終話 願いはなかなか叶わない
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
朝日が差し込む部屋で、エドワードは頬をさすっていた。
「……まさか、娘に殴られる日が来るとはな」
「殴られるようなことをした自覚はないんですか?」
「……ある」
「なら、反省してください」
「うむ」
エドワードは素直に頷いた。
その隣では、アルベルトも頬を押さえていた。
「……レオナルド殿下」
「何かな?」
「少々、手加減していただきたかったのですが」
「そうだね。僕も、君にはもう少し手加減してほしかったな」
「……何のことでございましょう」
「僕の目の前で死のうとしたことだよ」
「…………」
アルベルトは、静かに頭を下げた。
「申し訳ございませんでした」
「うん。もう二度としないでね」
「……承知いたしました」
レオナルドは、いつもと変わらない穏やかな笑みを浮かべていた。
しかし、その笑顔を見たアルベルトは、なぜか背筋を伸ばした。
リリアーナは、その様子を眺めながら小さく息を吐いた。
父は生きていた。
宰相も生きていた。
国家転覆を企んでいた公爵家の証拠も押さえた。
少なくとも、最悪の事態は避けられたのだ。
それでも、全てが終わったわけではない。
「……それで、お父様」
「何だ?」
「これからどうするんですか?」
「うむ。そこが重要だな」
エドワードは、ようやく真面目な表情になった。
「まず、公爵家の件については、引き続き調査を進める必要がある」
ヴィクトリアが頷いた。
「押収した書簡の真偽を確認し、関係者の証言と照合いたします。隣国からの指示についても、外交上の対応を検討しなければなりません」
「うむ。任せる」
「承知いたしました」
「ユリウス。公爵家の関係者については、引き続き警戒を怠るな」
「はっ。逃亡や証拠隠滅を防ぐため、必要な警備を継続する」
「頼んだぞ」
エドワードは、レオナルドへ視線を向けた。
「そして、レオナルド」
「はい、父上」
「お前には、最も重要な仕事を任せる」
レオナルドは、静かに頷いた。
「何でしょうか?」
エドワードは、少し間を置いた。
そして、当然のように告げた。
「次の国王になれ」
「…………」
部屋が静まり返った。
「……父上?」
「何だ?」
「今、何と?」
「次の国王になれと言った」
「……それは、もちろん、いずれはそうなる可能性もあると思っていたけれど」
「いずれではない。今だ」
レオナルドは、しばらく父を見つめた。
「……今?」
「うむ」
「……父上は?」
「引退する」
「…………」
リリアーナは、思わず顔を上げた。
「……引退?」
「そうだ」
「……お父様が?」
「うむ」
「……国王を?」
「他に何を引退するというのだ」
「…………」
リリアーナは、額を押さえた。
嫌な予感がした。
ものすごく嫌な予感がした。
◇
「父上。少しお待ちください」
ヴィクトリアが口を開いた。
「国王の退位そのものは、制度上可能です。しかし、現在は国王が崩御したものとして、既に各方面へ通達が出されています」
「うむ」
「ここで突然、生存を公表して退位なさるおつもりですか?」
「いや」
エドワードは、首を横に振った。
「私が生きていることは、公表せん」
「……と、申しますと?」
「エドワード・プレイングは、既に亡くなった。それでよい」
七人は、父を見つめた。
「王国にとって、国王が毒殺されたという事実は既に広まっている。今さら生存を公表すれば、国内外にさらなる混乱を招くだろう」
レオナルドが、静かに頷いた。
「……確かに、そうだね」
「それに、国家転覆を企んでいた者たちを一掃するには、まだ時間が必要だ。私が生きていると知られれば、関係者が警戒し、姿を隠す可能性もある」
ユリウスが腕を組んだ。
「つまり、父上は今後も死亡したものとして扱うということか」
「そうだ」
「……では、正式な退位ではなく、王位継承の手続きを進めることになるな」
「うむ。レオナルドを次の国王とする」
レオナルドは、しばらく考え込んでいた。
「……父上」
「何だ?」
「僕が国王になることについては、覚悟しているよ」
「うむ」
「でも、父上が生きている以上、僕たちだけで決めていい話なのかな?」
エドワードは、少し笑った。
「では、他の者にも聞いてみるか」
そして、六人へ視線を向けた。
