第十話 悪魔の証明
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
王宮の大会議室では、国王毒殺事件を巡る議論が続いていた。
既に、第五位リリアーナ・プレイングが直接毒を盛ったという疑惑については、事件当日の記録や物的証拠によって、その可能性が大きく低下していた。
実際に酒へ毒を混入させた侍女も判明している。
しかし、問題は解決していなかった。
侍女に命令を下した人物が、いまだ特定されていないからだ。
「つまり、第五位殿下が命令した可能性も残っているということですな?」
公爵が、リリアーナを睨みつけた。
「はい。その可能性を完全に否定する証拠は、まだありません」
「ならば、先ほどの決議を覆す理由にはなりますまい!」
「ですが、私が命令したと証明する証拠もありませんよね?」
「……っ!」
リリアーナは、机の上に置かれた資料を一枚手に取った。
「ところで、公爵閣下」
「……何ですかな」
「先ほどから、私が命令した可能性について何度もお話しされていますが、他の方が命令した可能性については、どうお考えですか?」
「当然、調査すべきでしょうな」
「そうですよね」
リリアーナは頷いた。
「でしたら、公爵閣下が命令した可能性についても、考える必要があると思うのですが」
会議室が静まり返った。
公爵は、しばらくリリアーナを見つめていた。
「…………何?」
「公爵閣下が、侍女に毒を盛るよう命令した可能性です」
「……貴様!」
公爵が勢いよく立ち上がった。
「何を馬鹿なことを申しておる!」
「可能性のお話ですよ」
リリアーナは、落ち着いた声で答えた。
「先ほど、公爵閣下も同じように、私が命令した可能性を指摘されていましたよね?」
「それとこれとは話が違う!」
「どう違うのでしょうか?」
「貴様には動機があるではないか!」
「王位継承権のことでしょうか?」
「当然だ!」
公爵は机を叩いた。
「国王陛下が亡くなられれば、王位継承が進む! 貴様とて、その恩恵を受ける立場にある!」
「それでしたら、公爵閣下にも動機があることになりますよね?」
「……なんだと?」
「お父様が亡くなられたことで、王国の政治体制は大きく変わろうとしています」
リリアーナは、会議の冒頭で配られた資料へ視線を向けた。
「先ほど公爵閣下は、貴族による合議で政策を決定し、王は国家の象徴となる仕組みを提案されていました」
「それがどうした!」
「お父様がご存命の間は、その仕組みを導入することは難しかったのではありませんか?」
公爵は眉を寄せた。
「……何が言いたい」
「お父様が亡くなられたことで、公爵閣下が望まれる政治体制へ変更する機会が生まれたということです」
「……っ!」
「つまり、公爵閣下にも、お父様が亡くなられることで得られる利益があるのではないでしょうか」
会議室にざわめきが広がった。
「第五位殿下……それは……」
「さすがに、そのような推測だけで公爵閣下を疑うのは……」
何人かの貴族が困惑した表情を浮かべた。
リリアーナは頷いた。
「はい。私も、そう思います」
「……何?」
公爵が目を見開いた。
「利益を得る可能性があるというだけで、犯人だと決めつけることはできません」
リリアーナは、公爵へ視線を戻した。
「ですから、公爵閣下が犯人だと申し上げているわけではありません」
「……ふんっ!」
「ただ、公爵閣下にも動機となり得る事情がある以上、可能性を考慮する必要はありますよね?」
「そのような理屈が通るものか!」
公爵は声を荒らげた。
「政治体制の改革を望むことと、国王陛下の毒殺を企てることは全く別の話だ!」
「はい。そのとおりです」
「……っ!」
「私も、王位継承権を持っていることと、お父様の毒殺を企てることは別の話だと思っています」
公爵は口を閉ざした。
ヴィクトリアが静かに口を開いた。
「確かに、動機になり得る事情が存在することと、実際に犯行へ関与したことは区別する必要がありますね」
「ですが!」
公爵はヴィクトリアへ顔を向けた。
「第五位殿下は、国王陛下が亡くなられる直前まで、陛下と酒を酌み交わしていたのですぞ!」
「その点については、既に新たな証拠が提示されています」
「だからといって、命令した可能性が消えたわけではありますまい!」
「ええ。公爵閣下が命令した可能性についても、同じことが言えます」
「……っ!」
公爵は、再びリリアーナを睨みつけた。
「貴様……何が目的だ!」
「お父様を殺した犯人を見つけることです」
