第二話 最初の同盟
この物語は全てフィクションであり、実在する人物、事件とは一切関係ありません。
王宮の庭園には、穏やかな午後の日差しが降り注いでいた。
色とりどりの花が咲き、時折吹く風が心地よい。
私は庭園の一角に設けられたテーブルで、テオドールと向かい合っていた。
テーブルには、サリナが用意してくれた紅茶と焼き菓子が並んでいる。
本当なら、自室でゆっくり話してもよかったのだけれど。
いくら姉弟とはいえ、つい先ほどまともに言葉を交わしたばかりの男性を、自室へ招き入れるのは少々抵抗がある。
それに、王族の男女が密室で長時間過ごしていたとなれば、余計な噂を立てられる可能性もある。
……姉弟なのに、面倒なものね。
そんなわけで、場所を庭園に変更したのだった。
幸い、天気もよく、外でお茶を楽しむには申し分ない。
サリナも少し離れたところに控えてくれているので、何かあればすぐに対応してもらえる。
私は紅茶を一口飲み、向かいに座るテオドールへ視線を向けた。
先ほどから、彼は私のこれまでの功績について、一つずつ確認していた。
ようやく話し終えたらしく、テオドールは真剣な表情で私を見つめる。
「私が知っている姉上の功績を挙げさせていただきましたが、これでも王位は目指していないとおっしゃるのですか?」
私は紅茶を一口飲み、カップをソーサーへ戻した。
「ええ。目指していないわ」
「……本当に?」
「本当よ」
「ですが……」
テオドールは言葉を詰まらせた。
どうやら、私の答えがどうしても納得できないらしい。
……困ったわね。
そもそも、王になりたくないことを証明する方法なんてあるのかしら。
王になりたい人なら、目標や理想を語ればいい。
けれど、なりたくない人間が何を言ったところで、本人の言葉を信じてもらえなければ、それまでだ。
「逆に聞くけれど、テオドール」
「はい」
「あなたは、どうして王になりたくないの?」
「……それは」
テオドールは視線を落とした。
私は急かさず、紅茶を口へ運ぶ。
少しの沈黙が流れた後、彼は静かに口を開いた。
「……私には、王として国を導く自信がありません」
「そう」
「兄上や姉上方のように、優れた才能があるわけでもありません。政治についても、軍事についても、まだ学ぶべきことばかりです」
「それは当然じゃない?」
「……え?」
「あなた、まだ若いでしょう? 今から全部できる必要なんてないと思うけれど」
「ですが、王位継承権を授けられた以上、相応の責任が……」
「責任はあるでしょうね。でも、責任があることと、最初から何でもできなければならないことは別よ」
テオドールは考え込んだ。
私は焼き菓子を一つ手に取った。
……美味しい。
サリナの選ぶお菓子は、いつも外れがない。
「それに、あなたが王になりたくない理由は、それだけ?」
「……と、おっしゃいますと?」
「自信がないから王になりたくないのか、それとも、そもそも王になることを望んでいないのか。そこは違うと思うの」
テオドールは目を見開いた。
「……違う、のですか?」
「ええ。自信がないだけなら、勉強したり経験を積んだりすれば、考えが変わるかもしれないでしょう?」
「……はい」
「でも、王になること自体を望んでいないのなら、どれだけ能力が身についても、気持ちが変わるとは限らないわ」
私は少し考えた。
「例えば、料理が苦手な人と、料理をしたくない人は違うでしょう?」
「……料理、ですか?」
「そうよ。苦手な人なら、練習して上達すれば料理が好きになるかもしれない。でも、そもそも料理をしたくない人に、いくら技術を教えても、やりたいと思うかどうかは別の話じゃない?」
「……なるほど」
テオドールは小さく頷いた。
「では、姉上は後者なのですね」
「ええ」
「王としての能力があっても、王にはなりたくないと」
「そういうことね」
「…………」
テオドールは再び黙り込んだ。
……あれ?
何だか、余計に考え込ませてしまった気がする。
「姉上」
「何?」
「では、なぜそれほど多くの仕事を引き受けてこられたのですか?」
「…………」
私は焼き菓子を持ったまま固まった。
……そこを聞く?
