第七話 真相と悔恨
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
翌朝。
レオナルドは、宰相アルベルトの執務室を訪れていた。
「おはよう、アルベルト」
「これはレオナルド殿下。おはようございます」
アルベルトは机から立ち上がり、深く頭を下げた。
「このような朝早くから、いかがなさいましたか?」
「少し、聞きたいことがあるんだ」
「私にお答えできることであれば、何なりと」
「ありがとう。できれば、二人だけで話したいんだけど」
アルベルトはレオナルドの表情を確かめると、控えていた文官たちへ視線を向けた。
「しばらく席を外していただけますかな」
「承知いたしました」
文官たちが退室する。
扉が閉じられ、室内には二人だけが残された。
「さて、どのようなお話でしょうか」
アルベルトは椅子を勧めた。
レオナルドは腰を下ろし、持参した書類を机の上に置いた。
「貴族派について、聞きたいんだ」
「……貴族派でございますか」
「うん」
レオナルドは書類を一枚取り出した。
「父上が亡くなってから、貴族派の動きがずいぶんと早いんだよ」
「国王陛下が崩御なされたのです。次の王位継承に向けて動くこと自体は、不自然ではございません」
「そうだね。僕も、そこを問題にしているわけじゃないんだ」
レオナルドは別の書類を並べた。
「これを見てほしい」
国王崩御の報せが伝えられた時刻。
貴族たちが集まった時刻。
そして、彼らがリリアーナの処遇について発言した時刻。
アルベルトは黙って目を通した。
「……なるほど」
「気づいたかな?」
「情報の伝達が、異様に早いということでございますな」
「うん」
レオナルドは頷いた。
「しかも、ただ早いだけじゃないんだ。彼らは、正式に発表される前の情報まで知っていた」
「…………」
「王宮内部の情報が、外へ流れている可能性がある」
「左様でございますな」
「それだけなら、王宮内に協力者がいると考えれば説明できる。でも、もう一つ気になることがあるんだ」
レオナルドは、リリアーナから受け取った情報を書き写した書類を取り出した。
牢獄の壁と床に刻まれていた文字。
妹が指を傷つけながら残した情報の全てを、レオナルドは一字一句欠かすことなく書き写していた。
「貴族たちの人間関係だよ」
アルベルトは書類へ目を落とした。
「……これは、どちらで?」
「リリアーナが教えてくれたんだ」
「リリアーナ殿下が?」
「うん。あの子が覚えていたことを、全部まとめてくれた」
レオナルドは話を続けた。
「この人間関係と、エレオノーラが集めた情報を照らし合わせてみたんだ。そうすると、貴族派の中で情報が伝わる経路が、ある程度見えてくる」
「……なるほど」
「でも、それでも早すぎるんだよ」
レオナルドはアルベルトを見つめた。
「まるで、最初から情報が伝わることを前提に、動く準備をしていたみたいなんだ」
アルベルトは何も答えなかった。
「それで、考えたんだ」
レオナルドは静かに続けた。
「父上は、貴族派のことをどこまで把握していたんだろうって」
「…………」
「父上の一番近くにいたアルベルトなら、何か知っているんじゃないかな」
しばらくの沈黙。
やがて、アルベルトが口を開いた。
「……殿下は、私を疑っておいでですかな?」
「疑っていないと言えば、嘘になるね」
レオナルドは正直に答えた。
「でも、犯人だと決めつけているわけじゃないよ。僕が知りたいのは、何が起きているのかということなんだ」
アルベルトは、しばらくレオナルドを見つめていた。
そして、静かに息を吐いた。
「……陛下に、よく似てこられましたな」
「そうかな?」
「ええ」
アルベルトは机の上の書類を揃えた。
「殿下のお考えは、間違っておりません。貴族派の情報伝達には、通常の貴族間の交流とは異なる仕組みがございます」
「……やっぱり」
「はい」
「それを、アルベルトは知っているんだね?」
「存じております」
レオナルドは身を乗り出した。
「教えてもらえるかな?」
アルベルトは静かに頷いた。
「その前に、一つお伝えしなければならないことがございます」
「何かな?」
「貴族派を組織したのは、私でございます」
「…………」
レオナルドは動きを止めた。
「……え?」
「私が、貴族の権限拡大を唱え、それに賛同する者たちを集めました」
「……アルベルトが?」
「はい」
レオナルドは、しばらく言葉を失った。
目の前にいるのは、父を長年支えてきた宰相だった。
その人物が、王家と対立する貴族派を組織したという。
「……どういうことかな?」
