第六話 たどり着く一つの答え
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
王宮の一室に、昨夜の酒宴に関する記録が集められていた。
酒の管理台帳。
王宮内への搬入記録。
侍女たちの勤務表。
そして、国王の寝室から回収された酒器の一覧。
ヴィクトリアはそれらを机の上に並べ、一枚ずつ確認していた。
「……やはり、数が合いませんわね」
隣に立つユリウスが顔を向けた。
「何の数だ?」
「酒器です。お父様のお部屋で回収されたものと、昨夜お部屋に用意されたものの数が一致しておりません」
「持ち込まれたものがあるということか」
「その可能性があります」
ヴィクトリアは記録の一箇所を指した。
「こちらが、昨夜お父様のお部屋に用意された酒器の一覧です。そして、こちらが今朝回収されたものです」
ユリウスは二枚の書類を見比べた。
「……グラスが二つ多いな」
「ええ」
「リリアーナの部屋から運ばれたものか?」
「その可能性はありますが、まだ断定できません。実際に運んだ人物の証言が必要です」
ヴィクトリアは別の書類を取り出した。
「それと、もう一つ気になることがあります」
「何だ?」
「お父様のお部屋には、昨夜、追加の酒が運ばれています」
「追加の酒?」
「ええ。最初に用意されていたものとは別に、夜間の追加注文が記録されています」
ユリウスは眉を寄せた。
「父上はリリアーナと飲んだ後、さらに飲まれたということか」
「少なくとも、追加の酒を求める指示があったことは確認できます」
「誰が運んだ?」
「担当した侍女の名前が記録されています。これから事情を聞く予定です」
「分かった。こちらも立ち会おう」
ヴィクトリアは頷いた。
「お願いいたします」
◇
しばらくして、酒を運んだ侍女が部屋へ案内された。
年若い侍女だった。
緊張した様子で頭を下げる。
「お、お呼びでしょうか……」
「ええ。昨夜のお仕事について、いくつか確認したいことがあります」
ヴィクトリアは穏やかな声で告げた。
「あなたを疑っているわけではありません。覚えていることを、そのまま話してください」
「は、はい……」
「昨夜、お父様のお部屋へ追加の酒を運びましたね?」
「はい」
「誰からの指示でしたか?」
「陛下からでございます」
ヴィクトリアは筆を止めた。
「お父様が、直接?」
「はい。お部屋にお伺いした際、もう少し酒を持ってくるようにと……」
「その時、お父様は何かおっしゃっていましたか?」
侍女は少し考えた。
「……娘と飲んだ余韻に浸りたい、と」
「余韻?」
「はい。もう少しだけ娘と飲んだ余韻に浸りたい、とおっしゃっていました」
ヴィクトリアは静かに頷いた。
「分かりました。では、どのようなお酒をお持ちしましたか?」
侍女は酒の種類と本数を答えた。
ヴィクトリアはその内容を記録と照らし合わせる。
数は一致していた。
「その後、お父様はお酒を飲まれましたか?」
「はい。私がお部屋を出る前に、一杯お飲みになりました」
「その際、何か変わったご様子は?」
「いいえ。いつもどおりでございました」
「分かりました。ありがとうございます」
侍女は安堵したように息を吐いた。
しかし、ヴィクトリアはもう一つ質問した。
「その後、お父様のお部屋へ戻りましたか?」
「いいえ。私はそのまま持ち場へ戻りました」
「では、翌朝のことは?」
「陛下がお亡くなりになったことは、他の侍女から聞きました」
「あなたが発見したわけではないのですね?」
「はい」
ヴィクトリアは頷いた。
「ありがとうございました。必要があれば、またお話を伺うかもしれません」
「はい。承知いたしました」
侍女は深く頭を下げ、部屋を後にした。
◇
「……追加の酒か」
ユリウスが腕を組んだ。
「父上は、リリアーナの部屋を出た後も飲んでいたことになるな」
「ええ。少なくとも、そうした証言が得られました」
ヴィクトリアは記録を見つめた。
「ただし、これだけでは何も決まりません」
「分かっている」
「重要なのは、追加された酒が現在どうなっているかです」
ヴィクトリアは回収品の一覧を取り出した。
そこには、国王の寝室から発見された酒器と容器が記されている。
「追加された酒の種類と本数は、こちらの記録と照合できます」
「……どうだ?」
「容器の数は一致しています。ただし、中身については確認が必要です」
「毒物の検査か」
「ええ」
ヴィクトリアは頷いた。
「それと、グラスの移動についても調べなければなりません」
ユリウスは勤務表を手に取った。
「昨夜、リリアーナの部屋を担当した侍女たちは、こちらで確認を進めている」
「何か分かりましたか?」
「使用済みの酒器を片付けた者がいることまでは分かった」
「……誰ですか?」
ユリウスは名前を告げた。
ヴィクトリアは記録へ書き加えた。
