第十一話 どうせやるなら徹底的に
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
翌朝。
「……来ないわね」
「来ませんね」
朝食を終え。
紅茶を一杯飲み。
さらにもう一杯飲み。
それでも。
帳簿は来なかった。
「何時?」
「間もなく十時でございます」
「私、昨日なんて言った?」
「過去五年分の帳簿を見せるように、と」
「言ったわよね」
「はい」
「今日って言ったわよね?」
「はい」
「……来ないわね」
「来ませんね」
私は紅茶を一口飲んだ。
別に。
急かすつもりはない。
五年分だ。
量も多い。
保管場所から運ぶだけでも時間はかかるだろう。
だから。
「もう少し待ちましょう」
「かしこまりました」
◇
十一時。
「……来ない」
「はい」
◇
正午。
「昼食が先に来たわね」
「はい」
「帳簿は?」
「まだのようです」
「そう」
食べる。
美味しい。
昨日ほど豪華ではないけれど、それでも王都の王宮と比べて遜色ない。
「……食事にはお金かけてるのね」
「そのようですね」
私は肉を切る。
柔らかい。
腹が立つくらい美味しい。
「料理人は悪くないのよね」
「はい」
「だから余計に困る」
「何がでしょう?」
「怒りづらい」
「……」
食事は食事。
仕事は仕事。
料理人に八つ当たりしても仕方ない。
「ごちそうさまでした」
食事を終える。
「さて」
立ち上がる。
「行きましょう」
「どちらへ?」
「帳簿を取りに」
「……リリアーナ様ご自身が?」
「待ってても来ないんだもの」
私は昨日言った。
今日、見せてほしいと。
そして今は昼過ぎ。
「忙しくて忘れてるのかもしれないでしょう?」
「左様でございますね」
「だから取りに行くだけよ」
「……」
「何、その顔」
「いえ」
「怒ってないわよ?」
「はい」
「本当に」
「はい」
怒ってはいない。
まだ。
◇
「リ、リリアーナ殿下!?」
執務室へ入ると、オズワルド伯爵が勢いよく立ち上がった。
「ごきげんよう」
「ど、どうしてこちらへ!?」
「帳簿を見に」
「……」
「昨日お願いしたでしょう?」
「もちろん覚えております!」
「そう」
「ただ、その……整理に少々時間が」
「そうなの?」
「はい!」
伯爵が大きく頷く。
「五年分ともなりますと膨大でございますから!」
「でしょうね」
「ですので、必要な部分だけ抜き出し、殿下に見やすい形へまとめておりまして」
「必要ないわ」
「……はい?」
「そのままでいい」
「しかし」
「普段使っている帳簿を見たいの」
「……」
「まとめ直したものじゃなくて」
「殿下のお手を煩わせるわけには」
「煩わないわ」
「ですが――」
「どこ?」
「……」
「帳簿」
伯爵が黙る。
私は笑顔のまま待った。
「……書庫に」
「案内して」
「殿下!」
「何?」
「せめて明日まで!」
「どうして?」
「整理が!」
「整理しなくていいって言ってるでしょう?」
「…………」
おかしい。
明らかに。
「伯爵」
「はい」
「私、難しいこと言ってる?」
「いえ」
「帳簿を見せて」
「……はい」
◇
書庫。
「……あるじゃない」
棚に帳簿が並んでいる。
年度別。
項目別。
多少雑ではあるけれど、読めないほどではない。
「どれ?」
「こちらが税収にございます」
「ありがとう」
一冊取る。
「こちらを部屋へ運んで」
「殿下」
「何?」
「本当に全てご覧になるおつもりで?」
「そのために来たんだけど」
「……」
「何か困る?」
「いえ」
「なら問題ないわね」
私は帳簿をメイドへ渡す。
「五年分全部お願い」
「かしこまりました」
「支出も」
「はい」
「公共事業も」
「はい」
「農業支援」
「はい」
「治安維持」
「はい」
「あと領主家関連」
「……殿下」
伯爵が口を挟む。
「何?」
「領主家の支出まで確認される必要はないのでは?」
「私費なら見ないわよ」
「……」
「領の予算から出ている分だけ」
「……はい」
あるのね。
やっぱり。
「それから」
「まだございますか?」
「昨日の宴」
「……」
「あれの支出記録もお願い」
「…………」
「何か?」
「いえ」
返事が。
どんどん小さくなっている。
◇
「さて」
部屋へ戻る。
机の上。
帳簿。
帳簿。
帳簿。
帳簿。
「…………」
山。
「リリアーナ様」
「何?」
「本当に全てご覧になるのですか?」
「見るわよ」
「かなりの量ですが」
「でしょうね」
椅子に座る。
一冊目を開く。
「……懐かしい」
「何がでしょう?」
「なんでもない」
前世。
これより酷い書類の山を何度見たことか。
月末。
期末。
決算前。
監査。
トラブル発生。
嫌な思い出ばかり。
「……だから今世ではやりたくなかったのに」
「リリアーナ様?」
「始めましょう」
「お手伝いできることは?」
「そうね」
考える。
「紙を用意して」
「はい」
「あと、項目ごとに印を付けたいから何か挟めるもの」
「すぐに」
「それと」
「はい」
「お茶」
「かしこまりました」
「多めに」
「……はい」
長くなる。
絶対に。
◇
一時間。
「……」
二時間。
「…………」
三時間。
「………………」
「リリアーナ様」
「何?」
「少しお休みになられては?」
「あと少し」
「先ほどもそうおっしゃいました」
「そうだっけ?」
「はい」
帳簿を見る。
「……おかしい」
「何かございましたか?」
「街道整備費」
「はい」
「毎年出てる」
「昨日もおっしゃっておりましたね」
「でも昨日見た街道」
「かなり傷んでおりました」
「そうなのよ」
金額を見る。
少なくない。
これだけ使って、あの状態?