「お前たちはどうだ? レオナルドが次の王となることに異論はあるか?」
最初に答えたのは、ヴィクトリアだった。
「ございません」
続いて、ユリウスが頷いた。
「異論はない。兄上が王となるのであれば、俺は軍を預かる立場として支える」
「私も、異論はございませんわ」
エレオノーラも、静かに答えた。
シャルロッテは、レオナルドへ視線を向けた。
「……あたしも、今は兄上が一番だと思ってる」
「シャルロッテ?」
「勘違いしないでよ。あたしが諦めたわけじゃないからね」
シャルロッテは、腕を組んだ。
「でも、今のあたしじゃ兄上には勝てない。それくらいは分かってる」
レオナルドは、少し驚いたように目を見開いた。
シャルロッテは、その視線を受け止めた。
「だから、もっと学ぶ。兄上からも、ほかのみんなからもね」
「……そうか」
レオナルドは、穏やかに微笑んだ。
「楽しみにしているよ」
テオドールも、静かに頷いた。
「私も異論はございません。レオナルド兄上が王となられるのであれば、私にできることを精一杯務めます」
「ありがとう、テオドール」
そして、最後にリリアーナへ視線が集まった。
「……え?」
リリアーナは、思わず周囲を見渡した。
「……私ですか?」
「当然だろう」
エドワードが答えた。
「お前も王位継承者の一人なのだからな」
「……異論なんてあるわけないじゃないですか」
リリアーナは、即答した。
「お兄様が王様になってくださるなら、私は大賛成です!」
「……随分と嬉しそうだね」
レオナルドが、苦笑した。
「もちろんです!」
リリアーナは、力強く頷いた。
「お兄様なら、安心して国をお任せできますから!」
「……ありがとう」
「それに、これで私もようやく……」
そこまで言って、リリアーナは口を閉じた。
危ない。
うっかり本音が出るところだった。
しかし、エドワードは見逃さなかった。
「……ようやく、何だ?」
「……何でもありません」
「仕事から解放されると思ったのではないか?」
「…………」
リリアーナは、ゆっくりと父へ顔を向けた。
「……お父様」
「何だ?」
「もう一発、いきますか?」
「……いや、遠慮しておこう」
レオナルドが、思わず笑った。
「安心していいよ、リリアーナ」
「……お兄様?」
「君には、これからも色々と相談するつもりだから」
「…………」
リリアーナの笑顔が、ゆっくりと消えた。
「……お兄様?」
「もちろん、みんなにもね」
レオナルドは、穏やかに微笑んだ。
「僕一人で国を動かすつもりはないから」
「…………」
リリアーナは、天井を見上げた。
どうやら、国王が代わっても、自分の仕事は減らないらしい。
◇
「それから、もう一つ」
エドワードが口を開いた。
先ほどまでの軽い雰囲気が、静かに変わった。
「影武者のことだ」
七人は、父へ顔を向けた。
「あの男は、長年私に仕えてくれた。今回も、私の身代わりとして危険を引き受けてくれた」
エドワードは、静かに続けた。
「そして、命を落とした」
「…………」
「私は、あの男の死を無駄にしたくない」
レオナルドが頷いた。
「……うん」
「世間には、国王エドワード・プレイングが亡くなったと伝わっている。ならば、その葬儀は国葬として執り行う」
ヴィクトリアが、静かに尋ねた。
「……影武者の方を、国王として弔うということですか?」
「そうだ」
エドワードは、頷いた。
「国王の名で葬られるのは、あの男だ。だが、私が受けるはずだった弔意も、全てあの男に捧げられることになる」
リリアーナは、目を伏せた。
父の代わりに命を落とした人物。
名前も顔も知らない。
けれど、その人がいなければ、今こうして父と話すことはできなかったのかもしれない。
「……お父様」
「何だ?」
「その方のお名前は、教えていただけないんですか?」
エドワードは、少しだけ目を伏せた。
「……いずれ、話そう」
「……はい」
「今は、あの男を静かに送り出してやりたい」
リリアーナは、頷いた。
レオナルドも、静かに口を開いた。
「……分かったよ、父上」
エドワードは、長男を見つめた。
「レオナルド」
「はい」
「国葬を終えた後、王位継承の手続きを進めろ」
「……うん」
「これからは、お前がこの国の王だ」
レオナルドは、ゆっくりと背筋を伸ばした。
そして、父へ深く頭を下げた。
「……承知しました」
その姿を、六人の弟妹たちが見つめていた。
誰も、異論を唱えなかった。