「陛下のご命令でございます」
「……父上の?」
「はい」
レオナルドは、思わず椅子の背に体を預けた。
「……ちょっと待ってほしい」
「はい」
「父上が、アルベルトに貴族派を組織するよう命じた?」
「左様でございます」
「……何のために?」
アルベルトは、少しだけ目を伏せた。
「目的は、大きく二つございました」
「……二つ?」
「一つは、王位継承者の皆様が、異なる思想を持つ勢力とどのように向き合うのか。それを確かめるためでございます」
「……試練ということかな?」
「左様でございます。陛下は、王とは正しい答えを知っているだけでは務まらないとお考えでした。自分とは異なる考えを持つ者と向き合い、時には対立し、それでも国家を動かさねばならない。その能力を見極めたいと」
レオナルドは額に手を当てた。
「……父上らしいと言えば、父上らしいけど」
「……はい」
「でも、それだけのために貴族派を組織したの?」
「いいえ。もう一つ、重要な目的がございました」
「……何かな?」
「危険分子の監視でございます」
レオナルドは顔を上げた。
「……監視?」
「はい。王家に不満を持つ貴族、国家の体制を変えようと考える者、あるいは自らの利益のために王国を利用しようとする者。そうした人物たちの動向を把握することも、目的の一つでございました」
「……なるほど」
「王家に不満を抱く者を、全て排除することはできません。そもそも、不満を持つこと自体は罪ではございませんからな」
「……そうだね」
「ですが、その不満が違法な行動へ発展する可能性はございます。だからこそ、彼らが何を求め、誰とつながり、どのような行動を取ろうとしているのかを把握する必要がございました」
アルベルトは静かに続けた。
「そこで、私が貴族の権限拡大を唱え、賛同する者たちを集めたのでございます」
「……つまり、王家に反対する人たちが、自然と集まってくる場所を作ったんだね」
「そのような側面もございます。ただし、貴族派に参加した者が全て危険人物というわけではございません」
「うん。それは分かるよ」
「領地の裁量を広げたい者もいれば、王宮での発言力を強めたい者もおります。正当な主張を持つ者も少なくありません」
アルベルトは頷いた。
「重要なのは、思想そのものではなく、実際にどのような行動を取るかでございます」
「……なるほどね」
レオナルドは腕を組んだ。
「王位継承者たちに、実際の政治的な対立を経験させる。同時に、王家に反対する勢力の動向を把握する。そういうことだったんだね」
「左様でございます」
「……ずいぶんと大掛かりなことをしたんだね」
「私も、同じことを申し上げました」
アルベルトは苦笑した。
「ですが、陛下は、いずれ必要になることだとお考えでした」
「……父上らしいな」
レオナルドは小さく息を吐いた。
「でも、参加した貴族たちは、父上の命令で動いていたわけじゃないんだよね?」
「もちろんでございます」
アルベルトは頷いた。
「私は貴族の権限拡大を唱え、それに賛同する者を集めました。しかし、参加した者たちは、それぞれ自分の考えで行動しております」
「……なるほど」
「領地の裁量を広げたい者。王宮での発言力を強めたい者。商業上の利益を求める者。そして、王家よりも貴族が優位に立つべきだと考える者」
アルベルトは静かに続けた。
「同じ貴族派を名乗っていても、その目的は一つではございません」
「……だから、全員の行動を把握しているわけではないんだね」
「左様でございます」
レオナルドは、机の上の報告書を見つめた。
「……それなら、今回の情報伝達の速さについては?」
「私が組織した際、貴族同士が情報を共有するための連絡経路を整えました。会合の開催や意見の集約を円滑にするためでございます」
「……それが、今も使われている?」
「はい。ただし、現在では私の把握していない連絡経路も増えております」
「……なるほどね」
レオナルドは頷いた。
これで、貴族派の内部で情報が共有される速度については、ある程度説明がついた。
しかし、まだ疑問は残る。
「……でも、王宮内部の情報が正式な発表より早く伝わっていた理由にはならないね」
「おっしゃるとおりでございます」
「アルベルトが伝えたわけではない?」
「今回の事件に関する情報を、私から貴族派へ伝えた事実はございません」
アルベルトは明確に答えた。
「そもそも、今回の国王毒殺事件について、私は一切関与しておりません」
「……そうか」
「陛下が亡くなられることなど、想定しておりませんでした」
レオナルドはアルベルトの顔を見つめた。
長年、父を支えてきた宰相。