「施工した場所が別なのかしら」
地図。
資料。
照らし合わせる。
「……主要街道」
昨日通った場所。
「ここね」
整備済み。
「…………」
嘘でしょう?
「リリアーナ様?」
「整備したことになってる」
「ですが」
「穴だらけだったわよね」
「はい」
もう一度。
年度を遡る。
一年前。
補修。
二年前。
補修。
三年前。
補修。
「毎年同じところ直してるの?」
「傷みやすい道なのでは?」
「その可能性もある」
決めつけない。
「後で確認しましょう」
印。
次。
「農業支援費……」
種。
農具。
水路整備。
「結構出してる」
なのに。
農業生産は下がっている。
人口減少があるから、それだけなら説明できる。
「でも……」
支援額は増えている。
「農家に届いてる?」
確認が必要。
印。
次。
「治安維持」
兵士への給与。
装備。
詰所。
「……人数、多くない?」
資料上の兵士数。
それなりにいる。
なのに治安悪化。
「これも確認」
印。
次。
「領主館維持費」
私は止まった。
「…………」
「リリアーナ様?」
「多い」
「どの程度でしょう?」
「かなり」
庭園。
調度品。
修繕。
食費。
来客対応。
「……来客対応」
昨日の宴。
探す。
「あった」
「昨日のものですか?」
「ええ」
金額。
「…………」
私は目を閉じた。
「リリアーナ様?」
「怒ってない」
「はい?」
「まだ怒ってない」
「……」
「確認してないから」
私の歓迎。
領の予算。
「王女を迎えるためだから、公費」
理屈は分かる。
公務で来た王族を接待する。
必要な費用ではある。
「でも」
あの量。
あの酒。
あの食材。
「必要?」
少なくとも。
私は頼んでいない。
「……印」
「はい」
次。
次。
次。
「…………」
見れば見るほど。
印が増える。
「多いわね」
「はい」
「嫌ね」
「はい」
「仕事が増える」
「……そこですか?」
「そこよ」
不正があるなら。
調べる。
確認する。
直す。
再発防止。
全部仕事。
「誰よ、不正した奴」
「まだ不正と決まったわけでは」
「分かってる」
だから余計に面倒なのだ。
不正なら不正で、証拠が必要。
不正でないなら、なぜ数字と現場が一致しないのか調べる必要がある。
「……はぁ」
最悪。
◇
夕方。
「伯爵を呼んで」
「かしこまりました」
しばらくして。
「殿下、お呼びでしょうか」
「ええ」
オズワルド伯爵が部屋へ入る。
机の上の帳簿を見て。
一瞬。
顔が引きつった。
「座って」
「……はい」
向かいの椅子。
「いくつか確認したいことがあるの」
「何なりと」
「まず街道」
「……はい」
「この区間」
帳簿を見せる。
「三年連続で補修費が出てる」
「左様でございます」
「昨日通ったわ」
「……」
「かなり傷んでた」
「馬車の往来が多い道ですので」
「そう」
否定はしない。
「施工記録を見せて」
「……施工記録?」
「いつ」
「……」
「誰が」
「……」
「どの区間を」
「……」
「どう直したか」
沈黙。
「あるでしょう?」
「確認いたします」
「お願い」
次。
「農業支援」
「はい」
「農具と種の購入費」
「はい」
「誰に配った?」
「農民に」
「それは分かってる」
私は微笑む。
「一覧を見せて」
「……」
「誰に、何を、いくつ」
「……」
「あるでしょう?」
「確認を」
「お願い」
次。
「兵士」
「はい」
「給与支払い記録」
「……」
「名簿と照合したいから用意して」
「承知しました」
「最後」
「……はい」
「昨日の宴」
伯爵の肩が僅かに動く。
「領の予算から出したのね?」
「殿下をお迎えするためでございます」
「聞いてるのは理由じゃないわ」
「……はい」
「領の予算?」
「……はい」
「分かった」
「殿下」
「何?」
「王族をお迎えする以上、相応の格式が必要でございます」
「そうね」
私は頷いた。
「だから、それについては後で考える」
「……」
「今は確認だけ」
帳簿を閉じる。
「明日の朝までにお願い」
「……朝まで」
「無理?」
「いえ」
「ならお願い」
「承知いたしました」
伯爵が立ち上がる。
扉へ向かう。
「ああ、伯爵」
「はい?」
振り返る。
「一つだけ」
「何でしょう?」
「書類」
「……はい」
「今から作らないでね」
「…………」
「元々あったものを持ってきて」
伯爵の顔から。
笑顔が消えた。
「……もちろんでございます」
「よかった」
扉が閉まる。
「…………」
私は椅子にもたれた。
「リリアーナ様」
「何?」
「お疲れ様でございます」
「本当よ」
目の前。
山積みの帳簿。
大量の印。
そして。
明日届く予定の証拠書類。
「……のんびり生きたいだけなのに」
どうして。
転生してまで。
「監査みたいなことしてるのよ……」
私は深く。
深く。
ため息を吐いた。
お読み頂き、ありがとうございます。




