第十一話 父娘
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
夕食を終えた私は、自室の長椅子に腰掛けていた。
「……平和だねえ」
思わず、そんな言葉が漏れる。
今日一日、誰からも仕事を頼まれなかった。
……いや、正確には、勝手に仕事のようなことをしていたけれど。
それでも、誰かに急かされることなく、自分の好きなように時間を使えた。
素晴らしい。
実に素晴らしい。
「明日は何をしようかな」
久しぶりに本でも読もうか。
庭を散歩するのもいい。
何なら、昼まで寝ていてもいいかもしれない。
……王女としてどうなのかは、考えないことにしよう。
そんなことを考えていると、扉が控えめに叩かれた。
「リリアーナ様」
サリナの声だ。
「どうしたの?」
「陛下がお見えになっております」
「…………」
私は、長椅子からゆっくりと体を起こした。
「……お父様が?」
「はい」
「……何か、仕事の話?」
「いえ、特に何も伺っておりません」
「…………」
嫌な予感がする。
昨日、人材登用の仕事が終わったばかりだ。
まさか、もう次の仕事だろうか。
……いやいや。
さすがに、それはないよね?
「……お通しして」
「かしこまりました」
私は、急いで姿勢を正した。
ほどなくして、扉が開く。
「邪魔するぞ、リリアーナ」
「こんばんは、お父様」
「ああ」
お父様は、いつものように堂々とした足取りで部屋へ入ってきた。
その後ろには、ミハイルが続いている。
……あれ?
お父様の執務室で見かける書類は、持っていない。
代わりに、ミハイルが抱えているのは、小さな箱だった。
「……お父様?」
「何だ?」
「今日は、どのようなご用件でしょうか?」
「用件がなければ、娘の部屋を訪ねてはならんのか?」
「いえ、そういうわけでは……」
私は、少し困った。
そう言われると、返す言葉がない。
お父様は、愉快そうに笑った。
「安心しろ。仕事の話ではない」
「……本当ですか?」
「そこまで疑うか」
「……これまでの実績がありますので」
「ははは! 違いない!」
……笑い事じゃないんだけどなあ。
お父様は、部屋を見渡した。
「ふむ。随分と落ち着いた部屋だな」
「そうですか?」
「ああ。もう少し飾り立ててもよかろうに」
「掃除が大変になりますから」
「……お前は、本当に変わらんな」
お父様は、苦笑した。
私は、首を傾げた。
飾りが増えれば、掃除する場所も増える。
それだけのことだと思うんだけど。
◇
「……む?」
お父様の視線が、机の上で止まった。
そこには、今日一日かけて書いた国家運営構想が置かれている。
……あ。
片づけるのを忘れていた。
「何だ、これは」
「……ああ、それですか」
私は、少し恥ずかしくなった。
「今日、暇だったので、ちょっと考えてみたんです」
「ほう?」
お父様が、一枚目の紙を手に取った。
『王位継承者別・国家運営構想』
題名を読んだお父様の眉が、わずかに上がる。
「……随分と大きなことを考えていたようだな」
「いえ、そんな大したものじゃありませんよ」
「読んでもよいか?」
「……構いませんけど」
私は、少し迷ってから頷いた。
別に、秘密にするような内容ではない。
ただの思いつきだ。
お父様は、近くの椅子に腰を下ろした。
そして、一枚ずつ書類を読み始める。
最初は、レオナルドお兄様。
次に、ヴィクトリアお姉様。
ユリウスお兄様。
エレオノーラお姉様。
シャルロッテ。
テオドール。
お父様は、ときおり小さく頷きながら、黙って読み進めていた。
……何だか、落ち着かない。
別に提出するつもりで書いたものじゃないのに。
こうして読まれていると、採点されているような気分になる。
「……リリアーナ」
「はい?」
「なぜ、どの構想でも、お前自身の役割はほとんど変わらんのだ?」
「……え?」
私は、首を傾げた。
「だって、誰が王様になっても、無駄な仕事は減らした方がいいじゃないですか」
「……なるほど」
「それに、私が得意なのは、そういうことですから」
お父様は、再び書類へ目を落とした。
「ふむ……」
しばらくして、最後の一枚を手に取る。
……あ。
私の分だ。
「……これは」
「……ああ」
私は、苦笑した。
「最後に、思いつきで書いたんです」
「お前が王になった場合、か」
「はい。もちろん、絶対になりませんけど」
「……なぜ、そう言い切れる?」
「仕事が多そうですから」
「…………」
お父様が、私を見た。
「……それだけか?」
「十分な理由だと思いますけど」
「……そうか」
お父様は、何とも言えない顔をした。
……何だろう。
そんなに変なことを言ったかな?
