幕間 本日のあの人は今
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
かりかりかりかり……。
かりかりかりかり……。
かりかりかりかり……。
王城の一室に、ペンを走らせる音が響いていた。
机の上には大量の書類が積み上げられ、その隣には確認を終えた書類が別の山を作っている。
ひたすら書類に目を通し、必要な箇所へ署名を続けていた。
「……これで、三十七枚目」
私は、そっとペンを置いた。
そして、目の前に積まれた書類の山を眺める。
……減ってない。
いや、正確には減っている。
減っているのだけれど、確認済みの書類を持っていく文官が、新しい書類を置いていくので、見た目が全く変わらないのだ。
「……サリナ」
「はい」
「これ、いつ終わるの?」
「本日中に処理する予定の書類は、そちらで全てでございます」
「……本当に?」
「はい」
私は、もう一度書類の山を眺めた。
……高い。
どう見ても高い。
これ、本当に今日中に終わるの?
「……よし」
私は、気合いを入れ直してペンを握った。
かりかりかりかり……。
かりかりかりかり……。
かりかりかりかり……。
……べきっ!
「んあああああ! 終わらなあああああい!!」
握りしめていたペンが折れた。
私は、折れたペンを机に置き、そのまま突っ伏した。
もう嫌だ。
働きたくない。
何で私、まだ働いてるの?
お父様は引退した。
アルベルトも引退した。
お兄様が国王になった。
みんな、それぞれの仕事を頑張っている。
それは分かってる。
分かってるけど!
何で。
引退したい私が。
まだ働いてるのよ!
「リリアーナ様」
すっと、目の前に紅茶が差し出された。
顔を上げると、サリナがいつもどおりの表情で立っていた。
「……ありがとう」
「まだ昼過ぎでございます」
「…………」
私は、窓の外を見た。
太陽は、まだ高い位置にあった。
「……サリナ」
「はい」
「休憩よ!」
「かしこまりました」
「ついでに、お兄様に文句を言ってくるわ!」
「かしこまりました」
サリナは、何事もなかったかのように頷いた。
……止めないのね。
まあ、いいわ。
今日こそ、はっきり言ってやるんだから!
◇
国王の執務室。
扉を開けると、机に向かって書類を確認しているレオナルドお兄様の姿があった。
周囲には数名の側近が控え、それぞれの仕事を進めている。
……こっちも書類だらけね。
まあ、それはそれとして。
「お兄様!」
私が声を上げると、お兄様は顔を上げた。
そして、にこりと笑った。
「やあ、継承権第三位のリリアーナ」
「それです!」
「どれだい?」
「その呼び方です!」
「ああ、そのことか」
お兄様は、何でもないことのように頷いた。
「あと、一応、僕は国王だから、人前では陛下って呼んでね?」
周囲の側近たちが、苦笑している。
「そんなことはどうでもいいです!」
「……どうでもいいんだ」
お兄様の肩が、小刻みに震え始めた。
「……ぷっ」
「笑わないでください!」
「いや、ごめんごめん。それで、何の話だったかな?」
「王位継承権です!」
「ああ、そうだったね」
「何で私が第三位なんですか!」
私は、机の前まで歩み寄った。
お兄様は、不思議そうに首を傾げた。
「えっ? 前にも言ったよね?」
「何をですか!」
「第四位だったエレオノーラと、第七位だったテオドールが王位継承権を辞退したから、繰り上がるって」
「それは聞きました!」
「じゃあ、何が分からないんだい?」
「私も辞退したじゃないですか!」
「うん」
「うん、じゃないですよ!」
「だから、却下したよ?」
「何をそんなに不思議そうな顔をしているんですか!」
お兄様は、本当に不思議そうな顔をしていた。
いや、違う。
この顔。
見覚えがある。
お父様が、私をからかう時の顔だ。
「いや、だって、ねぇ」
「何ですか!?」
「こんなおもしろ……有能な人間を遊ばせておけないし」
「今、面白いって言いかけましたね!?」
「気のせいだよ」
「いいえ! 絶対言いかけました!」
「じゃあ、そういうことにしておくよ」
「認めてるじゃないですか!」
お兄様は、にこにこと笑っている。
……何なの、この人。
国王になってから、妙に余裕があるんだけど。
いや、元からこういうところはあった。
あったけれど!
「お兄様!」
「何だい?」
「私は働きたくないんです!」
「知っているよ」
「知っているなら!」
「でも、仕事はできるよね?」
「できますけど!」
「じゃあ、お願いするよ」
「何でそうなるんですか!」
お兄様は、穏やかに微笑んだ。
「リリアーナが仕事を減らすために色々と改善してくれたおかげで、王国全体の仕事も随分やりやすくなったんだ」
「それは良かったですね!」
「うん。だから、今度は王宮の仕事も減らしてほしいな」
「増やしてるじゃないですか! 私の仕事を!」
「最初は大変かもしれないけど、後で楽になるんじゃないかな?」
「それ、私がいつも言ってることですよね!?」
「うん。良い考えだと思っているよ」
「都合よく使わないでください!」
駄目だ。
この人、全く聞いてない。
いや、聞いている。
聞いたうえで、全部自分に都合よく解釈している。
……お父様より厄介なんじゃないの?
