第二話 それぞれの役割
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
国王崩御の知らせが広がってから、王宮には絶え間なく報告が届いていた。
地方からの問い合わせ、貴族たちからの謁見要請、軍の指揮系統に関する確認、そして国王毒殺事件についての報告。
普段であれば、それぞれの担当部署が処理し、必要に応じて国王の裁可を仰ぐ。
しかし、その国王がいない。
誰に判断を求めればよいのか。
誰の命令に従えばよいのか。
その混乱は、王宮の至るところで生じていた。
レオナルドは会議室に残り、次々と運び込まれる書類に目を通していた。
「……これは、父上の裁可が必要な案件だね」
「はい。ですが、陛下が崩御された以上、どなたのご判断を仰ぐべきか……」
報告に来た文官は、困り果てた表情を浮かべている。
「内容を確認させてもらえるかな」
「こちらでございます」
レオナルドは書類を受け取り、しばらく目を通した。
地方の道路整備に関する追加予算の申請だった。
既に工事は始まっており、資材価格の変動によって当初の予算を超える見込みだという。
「この件について、担当部署ではどう判断しているのかな」
「追加予算を認めるべきかと。ただし、国王陛下の裁可が必要な金額でございます」
「なるほど」
レオナルドは書類を机に置いた。
「では、ヴィクトリアに確認してもらおう。今の僕たちに認められている権限を整理する必要があるからね」
「承知いたしました」
文官が頭を下げる。
レオナルドは次の書類を手に取った。
その時、ふと思う。
リリアーナなら、こういう時に何と言うだろうか。
おそらく、まず担当者に尋ねるだろう。
なぜ自分たちで判断できないのか、と。
そして、必要な権限を与えてしまえばいいと言い出すに違いない。
「……まったく」
レオナルドは小さく笑った。
仕事を減らしたいと言いながら、あの妹はいつも仕事の仕組みそのものを変えてしまう。
その考え方が、今は少し羨ましかった。
◇
ヴィクトリアの執務室には、王国法に関する資料が積み上がっていた。
国王が崩御した場合、王位継承が完了するまでの間、どのように国家運営を行うのか。
王国には当然、そのための規定が存在する。
しかし、実際に国王が突然亡くなり、しかも毒殺事件の捜査が進められている状況では、単純に規定を当てはめるだけでは済まなかった。
「こちらの案件は、既に承認されている予算の範囲内ですね」
「はい」
「でしたら、担当部署の権限で処理できます。改めて王族の裁可を求める必要はありません」
ヴィクトリアは書類に確認済みの印を押した。
「こちらは?」
「新規の予算申請でございます」
「金額は……なるほど。これは王位継承が完了するまで保留としてください。ただし、緊急性がある場合は別途報告をお願いします」
「承知いたしました」
文官が書類を受け取る。
ヴィクトリアは次の資料に目を向けた。
そこには、リリアーナの拘束に関する報告があった。
国王毒殺の容疑者。
その文字を見た瞬間、ヴィクトリアの表情がわずかに曇った。
「……こちらの件ですが」
傍らに控えていた法務官が顔を上げる。
「リリアーナ殿下のことでございますか」
「ええ。拘束の根拠と、現在の取り調べ状況を確認したいのです」
「承知いたしました」
「それと、証拠品の管理についても報告をお願いします。誰が発見し、誰が回収し、現在どこで保管されているのか。記録を確認したいのです」
「そこまで、でございますか?」
「当然でしょう」
ヴィクトリアは静かに答えた。
「証拠が存在することと、その証拠が正しく扱われていることは別です。途中で誰かが触れていたとしても、それが分からなければ、正確な判断はできません」
法務官は深く頭を下げた。
「直ちに確認いたします」
「お願いします」
ヴィクトリアは再び報告書を見つめた。
リリアーナが犯人だとは思っていない。
しかし、身内だからという理由だけで無実と決めつけることもできない。
必要なのは、正しい手続きと、正確な証拠。
それだけだった。
◇
王宮の訓練場では、ユリウスが近衛騎士たちを前に立っていた。
「国王陛下の崩御に伴い、王宮内の警備体制を変更する」
その声は、訓練場の隅々まで響き渡った。