「自分から引き受けた仕事ばかりじゃないわよ?」
「そうなのですか?」
「ええ。むしろ、最初はお父様から命じられたものよ」
私は遠い目をした。
思い出すのは、ボーリング地方へ赴任することになった日のこと。
一年間の統括代官。
成果を上げられなければ廃嫡。
あのときは、どうして私がそんな目に遭わなければならないのかと、本気で思ったものだ。
「……最初は、一年間だけ働けば済むと思っていたのよ」
「一年間、ですか?」
「ええ。任期が終われば、あとはのんびり暮らせると思っていたの」
「ですが、その後も……」
「そうなのよね……」
私はため息をついた。
気がつけば、次から次へと仕事が増えていた。
ようやく終わったと思えば、新しい問題が起こる。
休めると思えば、別の地方へ行くことになる。
……どうしてこうなったのかしら。
「姉上は、仕事がお嫌いなのですか?」
「嫌いというより、できれば働きたくないわね」
「…………」
テオドールが固まった。
私は首を傾げる。
「どうしたの?」
「……いえ、その」
「何?」
「姉上のような方が、そのようなことをおっしゃるとは思っておりませんでした」
「そう?」
「はい。むしろ、誰よりも熱心に国のために働いていらっしゃる方だと……」
「必要だから働いているだけよ。働くこと自体が好きなわけじゃないわ」
「……必要だから」
「ええ」
私は紅茶を飲んだ。
「例えば、目の前で誰かが困っていたら、助けられる範囲で助けるでしょう?」
「はい」
「それと同じよ。問題があって、私にできることがあるなら、放っておくのも気分が悪いもの」
「ですが、それだけであれほどのことを……」
「結果的に大きくなっただけよ」
私は肩をすくめた。
「それに、私一人で成し遂げたことなんて、ほとんどないわ」
「……そうでしょうか?」
「そうよ。ボーリング地方だって、現地の人たちが協力してくれなければ、何も変わらなかったもの」
私は指を折りながら続けた。
「ピンポン地方では、職人たちが道具を作ってくれた。サーフィン地方では、みんなで協力して嵐を乗り越えた。領地経営だって、それぞれの地方の人たちが頑張ってくれたから成果が出たのよ」
「……ですが、最初に動かれたのは姉上ではありませんか?」
「そういうこともあったわね。でも、最初に動いた人間だけが偉いわけじゃないでしょう?」
テオドールは黙って私を見つめた。
「考えてみて。どれほど立派な計画を立てても、実行する人がいなければ何も変わらないわ」
「……はい」
「それに、私が知らないことを知っている人も、私にはできないことができる人も、たくさんいるのよ」
私は微笑んだ。
「だから、全部自分でやろうとする必要なんてないと思うの」
「…………」
テオドールはしばらく考え込んでいた。
そして、ゆっくりと口を開いた。
「……姉上は、ご自身が王になる必要はないとお考えなのですね」
「ええ」
「では、誰が王になっても構わないと?」
「誰でもいいとは思わないわよ」
私は首を振った。
「王様になる以上、国を治める責任があるもの。誰でも務まる仕事じゃないでしょう?」
「……はい」
「でも、私でなければならない理由もないと思うの」
テオドールは、私の言葉を繰り返すように呟いた。
「……姉上でなければならない理由が、ない」
「そうよ」
私は焼き菓子をもう一つ手に取った。
「それぞれ得意なことが違うのだから、向いている人が向いている仕事をすればいいと思うわ」
「……向いている人が、向いている仕事を」
「ええ。王になる人もいれば、その人を支える人もいる。地方を治める人もいれば、商売をする人もいるでしょう?」
「はい」
「どれも必要な仕事よ。王様だけが偉いわけじゃないもの」
テオドールは視線を落とした。
何かを考えているようだった。
私はその様子を見守りながら、紅茶を飲んだ。
……少し話しすぎたかしら。
もともとは、彼が王になりたくない理由を聞くつもりだったのに。
気がつけば、私ばかり話している。
「……ごめんなさいね。何だか、私の話ばかりになってしまったわ」
「いえ!」
テオドールが慌てて顔を上げた。
「とても勉強になります」
「そう?」
「はい。私は、王位継承権を授けられた以上、王になるために努力しなければならないと思っておりました」
「そう考えるのも間違いじゃないと思うわよ」
「ですが、姉上のお話を伺って、少し考えが変わりました」
「……どんなふうに?」
テオドールは少し考えてから答えた。
「王になるためだけではなく、国のために自分が何をできるのかを考えるべきなのではないかと」
私は微笑んだ。
「いいんじゃない?」
「……よろしいのでしょうか」
「もちろんよ。少なくとも、王位継承権を持っているからといって、必ず王にならなければならないわけじゃないでしょう?」
「……はい」
「それに、今すぐ結論を出す必要もないと思うわ」
テオドールが顔を上げた。
「今すぐ、ですか?」
「ええ。これから色々なことを学んで、経験して、それから考えればいいんじゃない?」
私は紅茶を飲み干した。
「王になりたいと思うようになるかもしれないし、別にやりたいことが見つかるかもしれない。どちらでもいいと思うわ」
「…………」
「大切なのは、自分がどうしたいのかを考えることじゃないかしら」
テオドールは、しばらく私を見つめていた。
やがて、小さく頭を下げた。
「……ありがとうございます、姉上」
「どういたしまして」
「少し、気持ちが楽になりました」
「それならよかったわ」
私は微笑んだ。
……よかった。
どうやら、少しは役に立てたらしい。
「それにしても、姉上」
「何?」
「一つ、不思議なことがございます」
「不思議なこと?」
「はい」
テオドールは真剣な表情で私を見つめた。
「姉上は王になりたくないとおっしゃいますが、今のお話を伺う限り、やはり王として必要な考え方をお持ちのように思えます」
「…………」
……あれ?