リリアーナは、まっすぐに答えた。
「そのために、考えられる可能性を一つずつ確認しています」
「ならば、証拠を出してみるがよい!」
「証拠、ですか?」
「そうだ! 私が毒殺を命じたという証拠があるのなら、今ここで提示してみせろ!」
リリアーナは、手元の資料を確認した。
事件当日の入退室記録。
侍女の証言。
毒の種類。
酒器の検査結果。
そして、関係者の行動記録。
いずれも、国王が毒を盛られた状況を明らかにするためのものだった。
しかし、その中に公爵が侍女へ命令したことを直接示す証拠はなかった。
「……現時点では、ありません」
リリアーナは答えた。
「ほう!」
公爵は勝ち誇ったように笑った。
「証拠もなく、この私を国王毒殺の首謀者であるかのように扱ったというわけですな!」
「首謀者だと断定したわけではありません」
「同じことだ!」
「いいえ、違います」
リリアーナは首を横に振った。
「公爵閣下が命令した可能性を指摘しただけです。今のところ、その可能性を裏付ける証拠はありません」
「では、何のためにそのような話を持ち出した!」
「公爵閣下が、私に対して同じような疑いを向けられていたからです」
「……っ!」
「私が犯人である可能性を検討するのであれば、他の方についても同じ基準で検討する必要があると思います」
レオナルドが頷いた。
「そうだね。誰か一人だけを疑い続けても、真相にはたどり着けないと思うよ」
「殿下まで、そのようなことを!」
「僕は公爵が犯人だと言っているわけじゃないよ」
レオナルドは静かに答えた。
「ただ、父上を殺した人物がまだ分かっていない以上、最初から調査対象を限定するべきではないと思っているんだ」
公爵は、周囲を見渡した。
先ほどまで自分に賛同していた貴族たちも、今は困惑した表情を浮かべている。
リリアーナが犯人だという決定的な証拠はない。
しかし、公爵が犯人だという証拠もない。
どちらの可能性も、完全には否定できない。
だからといって、どちらかを犯人と決めつけることもできなかった。
「……では、第五位殿下」
公爵は、ゆっくりと口を開いた。
「貴様は、この場にいる全員が犯人である可能性を疑うつもりなのですかな?」
「必要があれば、そうなります」
「馬鹿馬鹿しい!」
「ですが、実行犯の侍女が誰から命令されたのか分かっていない以上、関係者の確認は必要ですよね?」
「そんなことをしていては、いつまで経っても終わらぬではないか!」
「だからといって、証拠のないまま誰かを処罰してしまえば、真犯人を見逃すことになります」
「……っ!」
公爵は、深く息を吐いた。
「もう結構だ!」
そして、レオナルドへ向き直った。
「殿下! このような不快な話、正式に抗議させていただく!」
公爵は椅子を引いた。
「国家の重臣たる私を、証拠もなく国王毒殺の首謀者として疑うなど、到底容認できませぬ!」
そのまま、会議室の出口へ向かおうとした。
「お待ちください。まだ話は終わっていません」
リリアーナが声をかけた。
「これ以上、貴様の戯言など聞きたくないわ!」
公爵は振り返りもせずに答えた。
「公爵家の存続にかかわる話でも……ですか?」
公爵の足が止まった。
「…………」
ゆっくりと振り返る。
「……なんだと?」
リリアーナは、机の上に置かれていた資料を揃えた。
「公爵閣下。少し、お伺いしてもよろしいでしょうか」
「……何をだ」
公爵は、不機嫌そうに眉を寄せた。
「先ほどから申し上げている通り、私は国王陛下を毒殺しておりません。そして、現時点で私が犯人であると断定できる証拠もございませんし、公爵が犯人であると断定できる証拠もございません」
「ふんっ! 当然だろう!」
「ですが、私が犯人ではないからといって、事件そのものがなくなるわけではありませんよね?」
「……何が言いたい?」
「真犯人を見つける必要がある、ということです」
公爵は、鼻を鳴らした。
「そんなことは分かっておる!」
「では、調査にご協力いただけますか?」
「……何?」
リリアーナは、アルベルトへ視線を向けた。
「アルベルト様。先ほどのお話を、もう一度確認させていただいてもよろしいでしょうか?」
「……承知いたしました」
アルベルトは、静かに頭を下げた。
「今回、陛下が口にされた毒については、現在も入手経路の調査が続けられております」
会議室にいる者たちが、宰相へ視線を向けた。
「王国内で同様の毒を扱う商人について確認を進めたところ、国外との取引を行っている商人の存在が判明いたしました」