それぞれが、自分の進む道を選んでいた。
王になる者。
王を支える者。
軍を率いる者。
政治を担う者。
そして、できれば仕事から逃げたい者。
リリアーナは、最後の一人について考えるのをやめた。
考えたところで、どうせ逃げられない。
◇
「……さて」
エドワードは、椅子から立ち上がった。
「これで、私の仕事も一段落だな」
リリアーナは、顔を上げた。
「……お父様?」
「何だ?」
「……今、何と?」
「私の仕事も一段落だと言った」
「……そうですね」
リリアーナは、ゆっくりと頷いた。
確かに、そうだろう。
長年国王を務めてきた父なのだから、少しくらい休んでもいいはずだ。
しかし、エドワードは続けた。
「では、私はそろそろ出発の準備をするとしよう」
「……出発?」
「うむ」
「……どちらへ?」
「避暑地だ」
「…………」
リリアーナは、目を瞬かせた。
「……避暑地?」
「そうだ。以前から、一度ゆっくり過ごしてみたいと思っていてな」
「…………」
「これからは、のんびり暮らすつもりだ」
リリアーナは、固まった。
のんびり。
今、確かに、のんびりと言った。
「……お父様」
「何だ?」
「……私、聞き間違えました?」
「何をだ?」
「……のんびり暮らすって」
「うむ。言ったぞ」
「…………」
リリアーナは、ゆっくりと拳を握った。
その様子を見て、エドワードは一歩後ずさった。
「……リリアーナ?」
「……お父様」
「な、何だ?」
「……私が、どれだけのんびり暮らしたかったか、ご存じですよね?」
「……うむ」
「……そのために、どれだけ頑張ってきたかも?」
「……ああ」
「……それなのに」
リリアーナは、一歩前へ出た。
「……私より先に、のんびり暮らすんですか?」
エドワードは、ゆっくりと目を逸らした。
「……まあ、私は長年国王を務めてきたからな」
「…………」
「そろそろ休んでもよい頃合いだと思うのだが……」
「…………」
リリアーナは、深く息を吸った。
そして。
「先にぐーたらするなぁぁぁぁっ!」
王宮の一室に、リリアーナの叫び声が響き渡った。
エドワードは、慌てて机の向こうへ逃げ込んだ。
「ま、待て! 話せば分かる!」
「分かりません!」
「私はもう引退する身なのだぞ!」
「だから何ですか!」
「少しは父親を労わらんか!」
「私も労わってください!」
その様子を見て、シャルロッテが腹を抱えて笑い始めた。
「はははっ! やっぱりこうなるんだ!」
テオドールも、口元を押さえていた。
「……父上も、少し不用意だったのではありませんか」
ヴィクトリアは、深くため息を吐いた。
「……まったく。国王の退位という重大な話をしていたはずなのですが」
エレオノーラは、困ったように微笑んだ。
「ですが、父上がお元気でいらっしゃることは、喜ばしいことですわね」
ユリウスは、腕を組んだまま頷いた。
「……まあ、そうだな」
そして、レオナルドは。
「……ふふっ」
静かに笑っていた。
父が生きている。
弟妹たちも、こうして笑っている。
それだけで、今は十分だった。
しかし。
「……ああ、そうだ」
エドワードが、机の陰から顔を出した。
「アルベルトも一緒に行くぞ」
「…………」
リリアーナは、ゆっくりと動きを止めた。
「……はい?」
「一人では退屈だからな。ゲームの相手が必要だ」
アルベルトが、静かに頭を下げた。
「陛下のお相手を務める予定でございます」
「…………」
リリアーナは、二人を見つめた。
国王と宰相。
王国を長年支えてきた二人が、揃って引退する。
そして、避暑地でゲームをして暮らす。
その一方で、自分はこれからも仕事を続ける。
「…………」
リリアーナは、ゆっくりとレオナルドへ顔を向けた。
「……お兄様」
「何かな?」
「……私も引退していいですか?」
レオナルドは、穏やかに微笑んだ。
「駄目だよ」
「…………」
即答だった。
リリアーナは、天井を見上げた。
どうやら、父が国王を辞めても、自分の生活は何も変わらないらしい。
いや。
むしろ、これから国王になる兄の方が、父よりも仕事を頼んできそうな気がする。
「……私も、のんびり暮らしたいだけなのに……」
リリアーナの呟きは、誰にも聞き入れられなかった。
こうして、プレイング王国は、新たな時代を迎えようとしていた。
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