「では、その方にもお話を伺いましょう」
◇
次に呼ばれた侍女は、先ほどの侍女よりも年上だった。
落ち着いた様子で入室し、丁寧に頭を下げる。
「お呼びと伺いました」
「ええ。昨夜、リリアーナのお部屋で使用された酒器について確認したいのです」
「承知いたしました」
ヴィクトリアは書類を示した。
「昨夜、リリアーナのお部屋から酒器を片付けましたね?」
「はい」
「どちらへ運びましたか?」
「陛下のお部屋でございます」
ユリウスが顔を上げた。
「なぜだ?」
侍女は少し驚いたようだったが、すぐに答えた。
「陛下がお使いになったものですので、お部屋へお戻しするようにと……」
「誰の指示だ?」
「……それは」
侍女は言葉を詰まらせた。
ヴィクトリアが静かに問いかける。
「覚えていないのですか?」
「いえ……その、いつものように片付けただけでございます」
「いつも?」
「はい。陛下が他のお部屋でお酒を召し上がった際には、使用された酒器をお戻しすることがございますので……」
ヴィクトリアは記録を取った。
「では、昨夜も通常の業務として運んだのですね?」
「はい」
「運んだ時刻は覚えていますか?」
侍女はおおよその時刻を答えた。
ヴィクトリアはそれを記録した。
「お父様のお部屋へ運んだ際、どこに置きましたか?」
「お部屋の机の上でございます」
「その時、お父様はいらっしゃいましたか?」
「……いえ、お姿は拝見しておりません」
「分かりました」
ヴィクトリアは頷いた。
「では、その後、もう一度お部屋へ入りましたか?」
「いいえ」
侍女は即答した。
「そのまま持ち場へ戻りました」
「承知しました。ありがとうございます」
侍女は頭を下げ、部屋を後にした。
扉が閉じられると、ユリウスが口を開いた。
「……どう見る?」
「現時点では、証言を確認する必要があるとしか言えません」
ヴィクトリアは落ち着いて答えた。
「ただ、リリアーナの部屋で使用されたグラスが、お父様のお部屋に移動した経緯は分かりました」
「そうだな」
「次は、その後の管理状況です」
ヴィクトリアは書類を揃えた。
「グラスが置かれてから、翌朝回収されるまでの間に、誰が部屋へ入ったのか。そこを確認しましょう」
◇
一方、王宮の別室では、テオドールが聞き取り記録を整理していた。
机の上には、多くの証言書が積み上げられている。
誰が、いつ、どこで、何を見たのか。
それらを一つずつ確認し、時系列に沿って並べ直していく。
「……あれ?」
テオドールは一枚の書類で手を止めた。
国王の寝室へ追加の酒を運んだ侍女の証言。
そして、翌朝、国王の遺体を発見した侍女の証言。
その二つを見比べる。
追加の酒を運んだ時刻。
寝室から人が出入りしたとされる時刻。
そして、翌朝の発見時刻。
「……少し、確認した方がよさそうですね」
テオドールは別の記録を取り出した。
夜間の警備記録だった。
そこには、巡回した騎士の名前と時刻が記されている。
しかし、国王の寝室へ出入りした人物の全てが記録されているわけではなかった。
「……当然ですね」
テオドールは小さく呟いた。
王宮内で働く者が、全ての移動を逐一記録されているわけではない。
特に、侍女たちの日常業務まで詳細に残されているとは限らなかった。
だからこそ、証言が必要になる。
「……では、こちらから確認しましょう」
テオドールは新しい紙を取り出し、聞き取りが必要な人物を整理し始めた。
◇
午後。
ヴィクトリアとユリウスのもとへ、毒物の検査結果が届けられた。
ヴィクトリアは報告書を開いた。
そして、表情を引き締めた。
「……ユリウス」
「何だ?」
「追加された酒の容器から、毒物が検出されました」
ユリウスが身を乗り出した。
「何だと?」
「ただし、検出された量や状態については、さらに詳しい確認が必要です」
「……グラスから見つかったものと同じ毒か?」
「大まかな種類は一致しています」
ヴィクトリアは報告書を置いた。
「けれど、同じ毒物が見つかったというだけでは、いつ、誰が混入したのかまでは分かりません」
「当然だ」
ユリウスは頷いた。
「だが、少なくとも、調べるべきものが増えた」
「ええ」
ヴィクトリアは机の上に並べられた書類を見つめた。
リリアーナの部屋で使用されたグラス。
国王の寝室へ運ばれた酒器。
追加された酒。
そして、それぞれに関わった侍女たち。
まだ、何もつながってはいない。
しかし、調べるべき経路は少しずつ明らかになってきていた。
「……レオナルドお兄様に報告しましょう」
「ああ」
二人は書類をまとめ、会議室へ向かった。
◇
夕刻。
レオナルドのもとへ、兄弟姉妹たちからの報告が集まり始めていた。
酒の管理記録。
酒器の移動。
侍女たちの証言。
毒物の検査結果。
警備記録。
そして、貴族たちの動向。
レオナルドは一つずつ目を通した。
「……なるほど」
ヴィクトリアが説明を終える。