「現在、国王毒殺事件の捜査が進められている。犯人が特定されていない以上、王宮内に関係者が残っている可能性もある」
騎士たちは姿勢を正す。
「各出入口の警備を強化し、出入りする者の記録を徹底しろ。身分の高低を問わず、確認を怠るな」
「はっ!」
「ただし、勝手な拘束や取り調べは認めない。疑わしい者がいた場合は、上官へ報告し、正式な手続きを踏め」
ユリウスは騎士たちを見渡した。
「王宮を守るのが我々の仕事だ。恐怖や疑念に任せて無関係な者を傷つけることは、断じて許さん」
「はっ!」
指示を終えたユリウスのもとへ、副官が近づいてきた。
「殿下、各地方の駐屯部隊からも問い合わせが届いております」
「内容は?」
「国王陛下崩御に伴い、今後の指揮系統について確認したいとのことです」
「現状維持を命じろ。新たな命令が出るまで、各部隊は通常任務を継続する」
「承知いたしました」
「それと、王宮への増援は不要だ。勝手に部隊を動かすなと伝えろ」
「はっ!」
副官が去った後、ユリウスはしばらく訓練場を見つめていた。
国王が亡くなった。
軍人としては、指揮系統の維持が最優先となる。
だが、一人の息子としては、まだその現実を受け入れられていなかった。
「……父上」
小さく呟く。
しかし、すぐに顔を上げた。
今は悲しみに沈んでいる場合ではない。
守るべきものが、まだ残っているのだから。
◇
エレオノーラは、王宮の応接室で数名の貴婦人たちと向き合っていた。
国王崩御の知らせを受け、各貴族家から弔意を伝える使者が続々と訪れている。
その中には、普段から親しくしている者もいれば、ほとんど交流のない者もいた。
「このたびは、誠にご愁傷様でございます」
「ありがとうございます。皆様のお心遣い、感謝いたしますわ」
エレオノーラは穏やかに微笑んだ。
「それにしても、まさかこのようなことになるとは……」
「本当に、恐ろしいことでございますわね」
貴婦人の一人が声を潜めた。
「リリアーナ殿下が拘束されたと伺いましたが……」
「ええ。そのように聞いておりますわ」
「では、やはり……」
「まだ何も決まっておりませんの」
エレオノーラは静かに答えた。
「現在、正式な捜査が進められております。憶測でお話しすることは控えたいと思っておりますわ」
「も、申し訳ございません」
「いいえ。皆様がご心配なさるのも当然ですもの」
エレオノーラは柔らかく微笑んだ。
しかし、その目は相手の表情を注意深く観察していた。
誰が何を知っているのか。
どの家が、どのような情報を持っているのか。
そして、誰がリリアーナの処遇に強い関心を示しているのか。
貴婦人たちとの何気ない会話の中にも、確かめるべきことは数多くあった。
しばらくして、別の貴婦人が口を開いた。
「そういえば、ある公爵家では、既に今後の王位継承について話し合いが行われているとか……」
「あら、そうなのですか?」
エレオノーラは興味深そうに首を傾げた。
「まだお父様が亡くなられたばかりですのに、皆様お忙しいのですね」
貴婦人は慌てて口元を押さえた。
「い、いえ、私も詳しくは存じませんけれど……」
「そうですの。もし何かお聞きになりましたら、教えていただけると嬉しいですわ」
エレオノーラは変わらず微笑んでいた。
その笑顔の裏で、彼女は今の言葉をしっかりと記憶していた。
◇
シャルロッテは、自室で侍女たちから報告を受けていた。
「王宮内では、リリアーナ殿下が犯人だという噂が広がっております」
「まあ……」
シャルロッテは悲しげに目を伏せた。
「お姉様が、そのようなことをなさるはずがありませんのに」
「はい。ですが、国王陛下と最後にお会いしたのがリリアーナ殿下だったことから……」
「そうですわね。皆様が不安になるのも、無理はありませんわ」
シャルロッテは小さく息を吐いた。
「けれど、噂だけで人を疑うのは悲しいことですわ。どうか、皆様にも落ち着いていただくようお伝えくださいませ」
「承知いたしました」
侍女たちが退室すると、シャルロッテは机の上に置かれた報告書へ目を向けた。
そこには、王宮内で広まっている噂が整理されていた。
リリアーナが国王を毒殺したというもの。
王位継承権を巡る争いが始まるというもの。
国王崩御を機に、貴族たちが新たな勢力を形成しようとしているというもの。
シャルロッテは一つ一つに目を通した。