「とにかく!」
私は、机に両手をついた。
「王位継承権の辞退を認めてください!」
「却下」
「即答しないでください!」
「じゃあ、少し考えようか?」
「はい!」
お兄様は、目を閉じた。
数秒。
そして、目を開ける。
「却下」
「変わってないじゃないですか!」
「考えたよ?」
「そういう問題じゃありません!」
側近たちが、必死に表情を取り繕っている。
……笑ってるわね?
絶対、笑ってるわね!?
私は、大きく息を吐いた。
もういい。
今日は絶対に引き下がらない。
そう決意した、その時だった。
「あ、そういえばさ」
「何ですか!?」
お兄様が、机の端に置かれていた一通の手紙を手に取った。
「父上……親戚のエド叔父さんとアル爺から手紙が届いたよ」
「…………」
私は、お兄様を見た。
お兄様も、私を見る。
「……隠す気あります? それ」
「もちろんあるよ」
「今、父上って言いましたよね?」
「気のせいじゃないかな?」
「絶対言いましたよね!?」
「それより、手紙を読むね」
「無視ですか!」
お兄様は、楽しそうに封筒から便箋を取り出した。
……嫌な予感がする。
ものすごく嫌な予感がする。
あの人からの手紙よ?
まともな内容のはずがない。
「えーと……」
お兄様は、軽く咳払いをした。
「拝啓、新国王レオナルド陛下」
「…………」
「時候の挨拶、以下略」
「国王への手紙で略さないでくださいよ!」
「僕に言われても困るよ」
「それを読む必要あります!?」
「まあまあ。続きがあるから」
お兄様は、再び便箋へ目を落とした。
「元気にやってるか。こちらはすこぶる快調だ。サーフィンとやらも面白く、アルと二人で波に乗っている。あそこの波はすでに俺たちの庭だな」
「…………」
……は?
「バレーとやらも、アルと二人ですでに負けなしだ。現地で気の合う仲間たちとも合流し、向かうところ敵なしって感じだ」
「…………」
……何?
「一つお願いなんだが、今度はバレーの大会を作ってくれ。必ず優勝して見せる」
「ちょっと待ってください!」
「まだ続きがあるよ?」
「いや、今、大会って!」
「オセロとやらは、アルが弱すぎて話にならん。どこかにもっと腕の立つやつはいないものか」
「…………」
……アルベルトが?
弱い?
いや、知らないけど。
何だか、ものすごく嘘くさいんだけど。
「そんな感じで過ごしているから、安心しろ。お前たちも元気でやれよ」
お兄様は、そこで一度手紙を下ろした。
「……だそうだよ」
「…………」
私は、天井を見上げた。
……何なの。
何なのよ、これ。
こっちは朝から晩まで書類仕事をしているのに。
あの人たちは海で遊んでいる?
サーフィン?
ビーチバレー?
オセロ?
しかも、大会を作れ?
……ふざけてるの?
「……お兄様」
「何だい?」
「その手紙、燃やしていいですか?」
「駄目だよ。まだ追伸があるから」
「……追伸?」
「うん」
お兄様は、便箋を持ち直した。
そして、妙に楽しそうな顔になった。
……待って。
その顔。
さっきより楽しそうなんだけど。
「追伸」
「…………」
「リリアーナにお礼と自慢をしておいてくれ」
「…………」
「素敵なお髭のおじさまより」
「…………」
沈黙。
私は、お兄様を見た。
お兄様は、私を見ていた。
その口元が、ぴくぴくと動いている。
「……お兄様」
「……何だい?」
「今、何と?」
「素敵なお髭のおじさまより、だって」
「…………」
素敵な。
お髭の。
おじさま。
……ああ。
そう。
そういうこと。
「……ふっ」
思わず、笑いが漏れた。
お兄様が、少し首を傾げる。
「……リリアーナ?」
「……そうですか」
「うん?」
「楽しそうで、何よりですね」
「そうだね」
「サーフィンに、ビーチバレーに、オセロですか」
「うん」
「しかも、大会まで開いてほしいと」
「そう書いてあるね」
「……へえ」
私は、ゆっくりと周囲を見回した。
側近たちが、壁を向いていた。
肩が震えている。
一人は口元を押さえ、もう一人は机に手をついて俯いている。
誰も、まともに呼吸ができていないようだった。
……笑ってる。
全員。
笑ってる。
お兄様に至っては、もう隠す気すらない。
「……ぷっ」
「お兄様」
「ご、ごめん……」
「笑わないでください」
「いや、だって……素敵なお髭の……」
「言わないでください!」
「……ぷっ、ははっ!」
お兄様が、とうとう声を上げて笑い始めた。
それにつられるように、側近たちの肩がさらに激しく震える。
私は、拳を握りしめた。
……いい度胸じゃない。
私は、大きく息を吸い込んだ。
そして。
「……あんのくそじじいいいいいいいい!!!!!!!!」
新国王の執務室に、リリアーナの絶叫が響き渡った。
お読み頂き、ありがとうございます。