その言葉を信じたい気持ちはある。
しかし、今は誰の言葉であっても、確認せずに結論を出すわけにはいかない。
「……分かったよ」
レオナルドは静かに頷いた。
「でも、貴族派の誰かが関わっている可能性はあるんだね?」
「否定はできません」
「……アルベルトの知らないところで?」
「はい」
アルベルトは深く頷いた。
「以前、リリアーナ殿下のお命が狙われた件についても、貴族派に属する者の関与が確認されております。しかし、私はそのような指示を出しておりません」
「……そうだったね」
「今回も、誰かが独断で動いた可能性はございます。ただし、現時点では、それを裏付ける証拠もございません」
レオナルドは腕を組んだ。
「……貴族派に属しているというだけで、犯人と決めつけるわけにはいかないね」
「左様でございます」
アルベルトは頷いた。
「ですが、殿下」
「何かな?」
「今回の事件と関係があるかどうかは分かりませんが、一つ、お伝えしておいた方がよいことがございます」
◇
アルベルトは立ち上がり、執務室の奥にある書棚へ向かった。
鍵付きの箱を取り出し、机の上に置く。
中には、数冊の帳面と、封をされた書類が収められていた。
「……これは?」
「長年、私が集めてきた資料でございます」
「何の資料かな?」
「公爵家についてでございます」
レオナルドは眉を寄せた。
「……公爵家?」
「はい」
アルベルトは一枚の系譜を広げた。
公爵家の歴代当主。
その配偶者。
そして、さらに古い世代へと続く血筋。
レオナルドは目を通した。
「……隣国の王族?」
「はい」
アルベルトは頷いた。
「現在の公爵家は、かつてプレイング王家の一族と、隣国の王女との婚姻によって成立した家系でございます」
「……なるほど」
「その婚姻自体に、問題があったわけではございません」
アルベルトは、系譜の一箇所を指した。
「問題は、この王女が抱いていた目的でございます」
「……目的?」
「はい」
アルベルトは、古い記録を取り出した。
「この王女は、プレイング王国を自らの血筋によって支配することを目的として、婚姻を利用したのでございます」
レオナルドは顔を上げた。
「……王国を乗っ取ろうとしていた、ということ?」
「左様でございます」
アルベルトは静かに頷いた。
「ただし、武力による征服ではございません。婚姻と人事、そして政治的な影響力を利用した、長期的な計画でございました」
「……長期的?」
「はい。自らの代で実現できなくとも、子や孫の代で実現できればよい。そのような考えでございます」
レオナルドは系譜を見つめた。
王女が嫁いできたのは、何世代も前のことだ。
「……それが、今も続いているの?」
「はい」
アルベルトは別の書類を広げた。
そこには、歴代の公爵家が関わった人事や政策が記されていた。
「公爵家は、代々、王国の重要な役職へ人材を送り込んでまいりました」
「それ自体は、貴族の役割として当然のことだね」
「おっしゃるとおりでございます」
「……問題は、その目的か」
「はい」
アルベルトは頷いた。
「公爵家は、長い年月を掛けて、王国の主要な役職に自らと関係の深い貴族を配置してまいりました」
レオナルドは記録を読み進めた。
特定の役職に、同じ家系の人間が繰り返し就いている。
その周囲には、公爵家と婚姻関係にある貴族たちが配置されていた。
さらに、その人事に関わる推薦状や、会合の記録も添えられている。
「……ずいぶんと長い期間だね」
「数世代にわたっております」
「……偶然ではない、と?」
「偶然である可能性を否定するだけの資料は、揃えております」
アルベルトは答えた。
「ただし、ここに記された全ての人事が不正であったという意味ではございません。正当な手続きを経たものも数多くございます」
「……そうだね」
レオナルドは頷いた。
「でも、これほど長い期間、同じ目的で動いていたとすれば……」
「王国の中枢を、少しずつ掌握することが可能となります」
アルベルトは静かに答えた。
「そして、公爵家は現在も、その目的を捨てておりません」
「……何か証拠があるのかな?」
「はい」
アルベルトは別の書類を取り出した。
「こちらは、私が直接耳にした言葉でございます」
「直接?」
「はい。公爵本人の発言でございます」
アルベルトは、一度言葉を区切った。
「次の王が生まれた時、我らの時代となる」
レオナルドは動きを止めた。
「……次の王?」
「はい」
「それは、父上の次という意味かな?」
「その可能性が高いと考えております。ただし、発言の真意を本人に確認したわけではございません」