お父様は、再び書類を読み始めた。
先ほどまでとは違い、少し時間をかけている。
何度か前の行へ戻り、書かれている内容を確認していた。
私は、何となく居心地が悪くなり、サリナにお茶をお願いした。
……ただの暇つぶしなのに。
そんなに真剣に読まれると、困るんだけどなあ。
やがて、お父様が最後の紙を置いた。
「……リリアーナ」
「はい」
「お前は、この国をどうしたい?」
「……どう、ですか?」
「ああ」
私は、少し考えた。
「……みんなが、普通に暮らせる国がいいですね」
「普通に、か」
「はい」
私は、頷いた。
「働く人が、ちゃんと休めて。頑張った人が、その分だけ報われて。困っている人がいたら、必要な助けを受けられる」
お父様は、黙って聞いていた。
「もちろん、何でも国が助けられるわけじゃありませんけどね」
「……そうだな」
「でも、できることはあると思うんです」
私は、机の上の書類を見た。
「道路を整えれば、物を運びやすくなります。仕事の手順を見直せば、同じ人数でも負担を減らせます。得意な人に仕事を任せれば、無理に全部を覚えなくても済みます」
……まあ。
全部、これまでにやってきたことなんだけど。
「それに、王様が何でも決めなければならない国って、ちょっと大変そうじゃないですか」
「……ほう」
「だから、ちゃんと仕事を任せられる人を増やしたいんです」
私は、笑った。
「そうすれば、お父様だって少しは休めるでしょう?」
「…………」
お父様が、目を瞬かせた。
……あれ?
今の、何だか。
「……お父様?」
「……私の話ではなく、お前が王になった場合の話だろう?」
「あ、そうでした」
私は、思わず笑った。
「でも、同じことですよ。誰が王様でも、休める方がいいじゃないですか」
お父様は、しばらく私を見つめていた。
そして、静かに笑った。
「……そうだな」
その声は、いつもより少し柔らかかった。
◇
「さて」
お父様は、書類を丁寧に重ねた。
「今日は、別の用事で来たのだった」
「……別の用事?」
「ああ」
お父様が、ミハイルへ視線を向けた。
ミハイルは、抱えていた箱を机の上へ置いた。
中から現れたのは、一本の酒瓶だった。
「……お酒?」
「たまには、父親の酒に付き合え」
「…………」
私は、目を瞬かせた。
「……私と、ですか?」
「他に誰がおる」
「いえ、そうですけど……」
お父様と二人でお酒を飲む。
……そういえば、そんなこと、今まであったかな。
少なくとも、ゆっくりと話しながら飲んだ記憶はない。
「……お父様、お仕事は?」
「今日は終わらせてきた」
「……珍しいですね」
「お前な……」
お父様が、呆れたように笑った。
「私とて、たまには休む」
「……そうだったんですね」
「……本当に、どういう認識をしておるのだ」
……だって。
いつも仕事をしている印象しかないんだもの。
私は、笑いながら頷いた。
「分かりました。お付き合いします」
「うむ」
お父様は、満足そうに頷いた。
ミハイルが、二つの杯を用意する。
サリナも、軽くつまめる料理を運んできてくれた。
「ミハイル、サリナ。あとはよい」
お父様が告げると、二人は静かに頭を下げた。
「かしこまりました」
「何かございましたら、お呼びください」