どれも、まだ確かな情報ではない。
しかし、噂がどこから広がっているのかを調べれば、何かが分かるかもしれない。
彼女は別の侍女を呼んだ。
「お願いがあるのですけれど」
「はい、姫様」
「王宮の皆様が、どのようなお話をなさっているのか、少し詳しく知りたいのです」
「噂について、でございますか?」
「ええ。どなたから聞いたのか、いつ頃から広まっているのか。そのようなことも分かれば嬉しいですわ」
「承知いたしました」
「ただし、無理に聞き出す必要はありませんの。皆様のお仕事の邪魔にならない範囲でお願いいたしますわね」
侍女が頭を下げる。
シャルロッテは優雅に微笑んだ。
王宮には、表向きの報告書には記されない情報が数多く存在する。
侍女たちの会話。
使用人同士の噂。
貴族たちが何気なく漏らした言葉。
そうした小さな情報が、思いがけない事実につながることもある。
シャルロッテは、そのことをよく知っていた。
◇
テオドールは、王宮内の一室で書類を整理していた。
机の上には、国王毒殺事件に関する関係者の一覧が並んでいる。
国王の居室に出入りした者。
酒を用意した者。
食事を運んだ者。
使用した食器を片付けた者。
それぞれの名前と役職が記されていた。
「……思っていた以上に、多いのですね」
テオドールは小さく呟いた。
王宮には多くの使用人がいる。
国王の身の回りの世話をする者だけでも、相当な人数になる。
その全員が、何らかの形で事件に関係している可能性がある。
「殿下、こちらが昨夜の勤務記録でございます」
文官が新たな書類を差し出した。
「ありがとうございます」
テオドールは受け取り、目を通した。
「この記録にある方々は、全員確認できているのでしょうか?」
「現在、順次確認を進めております」
「そうですか。では、確認が終わった方と、まだの方を分けていただけますか?」
「承知いたしました」
「それと、皆様のお話を伺う際には、できるだけ落ち着いた環境を用意してください。突然このような事件が起きたのですから、不安に思っている方も多いはずです」
「かしこまりました」
文官が退室すると、テオドールは再び一覧を見つめた。
自分にできることは、それほど多くないかもしれない。
兄や姉たちのように、大きな権限を持っているわけでもない。
それでも、話を聞くことならできる。
一人一人の言葉を丁寧に確かめ、記録することならできる。
「……姉上」
テオドールは小さく呟いた。
「必ず、無実を証明いたします」
その言葉に、答える者はいなかった。
しかし、テオドールは再び書類へ目を向けた。
今は、自分にできることを一つずつ進めるしかなかった。
◇
夕刻。
レオナルドのもとへ、兄弟姉妹たちから報告が集まり始めた。
王宮の警備は強化され、軍の指揮系統も維持されている。
王国法に基づく暫定的な行政手続きの整理も進んでいた。
貴族たちの動向については、エレオノーラが情報を集めている。
シャルロッテは王宮内の噂の出所を調べ始めた。
テオドールは関係者の一覧を整理し、聞き取りの準備を進めている。
まだ、何も解決していない。
国王を殺した犯人も分からない。
リリアーナの疑いも晴れていない。
それでも、王宮の混乱は少しずつ収まり始めていた。
レオナルドは机の上に置かれた報告書を見つめた。
その中に、一枚の書類があった。
国王毒殺事件に関する、証拠品の一覧である。
毒物が検出されたグラス。
使用された酒器。
酒宴の際に用意された飲食物。
それぞれについて、現在確認できている情報が記されていた。
「……グラス、か」
レオナルドは小さく呟いた。
父とリリアーナが最後に酒を飲んだ時のもの。
そこから毒が検出されたという。
だが、そのグラスを最後に扱ったのは、本当にリリアーナだったのだろうか。
レオナルドは報告書を手に取った。
「誰が片付けたのか、確認してもらおうかな」
そう呟いて、担当者への確認事項を書き加える。
国王が亡くなった。
妹が疑われている。
王国は混乱している。
それでも、やるべきことは変わらない。
事実を一つずつ確かめること。
そして、正しい判断を下すこと。
レオナルドは新たな書類を手に取った。
父がいなくなった王宮で、六人の王位継承者たちは、それぞれの役割を果たし始めていた。
お読み頂き、ありがとうございます。