「……なるほど」
レオナルドは腕を組んだ。
次の王が生まれた時。
我らの時代となる。
それは、王位継承の機会に合わせて、何らかの行動を起こすつもりだったとも受け取れる。
しかし、それだけで国王毒殺事件に関与したとは言えない。
「……アルベルト」
「はい」
「この発言は、いつのものかな?」
アルベルトは日付を答えた。
国王崩御より、ずっと以前のことだった。
「……そうか」
レオナルドは頷いた。
「ならば、今回の事件と直接結びつけることはできないね」
「左様でございます」
「でも、王位継承を機会として何かを計画していた可能性はある」
「はい。その点については、調査する価値があると考えております」
レオナルドは机の上の資料を見つめた。
「……それで、これらの情報は、どこまで裏付けが取れているのかな?」
アルベルトは別の束を差し出した。
「こちらに、原本の所在、写しを作成した日時、情報提供者、照合した記録をまとめてございます」
レオナルドは受け取った。
かなりの厚さだった。
「……これを全部?」
「はい」
「……何年掛けたの?」
「長い年月でございます」
レオナルドは苦笑した。
「……父上とアルベルトは、本当に何をしていたんだろうね」
「必要なことでございましたので」
アルベルトは、いつもと変わらぬ表情で答えた。
◇
レオナルドは資料を読み進めた。
そこには、単なる思想や発言だけではない記録も含まれていた。
公的な手続きを経ずに行われた人事への介入。
特定の貴族への不自然な利益誘導。
王国の内部情報が、正規の外交経路を通らず隣国へ渡った疑い。
そして、それらに関わった人物たちの名前。
全てが犯罪と確定しているわけではない。
しかし、調査を進めるには十分な根拠があった。
「……これは、国王毒殺事件とは別に調べる必要があるね」
「はい」
アルベルトは頷いた。
「今回の事件に関与しているかどうかにかかわらず、王国の安全に関わる問題でございます」
「……そうだね」
レオナルドは書類を揃えた。
「ただし、僕たちが調べているのは、父上を殺した犯人だ。この資料があるからといって、公爵が父上を殺したと決めつけるわけにはいかない」
「おっしゃるとおりでございます」
「貴族派の活動と、公爵家が進めてきた計画。そして、国王毒殺事件。それぞれを混同しないようにしよう」
「承知いたしました」
レオナルドは少し考えた。
「それと、この資料を調べる人間は、できる限り限定したい」
「情報の流出を防ぐためでございますか?」
「それもあるけど、証拠を勝手に動かされても困るからね」
「左様でございますな」
「ヴィクトリアには法的な確認をお願いしよう。ユリウスには、資料と関係者の警護を頼みたい」
「承知いたしました」
アルベルトは深く頭を下げた。
レオナルドは、改めて宰相を見つめた。
「……アルベルト」
「はい」
「どうして、今まで僕たちに教えてくれなかったのかな?」
アルベルトは少しだけ目を伏せた。
「陛下のご判断でございました」
「……父上の?」
「はい。貴族派の主導者が私であることも、公爵家についての調査を進めていることも、必要な時が来るまでは伏せておくようにと」
「……そうか」
レオナルドは小さく息を吐いた。
理解はできる。
しかし、納得できるかと問われれば、簡単ではなかった。
父は亡くなった。
そして、自分たちは父の残した問題と向き合っている。
その中には、父と宰相だけが知っていたこともある。
「……分かったよ」
レオナルドは静かに頷いた。
「今は、これをどうするか考えよう」
「はい」
アルベルトは答えた。
しかし、その声には、わずかな陰りがあった。
レオナルドは顔を上げた。
「……アルベルト?」
「……殿下」
アルベルトは、机の上に置かれた資料を見つめた。
「私は、長年にわたり、陛下にお仕えしてまいりました」
「……うん」
「陛下は、私を信頼してくださいました。国家運営を任せ、貴族派の組織を命じ、数多くの重要な仕事を託してくださいました」
アルベルトは静かに続けた。
「私は、その信頼に応えるため、できる限りのことをしてきたつもりでございます」
「……そうだね」
「しかし……」
アルベルトは言葉を詰まらせた。
そして、ゆっくりと頭を下げた。
「私は、陛下をお守りすることができませんでした」
「…………」
「これほど長く王宮に仕え、貴族派を組織し、その動向を把握していたにもかかわらず、陛下のお命を狙う者がいることに気づくこともできず……」
アルベルトの声が震えた。
「……申し訳ございません」
レオナルドは、しばらく黙っていた。