二人が退室し、扉が閉まる。
部屋には、私とお父様だけが残された。
「……では」
お父様が、杯を持ち上げた。
「今回の仕事、ご苦労だったな」
「ありがとうございます」
私は、自分の杯を持ち上げた。
軽く杯を合わせる。
そして、一口飲んだ。
「……あ、美味しい」
「そうだろう」
お父様が、得意そうに笑った。
「とっておきだ」
「……お高いんですか?」
「まず、そこを聞くのか」
「だって、気になるじゃないですか」
「ははは!」
お父様は、楽しそうに笑った。
……うん。
今日は、何だか機嫌がいいみたいだ。
◇
「それにしても、お前は随分と変わったな」
しばらく他愛のない話をしていると、お父様が、そんなことを言った。
「……そうですか?」
「ああ」
お父様は、杯を傾けた。
「ボーリング地方へ送り出した頃とは、別人のようだ」
「……そうでしょうか」
私は、少し考えた。
ボーリング地方。
懐かしい。
あの頃は、まさか自分が地方行政を任されるなんて思ってもいなかった。
「……あのときは、本当に大変でしたよ」
「そうだろうな」
「知らないことばかりでしたし、何をすればいいのかも分かりませんでした」
「だが、やり遂げた」
「……周りの人たちが、助けてくれましたから」
私は、笑った。
「私一人だったら、絶対に無理でしたよ」
「……そうか」
お父様は、静かに頷いた。
「ピンポン地方でも、随分と騒ぎを起こしたそうだな」
「……騒ぎって」
私は、苦笑した。
「卓球大会のことですか?」
「ああ」
「……あれは、ちょっと思いついただけだったんですけどね」
「その思いつきで、地方の産業が動いた」
「……まあ、結果的には」
私は、杯を置いた。
「でも、実際に大会を準備したのは、現地の人たちですから」
「……お前は、いつもそう言うな」
「だって、本当ですし」
私は、首を傾げた。
私が全部やったわけではない。
むしろ、できるだけ人に任せてきた。
……その方が、楽だから。
「サーフィン地方では、大嵐に遭ったな」
「……ああ」
私は、思わず遠い目をした。
「……あれは、もう二度と経験したくないですね」
「そうか」
「休暇だと思って行ったのに、まさか一ヶ月も島に閉じ込められるなんて」
お父様が、苦笑した。
「……すまなかったな」
「……え?」
私は、顔を上げた。
お父様が、少し真面目な表情をしていた。
「休養を与えるつもりだったのは、本当だ」
「……そうだったんですか?」
「ああ。嵐までは予想できん」
「……それは、そうですね」
私は、小さく笑った。
さすがに、天候までお父様のせいにはできない。
「……でも、あの島で学んだことも多かったです」
「ほう」
「人が困っているときって、何から手をつければいいのか、ちゃんと考えないといけないんですよね」
私は、あの頃のことを思い出した。
食料。
避難場所。
けが人の救護。
治安の維持。
情報の共有。
そして、みんなが不安になりすぎないようにすること。
「……あのときは、本当に周りの人たちに助けられました」
「……そうか」
お父様は、静かに頷いた。
それから、少し間を置いて言った。
「……無事に戻ってきてくれて、よかった」
「…………」
私は、思わずお父様を見た。
……あれ?