「……それがどうした!」
公爵が声を荒らげた。
「国外と取引をする商人など、珍しくもあるまい!」
「おっしゃる通りでございます」
アルベルトは、あっさりと頷いた。
「国外との取引そのものに、何ら問題はございません」
「ならば、何の意味がある!」
「ただ、その商人の取引先を確認したところ、公爵家との取引記録がございました」
「…………」
公爵の眉が動いた。
アルベルトは続けた。
「また、公爵閣下が隣国へ渡航された際の出入国記録についても、確認が取れております」
「……それがどうした!」
公爵は、机を叩いた。
「私が商人と取引して何が悪い! 隣国へ赴くことも、貴族として何ら不自然ではあるまい!」
「はい。その通りでございます」
リリアーナが答えた。
公爵は、思わず言葉を止めた。
「……何?」
「商人との取引も、隣国への渡航も、それ自体は何も問題ございません」
「……ならば!」
「ただし、国王陛下が毒殺された以上、毒の入手経路を調べる必要がございます」
リリアーナは、落ち着いた声で続けた。
「その商人が毒を扱っていたのか。扱っていたとして、誰に渡したのか。そして、今回の事件と関係があるのか。それらを確認しなければなりません」
「…………」
「公爵閣下がその商人と取引されているのであれば、当然、調査の対象にはなりますよね?」
「ふんっ! 殿下が犯人でないとして、私がやった証拠もない! 犯人扱いされる言われはありませんな!」
公爵は、勝ち誇ったように胸を張った。
リリアーナは、静かに首を傾げた。
「ええ。私は一度たりとも、公爵閣下が犯人などとは申し上げておりません」
「……何?」
「ただ、状況を正確に述べただけです」
リリアーナは、指を一本立てた。
「今回の事件では、毒が使用されました」
二本目。
「その毒の入手経路を調べる必要がございます」
三本目。
「調査対象となっている商人には、公爵家との取引記録がございます」
そして、四本目。
「さらに、公爵閣下には隣国へ渡航された記録もございます」
リリアーナは、指を下ろした。
「それだけです」
「…………」
「ですから、私は公爵閣下が犯人だと申し上げているのではありません。調査にご協力いただけないか、お尋ねしているのです」
公爵は、しばらく黙っていた。
そして、鼻を鳴らした。
「そんなもの! 調べるまでもないわ! 私はやっていないのだからな!」
「そうですか」
リリアーナは、頷いた。
「ちなみに、私のことは調べていただいても構いません」
「…………」
会議室にいた者たちが、息をのんだ。
リリアーナは、その視線を受け止めながら続けた。
「私には、何一つ調べられて疚しいことはございません」
そこで、少しだけ考え込んだ。
「……強いて言えば、これを機にもっと休みがいただければいいなと思っているくらいです」
「…………」
レオナルドが、額に手を当てた。
ヴィクトリアは、何か言いたそうに口を開きかけたが、結局何も言わなかった。
リリアーナは、構わず続けた。
「私の行動記録、交友関係、取引履歴、使用人への聞き取り、必要なものであれば、どうぞお調べください」
そして、背筋を伸ばした。
「王位継承権第五位、リリアーナ・プレイングの名の下に、許可いたします」
会議室が、静まり返った。
誰一人、すぐには言葉を発しなかった。
国王毒殺の容疑をかけられた王女が、自ら調査を申し出たのだ。
しかも、王位継承者としての立場を明確にしたうえで。
リリアーナは、公爵へ視線を戻した。
「公爵閣下」
「……何だ」
「お付き合いいただけませんか?」
公爵は、しばらくリリアーナを睨みつけていた。
やがて、口元を歪めた。
「……ふんっ、それがどうした?」
「……と、申しますと?」
「それは王国の法で任意のはずだ。付き合う義理はない!」
「はい。その通りです」
「…………」
公爵は、またしても言葉を止めた。
「任意の調査ですから、拒否される権利もございます」
リリアーナは、あっさりと頷いた。
「ですので、強制するつもりはございません」
「……ふんっ!」
「ただ、私が調査を受け入れ、公爵閣下が拒否されたという事実は、この場にいる皆様がご存じになったわけですね」
「……っ!」
公爵の顔が、わずかに赤くなった。
「貴様! 私を陥れるつもりか!」
「いいえ?」
リリアーナは、首を傾げた。
「私は調査へのご協力をお願いしただけですが」
「…………」
「それに、調査を拒否されたからといって、犯人だと決まるわけでもありません。そこは誤解なさらないでくださいね」