「ご自身だけですべてを成し遂げようとせず、他者の能力を認め、それぞれに適した役割を与える。国を治めるうえで、非常に重要なことではないでしょうか」
「……そうかもしれないわね」
「でしたら、やはり姉上は……」
「テオドール」
「はい」
私は静かに微笑んだ。
「王に必要な考え方を持っていることと、王になりたいかどうかは別の話よ?」
「…………」
テオドールは口を閉じた。
そして、しばらくしてから苦笑した。
「……確かに、そうでした」
「でしょう?」
私たちは顔を見合わせ、小さく笑った。
……まったく。
危うく、また王位を勧められるところだったわ。
「ところで、テオドール」
「はい」
「あなた自身は、何かやってみたいことはないの?」
「……私自身が、ですか?」
「ええ。王位継承権とか、王族としての責任とか、そういうものを一度置いておいて」
私は少し身を乗り出した。
「何をしているときが、一番楽しい?」
テオドールは目を瞬かせた。
そして、しばらく考え込んだ。
「……そうですね」
私は答えを待った。
けれど、彼はなかなか口を開かなかった。
やがて、困ったように笑う。
「……申し訳ございません。すぐには思いつきません」
「そう」
「これまで、王族として恥ずかしくないようにと、勉学や礼儀作法に励んでまいりましたので……」
「なるほどね」
私は頷いた。
確かに、王族として育てられれば、そういう生活になるのかもしれない。
何をしたいかより、何をすべきか。
自分の好みより、周囲から求められること。
そうしたものを優先してきたのだろう。
「それなら、これから探せばいいんじゃない?」
「……これから?」
「ええ。知らないことも、やったことのないことも、たくさんあるでしょう?」
「……はい」
「だったら、色々試してみればいいのよ」
私は微笑んだ。
「何が好きなのかなんて、やってみなければ分からないこともあるもの」
テオドールは少し考え、それからゆっくりと頷いた。
「……そうですね」
その表情は、会議室で見たときよりも、随分と明るくなっていた。
私は内心で安堵した。
よかった。
これなら、もう大丈夫そうね。
「さて、そろそろお茶のおかわりをお願いしようかしら」
「かしこまりました」
控えていたサリナが、すぐにティーポットを手に取った。
「テオドール殿下も、いかがでございますか?」
「……では、いただきます」
「かしこまりました」
サリナが紅茶を注いでくれる。
私はカップを持ち上げ、香りを楽しんだ。
……ああ、落ち着く。
やっぱり、こういう時間が一番ね。
「……姉上」
「何?」
「本日は、本当にありがとうございました」
「気にしないで。弟の相談に乗るくらい、当然でしょう?」
「……はい」
テオドールは嬉しそうに微笑んだ。
私はその様子を見て、少しだけ胸が温かくなった。
これまで、ほとんど交流のなかった弟。
けれど、こうして話してみれば、随分と素直で真面目な子だった。
……もう少し早く、話してみればよかったわね。
私は紅茶を一口飲んだ。
すると、テオドールが何かを思い出したように口を開いた。
「そういえば、姉上」
「ん?」
「シャルロッテ姉上も、近いうちにご挨拶に伺いたいとおっしゃっておりました」
「……シャルロッテ?」
「はい。第六位の王位継承権を授けられた姉上です」
「ああ、もちろん覚えているわよ」
……危ない。
一瞬、誰だったか考えてしまった。
テオドールは微笑んだ。
「シャルロッテ姉上は、以前からリリアーナ姉上に興味を持っていらっしゃいましたので」
「……私に?」
「はい。ぜひ一度、ゆっくりお話ししてみたいと」
「そうなのね」
私は頷いた。
弟とこうして話せたのだから、妹とも交流を深めるのは悪くない。
むしろ、今までほとんど関わってこなかったことを考えれば、いい機会だろう。
「いつでも歓迎するわ。都合のいいときにいらっしゃいって伝えてくれる?」
「承知いたしました」
テオドールは嬉しそうに頷いた。
私は紅茶を飲みながら、庭園へ視線を向けた。
穏やかな午後の日差しが、庭園を照らしている。
……今日は、思っていたより有意義な時間になったわね。
弟の悩みも少しは軽くなったようだし、新しい家族との交流も始まった。
それに、何より。
王位継承権を持つ者の中に、私と同じく王になりたくない人間がいると分かった。
……まあ、それはそれで、少し複雑なのだけれど。
私は小さく笑った。
さて。
次はシャルロッテね。
どんな子なのかしら。
少なくとも、今日のテオドールのように、王になりたくないと悩んでいるわけではなさそうだけれど。
……できれば、あまり仕事を増やさない子だといいわね。
お読み頂き、ありがとうございます。