今の、何だか。
「……お父様?」
「何だ?」
「……心配してくださっていたんですか?」
「当たり前だろう」
お父様は、当然のように答えた。
「お前は、私の娘だ」
「…………」
私は、何も言えなくなった。
……そっか。
そうだよね。
王様である前に、お父様なんだ。
「……ありがとうございます」
私は、小さく笑った。
お父様も、微笑んだ。
◇
その後も、私たちは色々な話をした。
兄姉弟たちのこと。
地方で出会った人たちのこと。
最近の王宮の様子。
そして、私が幼かった頃の話。
「お前は、昔から妙なところで頑固だった」
「……そうでしたっけ?」
「ああ。一度こうすると決めたら、なかなか譲らなかった」
「……誰に似たんでしょうね」
「…………」
お父様が、私を見た。
私は、にっこりと微笑んだ。
「……何だ?」
「いえ、何でもありません」
「……まったく」
お父様は、呆れたように笑った。
……うん。
やっぱり、似ているところがあるのかもしれない。
「そういえば、レオナルドお兄様は、昔からあんな感じだったんですか?」
「あんな感じとは?」
「……何というか、いつも落ち着いていて、何でも計画的に進めるところです」
「ああ。幼い頃から、物事の順序を考える子だったな」
「……やっぱり」
「だが、予定どおりに進まぬと、随分と悔しがっていた」
「……へえ」
私は、少し驚いた。
今のお兄様からは、あまり想像できない。
「ヴィクトリアは、昔から周囲をよく見ていた」
「……分かります」
「ユリウスは、何かあるとすぐに体を動かしたがった」
「……それも、分かります」
「エレオノーラは、誰かが喧嘩をしていると、必ず間に入っていた」
「……お姉様らしいですね」
お父様は、懐かしそうに笑った。
「シャルロッテは、人の集まる場所が好きだった。テオドールは、何でも知りたがったな」
「……今と、あまり変わりませんね」
「そうだな」
私は、笑った。
みんな、子供の頃からそれぞれ違っていたんだ。
……当たり前だけど。
「……お父様」
「何だ?」
「みんな、いい人たちですよね」
「ああ」
お父様は、静かに頷いた。
「自慢の子供たちだ」
「……そうですね」
私は、微笑んだ。
王位継承権があるからといって、必ずしも争う必要はない。
得意なことが違うのだから、協力すればいい。
……少なくとも、私はそう思う。
「……誰が王様になっても、きっと大丈夫ですよ」
私は、何気なく言った。
お父様が、こちらを見た。
「……そう思うか?」
「はい」
私は、頷いた。
「だって、みんな優秀ですから」
「……そうか」
「それに、足りないところがあれば、他の人が補えばいいんです」
私は、笑った。
「一人で全部やる必要なんて、ありませんからね」
お父様は、しばらく私を見つめていた。
そして、静かに頷いた。
「……そうだな」
◇
気がつけば、随分と時間が経っていた。
酒瓶の中身も、かなり減っている。
私は、少し頬が熱くなっているのを感じた。
「……お父様」
「何だ?」
「……そろそろ、眠くなってきました」
「ははは。そうか」
お父様が、笑った。
「随分と付き合わせてしまったな」
「……いえ」
私は、首を振った。
「楽しかったです」
「……そうか」
「はい」
私は、素直に頷いた。
お父様と、こんなふうにゆっくり話したのは初めてかもしれない。
いつもは仕事の話ばかりだった。
けれど、今日は違った。
王様と王女ではなく、父親と娘として過ごせた気がする。
「……また、飲みましょうね」
私は、笑った。
お父様も、穏やかに微笑んだ。
「ああ。また付き合ってもらおう」
「……はい」
お父様は、ゆっくりと立ち上がった。
「では、今日は休め」
「はい。お父様も、ゆっくり休んでくださいね」
「分かっておる」
お父様は、苦笑した。
「……お前に言われるとはな」
「……だって、心配ですから」
「……そうか」
お父様は、小さく笑った。
そして、扉へ向かった。
「おやすみ、リリアーナ」
「おやすみなさい、お父様」
扉が閉まる。
私は、しばらくその扉を眺めていた。
……何だか、不思議な夜だった。
でも。
「……楽しかったなあ」
私は、自然と笑みを浮かべた。
お父様も、あんなふうに笑うんだ。
知らなかったわけではない。
けれど、今日ほど長い時間、笑い合ったことはなかった気がする。
私は、長椅子に腰を下ろした。
……明日こそ、ちゃんと休もう。
今日は、もう十分だ。
仕事もしていないし、お父様とも話せた。
なかなか良い一日だったと思う。
私は、サリナを呼び、寝支度を手伝ってもらった。
そして、寝台へ横になる。
「……おやすみなさい」
誰にともなく呟いた。
目を閉じると、すぐに眠気が訪れた。
明日は、何をしようかな。
そんなことを考えながら、私は眠りについた。
お読み頂き、ありがとうございます。