リリアーナは、周囲へも視線を向けた。
「皆様も、その点はご理解ください。任意の調査を拒否することと、犯罪を犯したことは、別の問題です」
ヴィクトリアが、静かに頷いた。
「その通りです。拒否したという事実だけをもって、有罪と判断することはできません」
「ありがとうございます、お姉様」
リリアーナは、微笑んだ。
公爵は、腕を組んだ。
「……ならば、これ以上話すことはないな」
「そうですね」
「では、私は失礼する!」
公爵は、椅子から立ち上がった。
その瞬間。
「ああ、そうでした」
リリアーナが、声をかけた。
「……まだ何かあるのか!」
「一つ、確認し忘れておりました」
「……何だ!」
「公爵閣下は、今回の国王毒殺事件について、どのようにお考えですか?」
「……は?」
公爵は、眉を寄せた。
「どのように、とは?」
「犯人についてです」
リリアーナは、静かに続けた。
「私は自分が犯人ではないと申し上げました。公爵閣下も、ご自身は犯人ではないとおっしゃっています」
「当然だ!」
「では、他に疑わしい人物をご存じでしょうか?」
「……知らん!」
「そうですか」
リリアーナは、頷いた。
「では、陛下がお亡くなりになる前、何か不審な出来事についてお聞きになったことは?」
「知らんと言っておる!」
「承知いたしました」
「……もうよいか!」
「はい。ありがとうございます」
公爵は、再び扉へ向かった。
しかし。
「……あ、もう一つだけ」
「いい加減にせんか!」
公爵が振り返った。
リリアーナは、申し訳なさそうに頭を下げた。
「すみません。どうしても確認しておきたいことがございまして」
「何だ!」
「先ほどの商人との取引ですが、どのような品物を扱っていらっしゃったのでしょうか?」
「……そんなもの、覚えておらん!」
「そうですか。では、記録を確認すれば分かりますね」
「…………」
「公爵家の取引記録については、通常の商取引に関する確認ですから、担当者の方にお尋ねすればよろしいでしょうか?」
「勝手にしろ!」
「ありがとうございます」
リリアーナは、にっこりと微笑んだ。
公爵は、苛立たしげに扉へ向かった。
「公爵、最後にもう一つだけ」
「ふざけるのもたいがいにしろ!」
「これで最後です、公爵」
公爵が扉を開けるより先に、扉が開き、一人の人物が入ってきた。
「遅くなったな」
低く、力強い声が響いた。
全員が振り返った。
そこに立っていたのは、第三王子ユリウス・プレイングだった。
「……ユリウス?」
レオナルドが顔を上げた。
ユリウスは、会議室を見渡した。
「まだ終わっていないようだな」
そして、わずかに口元を緩めた。
「間に合ったようで何よりだ」
「ユリウスお兄様……」
リリアーナは、思わず声を漏らした。
公爵は、眉を寄せた。
「……ユリウス殿下?」
そして、困惑したように尋ねた。
「どうなされたのですかな? 会議はもう終わりました」
「それは困るな」
ユリウスは、手にしていた書類を掲げた。
「何せ、これを持ってきたところだからな」
その書類には、公爵家の印章が押されていた。
公爵の目が、大きく見開かれた。
「……それは!?」
「ああ」
ユリウスは、静かに答えた。
「公爵家が王家簒奪を目論んでいた証拠だ」
会議室が騒然となった。
「な……!」
公爵は、ユリウスの手元を凝視した。
「なぜ、それがここに!」
「公爵家の屋敷を調査してきた」
ユリウスは、当然のように答えた。
「正式な調査命令に基づき、関係書類を確認した。その中から見つかったものだ」
「ば、馬鹿な! いつの間に!」
公爵は、レオナルドへ顔を向けた。
「殿下! ユリウス殿下は警護の指揮を執っておられたのではないのですか!」
「うん」
レオナルドは、穏やかに頷いた。
「王国の安全を守るために、必要な対応をしてもらっていたんだ」
「……っ!」
公爵は、リリアーナへ視線を向けた。
先ほどまで、必死に議論を続けようとしていた第五位。
何度も質問を繰り返し、証拠が足りないと分かっていても引き下がらなかった王女。
その姿を思い返した公爵の表情が、みるみる変わっていった。
「……まさか」
リリアーナは、小さく息を吐いた。
そして、ユリウスが掲げた書類を見つめた。
「……よかった」
ようやく、肩の力が抜けた。
公爵が、震える声で尋ねた。
「……貴様ら、最初から……」
リリアーナは、公爵へ向き直った。
「はい」
そして、静かに答えた。
「私は、ただの時間稼ぎでしたので」
お読み頂き、ありがとうございます。




