予感がしてきた。
「まず試作品を作ろう」
「はい」
「何種類かの木材で作らせて、比較してみるのがいいね」
「そうですね」
「上手くいったら大会も開こう」
「……はい?」
「地方内だけでもいいけど、どうせなら他領からも参加者を集めたいな」
「お兄様?」
「観客が来るなら宿泊施設も必要になるね」
「ちょっと待ってください」
「飲食店にも人が流れる。地元の木工職人に卓球用の道具を作らせれば、新しい産業にもなる」
「待って」
「地方ごとの代表戦にするのも面白いかな」
「お兄様!」
「なんだい?」
私は目の前の兄を見る。
楽しそうだ。
ものすごく楽しそうだ。
さっきまで王位について私を問い詰めていた人とは思えない。
「話が大きくなってません?」
「そうかな?」
「なってます!」
「でも、せっかく作るなら多くの人に楽しんでもらった方がいいだろう?」
「それはそうですが!」
「安心して。実務は君にやらせないよ」
「……」
そうだった。
約束した。
私は意見だけ。
実務はお兄様たち。
なら。
別にいい?
「……本当に私、何もしませんからね?」
「分かってるよ」
「絶対ですよ?」
「ああ」
「あとから『発案者だから手伝って』とかありませんからね?」
「ないない」
「……」
怪しい。
でも。
今のところ約束は守っている。
私は少しだけ警戒しながら、お兄様を見る。
楽しそうに卓球について考えている。
そして。
私は心の中で、先ほどの評価を静かに修正した。
――前言撤回。
やっぱり親子だわ。
お読み頂き、ありがとうございます。