目の前にいるのは、父を長年支えてきた宰相だった。
国王の最も近くにいた人物。
その人物が、今、深く頭を下げている。
「……アルベルト」
レオナルドは静かに声を掛けた。
「顔を上げてくれるかな」
しかし、アルベルトは動かなかった。
「……私は」
絞り出すような声が響いた。
「陛下をお守りできなかった、この責任を……」
レオナルドは眉を寄せた。
「……アルベルト?」
アルベルトは、ゆっくりと顔を上げた。
その表情には、深い悔恨が浮かんでいた。
「……どうか、お許しくださいませ」
そう告げると、アルベルトは懐へ手を伸ばした。
取り出されたのは、一振りの短剣だった。
「……アルベルト?」
レオナルドは、思わず立ち上がった。
アルベルトは短剣を両手で握り、刃先を自らの胸へ向けた。
「陛下をお守りできなかった私に、これ以上、生きる資格などございません」
「何を言っているんだ!」
レオナルドは机を回り込んだ。
「やめるんだ、アルベルト!」
「殿下……どうか、お許しください」
アルベルトは、短剣を握る手に力を込めた。
その瞬間。
「やめろ!」
レオナルドは、アルベルトの腕へ飛びついた。
勢いのまま、二人は床へ倒れ込む。
短剣が手から離れ、床を滑った。
カラン、と乾いた音が響いた。
「……っ!」
レオナルドは、アルベルトの両肩を掴んだ。
「何を考えているんだ!」
「……殿下」
「父上が亡くなって、僕たちがどれほど苦しんでいると思っている!」
レオナルドの声が震えた。
「それなのに、アルベルトまでいなくなるつもりなのか!」
「…………」
「父上を守れなかった責任を感じているなら、僕たちを助けてほしい!」
レオナルドは、必死に言葉を続けた。
「僕たちは、まだ何も分かっていないんだ。父上を殺した犯人も、どうしてこんなことが起きたのかも!」
「……殿下」
「アルベルトには、父上と一緒に国を支えてきた経験がある。僕たちが知らないことも、たくさん知っている」
レオナルドは、アルベルトの肩を強く握った。
「だから……頼むよ」
その声が、小さく震えた。
「……アルベルトまで、僕たちを置いていかないでくれ」
アルベルトは、しばらく何も言わなかった。
そして、ゆっくりと目を閉じた。
「……申し訳ございません、殿下」
レオナルドは、ようやく肩の力を抜いた。
「……分かってくれたかな?」
「……はい」
アルベルトは深く頭を下げた。
「殿下のお言葉、胸に刻みます」
「……ありがとう」
レオナルドは、ようやく安堵の息を吐いた。
「それと、これからも僕たちを助けてくれるかな?」
アルベルトは、ゆっくりと顔を上げた。
「……もちろんでございます」
その声には、先ほどまでの震えはなかった。
「この命ある限り、王国のため、そして殿下方のために尽くす所存でございます」
アルベルトは床に落ちた短剣を拾い上げ、胸元に掲げた。
「陛下より授かった、この短剣に誓って」
レオナルドは、その姿を見つめた。
「……ありがとう、アルベルト」
そして、差し出した手でアルベルトを立ち上がらせた。
◇
レオナルドが執務室を後にした後。
アルベルトは、一人、机の前に立っていた。
先ほどまでの騒ぎが嘘のように、室内は静まり返っている。
机の上には、レオナルドが持参した資料が残されていた。
アルベルトは椅子へ腰を下ろし、その一枚を手に取った。
国王崩御から現在までの出来事が、時刻とともに整理されている。
貴族たちの動き。
王宮内部の情報。
そして、事件に関わった可能性のある人物たち。
「……実に、よく調べておられますな」
アルベルトは静かに呟いた。
レオナルドは、誰かを疑いながらも、証拠がなければ決めつけようとはしなかった。
貴族派の主導者が自分だと知っても、すぐに犯人と断定することはなかった。
公爵家についての資料を見せた時も、国王毒殺事件とは分けて考えようとしていた。
その姿勢は、アルベルトにとって、頼もしいものだった。
「……陛下」
アルベルトは、窓の外へ視線を向けた。
「レオナルド殿下は、立派に成長なされました」
しばらく外を眺めた後、アルベルトは机の上の書類を揃えた。
まだ、やるべきことは数多く残っている。
国王を殺した犯人は見つかっていない。
貴族派の内部で何が起きているのかも、全てを把握できているわけではない。
そして、公爵家についても、長年の調査を進めてきたとはいえ、解決したわけではなかった。
「……さて」
アルベルトは、新しい書類を手に取った。
「まずは、目の前の仕事を片付けるといたしましょう」
宰相アルベルトは、再び執務へと戻った。
お読み頂き、ありがとうございます。