「現時点で確認できたのは、以上です」
「ありがとう」
レオナルドは頷いた。
「グラスが移動した理由については、まだ確認が必要なんだね」
「ええ。運んだ侍女は通常業務だったと説明していますが、その業務が実際にどの程度行われていたのか、過去の記録と照合する予定です」
「お願いするよ」
レオナルドは次に、追加された酒の記録を見た。
「こちらについても、引き続き調べてほしい」
「承知しました」
ユリウスが口を開いた。
「兄上。関係者の警護についても手配した」
「警護?」
「ああ。今回の事件に関係する証言をした者が、何者かに脅される可能性もある。必要な者には護衛を付ける」
「ありがとう。助かるよ」
レオナルドは頷いた。
エレオノーラが続けた。
「貴族の皆様についても、少しずつ情報が集まっておりますわ。ただ、現時点では噂の域を出ないものが多くございます」
「うん。無理に結論を出さなくていいよ」
「承知しておりますわ」
シャルロッテも優雅に微笑んだ。
「王宮内で広まっているお話については、出どころを確認しております。中には、事実と異なる内容もあるようですわ」
「そうなんだね」
「ええ。特に、リリアーナお姉様の処遇については、随分と勝手なお話が広まっておりますの」
レオナルドは少しだけ表情を曇らせた。
「……そうか」
そして、全員を見渡した。
「みんな、ありがとう」
机の上には、多くの書類が並んでいる。
けれど、まだ犯人は分からない。
誰が毒を用意したのか。
誰が混入したのか。
誰がリリアーナに罪を着せようとしたのか。
そのどれも、確かな答えは出ていなかった。
「……焦らず、一つずつ確認していこう」
レオナルドは静かに告げた。
「父上を殺した者を、必ず見つけるために」
兄弟姉妹たちは頷いた。
◇
会議が終わり、皆が退室した後。
レオナルドは一人、机の上に並べられた書類を見つめていた。
リリアーナが壁に刻んだ情報。
それを自分が書き写したもの。
そして、兄弟姉妹たちが集めてきた情報。
それぞれを照らし合わせながら、改めて時系列を確認していく。
「……ん?」
レオナルドは、一枚の書類で手を止めた。
貴族派の動向をまとめた報告書だった。
国王崩御の報せが伝わった時刻。
貴族たちが集まり始めた時刻。
そして、リリアーナの処刑を求める意見が出された時刻。
「……おかしいな」
レオナルドは別の書類を取り出した。
リリアーナが覚えていた、貴族たちの人間関係。
過去の会合。
誰が誰と親しく、どのようなつながりを持っているのか。
そこへ、エレオノーラが集めた情報を重ねる。
「……やっぱり」
貴族派の動きが早すぎる。
国王崩御という突然の事態。
それにもかかわらず、複数の貴族が短時間のうちに集まり、リリアーナの処遇について足並みを揃えている。
それだけなら、以前から連携していたとも考えられる。
しかし、気になるのはそこではなかった。
彼らの発言には、王宮内部で確認されたばかりの情報が含まれていた。
しかも、その情報が正式に伝達された時刻よりも早い。
「……どうやって知ったんだろう」
レオナルドは時刻を確認し直した。
間違いではない。
報告書を並べ替えても、順序は変わらなかった。
もちろん、記録された時刻が正確とは限らない。
だが、それを考慮しても、情報の伝達が異様に速かった。
「……誰かが伝えている?」
王宮内部に、貴族派へ情報を流している人間がいる。
その可能性は十分に考えられた。
しかし、それだけでは説明できない部分もある。
貴族派の中で、情報が共有される速度そのものが異常だった。
誰かが知らせてから協議を始めたというより、既に動く準備が整っていたかのように見える。
レオナルドは、もう一度リリアーナの情報を確認した。
貴族たちのつながり。
過去の行動。
それぞれの立場。
そして、父が生前に接触していた人物たち。
「…………」
しばらく考え込んだ後、レオナルドは一つの名前に目を止めた。
宰相アルベルト。
父の最も近くで国家運営を支えてきた人物。
王宮内部の情報を広く把握し、貴族たちとも日常的に接触している。
彼ならば、この情報伝達の速さについて、何か知っているかもしれない。
「……そうだね」
レオナルドは書類を揃えた。
疑うためではない。
確かめるためだ。
父の側近として長年王国を支えてきた宰相ならば、貴族派の動きについても、自分たちが知らない事情を把握している可能性がある。
「……明日、聞いてみよう」
レオナルドは、アルベルトの名前が記された書類を机の上に置いた。
窓の外では、夕日が沈み始めていた。
国王崩御から、まだわずかな時間しか経っていない。
それでも、事件を取り巻く情報は少しずつ集まり始めていた。
そして、その情報を照らし合わせたことで、レオナルドは新たな疑問に辿り着いていた。
お読み頂き、ありがとうございます。




